第二十五話 言ってくれないと分からないーーエミリア視点ーー
父の説明によると、ターナー侯爵家からの復興支援は、金銭だけではなく技術面にまで及んでいたらしい。
イヴリンの婚約者が所属する海外技術研修団の赴任先は、土木や建築へ先進技術を積極的に取り入れている国だった。
その配属にも、ターナー侯爵の口添えがあったと言われている。
もちろん、それだけが理由ではない。
アレクの父親は外交官として極めて優秀で、その手腕は国内外を問わず高く評価されていた。
彼が領主としてホイヤット領の復興へ携わると決まった時、多くの国から支援の申し出があったという。
土木や建築に関する最新技術の提供も、その一つだった。
だけど、研修団を動かすには莫大な資金が必要になる。
そのため、誰を派遣するか。
習得した技術をどこで、どのように使うか。
そういった采配には、筆頭後援者であるターナー侯爵の意向が強く反映されるらしい。
だからこそ、ホイヤット領への技術支援を確実なものにするため、アレクはターナー侯爵からの申し出を受け入れた。
――そういう背景があったのだと、父は静かに語った。
「そんなの……言ってくれないと分からないわ……」
説明を聞き終えたエミリアの声は、か細く揺れていた。
「そうだね」
父は苦笑するように頷いた。
「私もそう思うよ。
恥ずかしかったのか。
それとも、エミリアなら説明しなくても分かってくれると思っていたのか。
ともかく、アレクは“大事なことこそ言葉にしなければ伝わらない”ということを理解していなかった。
それだけは確かだ」
そこまで言うと、父はふっと肩の力を抜いた。
「本来なら、こういうことは本人の口から説明されるべきなんだ。
だけど今のエミリアは、まだあいつと顔を合わせる気にはなれないだろう?」
エミリアは否定しなかった。
「だけど、会わない間にも色んなことを考えてしまう。
昔の、優しかったアレク。
今の、配慮が足りないアレク。
エミリアからすれば、あいつが大きく変わってしまったように感じているんだろう。
だけど私は、本質はそこまで変わっていないと思うよ」
父の声はどこまでも穏やかだった。
静かな口調と相まって、柔らかな空気が部屋の中へ広がっていく。
「それを踏まえた上で、これから先のことを決めていってほしい」
「お父様は、アレク様を許すべきだとお考えなの?」
問いかけながら、エミリアは少しだけ首を傾げた。
“許す”とか、“許さない”とか。
そういう問題なのだろうか。
自分で言ったはずなのに、どこか違和感がある。
眉間に皺が寄っていないかが気になって、エミリアはそっと指先で触れた。
「私にとって一番大事なのは、エミリア。
君の心が健やかであることだ」
父は、ゆっくりと言葉を置くように続けた。
「だから、君がたくさん悩んで出した結論なら、私は支持するつもりだよ。
だけど、その結論を出す時に、この話を知らなくて。
あとになって知った時、“知らなかったこと”を後悔するかもしれないだろう?」
父はそこで、小さく笑った。
「そういうのって、案外あとを引くからね。
そんな思いをさせたくないっていう、父親のおせっかいだよ」
いつの間にか、エミリアの視線は下へ落ちていた。
そこにあるのは、白磁の茶器。
中には、琥珀色の紅茶が揺れている。
ただの飲み物なのに。
なぜか、すべてを受け止めるような度量の深さを感じた。
顔を上げれば、父が穏やかに微笑んでいる。
その周囲には、柔らかな空気が漂っていて。
それがエミリアの身体を、静かに包み込んでくれていた。
――紅茶みたい。
エミリアは思う。
母とは違う。
だけど、そこにも確かな愛があった。
◇◇◇
父との会話のあとしばらくして、執事長から、アレクが会いに来たと告げられた。
エミリアは、今は会いたくないと答えた。
「仰せのままに」
執事長は胸に手を当て、静かに頭を下げると、そのまま部屋を退出していった。
本当なら、今日の夕方には学園の寮へ戻る予定だった。
だけど、昼間の出来事がどの程度広まっているのかも分からない。
そんな状態で、クラスメイトたちと顔を合わせる気にはなれなかった。
しばらく休みたいと申し出れば、それも了承してもらえた。
その日の夕食と翌朝の朝食は、一人で取らせてもらった。
少し、自分の内面を見つめる時間が必要だったから。
翌朝一番に、アレクから手紙が届いた。
会って話をするべきなのは分かっている。
だけど、まだ会う気にはなれない。
エミリアはぼんやりと、その手紙を眺めていた。
ところどころ乱れた筆跡から、彼の動揺が伝わってくる。
イヴリンに対して恋情など一切抱いていないこと。
エミリアへ不実な真似は何一つしていないこと。
それを説明する文章は、強い筆圧で書かれていた。
反対に、自分の無知や配慮不足によって、エミリアへ不快な思いをさせたことへの謝罪は、ことさら丁寧に書かれているように見える。
『エミリア。今、君は何を考えている?』
その一文だけは、どこか弱々しかった。
見ようによっては、震えているようにも見える筆致だった。
エミリアは、自分の内面を見つめた。
もう、冷え固まっているものはない。
それだけは確かだと思う。
だけど、一度凍ってしまったものが溶けると、その奥底に沈んでいたものまで、どろりと滲み出してしまう。
そんな感覚があった。
そんなものを抱えたまま、アレクに会う気にはなれなかった。
数日、部屋でうだうだと過ごしていると、シャノンから手紙が届いた。
次の休日、天気が良ければ馬で遠乗りへ出かけないかという誘いだった。
未婚で、しかも社交界デビュー前の貴族令嬢が馬で出かけるとなれば、事前準備はかなり大掛かりになる。
だけど、周到なシャノンがこうして手紙を寄越したのなら、必要な準備はすでに整えてあるのだろう。
あとは、エミリアの気分次第だ。
エミリアは幼い頃から、外を駆け回るのが好きだった。
外へ出て、陽の光を浴びて。
風と一体になるように駆けていれば、胸の内に溜まった小さな悩みなど、空へ溶けていく気がしていた。
シャノンの手紙には、こちらを気遣う言葉は書かれていなかった。
だけど、誰よりもエミリアを理解しているシャノンだからこそ、今のエミリアに必要なのが何か分かっているのだろう。
心の澱を吹き払う方法として、遠乗りを提案してくれたに違いない。
その心遣いが嬉しかった。
同時に、当日はどんな乗馬服を着ようかと考える。
余計な装飾のない、身体へ寄り添うような乗馬服を身につけ、風を切って馬を走らせる。
想像しただけで、少し心が浮き立った。
「私って単純だわ。」
ぽつりと漏れた声は軽やかで、初夏の爽やかな空気へ溶けるように消えていった。




