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太閤の黄金  作者: 真魚
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第五章 わき役たちの道行 三

 飯香浦は西彼杵半島の東岸、天草灘に面した小さな港で、長崎とは尾根を挟んだ反対側にある。天領のただなかの飛び地の大村領だ。平戸からの買い出し船は瀬戸から長崎を経て、二日後の朝方には目的地に着いた。


 峻険な崖に挟まれた狭いながらも深く碧い東向きの入江は、なるほど木材の集積地になっているようだった。

 所狭しと筏が浮かんで、入り江に注ぐ川を遡っては左岸に引き上げられている。隙間を縫って艀が行き交い、野菜や魚や穀物の俵や、油や酒を運ぶ小舟が忙しき行き来している。

 買い入れに来ているらしい帆船もそれなりに多かった。殆どが一枚甲板に一本マストの日本式のバークで、舳先に「南無妙法蓮華経」と描かれた揃いの白い幟を立てている。

 従僕のトメが眉をよせた。


 ――法華(ほっけ)ん衆が多か! みな肥後者(ひごもん)やろか。のう増吉(ますきち)、エスクリヴォに伝えてくれ。肥後者がようけいるけん用心せろと。


 ジョアンが頷き、難しい顔でイートンに話しかけてきた。

「エスクリヴォ、トメが気を付けろといっている。肥後の人間がたくさんいるからだ」

「ああ分かった。気を付けるよ」

 イートンはうわの空で答えた。

 平戸(フィランド)長崎(ランガサク)が「肥前(フィゼン)」という地方に属し、南の「肥後(フィンゴ)」とは住民レベルで仲が悪いことは忠告されるまでもなく知っていた。

 しかし、どんな危険があるというのだ? 

 仕事はたかが五〇テールの木材の買い出しだ。



 買い出し船が錨を降ろすと、大村の紋の幟を掲げた艀が番所のほうから漕ぎ寄せてきた。船内をざっと検められ、津料を徴収されるとすぐに上陸を許される。

河原の市は賑やかだった。川から深く掘りこまれたプール一杯に皮付きの丸太が並んで、周りに柱と屋根だけの小屋が掛けられている。

その下で板や角材が商われていた。

「悪くないな。大阪の木場みたいだ」

 呟くとジョアンが興味深そうに訊ねてきた。

「エスクリヴォ、大阪は大きいか?」

「ああ大きい。ロンドンみたいに大きい」

「ロンドンは何処だ?」

「我々の故郷の都だ」

「大きいか?」

「大きいよ」

「遠いのか?」

「遠いよ」

 しわがれ声の少年の問いに機械的に答えを返しながら木材を見て回ると、幸い材質も上等だった。イートンはしばらく周囲に目を凝らすと、ざっと見てとった相場よりほんの僅かに高い値をつけて、日の高いうちにすべての商品を買い整えた。


 角材と剥き身の丸太が二五〇本ずつと小型の板が八〇〇枚。

 丸い棒材が一〇〇本と、マストに転用する予定の門柱四本である。


 バークにすべて積むことは勿論できないため、門柱と板の他は、地元の大工を頼んで筏に組むことにした。まず奉行所に許可を得てから、河口に近い河原の一画に縄を張らせて作業場を調える。

「ジョアン、、トメに船番をしろと伝えろ。俺は木材の番をする」

 そう告げると少年は心配そうな顔をした。

「エスクリヴォ、一人で番をするのか?」

「そうだ」

「肥後者が怒っている。高く木材を買ったからだ。一人で番をするのは危ない。長崎から護衛を雇え」

 少年が強い口調で言った。

 イートンは苛立った。

「ボーイ・ジョアン。立場を弁えろ。俺が主人で、お前は召使だ。主人に命令をするな」

 途端、ジョアンの目が涙に潤んだ。

「命令ではない。命令ではなく――」

 少年はそれ以上言葉を続けられずにうつむいてしまった。

 イートンは後味の悪さを感じた。

「大丈夫だジョアン。マスケットを持っているんだから」

「――エスクリヴォ、怒っているか?」

「怒っていない。怒っていない。お前はよくやっているよ」

 おざなりに褒めながら頭をなでてやると、ジョアンはようやくに笑顔をみせた。



護衛を雇えというジョアンの忠告は、常識的に考えれば尤もではあった。

日ごろのイートンだったら、少年通訳に忠告されるまでもなく、当然そうしていただろう。

飯香浦と長崎は目と鼻の先である。

信頼できる宿主である天野屋に手紙を書けば、今からでも護衛は手配できる。

しかし、イートンはそうする気はなかった。

もしそうしたら帰路に長崎で下船して支払いを済ませたうえ、コックス言うところの「日本気質」に従って何某の手土産を交換し、歓迎の宴席に連ならなければならない。

 その時間が惜しかった。


 --俺には時間がない。本当に時間がないんだ。


 ――間に合えば六〇〇〇テールが手に入る。その金で新しい人生を始められる。


イートンは昼に少しばかり寝て、夜は焚火を前にしてマスケット銃を抱えていた。

 パチパチと燃える焔を眺めながら、これから開けるはずの輝かしい未来のことを考えようとすると、どういう訳か、三年前、初めて大阪へ赴いた冬のことばかりが思い出された。



 その冬、日本へ来たばかりのイートンは、平戸から木田屋善三郎所有のバークに便乗させてもらって大阪へ向かっていたのだった。

キャプテン・アダムスの旧友の「善三郎殿(ザンゼバル・ドナ)」は先代が大阪から移住してきた家系で、平戸に根を張って二代になる今でも大阪には知合いが多い。

今から思えば父親の信用できる取引相手の船に乗せて貰った若旦那みたいに安全そのものの立場だったのに、三年前のイートンは自分が世界にたった独りで放り出されたような緊張と重圧を感じていた。そのため、上甲板の船荷から一時も離れず、あのときもこうしてマスケット銃を抱えて寝ずの番をしていたのだった。同乗者たちは若者の勇み足に微苦笑しながら放っておいてくれた。


 平戸から唐津、博多、下関から上関、牛窓を経て大阪へ至った日、そんなイートンに声をかけてきた日本人がいた。

黒っぽい頭巾を被った肥えた初老の男で、牛窓からたまたま便乗してきた大阪商人だった。


 ――木田屋の旦さんに聞いたが、あんさん、平戸に新しく来なさったエゲレスかぴたんの番頭(ばんと)はんやってなあ。見てたらずっと寝ずの番や。立派なものやなあ。


 男は何とも柔らかな抑揚の言葉で話しかけながら笑い、こっくりと濃い黒絹の羽織の懐から薄紙に包まれた干し柿を取りだした。


 ――おあがりなされ。


 イートンの顔に浮かんだ警戒の色に気づいたのか、男は柿を半分に割いて、まずは自分が口に入れてみせた。イートンもおずおずと口に含んだ。柿は軟らかく、舌が痺れるほど甘かった。

 夢中で平らげる様子を男は目を細めて見ていたが、じきに手招きをして舳先へ歩いていった。ついてゆくと、船の行く手に長い砂洲が見えた。


 ――御覧なされ、難波津や。難波で商いなさるなら、あんさんお仲間やな……



 懸念されていた肥後人による夜襲はなかったものの、五日目の午後に、大工たちが何かの用事で急に来られなくなった。よく晴れた蒸し暑い午後で、砂地に坐っているだけでシャツの下に汗が浮かんできた。イートンは昼飯を届けに来たジョアンにマスケット銃を預けて、久々に水を浴びることにした。


 川の面が初夏の陽にキラキラと輝いていた。飛沫を散らすと葦の茂みから真白な白鷺が飛び立っていった。頭をじかに水に浸してからざぶりと上げたとき、筏のほうから少年のしわがれた叫びが響いた。


 ――エスクリヴォ、肥後者や……!!


 はっと顔を向けた瞬間、筏の後ろの葦の中から十数名の男たちが一斉に立ち上がった。

 すべて日本人だ。

 皆腹を泥に汚しているところを見ると此処まで匍匐してきたらしい。

先頭の一人だけ額を剃り上げて黒い革を連ねた鎧をつけている。手には抜身の刀。

男たちの後ろのやや高い位置に、前髪を切り下して唇に紅を挿した小娘みたいな若者が、薄紅色の長い袖を靡かせながら、「南無妙法蓮華経」と描かれた白い幟を手にしている。


 ――法華ん衆ばい。


 ジョアンが震える声で呟く。細い手が不器用にマスケット銃を構えていた。イートンは慌てて衣服を身に着けながら少年の傍に走った。

「ジョアン、貸しなさい」

 銃を受取っても火縄がない。

少年が脇差の柄に手をかけようとするのを、イートンは慌てて止めた。

「止せ。まずは話すんだ――」

「無理だ。怒っている」

 少年の右手が震えていた。

鎧の男が侍であることは一目で見てとれた。主君を持たない野良犬みたいな狂暴な元・侍だ。大阪の焼け跡にもこういう奴らが山ほどいた。

 相手は戦いのプロである。

商人と子供の二人組が正面からやり合って勝てる筈がない。

 やるべきことは時間稼ぎだ。船にいるトメに報せれば、対岸の奉行所から役人が艀で漕ぎつけてくれる筈だ。

 目的が定まると心が落ち着いてきた。

 イートンは銃口を侍に向けたまま少年に囁きかけた。

「ボーイ、泳げるか?」

「はい」

「俺が隙を作る。渡せで俺に脇差を渡せ。行けで船まで泳げ。分かったか?」

「分かった」

 ジョアンが落ち着いた声で答えた。イートンは思わず笑った。

「さすがに武士(フィダルゴ)の子だな」

 こちらの銃に火縄がないことに気づいてしまったのか、侍が一歩足を進めた。撃ってくるか来ないか見定めているようだ。イートンは低く命じだ。

「渡せ」

 ジョアンが脇差を引き抜いて差し出す。イートンは銃を棄てて受け取りながら叫んだ。


「――行け!」 


 銃を棄てた瞬間に侍も走り出していた。

イートンは脇差を両手で構えた。白刃が高く振り上げられた刹那、頭を低めて右へすり抜け、高台の若者の元へと走る。身を低めて堂へと体当たりするなり、ドス、と手ごたえを感じた。引き抜くなり鮮血がしぶく。

 若者が空を仰いで唇を戦慄かせた。イートンはその手から幟を奪い取ると、血に濡れたままの刃先を「法」の字に突き立てた。

『見ろこの山賊ども! この旗が惜しかったら私の木材から離れろ!』

 肥後人たちが一斉に顔を向け、倒れ伏す若者を見やって吼えるような叫びをあげる。侍が刀を構えたままこちらを睨みつけている。

 イートンは安堵した。

 やはりこの旗は大事だったらしい。

 後はジョアンが船にさえ着けばいい。

 筏の向こうの川面が相変わらず陽に燦めいていた。イートンはふっと膚を滑る汽水の冷たさを思い出した。

 そのとき、右の足首をぬるりとした何かが掴んだ。


 ――死ね、こん南蛮人が。


 目を向けると、血と紅で斑に汚れた若者の顔があった。

ハアハアと粗い息を吐きながら、腹ばいのまま腕を伸ばして血まみれの手で足首を掴んでいる。


振り払おうとしたとき、他の肥後人(フィンゴリアン)たちが咆哮をあげながら襲い掛かってきた。

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