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I'll be the death rain.  作者: 維酉
Chap.2 蘇る
9/10

01 秋手帖探偵事務所

 俺たちは死なないんだぜ。死ねないんじゃない、死なないんだ。そう決めたからな。




   ◇ 1 ◇


 七月。

 梅雨は過ぎ去り、かえって乾いた空気が満ちる頃である。段々と気温は上がりはじめ、近づいてくる夏の気配、鈴無鈴里すずなしすずりはどこか憂鬱だった。


 秋手帖あきてちょう探偵事務所で働き始めてから、はや三週間が過ぎようとしている。


 こおりが引き起こした一連の通り魔事件の解決以降、大きな殺人事件も起こらず、また派手な依頼が事務所に舞い込むこともない。平穏な日常が惰性で続いているわけである。そうなると、退屈になるわけで。


 事務所の空気はだらけ切っていた。

 席の位置としては鈴里の隣である古屋伊緒ふるやいおは、自分のデスクに座り足を組んで寝ている。目の前には神谷荒螺かみたにあららがいるものの、彼はといえば、なにやら調べものに夢中なようである。パソコンの前、マウスをカチカチやりながら、ときたまキーボードを鳴らす。


「神谷さん」暇で仕方なく、鈴里は話しかけてみた。「なにやってるんですか?」

「ん? あぁ……」


 神谷は一旦手を止めて、鈴里を見た。それから一冊の真っ黒い本を掲げて、嘘くさい笑顔を浮かべる。鈴里にしてはもう見慣れた表情だった。


「まぁ見たまえよ。黒魔術書さ。このあいだ、古本屋で買ってね」

「黒魔術書?」

「そう。これが面白くてね。悪魔だの呪文だの、禍々しいものがいっぱい書いてあるんだ。でも、ところどころドイツ語で書かれていてさ。それを読むために、いろいろやってるわけ」

「はあ、そうなんですか……」


 またオカルトチックなものを。

 と思ったが、自分たちも黒魔術に似たような異能力を持ち合わせているから、一概に怪しい書物ともいえない。もしかしたら黒魔術だって存在するかも。


「じゃ、忙しいんですね」

「そうでもないけれど、そうでもあるかな」

「うーん、暇だなぁ……」


 なんて零すと、


「暇ならあたしを手伝ってくれないか」


 と聞こえた。

 振り返ると、スタイルのいい女性がひとり。ピシッとしたスーツの似合う、眼鏡の、色っぽいひとである。


 秋手帖探偵事務所所員のひとり、天文ヶ原峰(てんもんがはらみね)である。


 天文ヶ原は大きめの段ボール箱を腕に抱えていた。なかなかに重そうだ。これを運べ、といわれたら、鈴里にはとてもじゃないが無理である。


「えっと……なにを手伝いましょう」

「簡単さ。このなかにはいままで引き受けた依頼の資料が詰めてあってね。そいつらを整理して、すっきりさせたいんだ」

「なるほど」

「付いて来な」


 いわれた通り、天文ヶ原のあとを追う。何気なく神谷を振り返ると、彼はニヤついていて、ひらひらと手を振ってきていた。そんな彼に、


「神谷、お前も手伝うんだよ!」


 と怒号が飛んだ。神谷は肩を竦めて、渋々立ち上がる。


 応接室の一個に三人は入り、天文ヶ原はテーブルの上にその段ボール箱をどしりと置いた。ひとつ、捜査資料を取り出して、パラパラ捲りながら鈴里にいう。


「うちの事務所は五年以内のものだけ保管することにしてるんだ。つまりは、まあ、今日から五年以内に扱った依頼内容以外はもう捨てる。わかるな?」

「だから、その、捨てるものと捨てないものを区別しろっていう話ですよね」

「そうだ」


 なんだ、意外と簡単そう。

 鈴里は一瞬そう思ったが、段ボール箱を覗くと、隅から隅までぎっしり詰め込まれた書類の数。一筋縄ではいきそうにない。


 なににせよ、ひとつずつ片付けていくほか手段もなかった。天文ヶ原、神谷は、もう仕事に取り掛かっている。

 さて、わたしもはじめるか。紙の山に手を伸ばして、鈴里は業務に取り掛かった。




 探偵事務所に転がり込んでくる依頼なんて、どれも似たようなもので、だいたいが素行調査や身元調査である。


 よくドラマとかである、なにがしの浮気やらギャンブルやらの証拠を見つけるものが素行調査。

 で、だれかれの素性や身元などを突き止めるのが身元調査である。


 素行調査はやはりというべきか、夫婦の片方が依頼してくることが多いようである。もしくは家族、カップルの片方など、親しい相手を調査してほしいという依頼がよくある。

 けれども資料整理の最中、ちらりと過去の依頼を見てみると、そういった枠に必ずしも当てはまらない人物も一定数ある。


 たとえば、友人が浮気やギャンブルをしていないか。それを調べさせる人物もたしかにいる。いったいその結果をどう使うのかはよくわからないが、調べた後のことは、探偵からは関係のないことでもある。調査対象があまりひどい目に遭わないよう、ささやかに祈るくらいのものであろう。


 身元調査のほうは、それこそ多種多様である。

 子息の結婚相手の過去を調査する依頼、生き別れた親や初恋の相手を捜索する依頼、部下の素行を調べ上げる依頼など、依頼人によりけりといった内容である。


 それらを調べてきたのが神谷や天文ヶ原たちであり、この書類の大半もふたりがつくったものらしい。ときたま、


「あぁ、こんなものもあったねぇ」


と神谷が懐かしそうに笑っていた。そのたびに手が止まるので、天文ヶ原が肘で小突いて、渋々神谷は仕事を再開する。どうにも、上下関係がくっきりしている。


 天文ヶ原はここ、秋手帖探偵事務所の古株である。彼女が十九歳のとき入社し、それから十三年ほど経つ。歳は神谷と同じだが、入社五年目であるらしい彼より八年も先輩なのだそうで、それに彼女の厳しい性格もあって、頭が上がらないらしい。


 しかし天文ヶ原、たしかにきつい物言いは多いが、根は面倒見のいい女性である。現に、鈴里や親友の灯伊那ひいなととに仕事を教えてくれたのはほかでもない彼女である。


 ととは苦手意識をもっているようだが、鈴里はそうでもない。むしろ好感を寄せる人物だった。




「……もう昼か」


 天文ヶ原がぽつりといった。壁かけ時計を見ると、十二時二十四分。段ボール箱のなかは三分の二ほど片付いたが、あと一時間は要りそうである。


「休憩にしようよ、天文ヶ原さん」


 神谷がうれしそうにいう。

 天文ヶ原はどこか気に食わないといった顔をしたが、そういう時間であった。


「ま、そうだな。飯でも食いに行くか」天文ヶ原は立ち上がる。「おい鈴里、行くぞ。おごってやる」

「いいんですか?」

「いいんだよ」


 彼女のあとについて、探偵事務所を出る。


 外に出たところで、


「あ、鈴里ちゃん」


 灯伊那ととがいた。


 軽そうなリュックサックを背負った制服姿の彼女は、鈴里たちを見つけるなり駆け寄ってくる。高校の制服を着ているあたり、今日は登校したはずだが、まだ放課後という時間ではない。


「まぁたエスケープか」


 呆れたようにいったのは、天文ヶ原だった。

 ととは遅刻常習犯なうえに、仮病を常に患っていて、早退を繰り返しては探偵事務所にやってくる。いちおう所員なので追い返されることもなく、いい根城になってしまっているわけである。


 というよりも、それ以前の問題として、鈴里以外にととの単位を心配する人間がここにはいないから、『勝手にしてください。ただし給料はシフトのぶんしか払いません』という感じで放置されている状態である。


「ま、いいよ」この日もととはお咎めなしだった。「飯だ、食いに行くぞ」

「わたしも付いていっていいですか?」

「好きにしろい」


 やりぃ、と灯伊那は小さくガッツポーズをした。


「……にしても、もう慣れちゃったんだね。その服」


 歩きながら、ととにそういわれた。一瞬、なんのことかわからなかったが、気付いた。全身を覆い隠すような真っ黒いローブを鈴里は着ているのだった。


 そしてそういわれると、いまだ外すことのできていない身体中の鎖が、途端に意識させられる。この重さにも慣れてしまっていた。


 歩くたびに鳴る鎖の音については、三週間に及ぶ『研究』の末、最小限の音に抑える歩き方も身に着けた。街を歩くときに向けられる奇異の目に関しては、それこそ気にしなくなっている。


「慣れって、怖いね」


 感慨深そうに鈴里はいった。なんか説得力あるなぁ、ととはスマホを触りながらいった。


 そして脈絡もなく、


「強盗殺人かぁ」

「なに?」

「強盗殺人。今朝、あったんだって」


 ととはスマホの画面を鈴里に向ける。今朝起こったらしい、強盗殺人のニュース記事。


「犯人は逃走中。どこに逃げたのかもわかってないって」

「物騒になったもんだなぁ」先行する天文ヶ原が呟いた。「名前とかは?」

忠光春貴ただみつはるき、二十五歳。けっこう若いみたいですね。顔写真も公開されて、指名手配中だと」


 見せてもらった顔写真には、どこにでもいそうな青年の顔が写っていた。どんなひとが、どんなことをするのかは、まったく想像がつかないものである。


 街中に出た。ひとごみはなかなかある。大半が昼休憩に出てきたサラリーマンやOLだった。


「あ、そうだ」


 赤信号に当たったとき、思い出したようにととがいった。


「ねぇ鈴里ちゃん、これ知ってる? アプリケーション:LOL」


 またスマホの画面を見せてもらった。ととのスマホのホーム画面、その端っこに、五芒星を模したイラストのアイコンがある。アプリ名は、LOL。


「ううん、知らない」

「友達から聞いたんだけどね、これ、呪いのアプリなんだって」

「呪い?」

「そう」面白そうにととは続ける。「デベロッパーは不明、いつ配信が開始されたのかも不明。ただ、ある日、突然にアプリランキング一位に乗ったの。たった一日だけね」

「へぇ……。え、でも、それのどこが呪いなの?」

「開かないんだったか、アプリが」


 天文ヶ原が話に入ってきた。ととは意外そうな顔をして頷く。


「知ってるんですか?」

「あぁ、知ってる。探偵は情報通なんだ」

「なるほど」ととはぎこちなく微笑んだ。「そう、アプリが開かないんです。厳密にいえば、開きはするんですけど、真っ黒い画面のまま指紋認証されて、『適合しません』ってエラーが出て強制終了」

「変なの」

「そう、変なアプリなんだよ」


 都市伝説かなにかにありそうな話である。

 ランキング一位に突如として躍り出た、正体不明のアプリケーション。たしかに不気味だ。五芒星のアイコンというのもあいまって、なにかしらの呪いとか黒魔術が絡んできそうな話ではある。なんとなく、神谷が好みそうな話だなと、鈴里は今朝、黒魔術書を読みふけっていた彼を思い出した。


「レビュー欄は大荒れだね。意味不明だとか、クソアプリだとか。ネットは逆に大盛り上がりだよ。特にオカルト方面の掲示板とかね。政府の陰謀だとか、とある教団の儀式に使われているものだとか……」

「面白そうな話だね」

「見るだけ面白いよ。でもね、でもね、これの面白い話はそれじゃ終わらないんだよ」


 ととがとても楽しそうにニヤニヤしている。本当に不思議な話だとか、最高に面白い噂話を持ってきたときに出す、お決まりの表情である。


「さっきわたし、指紋認証で弾かれるっていったでしょ? その指紋認証ね、わたしの指紋で通ったの」

「……通った?」

「適合したんだよ。アプリケーション:LOLの指紋認証にね」



Next→「02 アプリケーション:LOL」

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