第六章 父たちの島 3
じきに父親が涙を収めると、於亀が入口にさっと視線をやってから切りだした。
「御父様、実はな、こん二人は長崎からん使いや。島に用があると」
「島に?」
父親と兄嫁が同時に顔を向ける。
イートンは思わずミゲルを見た。
ミゲルも怪訝な顔をしていた。
於亀は構わず続けた。
「火急ん用や。すぐ舟ば出してくれん。郷ん他ん衆には知られんように、急ぎで報せるのやと」
「――於亀、まことか?」
「まことや」
「なら符牒ば言わせろ」
「え?」
「言わせろ。偽ん使者かもしれん」
於亀はしばらく目を泳がせていたが、不意に唇を引き結ぶと、真直ぐにイートンを見つめてポルトガル語で訊ねてきた。
『ギリン、言え。次の四半期決算日』
「え?」
『言え!』
於亀の顔は真剣そのものだった。
イートンは訳も分からず答えた。
『サン・ジョアン・バチスタ?』
瞬間――
強張り切っていた父親の顔が安堵に崩れていった。
於亀が泣きながら笑っている。と、
兄嫁がさっと立ち上がって鋭い声を出した。
「於亀、火急なのやろ? 急いで舟ん支度や! 御父様は留守居ばしていなされ!」
何が何やら分からないまま、客人二人は女二人に導かれて小さな砂浜まで走った。
小石混じりのちっぽけな浜だ。筵を被せた小舟が何艘か舫われている。於亀と兄嫁が手際よく筵を引きはがし、細腕で海面へ押し出そうとする。
イートンとミゲルも慌てて手伝った。
「於亀、仔細ば話せ。これは春日ん弔いん作法か?」
「通詞どん、仔細は後や。人に見られんうち中江ノ島へ渡るぞ」
「そん島に何がある」
ミゲルが鋭く訊ねると、於亀が一瞬躊躇ってから答えた。
「仔細はあとや。急ぐぞ」
一連の口早なやり取りが交わされる間中、イートンは完全に蚊帳の外だった。ただ、何かとても急いでいることだけは分かった。
舟は二丁艪だった。
イートンが艪を取ろうとすると於亀にとめられた。
「うちが押す。ぎりんは怪我ばしとーやろ」
入り江は凪いでいた。
引き潮の頃合いではないから漕ぎ出すのに力が要る。於亀の額に汗が浮かんだ。もう一方の艪を押すミゲルの動きが余りに不器用に見えたのか、兄嫁がちっと舌打ちをして艪を奪い取った。
やがて小舟が入江を出ると、右手の斜め前方に瓢箪型の小島が見えた。
南北が高く盛り上がって、深く窪んだ谷合が岩でゴツゴツしている。漕ぎ寄せると岸も岩だらけだった。波を砕く低い断崖に一か所だけ崩れ目があって、小舟が一艘だけ舫われている。
崖の上に二人の男がいた。どちらも粗末な渋染めの帷子姿で、一方が古色蒼然としたマスケット銃を手にしていた。
兄嫁が仰ぎながら叫ぶ。
「――生月ん七蔵どんか?! うちら春日ん舟や! 長崎から火急ん使者ばい!」
「おう、春日ん於初様か! 使者はそん南蛮人か? 符牒ば言わせてみれ!」
『ギリン、四半期決算日!』
『サン・ジョアン・バチスタ!』
どうやらこれは合言葉らしい。
まるで魔法の呪文のようだ。
イートンもそろそろ事情を察してきた。ドナ・メンシアが主殿様と組んで反乱を企てているのだとしたら、此処にいるのはおそらくその反乱軍の一部だろう。この小島には、もしかしたら反乱の重要人物が潜んでいる、のかもしれない。
しかし、何故そこに俺が呼ばれるのだ?
男たちが投げ渡してきたロープをミゲルが不器用に受け取った。舟が係留されると、初めに兄嫁が、次に於亀が馴れた動きで岩場へと飛び移った。
どうにか四人が上陸すると、男たちはもう一度イートンに合言葉を言わせてから岩場の奥へと案内してくれた。
潮風の吹きつける岩場には腐った海藻が堆積して、煮詰めたように濃い潮の臭いが立ち込めていた。頭上を鷗が騒いでいる。マスケット銃の男がややあって足を止めると、左手の断崖に洞の口があった。
「入れ」
言い置いて自分は外に立つ。どうやら見張りをするらしい。横目で確かめると、於亀が安堵の表情を浮かべていた。
洞の内はよく乾いていた。
右手がぐっと曲がっている。
そちらの向きから火明りが零れていた。
「神父様。エスクリヴォば呼んで参った」
於亀が小声で囁く。
すると燈の向きから低く柔らかな男の声が返った。
「お入り。見てん通り扉はなかばい」
声は微かな笑いを含んでいたが、ひどく疲れて聞こえた。
おずおずと足を進める於亀の後に続くと、明かりの源は蝋燭だった。奥に小さな寝台があって、その縁に黒衣の男が腰かけている。
がっしりとした壮年の日本人だった。
後頭部が丸く剃られている。
カトリック聖職者の剃髪である。
イートンは一歩進み出て訊ねた。
『私はイギリス人のウィリアム・イートンと言う。貴方は何者だ?』
『私は日本人の神父だ。イエズス会に属している。中浦ジュリアンという』
『パードレ・ジュリアンか』
『ああ』神父が頷いて立ち上がった。『ウィリアム・イートン。よく来てくれた。貴方に訊ねたいことがあるのだ』
『なんだ?』
『イギリス人は大阪の宝物を持ちだしたか?』
沈黙が落ちた。
イートンは頭の中で何かがカチリと音を立てるのを感じた。
扇の要が今嵌まった。
すべてが繋がろうとしている。
『ああ神父様。私が持ちだした』
『その品は、今も平戸に?』
『ああ』
イートンが頷いた途端、神父は顔を歪めた。
その顔に浮かんでいるのは、見ているだけで胸が痛くなるほど深い悲しみだった。神父は口元を抑えて低く呻き、長いため息をついてから、胸にさがる黄金の十字架を握りしめた。
『――ウィリアム、貴方に頼みがある』
『何だ?』
『私が此処にいることを駿河に伝えろ。そして報せるのだ。大村と平戸のキリスト教徒がサン・ジョアン・バチスタの日に反乱を起こそうとしていると』
『――その反乱の首謀者は、少なくとも平戸の首謀者の一人は、ドナ・メンシアか主殿様か?』
訊ねるなり神父が目を見開いた。イートンは苦笑した。
『神父様、商人にも目と耳があるんだ。実は頭もね。頼むから事情を話してくれよ』
『それほど複雑な事情ではない。この反乱には首謀者は多い――皆がまるでヒドラの首のように自らが頭だと思っている。しかし、すべてを見通している立案者は、おそらくは、今も長崎に潜むイエズス会の財務官ではないかと思う』
『カルロ・スピノラ?』
『そうだ。プロクラドール・スピノラは極めて、極めて賢い。主の創り給うた天と地の廻りから法則を見出す以外は、ご自身には些事だと信じている。生涯の使命ともって任じる長崎での天測を続けるためなら、どんな手段でも使うだろう。彼はサン・ジョアン・バチスタの日に琉球から秀頼様が戻るという噂を広めている。秀頼様は大阪を逃れた、その証拠に大阪から宝物が――亡き太閤様の旗印が消えてるからだと。私も初め信じた。しかし、先だって長崎から奇妙な密命が届いたのだ』
『どのような?』
『平戸で反乱が起こったら、まずはイギリス商館を襲えと。その倉庫に、大阪の宝物が隠されている筈だと』
『なるほど』イートンは納得した。『それで貴方は気付いたんだな? 琉球から来るのは偽物だと。虚構の上に成り立つ反乱に加担はできないと』
『そういうことだ』
『それで、自分自身を差し出すことで事態を収束させたいと?』
『私にもしそれだけの価値があるなら、試すだけは試してみたい』
神父が項垂れたまま答えた。右手がまだ十字架を握っている。
海のように碧いガラスの珠を連ねたロザリオだ。
美しい品である。
イートンが思わず注視すると、神父が顔をあげ、救われたような顔で笑った。
『ウィリアム、貴方が協力してくれたなら、勿論相応の謝礼はできる。この念珠は、昔私が少年の頃に、羅馬で教皇からいただいたものなのだ』
『教皇に?』
思わず怪訝な声を出すと神父はむっとしたようだった。
『本当だぞ? 私は中浦ジュリアンだ。天正の頃にメストレ・ヴァリニャーノに連れられて羅馬へ行ったのだ』
言い募る神父の口ぶりは十二の少年のようだった。
イートンは怒りを感じた。
『おい神父様、貴方は商人を何だと思っているんだ? 俺たちにだって良心はあるんだ。そんな大事な品を受取れる筈がないだろ!』
『しかし、私にはもうこれしか』
『それなら大事に取っておけよ、そういう宝物はさ』イートンはそこで言葉を切り、妙に誇らしい気分で告げた。
『大丈夫さ神父様。貴方の望みが反乱を止めたいことなら、やり方は他にもある』




