第十二話~文乃のお願い~
私は一時間目の授業を受ける事無く、先生に別室へと案内されて聞き取り調査の対象となった。
保健室で渡された氷のうを腫れた左目に当て、出来る限り冷静に受け応える。妹との関係、部活の事、最近読書を始めた事など。
担任の先生は私の話を真剣に聞いて、何やらノートにメモを取っていた。そうして私はただ静かに文芸部で本を読みたいだけだと訴えると、先生が大きくうなずいた。
「まぁ、清水の態度も良くなかったと思うから反省するように」
耳を疑った。この人、正気かとも思った。
どうして部活に行こうとして殴られた私がそんな事を言われないとならないのか。腹が立ったけど、相手は学年でも成績優秀で実家も太い如月雪奈。成績も並以下で親も平凡なサラリーマンの家庭である私じゃ信頼度が違うのだろう。
「わかりました」
当然納得はいってないけど、こんな所で徹底的に争う気にはなれなかった。この状況で私にも非があると言う先生を言い負かすのに、どれほど無駄な時間がかかるだろうか。そうしてもしも私が全面的に悪くないとなった時、文乃先輩の心労はどうなってしまうのだろうか。
それより、私は顔を怪我させられた。その点で相手が委縮して明日から来ない事を願うばかり。それにこの顔を見れば先輩ももっと私に寄り添ってくれるだろう。そんな下心すらうっすらと芽生え始めていたのだった。
「美空、大丈夫?」
二時間目の前に教室に戻ると、みんな一斉に出迎えてくれた。普段私とあまり仲が良くない人達も集まっている。正直、悪い気がしなかった。悲劇のヒロインであり、暴力と威圧に負けなかったヒーロー。そんな思いがわずかに頬を緩ませる。
「大丈夫?」
「まぁ、ちょっとまだ腫れてるかな」
早矢が心配してきたので私は氷のうを外すと、みんなざわめいた。私もさっき鏡でそこを見たのだが、出血は無いものの紫色になって腫れていたからだ。するとすぐに可哀想に、アイツ酷いよなと妹を非難する声があちこちから聞こえてきた。
人望があって頭が良い如月雪奈の評判もこれでガクンと落ちただろう。少なくともうちのクラスじゃ、いきなりやってきてギャアギャア騒いで暴力を振るう女という印象が固まった。
「次もし来たら、みんなで追い返そうって話になったんだ。幾ら何でも、あれはないから」
クラスの人気者がそう言ってくれると、私は小さく笑ってうなずいた。あぁ、これで安心だ。今朝ずうっと抱えていた悩みが解消される。それだけで私の目の痛みは大分収まったような気がした。
それからは何事も無く、放課後になった。あの妹とはまだあれから、会っていない。
きっと帰宅させられたのかな、なんて思いつつ私はいつものように部室へと向かう。氷のうはもうとっくに保健室に返した。あまり冷やし過ぎるのもよくないらしい。目の腫れが正直みっともなかったけど、包帯を巻くのは大袈裟すぎて嫌だった。
少し早く教室を出たからか、まだ部室には人の気配が無かった。でも間も無く文乃先輩が来るだろう。その時、どうすればいいのだろう。急に驚かせないよう、先輩が来るだろう方角を見続けているべきか。それともうつむき、自然のままでいる方が良いのか。
どうしようかと反対側を向いて考え事をしていると、こちらへ近付く足音が耳に届いた。
「美空さん、おはよう。待たせちゃったみたいで、ごめんなさい」
「あ、いえ」
何も考えず振り返った時、文乃先輩がギョッとした顔になった。私はすぐにしまったと思ったけど、もう遅い。
「どうしたの、その顔」
「まぁ、色々ありまして。ここで話すのは何なので、中でいいですかね?」
「え、あぁ……そうね、ごめんなさい」
不安げな表情で小さく頭を下げた文乃先輩がドアを開けた。
部室に入るとすぐに私達は机と椅子を引っ張り出す。立ち話でする話でもないし、そんな軽い話でもない。気まずい沈黙の中ですぐに用意すると、私と文乃先輩がほぼ同時に座った。
「目、大丈夫? かなり痛そうだね」
「痛みはもう大分収まりましたよ。触れば痛いですけど」
思わず触れようとした手を慌てて下げる。私はなるべく笑顔で接するけど、文乃先輩はずうっと心配そうに見詰めていた。
「どうしてそうなったの?」
「殴られたんです、妹さんに」
どこか想像していたのかもしれない、文乃先輩は両手で口元を抑えるけどその眼はどこか諦めと悲しみが漂っていた。
「朝、妹さんが教室に来て私に話があるって騒ぎ立てたんです。もう部室に行くな、余計な事をするなって。嫌だって言ったらつかみかかられ、揉み合ってるうちに殴られて」
申し訳無さそうな文乃先輩の様子が胸に刺さる。この顔を見れば疑いようも無い証拠に、まさか暴力を振るとは思わなかったのだろう。私は溜飲が下がる以上に、落ち込む先輩に胸が痛んだ。
「本当にごめんなさい。そんな事をする子じゃないって思っていたんだけど、でもそうなっちゃったんだよね。昨日も言ったのに……。美空さんにはどんなお詫びをすれば、いいのか……うぅ」
突然、文乃先輩が胸を押さえて苦しんだ。ぎゅうっと目を閉じ、背を丸め顔が膝につきそうなくらい下がる。私は慌てて立ち上がり、文乃先輩に近寄った。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫……少しすれば、収まるから……」
どう見ても大丈夫には見えない。昨日もこんな風に苦しんでいた。やっぱり何か病気でもあるんだろうか。
「でも昨日だって……あの、先生呼びますか?」
「ううん、大丈夫……」
そうは言うものの、うっすら額に汗かいて苦しんでいる文乃先輩をそのままにしておいていいのかどうか、私にはわからない。先輩は大事にしたくないからそう言っているだけかもしれないけど、万が一手遅れにでもなったらと思うと気が気じゃなかった。
「でも、すごく苦しそうですし、大丈夫そうには……あっ、じゃあ保健室。保健室に一緒に行きましょう。ベッドで横になれば、少しは」
けれど文乃先輩は垂れ下がった頭を力なく横に振った。
「よくある事で、保健室に行ってもどうにもならないから。それより今、動きたくない」
か細い声で必死に訴える先輩に、私はもう何も言えなかった。何もできず、座る事もできない。ただどうしたらいいのかわからず、困った顔をしながらぼうっと立っているだけ。
こんなに苦しむ人を前に、何かしたい。でも何もできない。私には何も無い。
「ただ……お願いがあるの」
うつむいていると不意にそう言われ、顔を上げた。文乃先輩はまだ苦しそうに胸を押さえながら、でも必死に顔を上げてどこか泣きそうな顔で私を見詰めている。
「手を繋いで欲しい。安心するから……」
そう言いながら弱々しく先輩が左手を私の方へ伸ばして来た。私は唇に力を入れ、しゃがむ。そうして先輩の手を両手でそっと包んだ。
「ありがとう……嬉しい」
少し冷たく、すべすべと肌触りの良い手が震えている。私はもう少ししっかりと包み込むように握れば、とくんとくんと先輩の血の流れがわかった。
もっと何かできないか、もっと他にやれる事はないか。そんな思いが頭をよぎるけど、でも今はこれしかできない。文乃先輩がお願いして差し出してきた手に私の元気が少しでもうつるように、大切に握ろう。
きっと、私にしかできない事だろうから。




