12.中央卸売市場はどこか海の香りがする
ツインルームを3人で使うわけだから狭い。お風呂に入るのも時間が掛かる。何よりたまらなく女臭い。女性専用車両ってすごいにおいだってわざわざ教えてくれた女性がいて、「雨の日とか…わかるでしょ?」って。わかりたくないよ。
「川の字になって寝るのでいいですよね。美原さんは真ん中で」
「賛成です」
「反対です。壁際が好きです」
「却下します。川の字を考えてください。いちばん短いのは?」
「真ん中です」
うれしそうに言うな。共闘を組みやがって。ぼくは今は150㎝未満、黒百合は160㎝には届かないだろう。梯さんは165㎝くらいある。ナースだからぺったんこの靴で元は178㎝のぼくを見上げるのがかわいらしかった。
背丈で人生観が変わると言った人がいたが、確かに精神形成に多大の影響を及ぼしているのかもしれない。
「くそ、こんなはずじゃなかったのに!」
「いいじゃないですか。美月さん、とってもかわいいですよ」
わざと下の名前を呼んで、くすくす笑う。よくもまあ、前のぼくの姿を知っていながらそんなことが言えたものだ。ぼくなら気色悪くて近寄りたくもない。
「うん、おねえさんってとってもかわいい」
年下の黒百合に言われたくない。
「明日は何時起きですか?」
ベッドに入ってから梯さんが訊く。
「始発だよね」
弟子入りしたのか、わかってきたみたい。
「もちろんです。4時起きでいいでしょう」
「それで、京都には何時に着きます?」
常に冷静だ。新人とは言えさすがナース。スマホを取り出して検索する。
「福井を4:49発で京都には7:30に着きますね」
「そんなに早く着いても、どこも開いてないですよ」
「うっ。……琵琶湖を一周すれば3時間くらいつぶれるかと。たぶん」
えへへ。これ前からやってみたかったんだよね。一筆書きにならないのが残念。
「誰得ー?」
弟子が早速裏切りやがった。
「あの、一周半の間違いじゃないですか? 福井から京都に行くのは変わらないんですから」
一筆どころかなぞりまくりだった。
「ぐは。……さすがに5時間は潰しすぎかー」
「時間損ー」
「そんなのちょっと考えればわかることです」
「ま、待って。聞くだけ聞いて。福井発4:49の快速で、敦賀に5:30着、敦賀を6:02発の湖西線快速で山科に7:31に着きます。次は湖東の北陸本線で、山科を7:39に出て、米原で乗り継いで9:07に近江塩津に着きます。そこからは湖西線の新快速が速いのか、近江塩津9:40発、京都着10:58ですね」
「6時間掛かってるやないの!」
「6時間あれば京都から静岡の先まで行くかな。ははは」
バカにされるくらいで鉄ちゃんはめげない。おもしろくなっていろいろ検索してたら二人ともすやすや寝息を立ててた。
睡眠において大事なのは規則正しいリズムというのはわかってるけど、4時起きがリズムになったのは困ったものだ。そおっと起き出して、顔を洗って、歯を磨いて、お肌の手入れをして、やることがなくなったから柔軟体操をする。
「おはようございます。……健康的ですね」
梯さんが身体を起こして寝ぼけ声で言う。頼むから胸まで毛布で隠してよ。女同士じゃないのわかってるくせに。黒百合はずるずる後退しながら毛布に入っていった。猫化してるな。
起き出して来た梯さんとベッドに座って小声で話をする。
「鮫島先生に連絡しました?」
「はい。ごく簡単に『美原さん、元気です』って」
「真坂先生にも?」
「『旅行楽しんでます。あたしも一緒に楽しんでます』って」
お、これっていい感じじゃね? この際、百合でもいいんじゃね? 今はその方がハードル低いんじゃね?
「いや、だめだろ」
「どうかしました?」
しまった、考えてることをつい口にするのは一人暮らしの悪い癖だ。
「いえ、早起きして他人を巻き込むなんてだめだなぁって」
「他人だなんて」
うほほーい!なのに、ここで黙っちゃうからだめなんだよな。もう呟かないけど。
いろいろ考えて、朝早くからやってるはずの中央卸売市場に行くことにした。昨日乗ったえちぜん鉄道にほんの5分ほど乗って越前開発で降りて歩く。
「なんか磯の香りしないね」
「勘違いしてるかもだけど、中央卸売市場は港に面してるわけじゃないよ」
「でも、築地や豊洲は海に近いですよね」
「築地も豊洲も埋立地だから広い土地が確保しやすかったんじゃないかな」
「築地もですか?」
「うん。だって土地を築いたで築地。ついでに月島も同じ。築いた島だと国語辞書には記載されている」
「もんじゃの月島でしょ? 字が違うじゃん」
「地名の字は由来と関係ないことも多い。ただし、中央区は『東京湾内に月の岬という観月の名所があったことにちなんで、当時の東京市参事会の決議により命名された』としていて両説ある。しかし、三田辺りにあったとされる月の岬の名前が、なぜ1892年(明治25年)の『東京湾澪浚計画』に基づき、東京湾から浚渫した土砂を埋め立てた土地に転用されたのかよくわからない。いや、浚渫泥を築いた島では即物的で印象が悪いし、江戸時代の築地の二番煎じを嫌う向きもあって東京市の役人が風流な由来に仕立てたってところじゃないか。それに参事会が乗っかったのかもしれない」
「誰に言ってるの?」
「時々ああなるの。そっとしておいてあげて」
中央卸売市場に着いた。ここは博物館じゃない。プロが来るところで、観光客のぼくらは彼らの邪魔にならないようにする。
「色んなもの売ってるね。おもしろい」
「おねえさん、あたしが好きそうなところ探すの上手」
「そりゃどうも」
「料理好きじゃなくても、プロ用の什器って見てるだけでワクワクしますね」
梯さんは料理が上手だと睨んでるんだけど、謙遜してるのかな。
「あたしはお菓子は得意だけど、お料理は苦手だな」
ふつうは逆だろ? どこまでも変なやつだ。
「すごいね。どんなお菓子作るの?」
「クリスマスケーキ! 横にもクリームをきれいに塗るの」
「えっと、スポンジは?」
「もちろん買うよ。クリームも泡立てるのめんどいからチューブのね」
お父さんが小さな娘と過ごすクリスマスって感じじゃねえか。
「バースデーケーキも同じかな?」
「んー。バースデーケーキは買うかな。近所のケーキ屋さんはオーダーメイドで作ってくれるの」
ずいぶんスイートなヤンデレだな。
そんな話をしてたらお腹が空いた。これまた業者さん向けのそば屋に入る。店の中は正直汚いけど、いい感じ。繁盛してるお店って、気に満ちているのかもしれない。
いっぱい並べてあるかき揚げを自分で取る。麺はコシがなくて、汁はしょっぱくて、おいしい。
「おいしいね」
「はい。おいしいです」
「十分おいしい」
おいしいを三度重ねる春の朝
春の愁ひつゆにしむ天ぷら蕎麦
久しぶりの俳句。二句目は全体として十七音になっている意欲作である。数え間違いをしていないかが唯一の不安要素である。
「こんな赤い紅玉見たことない」
「紅玉知ってるんだ?」
「しっつれいな! アップパイには紅玉がいちばんおいしいんだよ」
「わかってるじゃないか」
「一箱で4千円ですか」
買いたいのか、梯さんが言う。
「40個って書いてあるから二段あるんですね」
「安い……」
鑑札だか免許だかが要るんだろう。帽子に着いてるナンバープレートみたいなの。場内を見せてくれるだけありがたいと思って、間違ってもバラで買いたいなんて言っちゃだめ。猫にりんごは食べさせられないし。
近海物だから小ぶりだけど、おいしいんだろうな。
「お寿司食べたい」
「そうだね」
「京都にもおいしいお寿司屋さんありますか?」
「えっと、ふつうの握り寿司?」
「そうですけど、他にも何か?」
「いや、京都の伝統的なお寿司と言うと鯖寿司かなと」
「あ、あれはちょっと苦手だぁ。身が厚すぎて生臭い」
「よく知ってるな」
「本場で食べるとまた違って、おいしいかもしれませんね」
「ああっ! しまった!」
「どしたの? 彼氏に変な画像送ったの?」
「京都のお昼と言えば鰊蕎麦! だのに朝から蕎麦とは」
「二回続けたくらいじゃ蕎麦アレルギーになったりしませんよ」
梯さん、やさしいお言葉ありがとうございます。でも、そういう問題じゃないんです。一日の食事において被りを避けるというのが美原家の家訓なんです。今できた家訓ですが。
蟹君たち、昨日はご馳走様。今朝の我々の視線に熱が籠ってないと非難しないでくれ。それだけ昨夜の君たちの同胞がおいしかったんだ。アデュー! また逢う日まで! またおカネが貯まるまで!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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