第二十二話 あなたがエミリアよね?ーーエミリア視点ーー
ガーデンランチ当日は、五月末らしい、とてもいい天気だった。
今日は、母付きの侍女マーサが付き添い役として同行してくれる。
寮へ入り、身支度は自分で整えられるようになったものの、エミリアはあまり手先が器用ではない。
そのため、普段の髪型はハーフアップか三つ編み程度だ。
だけど今日は、マーサの手によって、複雑な編み込みへ仕上げられていた。
ほんの少し引っ張られる頭皮の感覚が、お出かけ前の高揚感を強める。
それと同時に、リンバー家の代表として出席するのだという緊張感も与えてくれていた。
春の柔らかさと、夏の軽やかさが混じり合ったような爽やかな風が、エミリアの髪を揺らす。
正午に近い陽射しは、幾分白さを増していた。
それでもまだ、春の名残を感じさせるまろやかな光が、彼女のプラチナブロンドを淡く煌めかせている。
初夏にふさわしい軽やかな素材のデイドレスもまた、エミリアの妖精のような可憐さをより引き立てていた。
「本当にお美しい。」
マーサの口から、ため息混じりの感嘆がこぼれる。
エミリアは、少し俯いた。
いまだに、外見を褒められることに慣れきらない。
それでもーー
ほんの少しだけ上目遣いで彼女の表情を窺う。
目尻へ刻まれた柔らかな皺が、その言葉が社交辞令ではないことを教えてくれていて、エミリアは素直にその称賛を受け取ることができた。
◇◇◇
十三時開始の会場へ、ほんの少し早めに到着したエミリアは、ワイマール伯爵夫妻へ挨拶を済ませたあと、席へ案内された。
以前参加した時は、いつもビュッフェ形式だった。
しかし今年は、着席形式らしい。
三〜四人で一つのテーブルを囲むように、丸テーブルがいくつも配置されている。
少し離れた場所から聞こえてくる管弦楽の軽やかな調べ。
それが、すでに席へ着いている人々の節度ある話し声と溶け合い、会場へ上品な華やぎを添えていた。
先に庭を見て回っている人もいるらしく、まだ全ての席が埋まっているわけではない。
それでも、もうそろそろ始まりそうな空気が漂っていた。
同じテーブルには、すでに年配の婦人が二人着席していた。
エミリアが席へ着いて挨拶すると、二人とも柔らかな笑顔で応えてくれる。
「まぁ、エミリア。一段と美しくなって」
「本当に。学園へ入学したと聞いたわ。おめでとう」
「ありがとうございます」
「それなら、社交界デビューも近いわね?」
「あなたとシャノンがデビューしたら、社交界がもっと華やかになるわ。本当に楽しみだこと」
この二人は、エミリアを本当の孫のように可愛がってくれている。
褒め言葉にも棘はない。
それでも、ほんの少しだけ居心地の悪さを感じてしまう。
だからエミリアは、柔らかな微笑みでそれを包み隠した。
テーブルには、もう一席分用意されている。
自分が最後ではなかったことへ、小さな安堵を覚えながら、礼儀正しく二人の会話へ耳を傾けていると――
最後の一人が、マナーぎりぎりの歩幅でこちらへ向かってきた。
彼女は席へ着くなり、挨拶もそこそこに、仕入れてきた情報を口にする。
「ご存じ? 今日はターナー家のご令嬢が、主賓客としてご出席なさるそうよ」
「まぁ。そうなの?」
「あぁ、だから今回は着席形式になったのね?」
「そう。しかも、ご自身から参加を申し出られたそうよ。十日前に」
「まぁ。それではワイマール夫人も大変だったのではなくて?」
「十日では、準備に色々不足も出るでしょうにねぇ。」
――イヴリンが、この会へ参加する?
しかも、最初から決まっていたわけではなく、急遽?
……何のために?
不意に強い風が吹き、木々の葉がざわめいた。
流された雲が、一瞬だけエミリアたちの席へ影を落とす。
だが、影はすぐに消えた。
陽射しが再び、テーブルへ置かれた銀器を光らせる。
管弦楽の調べも変わらず軽やかで、先ほどまでと何も変わらない。
それなのに。
心へ差した影だけが、その場へ留まり続け、エミリアの表情をほんのわずか曇らせた。
◇◇◇
定刻を十分ほど過ぎた頃、主賓客の到着が告げられた。
同席の婦人たちの噂どおり、それはイヴリン・ターナー侯爵令嬢だった。
そして、彼女をエスコートしているのはアレク。
イヴリンのドレスは、淡いベージュ。
袖口や胸元、スカートの裾には濃い茶色のレースがあしらわれていた。
ウエストには、同色の幅広のリボン。
背中で優雅に結ばれたその色は、アレクの髪を思わせる。
細やかな細工の施された上品なネックレスが、一歩間違えば地味になりかねない装いへ、静かな華やぎを添えていた。
だけどエミリアの視線は、そのネックレスではなく、胸元へ飾られたスズランへ吸い寄せられる。
イヴリンの胸元のスズラン。
そして、アレクの襟へ挿された、同じ花。
アレクの胸元には、ポケットチーフも飾られていた。
流行の最先端ともいえるその装いは、基本的な結び方のクラバットとはどこか噛み合っていない。
けれど、チーフの品質の良さからして、イヴリンから贈られたものなのだろうと察せられた。
ぱっと見ただけでは、二人が特別親しげには見えない。
だけど。
ガーデンランチへ、男性のエスコート付きで現れたこと自体が、どこか異質だった。
そこへ、何らかの意図を感じずにはいられない。
周囲の視線を集めながらも、二人はゆったりとした足取りで主賓席へ向かっていく。
アレクの席も、同じテーブルだった。
彼は、自分の席がワイマール夫人の隣だと今知ったらしく、わずかに困惑した様子を見せた。
だが結局、そこへ着席するしかない。
エミリアは感じていた。
周囲の視線が、イヴリンとアレクだけではなく、自分へも向けられていることを。
ワイマール夫妻だけでなく、この場にはリンバー家と懇意にしている者も多い。
つまり、アレクがエミリアの婚約者であることを知っている人間も少なくない。
そして同時に、アレクがイヴリンを公式の場でエスコートしていることも。
エミリアは、わずかに視線を伏せた。
かろうじて口元には微笑みを浮かべている。
だけど、表情のこわばりまでは隠しきれない。
知り合いの老婦人二人は、気遣わしげな眼差しを向けていた。
もう一人の同席者は、興味津々といった様子を隠そうともしない。
そんな異様な緊張感の中、料理が運ばれてきたことで会食が始まった。
誰もがどこか口数少ない。
普段なら、頃合いを見て挨拶回りへ立つ人もいるはずなのに、今日は誰も席を離れようとしなかった。
エミリアは優雅な所作で食事を進めていたが、味などほとんど分からない。
老婦人二人が、当たり障りのない話題を絶やさず口にしてくれる。
それがなければ、もう一人の同席者から質問攻めに遭っていたかもしれなかった。
やがて、食事の締めを彩るデザートが運ばれてくる。
会食も、いよいよ終わりが近づいていた。
このあと参加者たちは、庭を見て回ることになっている。
エミリアも、本来ならそのつもりだった。
だけど、この状況で何事もなかったように振る舞える自信がない。
エミリアの席からは、アレクの表情は見えない。
彼は、エミリアがここにいることに気づいているのだろうか。
たとえ気づいていたとして、それで何が変わるわけでもない。
それでも。
今、彼が何を考えているのか分からないことが、エミリアを余計に不安にさせていた。
まるで機械のように、義務的に手と口を動かし、なんとか食事を終える。
その時だった。
ふいに、前方の空気が動く。
顔を上げると、イヴリンが立ち上がっていた。
彼女は、アレクが席を立つのを待つことなく歩き出す。
こちらへ向かってきている。
その視線は、真っ直ぐエミリアへ向けられていた。
エミリアは、膝の上のナプキンを丁寧に畳み、静かにテーブルへ置く。
その間に、細く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
そのわずかな動作だけで、不思議と腹を括ることができた。
立ち上がり、礼を失わぬ姿勢でイヴリンを待つ。
そして――。
「あなたが、エミリアよね?」




