04 来訪と突撃!Ⅱ
◇ 10 ◇
家から三十分程度の道のりだった。電車を降りて駅を出、それらしい建物を見つけた頃には、時刻は四時近くになっていた。
探偵事務所はとあるビルの中にあるようで、サンコーBLDGと書かれた看板の下に、『3F・秋手帖探偵事務所』とあった。三階を見上げると、そこの窓に『秋手帖探偵事務所』という文字と電話番号が見受けられた。ここで間違いなさそうである。
ビルの中に入って、受付を素通りしてエレベーターに乗り込む。灯伊那が三階のボタンを押した。エレベーターは静かに上がっていって、三階にはすぐついた。
鈴里たちが出るなり、エレベーターは下に降りて行った。
右を見るとガラス張りの扉があって、洒落た字体で『秋手帖探偵事務所』とまた書いてある。その下には、『どんなご依頼もお受けします』。
鈴里は灯伊那に手を引かれ、探偵事務所の扉を開けた。
そこは鈴里たちの想像とは違って、綺麗な場所だった。よくドラマとかで見る、雑多で暗い事務所ではなく、壁は真っ白でとても明るい。入って左手には、所員たちの仕事場だろう、デスクが並べられていて、どの机の上も散らかっているようすがない。右手には応接室が三つ並んでいた。
「なんだか、ちゃんとしたとこって感じ」
なぜか不満そうに灯伊那がいった。鈴里に不満はなかったけれど、灯伊那がいったことには同意だった。あまり怪しいところには見えない。
「んーでもね、鈴里ちゃん。怪しいところは怪しくないように見せるし、まだ信用はできないよ」
「えっと、でも、怪しくないところは、怪しいようには見せないんじゃないかな……?」
「……」灯伊那は苦笑した。「うん、そだね」
じゃ、話を聞いてみましょうか。そういって、灯伊那はだれかいないものかと、左方向に進んでいった。
「すみませーん、どなたかー」
「はーい」
返事があった。若い女性の声に聞こえた。
奥から現れたのは、ボブショートの明るそうな女性だった。歳は二十代前半といったところだろう。クロを基調にしたオフィスユニフォームを着ていて、背は低めだった。
「なんの御用でしょうっ?」と、はきはきした声で女性がいった。「調査のご依頼ですか」
「あぁいや、違くて。この子のことなんですけど」
「はい?」
女性は鈴里を見た。物珍しそうな目だった。それはまぁ、黒ローブを身に着けていたからだろう。こういう視線、今日で二回目だなぁ、と鈴里は心の中で苦笑いした。
「えっとですね、今日の昼くらいに……」
「あ、ちょっと待ってくださいね!」女性は灯伊那のどうしてか言葉を遮った。「いま思い出そうとしてるんですよ。見覚えのあるお方なんですよね、うーんと、あーっと……」
「……」
「……」
うんうん唸りながら、女性は鈴里の名前を記憶の中から引っ張りだそうとしているみたいだった。数十秒待つ。女性は一向に名前が出てこないようで、顎に手をやったまま口を開いた。
「ヒントくれません?」
「ヒントっ?」灯伊那がすっとんきょうな声を上げた。
「そうです! 姓と名のイニシャルをください!」
なぜ名前当てゲームを自分たちはしているのだろう。そう思いつつも、灯伊那は鈴里に目配せした。教えてあげなよ、というふうな感じだった。
「S・Sです……」
「S・Sですかっ!?」驚かれた。「D・Bじゃなくて!?」
「それどんな名前ですか!?」
「ダイダラボッチかなぁ……」
灯伊那は面倒くさそうに首を振った。鈴里が図体のでかい大妖怪に見えるのだろうか。山のてっぺんを掴んで、太陽みたく頭を出す巨大な鈴里を想像してみる。不似合いすぎた。
「うーん、S……さ、佐藤……斎藤……斎藤!」
「ぜんぜん違いますけど!」灯伊那が噛みつくようにいった。
「えぇ、斎藤シゲアキじゃないんですか!?」
「誰ですかそれ!?」
「違うんですか!?」
「違うに決まってるじゃないですか! 男の名前ですよそれ。鈴無鈴里です、す・ず・な・し・す・ず・り!」
「あぁ、思い出しました!」女性はパンと両手を合わせた。「そういえば、神谷さんとか古屋くんとか、あと天文ヶ原さんとか、そんな名前をぽろぽろ零してたような気がしなくもなくもないです!」
「は、はぁ……」
「そういえば、久地菜所長に柊さん、驚木谷さんも噂してましたね……。あれ、もしかして有名人ですか? サインとかいただけます?」
「いただけないです」
きっぱりと灯伊那がいった。女性はちょっとだけ残念そうな顔をして、「やっぱり無理ですよね‥‥」としょげた声を出した。鈴里は有名人じゃないのに。
もう茶番はお腹いっぱいだから、灯伊那は片目を閉じて、女性にすこしキツめな口調でいった。
「あの、名前はわかりましたよね。話を聞いていただけます?」いや、違うか。「話を聞かせていただけます?」
女性は営業用のスマイルをつくった。「申し訳ありませんでした。なんの御用件でしたでしょうか?」
◇ 11 ◇
「先手は打てましたね」と古屋伊緒はいった。両手に一個ずつ持っていたブラックの缶コーヒーの、片方を神谷に投げ渡す。
「六人目も無事なままでしょう。鈴無からの証言も取ったし、あとは郡を潰すだけだ」
「うん、そうだね。向こうが信じていれば、の話だけどね」
向こう、とは先ほど神谷たちが会いに行った、予想される六人目の被害者のことであった。美人とはいえないが、愛嬌のあるかわいらしい女性だった。
事前にアポイントメントは取っていたものの、その女性はあまり神谷たちを信用してはいないようすだった。それも当然で、いま話題の通り魔事件が本当は『計画的犯行』であり、しかも次狙われるのはあなたですよ、といわれたって、ふつうなら信じない。こういった不可思議な忠告は、実際に災難が降りかかったときやっと思い出し、後悔するものなのである。
とはいえ、忠告に耳を貸さないことを責めることは断じてできない。くどいようでもあるが、信用できない人間の不確かな情報は、聞かないことが一番なことである。それを神谷はよく理解していた。
ふたりはコインパーキングに向かって歩いた。
二時間くらい停めていた駐車料金は、千二百円だった。支払いをさっさと済ませて、ふたりは車に乗り込む。運転は当然、神谷の役目だった。
「君さ」エンジンを掛けながら、神谷が笑う。「いつ車の免許取ってくれるの?」
「まぁ少なくとも、あと六三〇七万二〇〇〇秒はかかりますね」
「案外すぐだね」
「二年もありますよ」
「はは、二年なんてすぐさ」車が走り出す。「僕ぐらいの歳になったらね」
車が走っていく先は、探偵事務所だった。カーナビのディジタル時計を見ると、もう四時である。事務所に着くころには四時半くらいになっているだろうか。
古屋はスマホを出して、秋手帖探偵事務所に電話を掛けた。数コール待って、事務員の浅原栗花落のはきはきした声が聞こえる。
『あの、いつ帰ってこられますか?』――戻る時間を伝えようとしたら、先に訊かれた。
「四時半くらいには戻れると思いますけど、どうしてですか?」
『お客さんがいらっしゃっていまして』
「俺たちに?」
『はい。古屋くんと、神谷さんに』
古屋は運転中の神谷を横目で見た。この会話は聞こえているだろうか。そう思っていると、「だれだろうね」と神谷がいった。
「名前、わかりますか?」
『はい。灯伊那ととさんと、鈴無鈴里さんです』
「鈴無鈴里、ですか?」
灯伊那ととのほうはだれだか知らないが、鈴無鈴里といわれれば、それはたしかに古屋たちの客である。車のスピードがすこし上がった。
「神谷さん、ちょっと早めに走れば……」
「四時二十分だね」
「浅原さん、俺たち四時二十分には戻りますから、伝えといてくれませんか」
『わかりました。四時二十分ですね。伝えます』
「よろしくお願いします、それじゃ……」
通話を終えると、すぐに神谷がいった。
「なんの用事だろうね?」
「さぁ……?」古屋はスマホをしまって、苦笑した。「想像はできますけどね」
青信号を抜ける。次の信号は黄色だったが突っ切った。
◇ 12 ◇
そのふたりは四時二十分ぴったりに現れた。茶色いソファに座っていた鈴里と灯伊那は、熱いコーヒーをカップの三分の一くらい飲み終えていた。
「あぁ鈴無さん、数時間ぶりだね。それと……灯伊那さん、だったかな?」神谷は対面のソファに座るなり、笑顔を浮かべてそういった。「はじめまして。僕は神谷荒螺というものです」
「古屋伊緒だ」
青年のほうの名前は、鈴里もはじめて聞いた。家に上げたときは彼は一言もしゃべらないで、ただ一回、神谷から「古屋くん」と呼ばれたことしか記憶にない。
そう思い出しながら鈴里は古屋を見ていた。やはり同年代に見える。高校生なのだろうか。もしそうならバイトだろう。でも、だからといっても、今日は平日だし、ふつうなら学校はあると思う。
鈴里たちも学校に行ってはいないのだが、あくまで一般的な話であった。
「それで」と神谷が切り出した。「なんのお話だろう」
「今日、鈴里ちゃんから聞いたんですけど、通り魔の話を聞きにきたんでしたよね」
「うん。突然で申し訳なかったし、思い出させてしまったのは……」
「それはいいんですけど」いいんだ、と鈴里は思った。「単刀直入に聞きます。どうして鈴里ちゃんが襲われたって、わかったんですか?」
神谷は細い目を、すこし見開いた。それから古屋を横目で見て、またあたたかすぎる笑みを浮かべた。そんな男に、灯伊那は続ける。
「鈴里ちゃんは、昨日の晩にあったことをだれにも話してないっていうんです。わたしだって知りませんでした。でも、どうしてあなたたちは、襲われたことを知ってたんですか?」
「ふむ」神谷は悩むそぶりを見せた。「それをなぜ、君は訊きたいのかな?」
「信用できないからです。あなたたちが」
「なるほど」
得心した、とでもいうように満面の笑みを湛え、神谷はいった。この人の表情のレパートリーは、その笑顔しかないのだろうか、と鈴里はそのようすを見て思った。
「たしかに、信用というものはだいじだね。手にしておくことに損がないどころか、むしろ益ばかりだ。それを考えてみれば、灯伊那さん、君に信用してもらうことは大切なことだろう。そして鈴里さんにも、ね」
灯伊那は警戒を緩めない。この男とのすこしの会話で、なにか冷たいものを感じ取ったらしかった。
神谷のとなりで古屋が溜息を吐くのが、鈴里にはちらりと見えた。
「ではお話ししましょう。といっても、灯伊那さん……君にはすこし信じがたい話かもしれない。それにけっこうショッキングだ。心の準備はしておいていただきたいな、ふたりとも。そしてなにより……」
「前置きは結構――」
「しーっ!」神谷は唇の前で人差し指を立てた。「僕がしゃべってるだろ。必要だから話してるんだ」
いきなり発せられた不穏な空気に、思わず灯伊那はたじろいだようだった。唾を飲み下す音が、となりで座る鈴里には聞こえていた。
神谷には――なにかある。笑顔であるままなのに、どこか威圧的な感を醸し出すその男を見て、鈴里はそう思わずにはいられなかった。
「そしてなにより」何事もなかったかのように、神谷は仕切り直した。「これは話さなくても大丈夫だと僕らが判断したから、鈴里さんに伝えなかったことだ。余計に混乱させたくはなかったからね。でも、君たちが知りたいというのなら、僕は答えようと思う」
いい終えてから、神谷は古屋を見た。彼はわかりましたよ、とでもいいたげに首を横に振って、立ち上がった。そして応接室を出ていく。
古屋が戻ってきたとき、彼の手には何枚もの写真があった。それを神谷に渡して、元の位置に座る。
「まず、ひとつ見せておきたい」そういって、神谷は一枚をテーブルの上に出した。「これは通り魔の犯人――郡孤尾流の部屋を写した一枚だ」
「へ?」なにそれ、と灯伊那は目を丸くした。「いやいや、待ってくださいよ。犯人って、ニュースじゃ見当も付いてないって……」
「それは警察の話だよ」神谷は涼しい顔でそういった。「いいから、見てくれないかな」
灯伊那たちは従わざるを得なかった。神谷がまた、鋭い針のような空気を発したからだった。
だれかの写真を壁一面に張り付けた部屋が、それには写っていた。部屋は暗いが、パソコンの光だろうか、青白いライトで照らされているようである。
「そして次に、これを見てほしい」
今度は六枚の写真を出された。一枚にひとりずつ、女性の姿が見受けられる。どうやら先ほどの写真を拡大したもののようである。そしてその写真の中に、鈴里が撮られたものもあった。
「これって……」
「そう。鈴無鈴里さんだ」それから神谷は、鈴里とある女性を除く四枚の写真を指差した。「そしてこの方々は、残念ながら亡くなられた――つまるところ、被害者だ」
「どういう、ことですか……」鈴里が怯えたような目で神谷を見た。「これは、なんで……」
「この事件は標的が定められている……だからね、通り魔事件じゃないってことなんだ」
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