12. エラン
エランは、ヤンシャー朝カールスバードの北東端にある。
つまりは、北と東の領地境が、そのまま国境になっている、という位置である。
北の国境線はアンディアと呼ばれる平原で、その向こうは、遊牧騎馬民族ハンカが暮らす万里の草原が広がっている。
東の国境線には、北から南へ七〇〇ミーレ(約一〇〇〇キロメートル)に渡って連なる巨大な山脈が横たわっている。
その名を、アドラス。霊峰ベラットを始め、二〇〇〇パッスス(約三〇〇〇メートル)級の高峰が連なる箇所も少なくない天然の要害である。
このアドラス山脈を東西に抜ける主なルートは、二か所ある。一つは、北のデイエ・アフィール。もう一つが、南のメレルドである。
このデイエ・アフィールでカールスバードと国境を接しているのがサギス王国、メレルドで国境を接しているのがアルゴン王国である。
アルゴン王国は、古来より貿易国家として栄え、カルス人とも友好的な関係を保っている。
一方のサギス王国は、国土の半ばが山岳地帯である為、より広い耕地を求めて、隙あらば国境線を広げようとする、厄介な隣人だった。
そして、そのサギスの領土欲が西へ向かった場合、真っ先に侵攻の矢面に立ってきたのが、デイエ・アフィールを含むアドラス山脈のすぐ西側を領地としている、エランだった。
十か月前――西方暦二〇三年、春。
雪解けと共に、サギス王ダイロフ二世が七万の軍勢を整え、デイエ・アフィールへと侵入してきた。
戦の始まりは、民同士の揉め事だった。
アドラスの山中には、エラン側にもサギス側にも、多くの山の民が住んでいる。獣や鳥を狩って肉や毛皮を取る猟師に、木を切って売る杣人たち、その木を加工、細工する木地師たちや、鉱脈を探して歩く採掘師たちなどだ。
彼らは、よく山中で鉢合わせをしては、互いの獲物や縄張りを巡って諍いを起こす。今回も、新たに発見された玉石の鉱脈の上で、双方の採掘師が鉢合わせをして争いとなったことがきっかけだった。
宝の山を目の前にしてはどちらも退かず、口論はすぐ腕ずくとなり、双方が更に仲間を呼び集めたことで、騒ぎは更に拡大した。
デイエ・アフィールの軍営に駐留するエランの従騎士たちが領民保護の為に動いたところで、サギス側も守備軍を動員。民同士の小競り合いが、軍のぶつかり合いになったところで、サギスの王が自ら『我が民の生命とその権利を守る為』と、国軍を率いて乗り込んできたのである。
見え透いた口実ではあったが、大義名分を整えての進軍。しかも、国王親征。となれば、これは通常の小競り合いでは終わらない。
ファルハードはそう判断し、帝都に国軍の派兵を乞うた。
だが、皇帝アルワン・サマドは、『何とかせよ』という一言を放り投げただけで、いつも通り、寵姫たちと共に後宮に籠ってしまった。
そして、『何とかせよ』と言われた方、すなわち、実質的に国政を牛耳っている宰相ジョモレ・セレス大公と皇帥ヒュセイン・シンジャール大公は、エランからの要請を拒否した。五万の国軍を動員はしたが、それが配備されたのは、帝都ハザラースフの北側を流れるムールヤー河の南岸だったのである。つまり、国境ではなく、帝都とその周辺のみを護る構えを取った。国軍は、皇帝と帝都の護りたるべきであるから、というのが、彼らの返答だった。
エランが陥落すれば、カルス北東部一帯が地獄と化すことは明白だった。
戦火にさらされるという意味だけではない。カールスバードから切り取られ、サギスの版図に組み込まれるというだけでもない。
サギスが、カールスバードでは祖皇シマス・ヤンシャーの時代に撤廃された奴隷制を、未だ社会の根幹として残す国だからだ。
故に、サギス国内には巨大な奴隷市場があり、人の売り買いを専門にする商人も多い。そして、その奴隷市場に出されるのは、サギス国内で奴隷階級に生まれた者たちだけではなかった。周辺の国々から人買いや人さらいの類によって連れて来られた者たちやサギスとの戦争で捕虜になった異国の兵士たち、そして、戦のどさくさに紛れて攫われた民たちも高値で取引されるのである。
つまり、一たびサギス軍の侵入を許せば、警戒すべきは土地を奪われることだけではなかった。戦場で相対する従騎士や歩兵は勿論、その進路に当たった村々でも、食糧や金品だけではなく、住民たち自身が手当たり次第に連れ去られる可能性があるのだ。
だが、皇帝や宰相や皇帥たちにとって、帝都から遠い辺境の民たちなど、自分たちが護るべき国の民だとは思っていなかったのだろう。それどころか、サギスが、何かと自分たちに盾突くファルハードを片付けてくれるなら都合がいい、とさえ、考えていたかもしれない。
ともあれ、国が助けてくれないなら、自分たちで自分たちを護るしかない。
幸い、エランの南隣にある直轄領エヴレンの太守や、旧主国であるタルハンドの領主ナスタラーン大公などは、エランが陥ちれば次は自分たちがサギスの矢面に晒されるという危機感を共有していた。よって、援軍の派兵や兵糧などの支援を行ってくれた。
ファルハードはそれらを結集して、エランの私家軍を中核に五万の軍を編み上げて戦線を維持し、半年にわたるサギスの攻勢の悉くを退けた。その間、戦死者は三割に達し、エランが誇る十人の千騎長の内、四人までもが戦場に斃れている。
だが、その結果として、ファルハードは遂に、ダイロフ二世からの和平交渉を引き出した。最初の諍いのもとになった鉱脈の所有権をサギスに譲渡する代わりに、向こう三年間の軍事行動の停止を呑ませて、軍を退かせることに成功したのである。
だが、それらの戦後処理が一段落した直後だった。
突然、完全武装の国軍の騎士たちが、エランにやって来た。そして、ファルハードに、皇帝の名の下に発行された逮捕状を突き付けた。
曰く、『侵略者サギスを打ち破るどころか、貴重な鉱脈を勝手に譲り渡して戦を止めたは、敵国に内通した証左との疑念あり。大人しく詮議に従うなら良し。だが、逆らうなら、一族郎党ともども、斬首する』――。
エランから見ればあり得ない誣告であり、信じられない言いがかりだった。
だが、ファルハードは、その瞬間にどれほどの憤激が、失望が渦巻いたとしても、それを表に出すことはなかった。激高する弟や家臣たちを抑え、一切の抵抗を禁じると、恥知らずなその勅令に従い、黙って捕縛された。そして、帝都に移送され、公正さも公平さもない一方的な裁判にかけられた挙げ句、有罪の宣告を受け、殺されたのだった。




