第二十七話 今日はお花はくださいませんの?
ターナー侯爵と話をして、改めて“言葉を大切にしなければならない”と思うようになった。
ガーデンランチの翌日に送った手紙へ、返事は来ていない。
当然だと思う一方で、どこかで“エミリアなら、すぐに返事をくれるのではないか”と期待していた自分に気づく。
どこまでも見通しが甘い。
そんな自分に嫌気が差した。
だけど、今の自分は、この程度なのだと認めるしかなかった。
会ってもらえるまで、手紙を書こう。
そう思い、アレクは便箋を取り出した。
しかし、何を書けばいいのか分からない。
謝罪の言葉なら、いくらでも思いつく。
だけど、それではただ、自分の気持ちを押しつけているだけにならないだろうか。
何度も謝れば、相手は“許さなければならない”空気になる。
それは、アレクが望む関係ではなかった。
エミリアとは、一度も喧嘩をしたことがない。
エミリアは、いつだって空気を読んでいた。
こちらが疲れている時は、一歩引いて見守ってくれていた。
五歳も年下なのに。
ずっと、そうやって気遣ってもらっていたのだ。
アレクは引き出しを開け、エミリアから届いた手紙を取り出した。
疲れている時。
落ち込んでいる時。
エミリアは、いつも手紙をくれた。
『少しお疲れのように感じたので、ポプリを同封します。ぐっすり眠れる効果があるそうです。』
――そうだ。
あのポプリのおかげで、ぐっすり眠れた。
『今日、お庭にリスの親子がいました。
私は驚かせないよう遠くから見守っていたのに、マティウスお兄様が近くで見たいと駆け寄ったせいで、リス親子は逃げてしまいました。
その後、このリス親子は見える場所へ出てきてくれません。
マティウスお兄様はおバカだと思います。』
この手紙を初めて読んだ時のことを思い出す。
情景がありありと目に浮かび、思わず声を出して笑った。
少し気持ちが沈んでいた時だった。
だけど、笑えたから大丈夫だと思えた。
『今日はシャノンと馬でお出かけしました。
まだそんなに遠くまでは行かせてもらえないけれど、馬の背に乗って風を感じていると、少しくらいの悩みなんて大したことないように思えます。
いつかアレク様とも、一緒に馬でお出かけしたいです。』
この手紙を読んで、その日が来ることを楽しみにした。
だけど今は思う。
“少しくらいの悩み”とは、何だったのだろう。
自分は、そのことを聞きもしなかった。
何通も、何通も、エミリアからの手紙を読み返す。
『大丈夫ですか?』
『心配しています。』
そんな言葉は、あまり書かれていない。
だけど、それでも。
自分を気遣ってくれていることが、ちゃんと伝わってきた。
エミリアはいつも、自分の身の回りで起きたことを書いていた。
それを読むと、不思議と元気が出た。
自分には、エミリアのような手紙は書けないだろう。
そもそも今の自分のことを、エミリアはまだ知りたいと思ってくれているのかも分からない。
だけど、それでも。
まずは、自分のことを少しだけ書いてみよう。
そう思いながら、アレクは真っ白な便箋へ向き合った。
◇◇◇
今日も、書いた手紙と小さな花束を手に、アレクはリンバー家を訪れていた。
誰かへ預けるのではなく、自分で届けたかった。
あと十日ほどで、エミリアの誕生日が来る。
それまでに顔を合わせられればいいが、こればかりはエミリアの気持ち次第だ。
――俺と一緒に祝いたいと、まだ思ってくれているだろうか。
エミリアの王立学園入学という、人生の節目を忘れていた。
そのことを、彼女は責めもしなかった。
その事実が、今になってアレクを気弱にさせる。
エミリアにとって、自分はもう“人生を共に歩みたい相手”ではなくなっているのではないか。
リアムの言葉が脳裏をよぎった。
『エミリアがそうしたいって言ったら、受け入れるの?』
ガーデンランチの翌日には、謝罪の言葉を並べた手紙を書いた。
だけど、それ以降は、あえて謝罪ばかりを書かないようにしている。
代わりに、自分の日々について綴った。
こちらの気持ちを押しつけたくなかったからだ。
だが、それは逆に不誠実だと思われていないだろうか。
やはり、毎回きちんと謝罪を書くべきなのか。
手紙を書くたび、迷いが生まれる。
そのたびに、アレクはエミリアから届いた手紙を読み返した。
その繰り返しだった。
まだ会えてはいない。
だから、ちゃんと謝れてもいない。
今の自分は、ただ“エミリアを傷つけていた”と自覚しただけ。
それだけだ。
できる限り、エミリアの意思を尊重したい。
だけど、別れだけは受け入れられない。
……それでも。
もしエミリアが、婚約解消を望んだなら。
そんな思考の迷路へ迷い込んでいるうちに、リンバー家へ到着した。
いつものように門番へ挨拶をし、花束を託そうとする。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします。」
「おはようございます。ですが本日は、私がお預かりすることはできません。」
その返答に、一瞬ひやりとした。
だが。
「エミリアお嬢様が中でお待ちです。どうか直接お渡しください。」
アレクは、安堵で膝から崩れ落ちそうになった。
エミリアが、会ってくれる。
まだ彼女の気持ちを聞けたわけではない。
だけど、少なくとも“顔を合わせてもいい”と思ってくれたのだ。
嬉しさで鼓動が早まる。
だが、その血流の中には、先ほどまで抱えていた不安も混じっていた。
身体の表面へ、薄皮が一枚張りついたような感覚を覚えながら、アレクはリンバー家の中へ足を踏み入れた。
エミリアは、玄関ホールで待っていてくれた。
「エミリア……」
名前を呼ぶだけで精一杯だった。
その先の言葉が続かない。
「お久しぶりです、アレク様。毎日来てくださっていたのに、お会いもせず申し訳ありませんでした。お花もありがとうございます。全部、お部屋へ飾っています。」
少し伏し目がちに語るエミリア。
口元には笑みが浮かんでいる。
だけど、その表情はどこか固かった。
夢を思い出した。
泣いていた幼いエミリアが、いつの間にか大人びて、感情の見えない表情でこちらを見ていたあの夢を。
夢の中だけではない。
現実も同じだった。
この数年間、自分がどれほど“今のエミリア”を見ていなかったのか。
改めて思い知らされる。
元々の可憐な容姿に、少し物憂げな表情が重なり、あえかな雰囲気を纏っていた。
もし自分との婚約が解消されたとしても、次の相手などすぐ見つかるだろう。
以前なら、
“エミリアのことは、自分が一番よく知っている”
そう言えた。
だけど今は、もう言えない。
エミリアへそんな表情をさせたのは、他でもない自分自身なのだから。
自分がイヴリンをエスコートする。
そのことを、なぜエミリアへ話さなかったのか。
思い返してみれば、この二年間、イヴリンについてエミリアへ語った記憶がない。
自分の心を浚ってみれば――。
「今日は、お花くださいませんの?」
エミリアの問いかけに、アレクは我へ返った。
少し上目遣いでこちらを見上げるエミリア。
口元が、ほんの少しだけ尖っている。
幼い頃から、不満がある時に見せる表情だった。
それを見た瞬間、アレクの胸がぎゅっと詰まった。
その苦しさが、目元へ涙を誘う。
瞬きをして誤魔化した。
「ごめん。どうぞ、お受け取りください。」
そう言って花束を差し出す。
「ありがとうございます。」
エミリアは一歩近づき、花束を受け取ってくれた。
そのまま花へ顔を寄せ、そっと香りを吸い込む。
花の優しい香りへ誘われるように、エミリアの表情も和らいだ。
先ほどの固い笑みとは違う。
本物の笑顔だった。
「応接室へどうぞ。」
少し離れた場所で二人の様子を見守っていたリンバー家の執事が、頃合いを見て声を掛けてくれる。
「そうね。アレク様、行きましょう。」
微笑んだまま、エミリアが声を掛けた。
『小さくてもいいから、毎日花を持参しなさい』
――エミリアの母、リディアの助言を思い出す。
その助言へ感謝しながら、アレクは二人と共に応接室へ向かった。




