第三章 難波の夢 一
日本の万聖節は夏の終わりにある。
死者たちが三日だけ帰ってくる盂蘭盆会の祭だ。
ユリウス暦では八月二十七日にあたる祭の前日、現地雇いのEIC商館メンバーのうちで故郷の遠い者たちが、早めの休暇を与えられて出発していった。イートンには発音できない何処か出身のボーイ・ジョアンもそのうちの一人だ。
律儀な少年は出立の前にイートンにも挨拶にきた。
『エスクリヴォ、ジョアン春日に帰る。来週また戻る』
『故郷は遠いのか?』
『遠くない。島の西だ』
『そうか。気を付けて行けよ。ああ、それから』と、イートンはまさに今ふと思いたったかのような表情を拵えた。『カメシャムにこれをやってくれ。たまたま手に入ったんだ。たまたまね』
念を押しながら、わざわざ買っておいた赤い絹の組紐を差し出すと、少年は怪訝そうな顔をした。
――亀様?
『そうだ。カメシャムだ。お前の姉妹だよ』
――亀様。
ジョアンは繰り返し、手の中の組紐をつくづくと眺めてから、何故か目許を拳で拭って深々と頭をさげた。
「有難う(サンキュー)」
さて、陸側の正門から商館を出た少年は、波止場を抜け、北の漁師町を抜けて、大久保の馬場へと続く坂道のあたりで同行者の小集団と落ち合った。
少年と同じく平戸島西岸から来ている奉公人たちである。
春日と根獅子と飯良という西岸三つの集落が松東院領になっているため、ドナ・メンシアに仕える女たちが多い。
中の一人が少年を見とめて顔を綻ばせる。
「増吉、ようやっと来たか!」
「姉しゃま、待たせたのう。徒歩で峠ば超えると聞いたばってん、足弱ばかりで危のうはなかか? いざ事あれば増吉が護ってやるとはいえ、やはり船にしたらどうや?」
「なんだい、こん子はいっぱしん侍めかして!」と、一番年かさの於竹が笑って少年の背中を叩く。「船だとお銭がかかるやろう。案じなしゃんな、今年は此方ん御坊が道連ればい」
於竹が顎をしゃくってみせた先にいたのは、がっしりとした初老の山伏だった。黒い頭巾も白装束も見るからに上等で、白地に赤茶の斑の散った立派な法螺貝まで持っている。少年は安心して頭をさげた。
「御坊、宜しゅうお願いいたします」
「うむ」
山伏姿の何者かは重々しく頷いた。
小集団が歩き始めてばらつきが出てきたところで、少年は姉に訊ねた。
「のう姉しゃま、御父様に打明ける前に、増吉に何か話しとくことはなかとか?」
途端、姉は顔を強張らせ、慌てた様子で左右を確かめてから囁き返してきた。
「増吉、そん話何処で聞いた」
「何処って――」
少年が口籠ると、姉は強い力でその肩を掴んで顔を覗き込んできた。
「いいか、そん話は忘れれ。年端も行かん者が関わる話やなか。増吉は達者でよう奉公しとりゃよか」
「分かった、分かった、もう言わんばい」
少年が請け合うと姉はほっとしたように笑い、またひどく怯えた顏で御館の壁を見やった。
まったく女子ちゅうもんはと少年は内心で呆れた。
己が色恋を天下の一大事と思っているから始末に負えない。姉しゃまが紅毛人と懇ろになろうと御館ん誰が気にするちゅうんや!
――ジョアン増吉はてっきり姉がエスクリヴォと懇ろになったことを言い出しかねてもじもじしているのだと信じていたが、カメシャムこと阿亀が案じているのはそんな一身上の都合ではなかった。
山伏姿で春日の衆に同行する猪首の男――たった今まで松東院に匿われていた中浦ジュリアン神父を、これから故郷へ伴って匿うという任務を担っているのだ。
――そがん危なかこと、増吉ば関わらせられぬ。増吉はかぴたんのお目通りも果たしてこれから立身するんや。何としても報せてはいかん。
姉のそんな気遣いを、弟は全く知らない。
さて、ボーイ・ジョアンが発った翌日、コックスの可愛いマティンガが小間使い二人を連れて父親の家へと帰った。他の奉公人たちも三々五々帰郷していく。前後して、日本各地に散らばっていたイギリス商人たちが総会議のために平戸へ戻ってきた。
一番近くから戻ったのは、平戸のすぐ南の川内港で商館所有の大型ジャンク、シー・アドヴェンチャー号の修理をしているウィリアム・アダムスだった。言わずとしれた徳川家康の寵臣、日本名三浦の按針さまである。アダムスは平戸の商館設置に先立つこと十三年前にオランダ船で来日した元・航海士で、今は三年の契約でEIC商館のために働いている。
アダムスの見た目は独特だった。服装も髪型も日本人の高位貴族そのものなのに、髪と目の色は明るく、物腰には熟練船乗りの風情が微かに残っている。
イートンはこの男に何故か気に入られているらしく、到着を聞いてボート乗り場へ迎えに出ると、通り過ぎ様に頭を撫でられた。
「よく戻ったなイートン。大阪と一緒に燃えちまったんじゃないかと心配していたんだ」
「キャプテンも琉球からよく御無事で。事後承諾になりますが、貴方のお名前で、大阪から江戸の三雲屋殿に在庫の一部を送ってしまいました。日本中で最も信頼できる取引相手でしたから」
「ああ、三雲屋は善い奴だ。コックスの旦那と同じくらい信頼できる。お前はいい選択をしたと思うよ」
航海士上がりの皇帝の寵臣は鷹揚に認めてくれた。
アダムスに次いで、対馬を任されていた若手商人のエドワード・セーリスが戻り、最後に熟練商人のリチャード・ウィッカムが江戸から戻ってきた。
年収二十ポンドの平商人に過ぎないくせに、ウィッカムは相変わらず贅沢な身形をしていた。光沢のある碧い絹地のダブレットと揃いのブリーチズ、真白な麻の襟を縁どる幅広のレース。出迎えに出てきたコックスがこの襟に目を留めた。
「ミスター・ウィッカム、その素晴らしいヴェネチアレースを江戸で手に入れたのかい?」
「ええキャプテン・コックス」と、ウィッカムは細い口髭を指先で調えながら答えた。「先月浦賀にヌエヴァ・エスパーニャからの船が着いたようでしてね。この頃の江戸には様々な商品が溢れているんですよ」
イギリス人たちはまだ知らないことだったが、この船はサン・フアン・バウチスタ号といった。
二年前に仙台藩主伊達政宗がフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロに命じて日本で建造させ、スペイン王へ派遣する使節を乗せて・ヌエヴァ・エスパーニャへと向かったガレオン船である。
パナマ運河の無い当時、太平洋から大西洋へ海路で渡るためには南下してマゼラン海峡を通過する他なかった。使節団はこの危険な航路はとらず、船を降り、地峡を西へ渡ってヨーロッパ行きの船に乗り換えた。
結果、太平洋側に残されることになったサン・フアン・バウチスタ号は、ヌエヴァ・エスパーニャ副王からの使節を乗せて再び日本へ戻り、慶長二十年閏六月二十一日に浦賀へと至ったのだった。
余談だが、リチャード・コックスの日記では、伊達政宗は何故か常に実名で記されている。
同じ記され方をしている貴人がもう一人いる。
大坂の豊臣秀頼だ。
「秀頼様」と「政宗殿」。
おそらくは彼の周囲の日本人たちがそう呼んでいたのだろう。
一方は「先の皇帝太閤様」の遺児で、もう一方は「今の皇帝の末息子に娘を嫁がせている北部の大貴族」だ。慶長二十年当時、徳川幕府に対する危険性という点で、両者は似たような立ち位置の貴人と見なされていたのかもしれない。




