5. ヤンシャー朝カールスバード略史
その大陸に名はない。
唯一無二の存在に、他と区別するための『名』は必要ないからである。
始原。獣から道を岐ち、人足るを得た人は、その大陸の表に、ありとあらゆる足跡を刻んできた。
だが、生きる為に生きていた始まりの人々は、自分たちとは質の異なる『世界』が大陸の反対側にも発展していることを、長く知らなかった。それは、大陸の中央に広がる沙漠と草原と峻嶮なる山脈とが、長く人間の往来を拒んでいたからである。
しかし、やがて人は草原の草を踏み分け、沙漠の中にオアシスを見出し、雪と氷に閉ざされた山道を踏破し、遂には、異なる地への道を拓いた。
その時から、人の『世界』は二つになり、両者を区別するために、西方にユーロニア、東方にファーンという『名』が与えられた。
その内の一つ、ユーロニアの東に、カールスバードと呼ばれる地域がある。
カルス人の土地、という意味だ。
現在、その版図は、エルトラル海峡を南端とし、カザンカ、アンディアと呼ばれる二大平原を北端として、大陸最大の内海ヴァルンの東岸域全域に広がっている。
その中心地は、東のアドラス山脈を水源としてヴァルン内海に流れ込む二つの大河、ムールヤーとアルトパムの間に広がる、紅の平野である。
ここにカルス人が最初の邑を建設したのは、西方暦が始まる二千年は昔のことだと言われている。
石で家を造り、地に麦を蒔き、羊を追い、風と共に歌いながら子を産み育て、静かに老いては土へと還る――繰り返されるその営みの中で、人は文字を生み出し、音楽を生み出し、絵を生み出し、神を生み出した。空を見上げて一年が三六五日であることを知り、数学や物理の法則を見出し、自然から科学の基礎を学び取った。道が生まれ、石や煉瓦の建造物が生まれ、都市を計画し、建設する技術が生まれた。剣が、冑が、盾が生まれ、敵と定めた者を効率的に排除する術が生まれた。
美しいものと醜いものとを同時に生み出しながら、繁栄と発展の流れは途切れることなく続き、紅の大地には、独自の、そして高度な文化が育まれていった。
そのカルス人たちは、当初、百を下らない部族に別れていたが、領地や水路を廻る争いや婚姻による結びつきなどによって淘汰統合され、最終的には六つの王国に集約された。
その名を、マルヴダシュト、エタナ、ニダロス、パルヴィン、タルハンド、メゼキア、という。世界に冠たる高度な文化、文明を誇った、カルス六王国時代の到来である。
この六王国は、人口、生産力、軍事力、共に拮抗しており、何処かが他を圧し、隷属化を成し遂げるということは遂になかった。時に対立することはあっても、基本的には自立と共存の道を選び続け、繁栄を共にした。
しかし、時を経ること数百年で、六王国時代は唐突な終焉を迎える。西からの暴風が、泰平の夢を貪っていた紅の大地を、炎と血臭の只中に叩き込んだのである。
暴風の名は、ニカエア。
ユーロニアの西の涯を発祥とし、各地に根を下ろす諸民族の国を、時には武力で、時には甘言で足下に従え、およそ二百年の歳月をかけて、西域に覇権を確立させた大帝国の名である。
ユーロニアを席巻したニカエア帝国は、エルトラル海峡を越えて南からカールスバードに踏み入った。そして、十一年の歳月をかけて北上し、カルス六王国を制圧する。
時のニカエア王アルリウスは、六王国の中で最も北東にあったタルハンド王国の征服を以てユーロニアの統一を宣言し、王号を廃して皇帝を名乗り、太陽の運行を基とする西方暦を制定して、この年を元年とした。
なお、この暦法は、度量衡の単位などと共に、今もユーロニアの各地で使われている。他にも、異文化の流入、交雑は、学術や医術、芸術などの発展を促しはした。
それでも。
言葉も慣習も、人生観や倫理観すらも異なる数多の民族を力尽くで統合した社会が、何らの問題もなく永続し得る筈はない。
自由と尊厳を奪われた怒り。愛する者たちを害われる哀しみ。それらは容易く憎しみと化して反発の温床となり、流された血と涙は、より烈しい復讐心となって甦った。
堰が切れたのは、十五年後のことである。
過度な抑圧と搾取に耐えかねたカルスの民は、六王国の一つ、マルヴダシュト王家の生き残りであるシマス・ヤンシャーの指揮の下、ニカエアへの反撃を開始する。後に『十六年戦争』と呼ばれることになる解放戦の始まりである。
西方暦三一年。
ムールヤーとアルトパムの二大河が血に染まったと言われるほどの死闘を繰り広げた末、遂に、ニカエア帝国はカールスバードにおける宗主権の全てを放棄し、エルトラル海峡の向こうへと去った。
紅の大地は歓喜に湧き返り、苦闘を制したシマス・ヤンシャーは、共に戦った他の五王国の王家の生き残りたち――セレス、シンジャール、コルクト、ナスタラーン、ハシヴの五家に大公の位を授け、ニカエアの軛に代わる新たな秩序を組み上げて、自らその頂点に立った。皇帝家とそれを支える五大公家から成るカルス人初の統一王朝、ヤンシャー朝カールスバード帝国の成立である。
その後、ヤンシャー朝は九人の皇帝を輩出し、およそ百八十年の命脈を保った。
だが、地上に不死なる者は無く、永遠に存続する国も無し。その冷厳なる真理は、ヤンシャー朝の頭上にも容赦なく落ちかかった。
西方暦一一六年。
第五代皇帝にして明賢帝の称え名を持つスライマン一世が、その栄光の生涯を閉じた後、ヤンシャー朝は徐々に崩れ始めた。彼の息子たちも、孫たちも、次第に統治者の責任を放擲して己れ一人の快楽を追及するようになり、五大公を始めとする重臣たちは、権力という名の蜜を巡って相争った。
西方暦一七九年。
後世、ヤンシャー朝最悪の愚帝と呼ばれることになるアルワン・サマド・ヤンシャーが、第九代皇帝に即位する。
彼は、この時わずか十四歳で、しばらくは、母后イセルニアと、その父親であるコルクト大公の完全な傀儡だった。
だが、七年後、アルワン・サマド帝は、祖父コルクト大公とその一族を粛清。代わりに皇妃フェティエの兄であるジョモレ・セレス大公を宰相に取り立てた。
そうして、この義兄に国政の全てを投げ渡すと、自らは我が世の春を謳歌し始める。手当たり次第に美姫を狩り、美酒美食に溺れ、思い付きで各地に豪奢な離宮や庭園を造り、その為の資金が足りなくなると安易に増税の勅を乱発した。
宰相となったジョモレ・セレス大公は、そんな皇帝を諫めることなく、好き放題にさせながら、自らは権勢を恣にした。一門の者や自分に追従する者たちを王朝や国府の要職に就ける一方、反対する者は蹴落とし、阿らぬ者は冷遇し、時には無実の罪で陥れさえした。
為政者の腐敗と秩序の崩壊。その二つが加速した時、それは濁流となって押し寄せ、多くの人々の命を、その愛や夢と共に押し流していく。時代の闇の、更なる奥底へと。
その中に、人々の希望と絶望を束ねた黄金と漆黒の双光が煌めくまで、今しばらくの時が必要だった。




