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太閤の黄金  作者: 真魚
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第四章 プロクラドールの密使 一

アダムスとコッピンデールは十一月の半ばに大阪を発って平戸へ向かった。

 翌月の二日、シー・アドヴェンチャー号が暹羅へと出航した。


 イートンにそのことを報せる手紙は大量の胡椒と(ワックス)と一緒に届いた。

いつものように「愛する我が友人へ」で始まるコックスからの手紙には、ダミアンとリエヴァノの解放はぎりぎり間に合ったものの衰弱が激しかったために結局シー・アドヴェンチャー号には乗りこめなかったことと、前にバークを貸してくれた法印様(フォイン・サム)の庶子が、「唐津(クレイツ)の王」の家臣の娘と結婚したことに加えて、次の平戸での総会議の日程も記されていた。



 ユリウス暦なら一六一六年二月八日。元和ならば二年の一月二日にあたる。イートンは便船を見つけて二日前に平戸へ戻った。


 五ヵ月ぶりに目にする平戸港には雪混じりの陸風が吹きつけていた。北岸に係留されているのはアンキューセン号ではなくジャカトラ号だ。いつのまにか拿捕船を解放して港に入っていたらしい。ホジアンダー号は相変わらず河口の近くにいた。片舷二十挺の松浦家の櫂船が二艘とも揃っているところを見ると、肥前守はまだ駿河へは向かっていないようだ。

松浦家による荷改めを済ませた衣装櫃(チェスト)ともども艀で商館へ向かう。中洲の葦が枯れていた。艪の音が近づくなり、首の碧い鴨の群れが飛沫を散らして飛び立っていった。

 その音が報せになったのか、艀がボート乗り場へ漕ぎ寄せたときには、階段の上に召使頭の与助が待受けていた。


『やあヨスキー、出迎え有難う!』

 愛想よく手を振りなり、召使頭は切羽詰まった声で叫んだ。

『エスクリヴォ、よく帰った! すぐに厨房へ行け!』

『厨房? 大丈夫だよ。大阪はもう落ち着いているんだ。そんなに腹は――』

『すぐに行け! 酒が無くなる!』

 与助の形相は今にも泣き出さんばかりだった。



 何が何やら分からないままともかくも厨房へ向かうと、屋内に肉を焼く匂いと煙草の煙が充満していた。

 竈で家鴨を炙っているのはホジアンダー号の外科医のモリス・ジョーンズだ。傍に上等の諸白酒の空き樽が二つも転がっている。板の間に屯してカード遊びに興じているのは事務長のローランド・トマスと見慣れない黒い巻き毛の男、それに何とビル・ネルソンだった。今も変わらず御禁制の筈の煙管を咥えている。イートンはあきれ果てて叫んだ。

「おいビル・ネルソン! 君いったい何やっているんだよ!」

「やあウィル、早かったな」

ネルソンが煙管を黒い巻き毛男に渡しながら気まずそうに笑った。「彼らは無断上陸じゃないぞ? 商館に用があるから上陸して、飯を食ってから船に戻るところなんだ」

「それで諸白(モロファック)を二樽かい? 随分また大盤振る舞いしたもんだ! ミスター・トマス、マスター・ジョーンズ、食事が済んだら早いところ船に戻ってくれ。煙草は日本では禁止だから、今度は陸上では吸わないようにね。それから彼は誰だ? ホジアンダー号の乗組員じゃないだろ?」

 イートンが黒巻き毛を見やって訊ねると、外科医が家鴨の背にナイフを突き立てながら気味悪そうに訊ねた。

「あんた、うちの乗組員を全員,覚えているのですか?」

「当たり前だろ。紹介されたんだから」

「ウィル、彼はダミアン・マリンだよ」

「ええ、彼が?」

 イートンは愕いた。黒い巻き毛の船乗りは、言われてみれば確かにイタリア人らしかった。赤い羅紗の胴着に臙脂のダブレットを合わせ、耳には金の環を嵌めて、綺麗に整えた口髭を生やしている。睫が濃く唇の赤いかなりの色男だ。ちっとも衰弱しているようには見えない。まじまじと見つめていると、イタリア人はフーッと煙を吐き出してから、崩れたポルトガル語で云った。

『ようエスクリヴォ。噂は聞いているよ。若いのに大層なやり手だってな』

『光栄だよ旦那(セニョール)。私のほうは、あんたは衰弱が酷すぎて船にも乗れなかったと聞いていたんだが』

「そこは私のせいでして」

 極まり悪そうに口を挟んできたのは外科医だった。「そのイタリア人が長崎から戻ったときにはまあまあ弱っていましてね、私がキャプテン・コックスに頼まれて瀉血をしたんです。そのとき、鼻の辺りに赤い斑があったので、てっきり天然痘(ポックス)かと思ってしまいまして」

「なるほど。念のため隔離しているあいだに船が出航しちまったんだね」

「そういうことです」

「しかし、結局天然痘じゃなかったんだろ? どうしてまだ平戸に残っているんだ?」

『それはあんたに手紙を預かってきたからさ』と、ダミアン自身が答える。『長崎で、女からな』

「女?」

『ああ』イタリア人がニヤリと笑った。『一度子供の顔を見にきてくださいってな』

 一拍の沈黙の後で、事務長がヒュっと口を鳴らした。外科医が手際よく家鴨を捌きながらニヤニヤ笑う。「それはそれはミスター・イートン、おめでたい話で!」

「いや、いやちょっと待ってくれって」イートンは慌てて訊ねた。「それ、本当に俺宛てなのか?」

『イギリス人の、平戸のエスクリヴォ宛だ。間違いなくあんただ』

書記官(エスクリヴォ)ってのは普通名詞だろ! 何で俺限定なんだよ!」

「ウィル、往生際が悪いぞ?」と、ネルソンが鼻を鳴らした。「平戸のエスクリヴォっていったら、それはもう君のことだ。大丈夫だって、マティンガがいるんだから、キャプテン・コックスもそうそう厳しいことは言えやしないさ。手紙くらい呼んでやれよ。不人情じゃないか」

「身に覚えがあるなら勿論読むけどさ――」

 何と言い募ってもネルソンは鼻で嗤うばかりだった。ホジアンダー号の二人が性質(たち)の悪いニヤニヤ笑いを浮かべて成り行きを眺めている。イートンは自分の名誉のために場所を変えることにした。



 外はもう薄暗かった。ダミアンがぶらぶらと散策するような足取りで果樹園を抜けてゆく。イートンはその背を追いながら訊ねた。

『おいイタリア人、それ、本当は誰からの手紙なんだ?』

『女からってのはあり得ないのか? あんたまさか――』

『長崎に関しちゃ身に覚えがないんだよ。大阪や堺だったら別だが』

『そっちから流れてきたとは思わないのか?』

『先週まで本人が大阪にいたのに?』

 肩を竦めて答えるとダミアンが声を立てて笑った。『あんたをペテンに賭けるのは手間がかかりそうだ。本当は誰からの手紙なのかは、実は俺にも分からん。澳門の船に捕縛される前、誰とも知らねえ誰かから預かっちまっただけだ』

『イギリス人の、平戸のエスクリヴォに?』

『いや、少し違う――』

 ダミアンがベルトに挟んだ黒竹の煙管を引き抜きながら答えた。『俺はこう頼まれたんだ。大阪が落城したとき居合わせたイギリス人に、だ』

 言葉と共に煙管が差し出された。黒い地に象牙色の斑の散った太めの竹の筒に銀の吸い口がついている。反対側に木の栓が嵌めてあった。降るとカサカサと音がする。ダミアンが目を細めて笑った。

『外れるんじゃねえか、その吸い口』

 吸い口を回すと本当に外れた。中に筒状の紙片が入っている。イートンは慎重に摘まみだした。

 紙片は厚く柔らかだった。掌大の紙片を広げるなりイートンは息を飲んだ。

 紙片の上半分に太陽のような透かしが入っていたのだ。

 焔の舌に取り巻かれた円の中に、十字架とIHSの三字を組み合わせた紋章が好かされている。


 イエズス会だ。


 ローマ教皇の尖兵を自称する原理的で過激なカトリック教団。エスタード・ダ・インディアと表裏一体となって十六世紀の東インド全域に勢力を伸ばした、長崎と澳門を育んだ日本では最有力の修道会だ。

 紋の下に流麗な黒い文字が記されていた。



 大阪の宝物(テゾーロ)

 六〇〇〇テール

 財務官(プロクラドール)カルロ・スピノラ



『――なあイタリア人、幾つか訊きたいことがあるんだが』

『何だ?』

『こいつを俺に寄越した誰かは、どうして俺がこの品を持っていると分かったんだ?』

『この品ってのは、大阪の宝物のことか?』

『あんたやっぱり読んでいるんじゃないか』

『読んでねえよ。大阪から皇帝の宝物が持ち去られたらしいってのは、長崎ではわりと有名な噂だったんだ』

『例の煙草の話か?』

『ああ』

『なら、どうしてそれを俺が持っていると?』

『そっちの噂の出所は朝鮮人どもだ』

『――長崎に、朝鮮人は多く住んでいるのか?』

『わりと多いぞ。元々は太閤様の征服のとき奴隷として連れて来られた連中だが、去年亡くなった司教のセルケイラ様が解放してやったんだ』

 セルケイラ様と口にするとき、イタリア人の声音には隠しきれない哀惜が滲むようだった。『あの方に神の恩寵あれ! 連中は、だから長崎には自分たちの教会を持っていたほどには多い。そいつらが噂をしていたんだよ。唐津の朝鮮人が、大阪が落ちてからしばらくした頃、大荷物を抱えたヨーロッパ人をこっそり平戸へ運んだことがあると』

『それが何故イギリス人だと? オランダ人の可能性だってあるじゃないか』

『そこはまあ、財務官(プロクラドール)の推理じゃないかね。一番ありそうにない場所に宝物は大抵あるってな。どうだ、思い当たる節は?』

 揶揄うように訊ねられてイートンは失笑した。

 自分自身に対する嘲笑だった。

『参ったな! 俺は完全に秘密でことを運んだつもりだったのに、始めた時点で何もかも噂になっていたのか』

『それでもこの場所まで秘密で運びこめたんだから、ひとまずあんたの勝ちではあるだろ?』

 ダミアンが笑って肩を叩いてきた。『大したもんだよイギリス人、日本中を血眼になって捜していた大御所様を出し抜いたんだから! もしその額面で売る気があるなら、あんたはその品を来年の六月上旬までに五島へ運べばいいそうだ』

『五島の何処だ?』

 訊ねるとダミアンが声を立てて笑った。『すっかり売る気だな』

 言われてみて初めてイートンは気付いた。


 イエズス会が何をするつもりにせよ、秀頼様はすでに死んだし、北へ逃れる筈だったその庶子も死んでしまった。

 俺は六〇〇〇テールのために、躊躇いもなく良心を売り払うつもりだったのだ。



『俺は長崎へ戻っている。もしこっそり五島に船を出すなら格安で雇われてやるよ』

 ダミアンはそう言い置いて母屋へ向かっていった。


 イートンは半ば茫然としたまま厨房へ向かった。


 ばかばかしいと一笑に付すには六〇〇〇テールは高額過ぎた。

 商館が去年老朽状態で買い入れたシー・アドヴェンチャー号の値段が二〇〇〇テール、修繕費も同額である。合わせてもまだ六〇〇〇テールには足りない。この海域なら一〇〇トン以上の新造船でも買い入れられる額だ。


 しかし、そのためにイエズス会の陰謀に加担するのは、イギリス人にとっては余りにもハードルが高すぎた。設立からまだ百年にならないイエズス会は、ドミニコ会やフランシスコ会に比べると新興である。プロテスタント国であるイギリス人の大半は、この修道会を、目的の為なら手段を択ばない過激で原理的な集団と見做して敬遠する傾向があった。とりわけ、一六〇五年に、カトリック信者のガイ・フォークスが、議事堂ごと国王ジェームズを爆破しようとした「火薬陰謀事件」が発覚してからは、殆どテロリスト集団を見るような冷たい目を向けているのだ。


 イエズス会の陰謀に加担したことが同郷人に知られたら?

 想像すると暗澹たる気持ちになった。


 イートンはひとまず厨房へ向かうことにした。

 陽気で刹那的な船乗りたちは、たぶんまだ酒を飲みながら焼肉を喰っているだろう。おそらくは存在しないと思われる長崎の子供とやらの件を揶揄われても構わないから、ちょっとばかり陽気さの相伴に預かりたくなった。


 俺だって昔は船乗りだったんだしな。


 厨房の戸口からは、思った通り肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。中から三人の声が聞こえる。ビルもまだいるようだ。イートンがほっとしたとき、室内で自分の名が呼ばれるのが聞こえた。

 思わず壁際に身を寄せて耳だけを澄ます。話しているのはトマスだった。ホジアンダー号の事務長だ。


「――聞いた話なんだがな、奴はヘクター号に乗っていた頃、事務長と司厨長がラホール藍の密輸をしているところを見つけて、分け前をふんだくった挙句に船団司令官に密告したらしい。それで商人に昇格したんだと」

「何て奴だ。仲間を売り払うなんざ、ユダの千倍悪いユダだな!」と、外科医が濁声で吐き捨てる。「それで私生児をおつくりか! 腐り切った野郎だ」

「いや、でもその噂はまだはっきりとはさ」

「ミスター・ネルソン、あんただって迷惑しているんだろう? きちんとした紳士の生まれのお人が、あんな成り上がり者に友だち面されるのはさ――」

 イートンはそこまでで立ち聞きを止めて厨房に背を向けた。


 仲間を売り払う?


 ばかばかしい。


 あいつらはそもそも仲間じゃなかった。


 初めから仲間などではなかった。


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