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I'll be the death rain.  作者: 維酉
Chap.1 潜る
8/10

07 重力、破壊、自由の旗手

   ◇ 10110 ◇


 いや、いや、いや、いや、あの、ね、ほら、待ってよ、こらこら、あの、ね、まだ、まだだいじょうぶ、じゃないけど、あの、ね、その、無理、いや、いや、無理、だよ、その、ね、待って、いや、だね、ほら、だに、にに、くら、くらい、よよ、ね、はなし、きいてよ、きき、け、ね。


 だいじょうぶ、まだいける。耳を澄まして。


 ――ノイズ、消えたかい?


 まだだめか。だいじょうぶ、いくらでも待てるよ。


 …………。


 ………………。


 落ち着いた? ならよかった。じゃあもう戻ろう。だいじょうぶ。なにも恐れることはないよ。ぜんぶ終わっているから。





   ◇ 19 ◇


 古屋は死を覚悟していた。

 相性から見て圧倒的に不利、いや、そもそも、郡の能力に対して有利を取れる者などはたしているのだろうか。重力操作――それはただ重力を増幅させるだけでなく、減少させることも可能だったのである。無論、古屋はこのことを予期してはいた。しかしあのとき、とどめを刺せると確信してしまった瞬間、油断が生まれた。それを郡は見逃さなかった。


「きみの拳は本当に痛いよなぁ……」


 郡がゆらりと立ち上がった。古屋はいまだ宙に浮いたままであり、さらにいえば、身動きもまるで取れなかった。宇宙飛行士は簡単そうに無重力空間を動き回るが、あれは実際に訓練を積んでいたり、また掴めるものがまわりにあったりするからである。もちろん、古屋はそんな訓練をしたことはないし、無理に動こうとしたら、なにかに掴まって動きを止めるなどの制御がしきれず、まったくうまくやれない。


「たとえば、だぜ。たとえばの話なんだ」面白そうな郡の声が聞こえる。「お前がもしその無重力に苦戦しているとするなら、重力を増やしてやってもいい。こんなふうにな」


 急に腹に重い石が落ちてきた、そんな感覚があって、古屋は地面に急降下した。重力は増幅する。背中に鈍く重い衝撃がきて、古屋は血を吐いた。


 シャリリ――と刃物の音がする。視界が滲んでいく。足音が近づいてくるような、遠ざかるような、気持ちの悪い感じがあった。そして、包丁を持った郡が、見下ろしてくるのが、見えた。


「僕はね、男を殺す趣味はないんだ。だからこれは趣味じゃない。復讐だ。僕の神聖な時間をぶち壊した、きみへの当然の報いだ」


 混濁する意識のなかに、郡の気味の悪い笑顔があった。唇の両端を引き攣りそうなほど吊り上げ、目を糸のように細め、そして喉を擦るような声を出している。――これで終わっていいのか? こんなやつに負けていいのか? 身体が動かない。もう気力がない。でも、こんなやつに殺されるくらいなら、拳を振り上げ、唾を吐き、ぶん殴って笑ってやりたい。


 やつが包丁を振り上げる。狙いは――古屋の胸。ぴたり、包丁の動きが止まった。狙いが定まったのである。そして郡は真っ直ぐ、その包丁を振り下ろした。


 その一撃を。


「――うおおおおおおお!!!!」


 古屋は叫ぶ。全力で全身の筋肉を稼働させる。大きな重力に抗い、身体を動かし、横に回転して凶刃を避ければ、手をグッと地面に突き、立ち上がり、拳を構えた。


「さあ……もう一回だ…………」全身が押し潰されてしまいそうだった。「こいよ、クソ野郎……!」


 郡は古屋を睨みつける。明らかに先ほどまでの目とは違う。驚嘆のなかに、怒りが見え隠れしているのである。


「殺す……絶対に殺す……」


 想像していたより何倍も大きな殺意を、古屋は鼻で笑ってみせた。「やってみろよ、クズ」


 月光、刃を舐める。

 自らに向かって突進してくる刃物を、古屋は右拳で殴った。瞬間、包丁の刀身は粉々に“破壊”される。


 さらに驚く暇も与えず、古屋は左拳を郡に飛ばす。やつの右頬を打った。すると若干重力が弱まり、いまが好機と腹に蹴りを入れ、押し倒す。そのまま馬乗りになり、顔面を打ち付ける。一発、二発、三発、四発――それこそ顔が変形するくらいに殴り倒してやった。


 気付いた頃には、重力はまったく元通りになっていた。郡を見ると、息をしているのかどうかもわからないほど顔が膨れ上がっていて、顔が歪んでいた。古屋はゆっくりと立ち上がり、顔面に唾を吐いた。


 ズボンのポケットの携帯を取り出す。奇跡的に無事だった。神谷からいくつか着信があったようだが、まったく気付かなかった。電話を掛けようと、スクリーンを操作する。

 だが、終わっていなかった。


 急に重力がまた、古屋の肩にずっしりとのしかかる。いままで体験した中でも、トップクラスの重力だった。まだそれほどの力を残していたことに、古屋は驚きを隠せなかった。


 背中を強く蹴られる。またも地面に這う。古屋は精一杯に首を曲げ、いつの間にか近づいていた郡をねめつけた。なんと包丁をまた手にしている。先ほどのものとはどうやら別物らしい。


「これは……鈴里ちゃんにだけ使うつもりだったんだ……」


 やつの目にはなにも籠っていなかった。ただ、虚ろであった。ゆらり、ゆらり――おぼつかない足取りで郡は近づいてくる。包丁を古屋に、しっかりと両手で握って、突き刺しにかかる。


「やめろ!」

「やめてたまるかよおおおおおお!!」


 半狂乱で郡がいう。目の焦点はあっていない。もはや狂人のそれである。包丁が向かってくる。思わず古屋は目を瞑る。



 そして、突き刺さる音があった。



「……は…………」



 血が流れている。どくどくと、止まることなく――郡の背中から。



「どう……して…………?」



 カラン。郡の手から包丁が滑り落ちる。理解できなかった。文字通り目を剥き、郡はどうにか振り返る。そこには、血の付いた包丁を握った、灯伊那ととの姿があった。


「あ……」微かに彼女は首を横に振った。「ちがう、わたしは……!」


 灯伊那も包丁を落とす。そして二、三歩あとずさった。そんな彼女に、郡は腕を伸ばす。しかしその手は中空を掴み、郡孤尾流は、無様に倒れた。


「ちがう……ちがうの、殺すつもりじゃ……」


 灯伊那は震える声でそういいながら、逃げようとした。振り返った瞬間、だれかにぶつかる。背の高い男がいた。見上げれば、探偵事務所で会った男、神谷荒螺であった。


「だいじょうぶ、きみはなにも悪くない」


 やさしい声色でそういって、神谷は灯伊那の頭を撫でた。すると灯伊那は簡単に意識を手放して、神谷の胸にその小さな身体を預けた。


「遅れてすまない、古屋くん」神谷はにっこりとした。「鈴無さんは?」





   ◇ 20 ◇


 目が覚めると、鈴無鈴里は自室にいた。身体を起こして周りを見ると、まず古屋がいた。デスクチェアに腕を組んで座っていて、顔や腕にはいくつもの絆創膏が張り付いている。それから、次に神谷を見つけた。彼は古屋の隣に立ち、壁に背中を預けている。


 どうやら自分はベッドの上に寝ているらしかった。そしてふと、気になって窓を見てみれば、割れていない。元通りである。


「目が覚めたかい?」神谷にそう話しかけられた。鈴里は肯く。「そうか、ならよかった……あとは灯伊那さんだけだね」


 いわれて、見つけた。灯伊那がソファに横たわっている。


「ととちゃん、どうしたんですか!?」


 毛布を取っ払ってベッドをおりる。頭がふらつく。ソファにたどり着く前に膝を折ってしまった。


「まだ無理すんなよ」古屋が慌てて近づく。「灯伊那はなんの問題もねぇから、休んどけ」

「う、うん……」


 促されるままに、ベッドのへりに座る。時刻は午後十時を回っていた。眠気はないが、不安とも緊張ともいえない、よくわからない居心地の悪さがあった。


「あ、あの」

「どうしたんだい?」神谷が鈴里を見る。

「えっと……通り魔、は……」

「郡か」


 どう説明したものかな、と神谷は額に手をやった。


「いまは警察の御用になっているんだが……」

「……捕まえたってことですか?」

「あぁ、そうだ。まぁどちらかといえば、自首だけどね」

「自首っ?」


 信じられなかった。窓にべったりと張り付いた狂人を鈴里は思い出してみて、それが自首をしたと聞いて、それが事実なのか疑わしかった。


「説明すると本当に難しいんだよ。そしてことの最中で、きみの家の包丁が犠牲になった」

「へ? 包丁……ですか?」

「そう。諸事情あってね、粉々にしなきゃいけなくなったんだ。許してくれ。明日、新品を渡すから」


 うまく理解が追いつかない。どんな事情があったら他人の家の包丁を粉々にしなければいけなくなるのだろう。


「説明って」

「今日は出来ないんだ、残念ながら。もう夜も遅いからね」神谷は腕時計を見た。「すまないけど、鈴無さん。僕らは事務所に戻らないといけないんだ。灯伊那さんをお願いできるかな?」

「……はい。今日はうちに泊めます」

「ありがとう。それから、ことの顛末をもし、きみが知りたいと思うなら、明日の午後二時に僕らの事務所まで来てくれないかな? そこですべて話すから。あぁ、なるべく来てほしい。僕らもきみに話したいことがあるんだ」

「わかりました。……あの、そのときととちゃんは」

「一緒に来てくれて構わないよ」


 そういい終えると、神谷と古屋は部屋を出て行った。





   ◇ 21 ◇


 六月七日、午後二時。秋手帖探偵事務所の応接室のひとつで、鈴里と灯伊那はまた、昨日と同じように神谷と古屋に向き合っていた。昨日と違うのは、灯伊那の気が立っていないところだろう。


「わざわざ足を運んでくれて、本当にありがとう」と神谷がいった。その顔に嘘っぽい笑みはなく、真剣そのものであった。「さて、やっぱり気になっているだろうから、本題に入ってしまおうか」


 そういって神谷は携帯を取り出して、ネットニュースの記事を出す。一連の通り魔事件の犯人――郡孤尾流が自首したという記事だった。顔写真も載せられており、鈴里はそれで、郡の顔を初めてよく見た。


「もう報道されているとおり、郡は自首した。これに関しては、うちに得意なやつがいてね、改心――といっていいのかわからないが、ともかく、自首するように仕向けたんだ」

「得意って、それは」


 鈴里の言葉に、神谷は肯いた。


「そう。異能だね」彼はやさしい笑みを浮かべる。「これについても、きみたちはかなり関心があるだろうね。だいじょうぶ、順を追って説明するから」


 携帯をしまって、またいつものように神谷はにっこりする。


「まず、異能とはなんなのか。――これは正直、僕らにはよくわかっていない。わかっているのは、この能力を持つ人間が複数いて――それもかなり大量にね――、どんな異能つかいも信じられないような超能力を発揮できるってことだけだ」

「じゃ、鈴里ちゃんが……その、よくわからないんですけど、異能ですか? それを使える理由も」

「不明ってことだね。まぁ鈴無さんに限ったことじゃない。古屋くんも、僕も、というか、ここの探偵事務所のメンバーはみんな異能つかいだけれど、力が扱える理由はだれにもわかっていない」


 急に、応接室の扉をノックする音が聞こえた。入ってきたのは事務員の浅原栗花落。彼女は手にお盆を持っていて、「お茶です~」とほんわかした声でいった。


「あ、そう。みんなではなかったね」と神谷がお茶を受け取りいう。「浅原さんは一般人だ。ふつうのエリート事務員だよ」

「はい、そうですね」浅原はよくわかってなさそうだったが肯定した。「エリートです」


 それだけいって、浅原は応接室を出て行った。お茶を一口飲んで、神谷は話を続ける。


「で、この探偵事務所は異能つかいの集まりなんだが、その目的はっていうとね。たとえば郡みたいな、この力を悪用するやつらを成敗しようってことなんだ」

「正義のヒーローみたいな?」灯伊那は首を傾げた。

「そんなかっこいいものじゃないよ」神谷はやんわりとした口調で否定した。「ただ、まぁ、やろうとしていることはその通りなのかもしれないね」

「あの、えっと、ずっと気になってたんですけど」と今度は鈴里。「通り魔の犯人が郡さんだってわかったのも、その、所員さんの……?」

「その通りだよ。とはいえ、こいつが犯人だ、とズバリ当てるような力じゃない。そんな便利な力があればいいのだけどね」


 なるほど、鈴里のなかの疑問はこれでだいたい氷解した。自分がなぜ、超能力を使えるのか、それは依然としてわからないままであるが。


 となると今度は、灯伊那が気になっていたことを訊くべきだろう。


「あの、神谷さん。灯伊那ちゃんのことなんですけど」

「あ、そうそう。どうしてわたしは寝込んでたんですか? 襲われてませんよね」

「そのことか。いや、きみは襲われていた(・・・・・・・・・)よ。覚えてないかい?」

「はい。えっと、その……記憶がおぼろげで」

「そうか。無理もないよ、恐怖は忘れてしまいたいだろうからね。……質問は以上かな?」


 鈴里も灯伊那もなにもいわなかった。それを肯定だとして、神谷はこういった。


「オーケー。そして僕らからの説明も、実をいうとこれ以上いうことはないんだ。ただひとつだけ、提案があってね」神谷は鈴里を見る。「ね、鈴無さん。うちで働いてみる気はないかい?」

「えっ?」

「いやね、ここはさっきもいったように、対異能つかい専門の事務所でもあるんだ。もちろん、ふつうの依頼も舞い込んでくるが、その裏で、毎日なにかしらの異能つかいへの対策を立ててもいる。そうしているとね、僕らとしては、味方が多い方が心強いんだ」

「力を使え、ってことですか?」


 神谷は肯いた。古屋のほうに目線を逸らすと、彼も鈴里を見ている。


 たしかに、ここで働く、というのはいいのかもしれない。そう鈴里は思っていた。この力の使いどころはこの探偵事務所なのかもしれないし、自分が異能つかいになった理由だって、もしかすると追えるかもしれない。


 それになによりも、弱い自分が情けなかった。昨日の夜、逃げてばかりいた自分を、鈴里は心のどこかで責めていたのである。古屋にべったりの絆創膏を見て思ったのは、自分のせいだ、ということでもあった。自分の身くらい、自分で守れるほどには、強くなりたかった。


「……わかりました。ここで働きます」

「本当かい?」神谷は本当に驚いているようすだった。「ありがとう、鈴無さん!」


 手を差し出される。握手を求められたのだろう。鈴里はその手を握ろうとした。


「ちょっと待った」水を差したのは灯伊那だった。

「と、ととちゃん……」


 灯伊那は腕を組んで、それから目を瞑って、数秒考え込むしぐさをした。そして、目を開くと、こういった。


「わたしもここで働かせてください」

「え、えぇっ?」

「だって鈴里ちゃん、危なっかしいもの。気が気じゃないんです」


 それを聞いて、神谷は苦笑しながら古屋を見た。「まぁいいんじゃないですか」と古屋はいう。


「あぁ、僕もそう思う」神谷はふたりに向き直って、いった。「鈴無さん、灯伊那さん。歓迎するよ、秋手帖探偵事務所へようこそ」



Next→「01 秋手帖探偵事務所」

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