八つの縄墨①
武蔵野署刑事課の刑事たちは遠藤康臣を追って飛び回っていた。
それを尻目に、宮川は連日、青梅署に出かけて、祓川と捜査を進めている。捜査の本筋から外れているような気がして、忸怩たる思いがないといえば嘘になる。ただ、相棒が伝説の刑事だということだけが心の支えだ。
祓川は上司に逆らって――と言うか、上司の顔を潰して、青梅署に飛ばされて来たという噂があった。卓越した推理力の持ち主である祓川には、他人が馬鹿に見えてしまうのだろう。ある事件で意見を述べた本庁のお偉いさんを「馬鹿なのか――!」と面罵して、左遷されたと聞いた。祓川を見ていると、いかにもありそうな話だ。きっと噂ではなくて真実だと思わずにはいられなかった。
今日は、南洲隆也の捜索を行うことになっていた。
和美が言ったことが気になっていた。
「隆也叔父さんを探して。叔父さんがいなくなったの」と。
南洲隆也は南洲家七代目当主、隆正の実弟だ。転落死した則天の叔父で、一族の長老といえる人物だ。まだ祓川も話を聞けていなかった。
それが行方不明だという。
何時の間に調べたのか、祓川は南洲隆也の現住所を知っていた。車に乗り込むと、「南洲本家を目指してくれ。隆也の家はその近くだ」と言う。南洲家は青梅街道から分かれ、多摩川の支流沿いの道を山間部へと分け入った場所にある。
青梅街道を走り、道を折れる。多摩川の支流沿いの両脇を山に挟まれた谷底のような道を暫く走り、川が急カーブを描くと眼前に平地が広がった。長い年月をかけて川が山を削り取り、反対側に川が運んできた土砂が堆積して平地ができたのだ。
田畑が広がり、民家がぽつぽつと点在していた。この辺りも過疎化で空き家が多い。日中にも係わらず、路上で人の姿を見かけることはなかった。
会話が弾まない。助手席で祓川は腕を組み、目を閉じて座っていた。居眠りでもしているのかと思った。すると、突然、祓川は目を開けて、「あの家だ」と言った。
寝ていた訳ではなかった。
畑の真ん中に一軒の農家が見えた。周りを畑に囲まれている。まるで、畑の中に民家が生えているかのようだ。
南洲本家からほど近い場所にあった。
畑の中を真っすぐに伸びた農道を走ると、南洲隆也家の門前に行き着いた。駐車場がないので、仕方なく道を塞ぐ形で車を停めた。
驚いたことに、男が一人、玄関先で待っていた。石川健文だった。
「やあ、刑事さん。遅かったですね」
「おや、石川さん。ああ、玄宗さんでしたね。南洲隆也さんの家の場所をお聞きしましたが、あなたをお呼びしたつもりはありませんが」
どうやら石川と連絡を取って、南洲隆也の家の場所を尋ねたようだ。見ていないところで、祓川は色々、捜査を進めている。本庁の捜査一課にいたくらいだ。やはり優秀な刑事なのだ。
「いえね~刑事さんから連絡をもらって、僕が南洲家九代目当主に選ばれたことを、まだ隆也さんに伝えていないことを思い出したのです。何と言っても、一族の長老ですからね。そこで、こうして訪ねてきたのですが、隆也さん、お留守のようですよ」
「留守ですか――⁉ それは困ったな。是非とも、お話をお伺いしたかったのですが、今日、戻って来ますかね?」
「さあ、それは僕にも分かりません。とは言え、隆也さんは独り身で、この村以外、行くところなんてありません。戻って来ると思いますよ。どうします? 中で待っていましょうか?」
「勝手に上がり込んで良いのですか? それに、玄関に鍵が掛かっているでしょう?」
「はは。刑事さん、この辺はね。周り中、みな、親戚みたいなものです。ちょっと出かけるのに、いちいち鍵なんか掛けたりしませんよ」と石川は言って、ガラリと玄関の引き戸を引いた。
南洲本家とそっくりの引き戸だ。
「ほら、この通り、鍵なんか掛かっていないでしょう。大丈夫ですよ。僕と一緒なら、隆也叔父は何もいいません。さあ、中で待ちましょう」
勝手知ったる他人の家、石川は靴を脱いで、ずんずんと奥に進んだ。
「お邪魔します」と断りながら、祓川が靴を脱いだので、宮川は後に続いた。
本家と似た作りになっているが、格段に狭い。それに、全てに於いて見劣りがした。本家では、見た目は和風だが洋風に改装してある部屋が多かったが、ここは和風のままだった。
石川が応接間らしき部屋に案内してくれた。
本家と違ってこちらは畳の間だ。部屋の中央に木目を生かした一枚板のテーブルが据えられ、それを囲むように座椅子が置かれている。背後には床の間があり、山水画が飾られていた。
その下にかなり大きな石碑が置かれてあった。
「本家はね、昔はこの辺一帯を所有する大地主でした。ですが、分家を立てる際に土地を分け与えている内に、身代をすり減らしてしまいました。今じゃあ、本家たって、あの屋敷とその周りのわずかな田畑の他に、税金や管理費ばかりかかる、金食い虫のクズ山を所有するだけです。隆也叔父の、この分家の方が、実入りが良いくらいです」石川が座椅子に腰を降ろしながら言う。
「なるほど~なるほど~負の資産という訳ですね。ところで、その後ろにある、妙に目立つ、巨大な石板、石碑かな? それ、何です? 文字が掘ってあるようですけど」
「ああ、これ」と石川は背後を振り返りながら言った。「刑事さん。“縄墨”って言葉を知っていますか?」
「“じょうぼく”ですか?どういう字を書くのでしょうか?」
「“縄”に“墨”と書いて縄墨です。ひっくり返して墨縄ともいいます」
「ああ、確か昔、大工さんが木材に直線を引くのに使っていた道具のことではありませんか?」
「流石は刑事さん、よくご存じだ。墨壺に入っている糸を使って、木材などにきれいな直線を引くことができる道具のことです。建築で最も大事な直線を引くことが出来るということから転じて、縄墨には規則という意味があるそうです。これは『南洲家の縄墨』と言って一族の守るべき掟を記したものです」
「へえ~一族の守るべき掟ですか⁉それは、また古風な」




