第五章 わき役たちの道行 二
木材の買い出しの支度には意外に時間がかかった。
一応は藩主が他所からの木材の買い出しを禁じているため、船を借りるのも漕ぎ手を確保するのもひと手間必要だった。
四月の下旬に至って、イートンは今後の計画を練り直した。対馬を経て秘かに五島へ向かうにはもう時間が足りない。対馬へ発つという名目でバークを借り、ダミアンを拾ってじかに五島へ向かえばいい。そうなると、商館から下手に目端の利く人物をつけられては厄介だ。この頃また按針様の留守宅を預かっているミゲルなどついてきてしまった日には最悪だ。イートンは先んじて最も手ごろな人物を同行させることにした。
「キャプテン・コックス、ボーイのジョアンのことですが、あの子は利口ですね。生まれも良いようですし、下働きをさせておくのは惜しい。もしよければ私に預けて貰えませんか」
「ああ、それはいいね」と、コックスは快諾した。「マティンガから聞いたんだが、あの子の家系は元々この平戸の西隣の島の領主に仕えていた武士なのだそうだ。キリスト教が禁じられて、洗礼名を持っていた領主が出奔してしまってからは漁民になったらしい。そういう身分の子なら亡きキャプテン・ハドソンの次男の友だちにも相応しいしね。しばらくは君につけよう」
『ジョアン、商館長に頼んでお前を私の見習いにした』
そう告げたときの少年の表情は見ものだった。
零れんばかりに目をみひらき、幾度も口をパクパクさせてから、何度も、何度も「サンキュー!」と叫んで泣きながら笑っていた。
少年はすぐさま身内に昇進を報せたらしく、二日後には姉のカメシャムが粗末な帆布に包んだ干し烏賊の束を抱えて商館に挨拶に来た。
『エスクリヴォ! ありがとう! ジョアン、引き立てる!』
目をキラキラと輝かせて礼を繰り返すカメシャムは、つややかな黒髪をあの赤い組紐で束ねていた。
「ヤング・ウィル、君が本気であのお嬢さんに求婚するつもりがあるなら、私は反対しないよ? カトリックとはいえ、れっきとしたキリスト教徒のレディに仕える小間使いだったら、誉ある会社の品位を落とす婚姻にもならないだろう」
娘が帰ったあとで、コックスが年長者らしい揶揄い笑いを浮かべてそんなことを言った。
イートンは怒りを感じた。
現地人との結婚を歓んで進めるって? 俺には所詮その程度がお似合いってことかよ?
この時期のイギリス人は東アジア人を全く見下してはいなかった。
しかし、ロンドンに戻ってしかるべき地位を築くつもりがあるなら、現地人との正式な結婚は好ましいことではない。
冗談じゃない。俺が欲しいのは誰もが認める権威だ。財産を作ってから手に入れるのは故郷の大地主の娘だ。それ以下の娘なんかいらない。
イートンは必死で自分にそう言い聞かせた。
四月の末には梨の花が散り、柿の木がエナメルを塗ったような若葉を茂らせ始めた。中洲の葦が新たに芽吹いて、日に日に高さを増しながら青々と繁っていた。
その頃になると殆ど毎日のように、駿河の大御所様が死んだという報せが届いてきた。真偽のほどは知れないが、高齢の皇帝の容態が思わしくないことは確かなのだろう。按針様の直訴という唯一にして最強のカードはもうじきに使えなくなる。近づきつつある明るい夏と裏腹に、イギリス人たちにとっての冬の時代が刻々と迫ろうとしていた。イートンは自分が沈む船を見棄てていち早く逃げる小狡い鼠になった気がしていた。
五月に入ると前庭の躑躅が初々しいピンクの花を綻ばせ始めた。五日に長崎の村山等安が高砂討伐のために兵士を満載した十三艘のジャンクの船団を出したという話が伝わってきた。その三日後、イートンはようやくバーク船を調えて木材の買い出しへ出られた。同行するのは従僕のトメと、通訳見習のジョアンだ。
新しい裾の長い藍色の帷子姿のジョアンは誇らしげだった。行って帰って長くても半月程度の航程だろうに、出航の朝にはカメシャムがわざわざ見送りに来ていた。
――増吉、達者でようお仕えするっさ。
――姉しゃまもな。
弟と挨拶を交わした後で、娘はもの言いたげな目でイートンを見あげてきた。黒い目が僅かに潤んでいる気がしてイートンは苛立った。
この娘は何が言いたいのだ?
たかが髪紐を贈っただけで、俺の人生に何の関わりがあるというのだ?
目を逸らしても娘はずっとこちらを見ている気がした。振り返るなとイートンは自分に言い聞かせた。あれは――あれは要するに原住民だ。故郷に連れて帰ったらサーカスの見世物にされるような存在だ。
だから気にしてはいけない。
俺がこれから手に入れたいのは疵一つない人生だ。
未来に生まれる息子が送る――もしかしたら送れるかもしれない完ぺきな人生だ。
俺が欲しくてたまらなかった高い生まれと教育を、いつか生まれる夢の子供にすべて与えてやるんだ……
ジョアンはそんなイートンの心中になど全く気付かない様子で、ちっぽけなバークの舳先に立って誇らしげに行く手を睥睨していた。




