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太閤の黄金  作者: 真魚
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第五章 わき役たちの道行 一

 総会議が終わると、イートンはひとまず大阪へ戻って残務処理にかかった。

 翌月に肥前守が駿河へ発ち、ホジアンダー号が川内港へ移った。

 船大工の多く住む川内で出航前の艤装を調えるのだ。


 川内には既にVOCのアンキューセン号も移って出航の支度を進めていた。キャプテン・スペックスはEIC商館経由で、アンキューセン号に積みきれなかった九二七本もの黒檀をホジアンダー号に積んで欲しいと申し入れてきた。

 この黒檀は明らかに例のジャンクからの収奪物である。運搬料が充分に支払われるためコッピンデールは快諾した。船荷を分かち合った二艘は二月の末に相次いで川内を出航していった。同じ頃、澳門の船団指令官のキャラックも長崎を発っているため、用心として非公式に船団を組んだのだろう。平戸で共存するイギリス人とオランダ人との間に同盟関係を疑った船団司令官の懸念は、あながち邪推ばかりでもなかったのかもしれない。



 黒船がみな発ってしまうと平戸港は急に静かになった。

 その時期にネルソンが病気に罹った。

 原因不明ながら、いつも不調を訴えて寝てばかりいるのだ。コックスは壱岐島の温泉に療養に出すことにした。平戸に残るイギリス人は学校通いのリック・ハドソンを除けばコックスとオスターウィックの二人だけだ。

 そんな人手不足の最中に、時に解決を委ねた筈の木材の問題が再浮上してきた。


「弱ったなあ。思ったよりずっときちんと主殿様が命令を守らせているよ。今年は本当に杉左衛門殿からしか木材を買えないみたいだ」

「しかし、杉左衛門殿のところから買える量には限りがありますよ」

「そうだね。てんで足りない。平戸で買えないとなると余所で買うしかないな」

「余所というと、何処から?」

「まずは長崎だね」

「しかし、長崎の木材はこの頃高騰しているそうですよ」

「ああ、どうもそうらしい。長崎の有力な大商人の等安殿が、何と十三艘ものジャンクの船団を仕立てて高砂(タカサングァ)への遠征を計画しているんだそうだ。それで木材を買い占めているんだね」

「タカサングァとは何処でしょう?」

「その点は意見が分かれているんだがね、たぶんポルトガル人たちの呼ぶところの、かの『美しき(イラ・フォルモサ)』じゃないかって話だ』

「フォルモサですか! 聞いたことがあります。美しい名の島ですねえ。フォルモサは何処にあるのですか?」

「あ――ミスター・オスターウィック、我々は確か今木材の話をしていたんじゃなかったかね?」

「ああ、そうでした。長崎が難しいなら、追加の木材は何処から仕入れましょうか?」

「何処ってそりゃ君――」

 かくして春の四半期決算日(クォーター)の六日前に、大阪のイートンの元へ「至急木材求む」の速達が届いてしまったのだった。


 ウィッカムは既に到着しているものの、交代前の仕事を手伝う気はさらさらなさそうだった。イートンは内心であらゆる悪態をつきながら大急ぎで六十四テール分の木材を手配し、予定より一カ月弱遅れて平戸へ帰り着いた。



 平戸はもう春の盛りを過ぎていた。艀で商館へ向かうと、砲台の向こうの果樹園に雪のように白い梨の花が咲き揃っているのが見えた。


 ボート乗り場へ出迎えにきたのはハドソン少年だった。見違えるほど顔色が良くなり、痩せっぽちだった体にも少しばかり肉がついている。色の淡い髪を短く刈り込まれた頭が綿毛のようだ。イートンはおざなりにその頭を撫でてやった。

「久しぶりだねリック。元気にしていたかい?」

「ああエスクリヴォ。とても元気にしていた」

「学校はどうだ。友達はできたか?」

「できた。楽しい。でもジョアンが一番の友だちだ」

 たった半年の間に少年は日本人と同じ訛りの英語を話すようになっていた。ややあって駆け付けてきたジョアンに衣装櫃(チェスト)を運ぶよう命じてから先に母屋へ向かう。コックスは自室で書き物をしていた。右手の障子が半ば開いて隣の部屋が見える。奥から白い陽の射す室内で、マティンガが小声で唄いながら針仕事をしていた。赤い着物の襟から伸びる華奢な首筋にイートンは一瞬見惚れた。

「キャプテン・コックス――」

 障子を閉めながら声をかけるとコックスは初めて気づいたように顔をあげ、眦に皺を寄せて笑った。

「ああ、よく戻ったねミスター・イートン。元気そうで何よりだ。初めに訊きたいんだが、三月に駿河の皇帝が死んで北部の貴族たちが江戸から京に進軍しているという噂は何処まで本当だと思うかい?」

「ほぼすべて本当ではないと思います」

「やはりね! いつもの日本のニュースって奴だな。なら薩摩の王が大阪で兵を集めているというのは?」

「そっちは完全に嘘です。大阪には薩摩の王の影もありませんよ。そんな噂が流れていたのですか?」

「ああ。イースターに隣人たちを二ダースばかりも招待してちょっとした正餐を催したんだが、そこの席でそんな話が出てね。薩摩の王が駿河へ向かう途中で平戸へ寄港したばかりだったから信憑性があったんだよ」

「どうも色々情報が錯綜しているようですね」

 イートンはうわの空で答えた。駿河の大御所様の生死も、大阪が見舞われるかもしれない次の戦禍も、今はもうどうでもよかった。頭にあるのは二つの数字だけだ。


 六〇〇〇テールの取引。

 期限は六月上旬。


 今はもう四月の末である。これからすぐに長崎のダミアンに連絡をつけ、対馬から五島へ船を出して――すべてがぎりぎりだ。間に合わせることしか考えられない。用がそれだけなら即急に発たせて欲しいと申し出ようとしたとき、コックスが何となく口籠りぎみに訊ねた。

「ところで、君は飯香浦(イカノウラ)って港を知っているかな?」

「いえ生憎。大阪の近くですか?」

「いや長崎の近くだ。皇帝領の中の飛び地の大村(ウンブラ)領で、王の目が届きにくいからかなり自由な木材の取引が行われているらしい」

「買い出しに良さそうですね。木材はまだ足りていないのですか?」

「もう五〇テール分ばかりね。ご苦労だか対馬へ発つ前にそっちへの買い出しを頼むよ」

「私が、ですか?」

 イートンは思わず刺々しい声で応じた。コックスが目を見張った。

「五〇テールの木材の買い出しなんて、君には大して面倒な仕事じゃないだろ?」

「それはそうですが、長崎周辺だったらミスター・ネルソンの仕事では?」

 一刻も対馬へ向かいたい一心で言い募ると、コックスが曖昧な笑みを浮かべて首を横に振った。

「彼はこのところ体調を崩していてね、先月は壱州(イシュー)の温泉に療養に行っていたんだ」

「療養? それほど悪いのですか?」

「まあね。ごく良いとは言えない」

 コックスは奥歯にものの挟まったような言い方をした。


 結局その日の夕食にもネルソンは現れなかったが、部屋の前を通ると障子に燈火が透けていた。イートンは桟を拳でノックしてから開けた。

「ビル入るぞ。具合はどうだ?」

 障子を開けるなり鼻を突いたのは煙草の匂いだった。ネルソンが寝床に腹ばいになったまま上体を起こして煙管を咥えている。枕元に空の銚子が転がっていた。咄嗟に言葉に詰まったまま注視していると、ネルソンが気まずそうに笑って坐り直した。イートンはどうにか口を開いた。

「煙草は一応禁制の筈だろ?」

「硬いこと言うなよウィル。ピューリタンの堅物みたいだぞ?」

「そういう君は陸に上がった札付き水夫みたいだ。具合が悪いなら大人しく寝ていろよ。おかげでこっちは仕事が増えて適わない」

「願ったりだろ? 君はこの世の何よりも仕事を愛しているんだから」

「余暇だってそれなりに愛しているさ。何をそんなに苛ついているんだ?」

 苛立ちを堪えて訊ねるとネルソンが鼻を鳴らして嗤った。

「そんなの決まっているだろう?」

「対馬の件なら俺に非はない」イートンは咄嗟に言い返した。「ビル、言いたくはないが君は怠惰だ。初めから恵まれた地位にいるんだから、相応しい努力をしろよ」

「努力ね!」と、ネルソンが嗤った。「努力したってできないことはできないんだよ。なあウィル、聞いたことがあるよ。君はさ、ヘクター号の船乗り仲間を船団司令官に密告して昇進したんだろ? そういうのも努力のうちなのか?」

「――俺はそんなことはしていない!」

 イートンは思わず怒鳴った。「ふざけるなビル・ネルソン、俺は確かに貧しい生まれで、下働きから始めて今の地位まで成り上がったさ。そのせいで色々なことを言われた。だけどな、だけど一度だって自分の良心に恥じるような真似は――」

 そこまで口にしたとき、イートンは喉から蝋の塊がせり上がってくるような息苦しさを感じた。


 俺はこれから良心を売り払おうとしている。

 六〇〇〇テールで自分の魂を売り払おうとしているのだ。


 そうしなけりゃ、俺は永遠に貧民のまま、金持ちどもにいいように使われる召使のままだ。


 掌で顔を覆って息を整えていると、ネルソンがまた低く笑い、深々と煙草を吸ってから煙を吐き出した。

「ああそうだろうねウィル・イートン。君はいつだってご立派で、フェアな努力家で頭が良くて、みんなに頼りにされている。比べたら俺は駄目な奴だよ。なのに初めから恵まれていた――」

ネルソンがそこで言葉を切り、ひくっと大きく喉を鳴らした。「だけどさウィル、俺が恵まれていたのは俺のせいじゃないよ。俺が馬鹿なのも、俺のせいじゃない」

「ビル、君は馬鹿なんかじゃ――」

「馬鹿だよ、俺は」ネルソンが吐き捨てるように言った。「君に比べたらどうしようもない馬鹿だ。だからさミスター・イートン、もう放っておいてくれよ。ご立派な君はご立派に仕事にだけ励んでいてくれ。俺は俺でごろつきらしくごろついているからさ」

 ネルソンは暗い声で呟くなり煙管を加えてしまった。

 丸められた背中を見つめていても顔を向ける気配はない。

 イートンは諦めて障子を閉めた。


 そして唐突に思った。

 ヌエヴァ・エスパーニャに渡ったら、俺は背骨が折れるほど熱心に働こう。そうしてひと財産を拵えて故郷に戻って、何の悩みもなさそうな地主の娘を妻にしよう。肥った綺麗な娘がいい。キンポウゲみたいな金髪で、明るい碧い目で、故郷の誰もが羨ましがる綺麗な娘がいい。そのうち産まれる俺の子には何もかも与えてやる。生まれたときから金のある紳士として大学にも入れてやるのだ。

 

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