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太閤の黄金  作者: 真魚
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第六章 父たちの島 2

 尾根道を歩いて川内峠を越えると、土の道の左右に草地が広がっていた。

 牧草地を思わせる光景だが羊はいない。ミゲルの話では、太閤様の時代に連れて来られた朝鮮人たちの陶工が、陶器を焼くための燃料として木を伐り続けた結果なのだという。


「この土地ではもうじきに陶器は作れなくなる。中野の陶工たちは新しい土地に移らなければならないが、肥前様は彼らのことをあまり考えてくれない」

「移住には肥前様(フィゼン・サム)の許可が必要なのか?」

 何の気なしに訊ねると、ミゲルは心臓を太い銛で突かれたような顔をした。

「陶工たちは松浦家の奴隷だ。移住の自由はない」

「君は――」イートンは一瞬躊躇ってから訊ねた。「どういう関係なんだ? その、陶工たちとは」

「どういう関係でもない」ミゲルは乾いた声で答えた。「ただ同じ朝鮮人だ。昔の戦争で無理やりに日本へ連れて来られた」

 ミゲルは淡々と答えた。

 その口調音あまりの平静さに、イートンは初め苛立ちを感じた。

 目の前の知人の圧倒的な不幸に比べると、自分の些末な不幸が子供だましのようにくだらなく感じられたのだ。

 苛立ちが過ぎると、今度は苛立った自分が恥ずかしくなった。



 中野の集落の中心は屋根付きの門を構える立派な屋敷だった。

 主の名は巨関(こせき)といって、六十年輩に見える物静かそうな老人だった。ミゲルの手紙の届け先はこの屋敷で、今夜は此処に泊めて貰うという。


 於亀は女たちの部屋に泊まり、イートンとミゲルは同じ一間に寝床をあてがわれた。運ばれてきた夕食を金属のスプーンで食べていたとき、ミゲルがさりげない口ぶりで切りだした。

「エスクリヴォ、ひとつ訊きたいのだが――」

「何だい?」

「貴方は大阪から何を運んできたのだ?」

「ああ、君もあの噂を聞いているのか! --そうだよな、あのとき唐津からこっそり舟を出してくれたのは君の同国人だったんだもんな」

 イートンは苦笑した。「いいや。もう話しちまうよ。噂通り、俺が運んできたのは大阪の宝物だ。だが受取り手がいなくなっちまった。だから契約で単なる純金に戻す予定だよ。それなりの価値はあるが、それなりの価値しかないよ」

「そうか」

 ミゲルが何とも言えない声で答えた。

「何か気になることがあるのか?」

「ああ。――この屋敷の主人が話していた。この頃、主殿様から大量の銃弾を作るように命じられたと。その前に、ドナ・メンシアが商館からかなりの量の鉛を買い入れているのだ」

「つまり、ドナ・メンシアと主殿様が、駿河の大御所様が死んだタイミングで戦いの支度をしているってことか」

「そのような気がする。それからもうひとつ、どうか関わるのかよく分からないが気になることがある」

「何だ?」

「唐津だ。唐津の志摩様はこのごろ家臣の娘を三之丞様に嫁がせた。三之丞さまは法印様の庶子だ」

唐津(クレイツ)には、確か商館から弩を見本として売った筈だ。火矢を放てる大型の弓を量産すると言っていた」

「そちらも戦いの支度か」

「そうなるね。しかし、そのことが大阪の宝物とどう繋がるんだ?」

「分からない。だが、何か繋がりがあるような気がする」ミゲルがもどかしそうに言った。「私は三之丞様の母親の手紙を唐津に届けた。三之丞様はその後結婚なさった。唐津は戦いの支度を始めた。平戸も戦いの支度だ。エスクリヴォ、これはどういう成り行きなのだ?」

 思いもかけず、ミゲルが縋りつくような声音で訊ねてきた。

「こんな複雑な糸は私には解きほぐせない。頼む、あなたのその頭で考えてくれ。今ここで何が起ころうとしているのだ?」

「はっきりとは分からないが――」イートンは慎重に応えた。「今聞いた限りでは、まず、主殿さまとドナ・メンシアが駿河への反乱を企てているんだと思う。もしかしたら、ドナ・メンシアの御父君の領国だった大村とも同盟しようとしているのかもしれない」

「では、あなたの釈放を求めに主殿さま自ら飯香浦へ赴いたのは、叛乱の密約を結ぶため――ということか?」

「その可能性はあると思う」

「仮にそうだとして、その反乱の兆しは唐津とどう結びつく?」

「予想だけど、結び付けているのはその三之丞様の母親という方じゃないかな? その方は今どこに?」

「――ドナ・メンシアの館だ」

「じゃ、間違いない。きっとその方がドナ・メンシアの反乱の計画を察して唐津に報告したんだ。唐津の領主は反乱の平定を口実に平戸を攻め、その法院様の庶子を傀儡の王座につけようとしている。そういう流れじゃないかな?」

 イートンが予想を説明し終えるなり、ミゲルは蒼褪め、イートンには分からない言葉で呟いた。


 ――よもや、熊川さまがそがん忘恩ば。


 その声からはありありとした怯えが感じられた。

「ミゲル、これはあくまで俺の予想だよ?」イートンは慌てて言い添えた。「当たっているかどうかは分からないさ」

「当たるだろう。あなたの予想は」

 ミゲルは刺々しく応じた。

「気にするな。早く寝ろ。明日は早いぞ」

 イートンは何か釈然としないまま床についた。

 ミゲルにはああいったものの、イートンは今しがたの自分の予想はほぼ完全に合っていると思っていた。

 しかし、何かが足りない気がした。

 全体像を完璧にするために、何か決定的な最後のピースが足りていない気がするのだ。



 夜の間に雨が走ったらしく、明けると庭に大きな水たまりが出来ていた。

植え込みの木槿の花弁が重たげに濡れている。門前の道をしばらく進むと渓流に行き当たった。雨で水量が増したのか、白く泡立つように流れている。

 激しい瀬音を立てる渓流の畔を慎重に下っていくと、不意に視界が開けて、海を臨む谷間の集落が現れた。


「ついたぞ。春日や」


 於亀が額の汗を拭いながら云った。

 導かれた屋敷は思ったより大きかったが、近づいてみると大分荒れていることが分かった。

 屋根付きの門はあるものの門番はいないし、白壁の漆喰が剥がれて骨組みが露わになっている。広い庭には厩があったが馬はいなかった。星のような白い花を咲かせるドクダミが軒にまで絡みついている。


 井戸の傍に女がいた。色の褪めた藍色の帷子姿の背中の曲がった女だ。瘠せた腕で縄を引いて桶を吊り上げている。

 イートンは初め老婆かと思ったが、ひとつに束ねた黒髪には割合に艶があった。


「姉しゃま!」


 於亀が呼びかけると女が顔をあげた。頬に丸みを残した若い顔だった。来訪者たちを見とめるなり目を瞠る。

「於亀、何があった? 松東院様は御無事か?」

「御無事や。御城下も何もなか。こん方らは、エゲレス商館の――」

 於亀がそこで言葉に詰まった。掌で顔を押さえて肩を震わせる。女が慌てて駆け寄ってその顔を覗き込んだ。

「どうした。何があった」

「わごりょは増吉ん姉御か?」と、ミゲルが訊ねる。女が於亀の肩を抱いたまま胡乱そうに見あげてくる。

「兄嫁や。ぬしさまは通詞どんか?」

「ああ。ミゲルや。こっちはエスクリヴォ。今日は父御、兄御に詫びに参った」

「詫び?」

「増吉どんは死んだ。大村ん飯香浦でや。エスクリヴォが肥後者に襲われてな。侍らしゅうあるじば守った。まこと相済まぬと商館長(かぴたん)も仰せや」

「増吉が」

 女が大きく目を見開いたまま呟いた。イートンが頭を下げようとしたとき、女の方が先に頭を低め、淡々とした口調で云った。

「ようお報せくだすった。おあがりくだされ」



母屋は広くがらんとしていた。黒光りのする板の間に導き入れられるとすぐ、黒い帷子に色の褪めた黒い袴姿の初老の男が現れた。

「ぎりん、御父様(おとしゃま)ばい」

 イートンがジョアンの死を拙い日本語で告げて床に頭をつけると、父親も同じほど深々と平伏し、遺骨と遺品を受取ってから、脇差だけを取り除けて差し出してきた。

「エスクリヴォ、これを形見にと言っている。息子はいつも貴方のことばかり話していたからと」

「オトシャマ、カタジケナカ」

 イートンは脇差を受取ると、代わりに白い紙の包を渡した。

「ジョアン。朋友。買ウタ。オトシャマ、アネシャマニ」

 父親は包を手にした瞬間、堪えかねたように肩を戦慄かせて泣いた。


 俺はリックの悲しみを運んできたようだとイートンは思った。

 物は時には心を運ぶのかもしれない。

 物を運ぶ商人は、だからこそ誠実でなければならない。

 戦士にとって勇敢さが、聖職者にとって慈愛が最も大切な美徳であるように、商人は物の質に誠実でなければならない。


 ――だってこれは心だ。偽物に高い値をつけるのは、心を裏切ることだ。


 父親は静かに泣いていた。

 兄嫁も俯いて涙を流していたが、於亀は泣いていなかった。何かの覚悟を決めたように、凛とした顔で虚空を睨みつけていた。彼女は何かをしようとしているのだと、イートンは遅まきながら気づいた。


 たぶん、そもそもの初めから、ずっと悩みながら何かをしようとしていたのだ。

 俺はそのために呼ばれた――たぶん、呼ばれているのだろう。

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