第二章 松東院の陰謀 五
「――主殿、企てとは何や?」
メンシアが怯えた声で訊ねる。
主殿がニヤリと笑って櫃の蓋をあげ、鮮やかに赤い一巻の布を取りだした。
「御母様、御案じ召されるな。頼みたいんは針仕事だけや」
主殿が幅の広い布を広げて光の間にかざすと、女たちの間からほうっと溜息が漏れた。それは朱と緋の細かな縞の織物だった。光を透かすと二色が混じって入日のように深みのある赤一色に見える。
「セイラス織や。エゲレス屋敷から買うた。黒羅紗に白絹、金糸銀糸もある」
「そん布で何拵えるんか?」
メンシアが微かに震える声で訊ねると主殿は黙ったまま櫃の底から紙片を取り出して渡した。四つ折りの紙を開くなり、貴婦人の大きな目がますます見開かれた。
「旗指物か?」
「然様」
主殿が頷くと、母親の手から紙を取りあげ、皆に見えるように掲げてみせた。
描かれているのは縦長の図案だった。
薄赤く塗られた地の上に白で十字が描かれ、右上に黒い三つの丸が、左上に五辺の花の紋が描かれている。
「平戸松浦ん三ツ星に大村ん木瓜紋か」
メンシアが呟いた。「それに十字架ば組み合わせた指物、こん母に拵えろと?」
「みなで二十四旒欲しか。紋は大旗だけや。他は十字架だけでよか」
「そん大旗、そなたが掲げるんか?」
「俺ん他誰が掲げる」
堂中の女が息を詰めて母子のやり取りを見つめていた。ジュリアン神父は念珠を握ったまま俯いている。猪首の逞しい体格をしているのに、その姿は力なく見えた。
やがてメンシアが唇を舐め、真直ぐに息子を見つめながら訊ねた。
「主殿、打明けよ。ジュリアン様ば旗印にして、切支丹ば立たせて――そなた、駿河に叛くつもりか?」
「いかにも」
主殿がまた平然と頷き、赤地の縞の織物を巻き直した。「そこまでお察しなら詮方なか。余さず打明けよう。――御母様はこの頃京や長崎で流行るちゅう戯れ歌をご存知か?」
主殿が思わせぶりに云い、女たちをゆっくりと見回してから、存外に滑らかな声で一節の歌を唄った。
花のようなる秀頼様を
鬼のようなる真田が連れて
退きも退いたり加護島へ
「……――戯けた歌やな」メンシアが低く吐き捨てた。「大阪の焼けた後にも秀頼様が薩摩へ落ち延びていると?」
「そうや」主殿が頷いた。「俺も戯けた噂やと思うておった。ばってん、先日、長崎ん等安から密書があっての。等安をご存知か?」
「無論。長崎代官ん村山等安、呂宋壺ん等安やろ。太閤様ん御代に呂宋船だして栄えた長崎ン大豪商や。転びん噂もあるばってん、太閤様ん御代には、アントニオん名ばもつ切支丹やった」
「然様。そん等安が、秀頼様は切支丹どもン助けて薩摩から琉球へ落ちられたというのや。証に大阪から太閤様ん御馬印が消えていると」
「大阪は燃えたのやろ。御馬印も燃えてしまったのでは?」
「御母様、御馬印は黄金ん瓢箪や」主殿が呆れたように応じた。「黄金ん塊がそがん容易く燃え熔けるものか。等安はそん報せば受け、牢人衆ば集めて高砂討伐するっちゅう名目で駿河に朱印状ば請うておるそうや。ばってん、まことは琉球に赴いて秀頼様ばお連れ申上げる心づもりなのや」
「駿河に謀反か?」
「謀反やない。義挙や。太閤様ん御世継に天下ばお返しするのや」
「――そん義をいつ挙ぐるつもりや?」メンシアが震える声で訊ねた。「主殿、忘れてはおるまいな、駿河にはいま肥前様と源太が、同じ母から生まれたそなたン兄弟がおるのだぞ?」
「御母様、頭ば冷やしなされ」主殿が太い息を吐いた。「等安はこれから船ば仕立てて発つんや。帰ってくるんは次の南風ん季節、まだまだ先の話や。そん頃には駿河ん家康もくたばっておるかしれぬ――」
主殿は家康の実名を呼びつけにしてうっそりと嗤い、怯えた顏でやり取りを注視している女たちを眺めまわしてから言った。
「ばちすたや」
「ばちすた?」メンシアが問い返す。
「ああ。切支丹ならそんで分かろう? 津々浦々の切支丹どもに神父様がたが暦と共に報せを廻らせるそうや。さん・じょあん・ばちすたの日、駿河の家康ば打ち倒すべく秀頼様がお戻りになると。やけんそん日に蜂てとな」
主殿が言葉を切り、手習いの仕上がりを自慢する子供のような顔で笑った。
「如何かの御母様? 十字架ん旗ば掲げて秀頼様が大阪へ戻られた暁には、切支丹は天下ん大恩人や。こん平戸にもまた天主堂を建てられようし、ジュリアン様は紫衣ば着て切支丹坊主ん座主になる。悪か話やなかろ?」
「そうさの、悪か話やなか。ばってん主殿、来年ンばちすたン日やと、源太はまだ質として駿河に留められているやもしれん。やけん、もし大阪と駿河がまた大戦ばするなら、肥前様は駿河につかねばならぬ。御家ば保つためなら親子兄弟も敵味方に分かるるが乱世の習いや。分かるな?」
「無論」
「なら、もし大阪が勝利したら、兄弟ん命ば惜しむ情けはあろうな?」
「御母様、信辰は鬼でも蛇でもなかと」主殿は不本意そうに答えた。「晴れて義挙ん成った暁には、家は信辰が継ぐ。そしたら大阪の指図に諾々と従うものか。肥前様も源太も豊後殿も、他家の指図で殺させはせん――」
主殿がふっと言葉を切り、手放しに明るい顔で笑った。
「なあ御母様、考えてみなされ。平戸松浦ん後押しで秀頼様が大阪へ戻れば、もうびくびくと他家ん顔色ばかり窺わなくて済む。松浦党も大村も何でん好きにやれるのや」
「主殿は何がしたいのや?」
「そうさの、まずは亀岡に城ば築き直す」
「亀岡に二度と城は築いてはならんと法印様ん御遺言やぞ」
「駿河ん耳目ば憚ってのことや。亀岡には天主堂も築く。そしたら毎年黒船が入ろう。じゃかとらの鸚鵡や天竺の更紗や、のびすぱんの砂糖やエゲレスの遠眼鏡や、珍奇か品、美しか品ばいっぱいに積んだ船がな。平戸は長崎ンごたーなる!」
主殿は目を輝かせて語った。
メンシアは象牙の十字架を握ってしばらく俯いていたが、ややあって顔をあげ、正面から息子に向き直った。
「――主殿、そんだけの腹積もりがあるなら、ことと次第によっては母も加担しよう」
「ことと次第とは?」
「ぬしが洗礼ば受くることや。今宵、こん庭でな」
「洗礼は、信辰すでに受けていると聞いた」
「赤子ん頃に女手で真似事しただけや。ばってん今宵はジュリアン様がある――」母親はそこで言葉を切ると、俯いたままの神父に熱っぽい視線を向けた。「神父様、吾子に洗礼ば授けてくだされ。こんメンシアん愛し子に魂ば授け、死後には楽園へ招かるるようお導きくだされ」
メンシアは黒く輝く眼で神父を見つめながら頼んだ。その眼には限りない愛情と執着が漲っていた。
――半刻後、一同は池の畔の築山の手前に集って、黒い溶岩の隙間から零れ出る水が真鍮の水盤に受け止められては溢れる様を眺めていた。正面に月と日を組み合わせた紋様を浮彫にし、側面には切支丹の印である魚の意匠を線で刻んだ水盤である。左右に立った修道士と老女の掲げる燭台の燈が水面の上で交わって、縁から溢れる水の丸みが濃い蜜を盛り上げたように見えた。光を透かす白衣を纏った神父が盤から燦めく水を掬って跪く主殿の頭に濯ぐ様を、メンシアが涙ぐみながら見つめていた。
「お立ち我が子よ。そなたの名は今より――」
神父が口にしかけたとき、主殿が顔をあげ、口許にニタリと獰猛な笑みを浮かべて答えた。
「神父様、俺ん名はバルトロメウや。平戸と大村ん領主、ドン・バルトロメウや」
獣が解き放たれた――と、マグダレナは戦慄した。同時に月明かりに輝く短剣の白刃が思い出された。




