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12話 夜の話

◇ 夜の話 ◇


ガレンで寝る場所を得るまでに、半日かかった。


役所での登録が最初の壁だった。言葉の問題と、転移者に対する役人の態度が問題だった。態度は敵意ではなく、無関心に近かった。書類に名前と年齢を書かせ、印を押し、「転移者居住区に行け」と指示された。


転移者居住区は城壁の内側、北東の角にあった。古い建物が密集していた。窓が小さく、採光が悪く、路地が狭かった。既にここで暮らしている転移者がいた。数人の東洋人と思しき顔があった。声をかけたが言葉が通じなかった。


空き家になっている建物を二棟、交渉して使わせてもらった。交渉に使ったのは金ではなく、橘彩の現代知識だった。


「水と火があれば薬になるものを作れる」と橘が近くの女性(転移者ではなかった)に伝えた。女性が「薬代はあとで」と言い、建物を貸してくれた。


夜、誠は建物の外の路地に出た。石畳が夜露で濡れていた。空を見た。ガレンの建物の屋根の向こうに、見慣れない星が光っていた。


足音がした。橘彩だった。


「眠れない?」と橘が言った。


「うん」


橘も同じらしかった。二人で路地に立ったまま、空を見た。


「あの星、帰ってから天文学者に聞いたら何かわかるかな」と橘が言った。


誠は少し間を置いて「帰ってから、か」と言った。


「……帰れないかもしれない」と橘が言った。初めて、そう言った。


誰もがそれを考えていたはずだった。だが口に出した者はいなかった。少なくとも誠は聞いていなかった。


「行商人は戻った転移者の話を知らなかった」と橘が続けた。「ここに来た転移者が奴隷か、死んでいるなら、帰る方法が存在しない可能性もある」


「存在しない、と証明されたわけじゃない」


「そうだね」と橘は言った。「でも私、医者になりたかった。なれると思ってた。今もなれるかどうかわからない場所にいる」


誠は橘を見た。橘は石畳を見ていた。


「私、弱音を言うのが苦手なんだ」と橘が言った。「ここに来てから一度も泣いていない。宮田が死んでも泣けなかった。感情がどこかに行っちゃったのか、封じ込めてるのか、わからない」


「今もそう?」


橘が少し黙った。「今もそう」と言った。「でも、変だと思う。変なのに、どうしていいかわからない」


誠は何か言おうとして、やめた。「大丈夫だ」も「頑張れ」も、何も言えなかった。ただ「そうか」と言った。


「そうか」と橘が繰り返した。「うん、そうかもしれない」


それだけだった。二人でしばらく石畳を見ていた。


遠くで夜番の衛兵が通り過ぎる音がした。


「戻ろう」と橘が先に言った。「明日も早い」


誠も頷いた。


建物に入る前に、橘が小声で言った。「田中くんは帰れると思ってる?」


誠は少し考えた。正直に答えることにした。


「わからない」


「そっか」と橘が言った。「正直に言ってくれてありがとう」


ドアが閉まった。


誠は少しだけ外に残った。空の星が、少し動いていた。


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