やっぱり家政夫なんだニャン
昼下がりの牛獣人の村は、肉を買い求める客も一段落し、平穏な空気が流れていた。すっかり気を緩めて人型から牛型になり、食べ終えたばかりの昼飯を反芻している老牛獣人もいる。子どもの教育に悪いと眉を顰める母親もいるが、これも牛獣人の村の日常の光景のひとつだ。
村の入り口の見張りものんびりとした雰囲気に少しばかり気を抜いている。表門にはいかにも腕に覚えがあるといった風情の牛獣人が並ぶが、裏門はまだ角も生えきっていない少年牛獣人と須坂の二人だけだ。
表門と裏門で戦力も経験値も敢えて差をつけるのは、アビやピピンたちの方針らしい。村の防衛という観点からは逆にすべきではないかとトミサブローには思えるのだが。
襲ってくれと言わんばかりの裏門だが、トミサブローはそちらから入ることを選択するつもりはない。須坂がいるからだ。近づいても不審は抱かれないかもしれないが、トミサブローが来たと知れるのは拙い。そもそも不審を抱かれ騒ぎとならなければ、トミサブローの目的も果たされないのだ。
表門と裏門の丁度中間の辺りで立ち止まり、トミサブローは服装を整えた。猫型に戻った上で、新しく手に入れた縦縞のシャツを羽織る。元々着ていた服はビリビリに破けてしまったので捨てた。頭の上には黄色と黒のこちらも縦縞の帽子をちょこんと載せる。これで猫獣人であることは隠せただろうか。
右手をくいっと曲げて、爪を出し入れする。猫獣人であるトミサブローの武器は自前の爪だ。敵にこっそりと忍び寄り、ぐさりとやるには相応しいが、今日の目的にはそぐわない。代わりに地面から手頃な大きさの枝を拾って木剣にする。
やるしかないんだニャン、と小声でトミサブローは己に気合を入れる。そして徐ろに村の境界へ向かって走り出した。
境界の柵木は大柄な牛獣人たちの上背よりも高いが、猫獣人にとって障害とはならない。強靭な後足で地面を蹴り、垣根の枝に手足の爪を軽く蹴立てて上まで一気に駆け上がる。
木剣代わりの枝を大きく振りかぶり、トミサブローは思い切り跳んだ。
「吾輩はキジトラ獣人なんだニャン!!」
飛び降りたところは食肉販売所の建物の前だ。壁際に積み上げられた金属樽目掛けて、木剣を勢い良く振り抜く。被召喚者が持ち込んだドラム缶と呼ばれる金属樽は、ガランガランと派手な音を立てた。
トミサブローが振り下ろした木剣が目の前をビュンと通り過ぎたのだろう、眼鏡を掛けた中年の牛獣人男性が腰を抜かしている。子どもや女の牛獣人たちが、「おうおう」という悲鳴を上げながら逃げ惑う。
「虎獣人!! 虎獣人……なのか?」
驚愕のあまり動きが固まってしまった牛獣人を別の牛獣人が引っ張って逃げていく。虎獣人が襲ってくるという噂は村内にも広められていたらしい。だが残念なことに猫獣人としてはやや大きい部類のトミサブローでも虎獣人にしては小柄なせいか、襲撃を報せる声には微妙に疑問の響きがある。
「キジトラ獣人なんだニャン!!」
「やっぱり虎だあ!!」
建物の中から物見高く出てきた連中もまた、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。その一方で、大柄で力のありそうな牛獣人たちが数人、壁を作るように横並びで迫ってくる。中でも立派な角を生やした若いひとりが、半分獣化した身体を膨らませて一気に突っかかってきた。
トミサブローは持ち前の身軽さでひょいとそれを躱す。筋肉の盛り上がった牛獣人の若者の肩を踏み台に、後列の牛獣人の集団へとひと飛びで迫る。驚いた顔の牛獣人たちの腹に、木剣を軽く叩き込み昏倒させる。
その頃になると正門のほうからピピンが駆けつけてきた。鼻の下に黒いちょび髭模様のある、白黒猫獣人だ。黒い尻尾をピンと立てて、相手を威嚇するというよりまるで歓迎しているようだ。
「俺様にかかれば虎獣人なんてちょろいもんだぜ! ……って、あれマーブじゃない? なんで?」
ひとりで勝手に騒ぎ意味不明な混乱をするピピンの頭をトミサブローは木剣で軽く叩く。倒れるピピンの身体を、一緒にいた牛獣人が受け止めた。その牛獣人も軽く胸を突いて眠ってもらう。
「な、何よ、あんた!?」
「あ、あれ?! トミー……さん?」
騒ぎを聞きつけて漸くのことで村役場の裏手からアビと裏門からは須坂が姿を現した。素人同然かつ荒事には関わらない約束で来ている須坂はともかく、アビも、横で倒れているピピンも、村の防衛を請け負った冒険者としてあまりにも情けない。危機意識も薄ければ、いざというときの行動も遅すぎる。単なる無能なのか、それとも故意に警備の手を緩めているのか――。
「トミー? どっかで聞いた名前……まさか素浪人のトミサブロー?!」
「トミサブローって……トミーさんの本名?」
「吾輩はキジトラ獣人なんだニャン」
「はあ?! なんでマーブじゃなくて、あんたがここにいるのよ!? またあたしの邪魔をしようっていうの!?」
あくまでも自分はキジトラ獣人だとの主張を変えないトミサブローに、アビが切れたように叫んだ。
「こ、こいつがあんたらの言っていた盗賊の虎獣人……なのか?」
「キジトラ獣人って……どう見ても猫獣人じゃないか」
「だいたい、さっきっからニャン、ニャンって言ってるぞ」
いつの間にか大勢集まってきていた牛獣人たちが、口々にアビに詰め寄った。
トミサブローは足の下にピピンを組み敷き、目が覚めても暴れださないようにしっかりと押さえている。
「そ、それは……だから……マーブが……」
「マーブは赤猫獣人なんだニャン」
アビはしどろもどろになり、支離滅裂な言い訳を始めた。その言い訳をトミサブローが片っ端から潰していく。過去に負い目があるとはいえ、いや、だからこそ、正しくない道に足を踏み入れたアビを止めるのはトミサブローの役目だ。
だがアビにはトミサブローの気遣いが通じる様子はまったくなかった。
「須坂、あんた男でしょ! あんなやつ、やっつけちゃいなさいよ!」
「須坂さん、あんた事情を知ってるなら説明しろよ」
「い、いや……その……俺も何が何だかさっぱり……?」
逆上したアビは、それでも自らの力がトミサブローや周囲の牛獣人たちの誰にも敵わないことを理解しているのだろうか、強引に須坂をけしかけようとした。
だが、未熟な須坂が師匠であるトミサブローに勝てないことは当人がいちばん理解している。それに須坂はアビに阿るほど愚かでもない。須坂はただ状況に追いつけずに、周囲を見回し困惑するばかりだ。
そしてトミサブローは次に訪れるべき状況の変化を待っていた。
待ってる間にも須坂に助け舟を出してやりたいとは思うのだが、口下手なトミサブローには、アビの言葉を遮るのは難しい。精々が、自らをキジトラ獣人であると強弁を繰り返すくらいしかできない。
これ以上、引き伸ばしも難しいかと困り果てたところで、漸く、待ち人がその場に現れた。
「おう、待たせたな。こいつがお前さんたちが捜していた虎獣人、いやトラ猫獣人だ」
どさりと音がして、牛獣人たちの取り囲む輪の中に、手足を縛られた赤っぽい渦巻き柄の猫が放り出された。
放り出したのは、大柄な牛獣人たちをも上回る堂々たる体躯の半獣化した姿の肉食獣人。顎より下に伸びる長い牙を生やした、牙虎獣人だ。右肩に大きな布袋を担いだ牙虎獣人の左手には、髪と目が茶色の小さな子どもの手が繋がれている。
「ぼ、坊主はリグじゃないか。危ないぞ、離れろ!」
「ワルドおじちゃん、怖いよ……」
村長の牛獣人が牙虎獣人の様子を窺いながらも手を差し伸べると、子どもは、ひしとばかりに牙虎獣人へとしがみついた。
「俺は獣人傭兵部隊のワルドという。そこの素浪人のトミサブローとは、面識はなかったが、互いに名前くらいは知っている仲だ」
「ワルド殿の勇名は野良獣人や傭兵なら知らない者はいないんだニャン」
「リグ坊は、部隊が敵の手から解放した鹿獣人の村で保護した。俺が責任を持って王都にいる親戚筋に預けることになっている」
「王都へは……アビさん、ピピンさん、あんたたちが連れて行ってくれたんじゃなかったのか?」
「そ、そうよ! そんな野蛮な虎の言うことなんか信じちゃ駄目。ほら、ピピン! 起きなさいよ! あんたがちゃんと説明しないと」
アビが昂ぶった声で喚き散らす。トミサブローの足の下のピピンは毛色と同じように目の色まで白黒させて慌てふためいている。転がった赤トラ猫のマーブは、呻くばかりでまともな反応は返ってこない。
「王都に行ったはずなのに、裏門から出て王都とは反対方向に歩いてるのを見つけたんだニャン」
「赤猫のおじさんに谷沿いの小屋に連れて行かれた。置き去りにされて、ご飯も食べさせてもらえなかた」
「その小屋に赤猫獣人が溜め込んでいたのが、これだ」
言うなり牙虎獣人は肩に担いだ布袋を投げ出す。縛っていた紐が解けて覗いた袋の中身は紙に包まれたいくつもの塊だ。
それを見た途端、転がっていた赤猫獣人が飛び起きて唸り声を上げたが、あっという間に牙虎獣人に蹴倒された。
「こりゃ……二、三日前に塩漬け肉の在庫数が合わないって言ってなかったか?」
「ああん? こっちはうちの最高級の肩肉じゃねえか。なんで低級紙で包んでやがる。早く冷蔵室に戻さねえと」
「そういや、あっちのちょび髭野郎が、魔法陣の包み紙を欲しがっていたから、低級紙を分けてやった」
食肉販売所から紛失した肉が次々と袋の中から出てくることに、牛獣人たちが騒ぎ出した。怒った牛獣人の中には、わざわざ足の先だけ獣化して、ピピンやマーブを蹄で蹴り飛ばす者もいる。
いいように蹴られて地面を転がる二人の猫獣人たち。それを目にしたアビの耳はぺたりと伏せられ、瞳孔は恐怖に見開かれた。
「あ、あたしたちがやったんじゃない! 盗賊はそっちの虎よ! じゃなきゃ、そこの猫獣人よ!」
「盗賊の襲撃の情報って、お前たち猫獣人が持ち込んできたんだよな。誰か村の外で実際に盗賊を見たやつ、いるか?」
食肉販売所の責任者らしき牛獣人が問いかけると、職員らしき他の牛獣人たちが一斉に首を振った。
「見たことねえな。慥かに、ここんところ、ちょくちょく在庫の量が合わないってことはあったが」
「ああ、盗賊もいなけりゃ、虎獣人も見たことはねえな」
「虎獣人、俺は見かけたことがあるぞ。そこの傭兵さんみたいにデカくはなかったが。俺たち牛獣人よりひと回りは小さかったな」
「お前、そりゃあれだろ? 虎って意外と赤っぽいんだなとか言ってたときのことじゃねえのか?」
「そうそう。丁度、そこに転がってる猫獣人の兄さんみたいな色だったな。右目に黒い眼帯ってところもおんなじだ」
集まってきた村人たちの視線が、一斉に倒れ伏すマーブへと向けられた。蹴られまくったマーブは身動きもままならぬようで、残された片方の目で周囲を睨み返すだけだ。
「盗人がそこの赤猫の変装だったとしてだ。ワルドさんとやら、あんたはどうしてまた、まるで時機を見計らったかのようにここにやって来たんだい?」
「簡単なこった。俺は、その猫獣人どもに脅迫されていたんだよ」
牙虎獣人がひらりと投げた紙を、食肉販売員の牛獣人が慌てて捕まえる。
「なになに? 子どもを返して欲しければ牛獣人村の食肉販売所まで来いだと?」
「そうだ。もしトミサブローに途中で出会って、こいつらの仕掛けたカラクリに気づかなければ、今頃、俺は本気でここを襲っていたかもしれない」
「そうか。キジトラ獣人のおっさんよ、妙な奴だと思ったが、我々はあんたに感謝しなければならないようだな」
ずらりと整列した牛獣人たちが、一斉にトミサブローに向かって深々とお辞儀をした。
☆★☆★☆★
捕らえられたアビ、マーブ、ピピンの三人組の冒険者は、急報を受けて駆けつけた官憲へと引き渡された。
一緒に行動していた須坂は、ピピンやアビとは違って真面目に門番業務に勤しんでいたこともあり、三人組の仲間ではなく手伝いとして雇われた善意の冒険者に過ぎないという主張が認められた。取り調べへの協力は要請されたし、怪しい話に騙されないようにと叱られはしたが、事実上の無罪放免である。
「ニャンなてくだらないことじゃなくて、もっとちゃんと呪ってやればよかった……。あんたがいると、いっつもあたしに不幸が振りかかるのよ」
引っ立てられていくアビは、トミサブローを睨めつけながらそう言った。トミサブローの知っていた清純で可憐なアビとは似ても似つかない、泣き言を口にしながらも、どこかふてぶてしさの感じられる表情だ。
それでも自分が護衛の任務を果たせなかったことが彼女の婚約者の死に繋がり、彼女の転落人生の始まりとなったのだろうと思うと、トミサブローは強く言い返せなかった。
「お悔やみもまだ言ってなかったんだニャン。すまなかったんだニャン」
「……は?」
トミサブローの言葉に、アビは一瞬、きょとんとした後、げたげたと下品な声で笑い出した。
「あんた、あたしがあの男に惚れてるとでも思ってたの?! あはははは! ばっかみたい!!」
「間抜けな奴だぜ」
「やっぱり老害だな」
「ごちゃごちゃ騒いでないで、さっさと歩け!」
三人の猫獣人たちは、口々にトミサブローに悪口雑言を浴びせながら、ごつい強面の犬獣人たちに引きずられて行った。
後ろ姿を呆然と見詰めるトミサブローの背を、牙虎獣人のワルドが慰めるように軽く叩く。
「あんたは知らなかったようだが、あいつら北部では、そこそこ知られた悪ガキ三人組だったんだよ。悪名高いってほどじゃないがな。特にあのアビって雌猫獣人は美人局とか、結婚詐欺とかが得意でな」
「……知らなかったんだニャン」
「あの女の言ってた呪いってのも気にする必要はないんだぜ」
要は、アビの婚約者の一件は狂言、というよりも、アビが中心になって仕組んで婚約者の男を陥れただけ――ということだったらしい。引退以後、ずっと気に病んでいたことが、単なる自分の取り越し苦労だったと知らされたが、トミサブローとしては安堵するというよりはどこか拍子抜けしたような不思議な感覚だ。
「俺はリグを王都に連れて行ったら、また傭兵稼業に戻る。トミサブロー、あんたはどうする? 歓迎するぜ?」
牙獣人のワルドは、トミサブローに対して、暗に素浪人、野良獣人稼業に戻るように誘ってきた。
返答に詰まったトミサブローは、思わず後ろを振り返った。後ろには黙って成り行きを見守る須坂の姿がある。
「吾輩は……騙すような真似をして申し訳なかったんだニャン」
本来なら、須坂には危険な仕事だと思ったのなら、その場で止めるべきだったのだ。それなのに黙って行かせてしまい、それでいて過保護な母親のようにこっそり追い掛け回して、結果的には彼の仕事を邪魔した形になってしまったのだ。
こんな不甲斐ない猫獣人は、師匠としても被召喚者の相棒としても不合格だろう。そう思って頭を下げる。
「トミーさん……じゃなかったトミサブローさん。もう呪いも解けたんだからニャンなんて言わなくていいんだろう? 素浪人だって……トミーさん、全然、衰えてなんかいないじゃないか。そりゃ本音を言えば、もっと色々教えてほしいけどさ……。俺のことなんか放って、復帰したほうがいいよ……」
須坂の喋り方は、まるで拗ねた幼い子どものようで、ぼそぼそと聞き取りにくかった。その様子を見ていたワルドが、仕方ないといったふうに苦笑を漏らす。
「トミサブロー、あんた人気者だな」
「いや、別に、俺はその、そんなつもりじゃなくって……」
手足をばたばたさせながら、懸命に言い訳をする須坂を見て、トミサブローの気持ちは固まった。ワルドに向かって素浪人稼業に戻るつもりはないことを丁寧に説明して詫びる。そして今度は須坂のほうへ向き直る。
「吾輩は、家政夫のトミーなんだニャン」
目を大きく見開いたトミサブローは、精一杯の笑顔でそう宣言したのだった。
『吾輩は猫獣人なんだニャン』はこれにて完結。
次章は臆病な猫獣人の話『どきどき・ふっしゃぁぁぁぁ』を予定。




