第十九話 神さまの気まぐれーーエミリア視点ーー
その後も、アレクはリンバー家へ滞在している間、何かとエミリアを気にかけてくれた。
エミリアも、それまでのように兄たちへまとわりつくことをやめた。
そのため、マティウスから向けられる悪感情を受け取ることも減っていった。
エミリアの変化に、兄二人も何かを察したのだろう。
時折、気まずそうな空気を感じることはあった。
だけど、エミリアはそれにも気づかないふりをした。
アレクには、少しずつ、誰にも言えないような話もするようになっていった。
「しぃぃ、だよ?」
「しぃぃ、だね?」
それが、二人の合言葉になった。
アレクが、エミリアの話を聞いてくれるひと時。
それはエミリアにとって、とても幸せな時間だった。
だけど。
エミリアは貴族の娘で、アレクは平民。
結婚という形で結ばれることはないのだと、幼いながらに理解していた。
適齢期になれば、顔も知らない誰かとの結婚を言い渡されるのだろうということも。
「妖精のように可愛らしいエミリアを、婚姻相手にと望む殿方は引く手あまたよ」
母リディアは、いつも誇らしげにそう言っていた。
それは、リンバー家にとって喜ばしいことなのだろう。
だからエミリアは願った。
いつか離れなければならない、大好きな人との時間を。
どうか、ずっと覚えていられますようにと。
それなのに。
神様は、妙な気まぐれを起こした。
アレクを貴族にしたのだ。
アレクにとって、それが喜ばしいことばかりではないと、エミリアにも分かっていた。
それでも。
もしかしたら、と期待せずにはいられなかった。
エミリアが本気で望めば、母リディアはその願いを叶えてくれるのではないか、と。
母の、悪意のない娘自慢のせいで、自分はずっと居た堪れない思いを抱えてきた。
だから、その代償として。
この願いを聞き届けてもらえないだろうか、と。
そんな考えを、どうしても振り払うことができなかった。
だけど、ホイヤット領が大変な時に、そんなことを口にすべきではない。
それも分かっていた。
だからエミリアは、自分にできることを考えた。
伯爵子息としての生活に、四苦八苦しているアレクのために。
彼の一挙手一投足。
言葉。
表情。
それらをつぶさに観察しながら、感情を先回りできるよう努めた。
かつてアレクが、自分にしてくれていたように。
今度はエミリアが。
アレクにとって、話しやすく、居心地の良い空気を作ろうと心掛けた。
会話をすることすら辛そうな時には、心が安らぐ香りのポプリへ、短いメッセージカードを添えて渡した。
多忙なシャノンへわがままを言って、当主教育のノウハウを聞き出し、それを書き留めてアレクへ渡したこともある。
アレクは、そんなエミリアの気遣いへ、いつだって「ありがとう」と言ってくれた。
「エミリアのおかげで、頑張れるよ」
その一言だけで、すべての努力が報われた気がした。
「ホイヤット領が、一日でも早く元の緑豊かな領地へ戻りますように」
神様への祈りへ、その言葉が加わって三年。
父から、アレクとの婚約を申し付けられた。
すでにアレクの了承は得ている、と。
神様というより。
きっと父が。
もしかしたら母が。
エミリアの、誰にも言えなかった、だけど心からの願いを、叶えてやろうと思ってくれたのだろう。
七歳の時に芽生えた、淡い恋心。
打ち明けることもなく、静かに終わらせるはずだった想い。
それが、七年という歳月を経て、実を結ぼうとしていた。
復興へ向けて邁進しているホイヤット領の現状。
いずれその地を治めなければならない、アレクの苦慮。
それを忘れたわけではない。
だけど、エミリアの胸の内にあったのは、紛れもない喜びだった。
――けれど。
それは、まだ早すぎる幸福だったのかもしれない。
神様の試練、と呼ぶには些細なこと。
だが、十四歳の少女にとっては耐え難い出来事だった。
大好きな婚約者が、なぜかこの国有数の大貴族――ターナー侯爵家の令嬢を、約二年間、公の場でエスコートするらしい。
その話をエミリアへ伝えたのは父だった。
イヴリン・ターナー侯爵令嬢は、アレクの王立学園一年時の同級生。
イヴリンもアレクも学園を卒業し、社交シーズンが終わる五月末までは、公の場へ顔を出す機会が増える。
特にイヴリンは、侯爵令嬢として多岐に渡る社交を求められているらしい。
婚約者はいる。
だが、その人物は現在、海外技術研修団の一員として国外へ赴任中。
だから、その間だけアレクがエスコートを務めるのだと。
エミリアは、一度だけイヴリンと会ったことがあった。
アレクが王立学園一年生の時に行われた、学術発表会。
そこへ招かれた時だ。
一人の生徒が招待できる人数には限りがあった。
当時まだ十一歳だったエミリアは、自分は呼んでもらえないと思っていた。
だけどアレクは、エミリアへ招待状をくれた。
しかも、わざわざ手渡しで。
少しでも大人っぽく見せたくて、着ていくドレスや小物を、母と一緒に真剣に選んだ。
「あなたには、可愛らしいドレスの方が似合うわよ?」
母はそう言った。
だけど。
王立学園の学術発表会へ、幼い子供を連れてきたと思われたら。
アレクをからかう人が出てくるかもしれない。
「せっかくアレク様が招待してくれたのだから、彼に恥をかかせたくないの!」
エミリアは真剣な顔で訴えた。
そんな娘を見て、母は苦笑しながらも、いつもより少し大人びた雰囲気のドレスを選んでくれた。
普段のエミリアは、パステルカラーのドレスを着ることが多い。
だがその日は、そこへ薄いグレーを混ぜたような、やわらかな色合いのドレスだった。
可愛らしさを残しながらも、幼く見えがちなエミリアの容姿を、年相応へ引き上げてくれる。
本当は、もっと大人っぽいドレスを選びたかった。
けれど母から、
「あまり濃い色だと、“幼い子が無理に大人ぶっている”と思われてしまうわよ」
と言われ、このドレスへ落ち着いたのだ。
その代わり、髪を結ぶリボンは、ドレスより数段暗い色味にしてくれた。
そこへ、わざと輝きを抑えた金属製の、繊細な細工のヘアアクセサリーを重ねる。
母のこういうセンスは抜群だった。
いつもより少しだけ大人っぽい自分を、アレクへ見てもらえる。
その喜びを胸に、エミリアは学術発表会へ向かった。




