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聞かなかったのは、どちらだったのか  作者: くぎのりクロボ


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第十四話 通行証のようなもの

イヴリンの婚約者――トーマス・マイヤー子爵令息からの返書は、驚くほど早く届いた。


それも、当日の午前中のうちに。


アレクさえよければ、今日の夕方にでも会いたい。


そう記されている。


ここまで早く返事が来るとは思っていなかった。


まして、その日のうちに面会できるなど、予想もしていなかった。


数日待たされるのは当然。


最悪、返事そのものが来ない可能性すら考えていた。


トーマスからの返書を届けた伝令ギルドの職員は、返事を預かるよう言いつかっているらしい。


アレクが手紙を読む様子を、少し離れた場所から静かに見守っていた。


アレクは、指定された時間――十七時にマイヤー家を訪問する旨と、迅速な対応への謝意を書き記し、返書を託した。



◇◇◇


指定された時間通りに、アレクはマイヤー家を訪れた。


朴訥とした印象の老執事が、応接室へ案内してくれる。


「お待たせしました」


ほどなくして、トーマスが部屋へ入ってきた。


応接室そのものは、どちらかと言えば質素な印象だった。


だが、その印象は、トーマスが現れたことでさらに強まる。


はっきり言って、部屋と本人の存在感が釣り合っていない。


華美な衣装を纏っているわけではない。


体格も、小柄で細身。


それでも、人を気圧すような風格があった。


とても同い年とは思えない。


ふと、シャノンの姿が脳裏をよぎる。


彼女の纏う雰囲気にも、やはり圧倒された。


どちらも、“次期当主”。


それは、自分も同じはずなのに…。


トーマスはそのまま部屋の奥へ進んだ。


それを待ってから、アレクは挨拶を述べる。


「いえ、こちらこそ、お時間を取っていただきありがとうございます」


続けて謝罪の言葉を口にしようとした。


だが――


「もし謝罪をなさるおつもりでしたら、やめてください。


今回の件は、こちらが詫びる立場です」


静かな声だった。


視線は鋭いまま。


それでも、その鋭さに敵意は感じられない。


「座りましょう」


そう言ってトーマスは着席を促し、自身も三人掛けのソファへ腰を下ろした。


イヴリンから、トーマスの話を聞いたことはほとんどない。


……いや。


そもそも、自分はイヴリンと、そこまで踏み込んだ話をしたことがなかったのだと、アレクは今さら気づいた。


話題といえば、学園一年時の思い出話。


当時のクラスメイトについての噂話。


あるいは、イヴリンが友人たちと楽しんだ観劇や買い物の話を、アレクが相槌を打ちながら聞く程度。


たまに話題を振られ、エミリアのことを語ったことはある。


その程度だ。


アレクは、自分が他人の感情を細やかに察するのが得意ではないと自覚している。


だからこそ、何かを見落としていたのかもしれない。


それにしたって。


あそこまでの激情を、イヴリンから感じたことは一度もない。


そもそも、なぜイヴリンはあんな突拍子もない発言をしたのか。


気にならないわけではない。


だが、アレクとエミリアの関係において、本当に重要なのはそこではない。


問題なのは、エミリアがあの言葉を静かに受け入れてしまうほど、自分への信頼を失っていたことだ。


そこを履き違えてはいけない。


アレクは、自分へ言い聞かせるように息を吐いた。


気持ちを切り替え、改めてトーマスへ視線を向ける。


何から話すべきか。


わずかな逡巡を見抜いたのか、先に口を開いたのはトーマスの方だった。


「昨日の件を聞いた時、『好きにすればいい』というのが、正直な感想でした」


そう言って、トーマスはわずかに視線を落とした。


薄い笑みを浮かべる。


だが、それはほんの一瞬だった。


すぐに視線はアレクへ戻る。


「あなたに、私の不在期間中、イヴリン嬢のエスコートを任せても良いか。


事前にターナー侯爵から打診を受け、了承したのは私です。


この二年、特に問題もなかったと聞いていました。


ですから、あなたにとっても青天の霹靂だったのだろうと」


そこで一度、トーマスは口を閉ざした。


ほんの微かだが。


苦味を呑み込むような表情に見えた。


「ですが昨夜、ターナー侯爵がわざわざ謝罪にお見えになり、いろいろと事情を聞かせてくださいました」


静かな声は変わらない。


だが、その奥に、わずかな疲労の色が混じる。


「まぁ、二年間もエスコートを務めておられたので、ご存じでしょうが。


私とイヴリン嬢は、婚約当初からほとんど関わってきませんでした」


トーマスは淡々と続ける。


「彼女の方が、それを強く望んでいるようでしたし。


私も、それならそれで構わないと思っていた。


私にとって重要なのは、ターナー侯爵家へ入ることでした。


イヴリン嬢は、そのための“通行証”のようなものだと。

そう思っていました」


その言葉には、自嘲も羞恥もなかった。


ただ、事実として語っている。


「ですから、イヴリン嬢との関係性そのものは、正直どうでもよかった。


帰国初日にターナー侯爵家へ挨拶へ伺った際も、軽く顔を合わせただけでした。


その後、ターナー家を訪れても、わざわざ会おうとは思わなかった。


……そういうものだと思っていたんです」

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