Detective
男の指示は、単純明快だった。
ただ『走れ』と、男が来た方向へ向かって走れと、それだけであった。周りにいたはずの不気味な人影は、いつの間にか消えていて、アリサをその場に繋ぎ止める要素は無くなった。
アリサはその男が何者なのかは知らない。しかし、今この状況でこの場に乱入してきたこの男は、少なくとも『オルト』に精通している。
アリサは男が何をするのか気になったが、生憎そんな余裕は彼女は持ち合わせていなかった。
男がやってきた場所は、不思議な事に文字通りに何かが引き裂けたかのような形に、光が差し込んでいた。光に目が眩み、目を半分閉じた状態でもアリサは走り続け、光の中に身を投げた。
「きゃっ」
飛び出した途端、地面のタイルに躓いて、盛大に転ぶ。幸い顔や頭をぶつける事はなかったが、地面を転がって服は擦り切れ、腕と膝も擦りむいた。
「痛……」
呻いていると、後から地面を靴が叩く音がして、男の姿を視認した。
「なんだあんた、まだこんなところにいたのかい」
特に焦った様子もない、落ち着いた声。
こう言ってはなんだが、これといった特徴もない冴えないオジサンである。中肉中背で髪は短く刈り上げている。ただ、その顔でギョロギョロと動く目はどこか虚ろで、焦点があっていないように見えた。
「あ、すみません。
転んでしまって」
「いや、構わねぇよ。むしろ探す手間が省けて万々歳さね」
男はそう言って、アリサに手を差し伸べてきた。
その手をとって立ち上がると、男は付け加えるように言った。
「もっとも、俺にとっちゃ、あんたを探すのも大した手間でもないんだがね」
「……知覚系の能力者ですか?」
アリサは直感的にそう思って、ストレートに訊ねた。この手の手合いは変に婉曲して訊いたところで、答えてはくれないということを、アリサは何となく分かり始めていた。
「おぉ、如何にも。あぁ、そういや、自己紹介をしてねぇな。
まぁ、まずはここ離れようや。
流石に今すぐ追っては来ねぇとは思うが、他人の思考なんて完全にゃ分からん」
男は宙に黒く裂けたような隙間があるのを顎でしゃくって指した。
アリサは逃げていた事を忘れていたわけでないが、彼が来たことで半分安心していた。
そう言えば、彼は戦闘向けの能力者ではないようなことを言っていた気がするが、どうやってアリサを逃がして、その上ここまで来たのだろうか。
「訊きたいことがあるのは解かるが、まずは動いてくれや」
そう言って、彼は別に慌てる様子もなく、走るでもなく、ただ歩いていってしまった。
アリサもそれに従って歩いて行く。去り際に背後の黒い裂け目を一瞥するが、そこは依然として無反応なままだった。
「ここまでくりゃ、いいかねぇ」
男はアリサの居た、スラム街の奥地を抜け、自分の車を止めた場所にまで歩いたところで呟いた。
「さて、そこにあんたの車があるだろ?その中ででも話そうや」
アリサは条件反射的に、この目の前の男に警戒心を抱いたが、男はそれを見透かしたかのようにニンマリと笑った。
「こんな形だが、別に変な事はしねぇよ、話すだけだ。
今どきの車ってのは便利なもんで防音にも優れているからな」
アリサは急に恥ずかしくなって、無言のまま車へと向かった。
この人は多分、自分を子供として見ているのだろう。実際、見た目の上でも、この人の歳は自分の父親と同じくらいに見える。一瞬でも警戒した自分がどれほど自意識過剰なのか気付かされた気分だ。
車に入ると、男は懐から一枚の名刺を取り出した。
『ヤラムラ探偵事務所』
浮気調査、過払い金調査、素行調査まで、何でもお引き受けします。お題は内容によって変わります。詳しい事が知りたい場合はこちらまでご連絡を→XXXX。
ソミエ・ヤラムラが貴方の問題を安心安全に解決いたします。
との事だ。
「……ヤラムラ……さん?」
「如何にも」
「ソミエさんの方が?」
「どっちでも」
「では、ソミエさんで。
ソミエさんは探偵なんですか?」
「おう」
「本当は?」
「探偵さね」
「では、どうやって私を助けに来たのですか?」
「歩いてきたよ、家がすぐそこなんでね」
そう言って、ソミエは外を指さした。街灯がほとんどない為、ほとんど見えないが、建物らしきものがあるのは分かった。
とは言え、訊きたいのはそういう事ではない。
「そういう事ではありませんよ」
「くく、分かってるよ。
俺は探偵だ。本当も嘘もねぇ。ただ、俺はルドさん達と交流がある。
あんたをどうやって助けたか、だが……」
ソミエは言葉を切って、大きく間を開けた。
「無理矢理、こじ開けたのさ。幸い、と言っていいかは知らんが、俺は"感知"に特化した能力持ちでね。場所を見つけること自体は大した苦労じゃない」
「無理矢理こじ開けたって……どうやって?」
「あんたはもう気がついてるかもしれんが、"オルト"ってのは法則の"歪み"の事だ。
元から法則が歪んでる所を自分の"オルト"で歪め直すことだってできる。
これは固有能力の問題じゃなくて、容量、或いは出力の問題だな。身体に歪みを拡げていくイメージで体の一部を"歪ませて"な、それでこじ開ける訳よ。
"オルト"で自分の身体能力を歪ませる方法は知ってるだろ?それと同じでね。それを外に押し出すイメージよ」
アリサにとってその話は目からウロコだった。もしそんな事が出来るなら、アリサにもすぐにあの空間を出られたのではないだろうか。
そんなアリサの考えを見透かしたかのように、ソミエは苦笑して言った。
「つっても、これは相手がアイツだからできたようなもんでね、普通はこの歪みっつーのは、体外には発現しねぇ。原理は知らねぇけどな、これは個人的な力な訳だ。本来は塗り替える必要性なんてねぇ。
その性質上、このやり方は非常に効率が悪くてな、歪みそのものを体外に押し出す訳だから、大量に""エネルギーを消費しちまう。オマケに歪ませ返したところで、全部が一気に消えるわけじゃねぇ。もうアンタは気がついてるだろうが、それがでかい空間だとしたら、そうしたところで、そこに歪ませた分だけの穴を開けるだけだ」
「それでも、少なくとも、自力で逃げることはできたはずです」
アリサは反射的にそう応えていた。
自分でも意外な程、悔しかった。
「穴開けたあと、動けなくなってでもかね?
歪ませる力は無限じゃねぇんだ。仮にあんたがあの空間に穴を開けることが出来たとて、這い出るのも無理だろうさ。
見た目に騙されてるかもしれねぇが、俺達をアンタらと一緒と見ちゃ行けねぇよ。自惚れちゃいかんよ」
ソミエはそのニヤケ顔をふっと真顔に戻して、声音も脅すように低く、そう言った。
「……すみません。
――――そう言えば、あのエルハとか言う異能力者がルド先生は500年以上を生きた化け物だと言っていましたが、アナタもその"500年以上を生きた化け物"なんですか?」
「――――馬鹿言っちゃいけねぇよ。俺達があの人と同じなわきゃねぇだろ。俺なんて、木っ端みてえなもんだ」
意外な事に、ソミエはそれを否定しなかった。彼はただ自分とルドが同じではないと、否定しただけだ。
そしてそれは、ルドが人間である事の否定でもあった。
「そう……ですか」
別に怖い訳では無い、これから彼らに対する態度が変わる訳でもないと思う。ただ、ひたすらにモヤモヤとするものが胸中に残る。
「彼は……ルド先生は望んでそうなったんですか?」
「――――さぁねぇ」
ソミエの表情はどこか諦めたかのように、呆れたかのように薄ら笑いを浮かべているようでもあった。
「さて、そろそろいいか、あいつも追っては来ねぇことを決めたみたいだし、これで依頼は完遂かねぇ」
ソミエは遠いものを見るような目で、スラム街の方を見つめてから、そう呟いた。
「依頼……?
そう言えば、アナタは戦闘特化の能力者ではないと仰ってましたけど、どうやってアレを止めたんですか?」
「なに、取引を仕掛けただけさね。アイツが好きそうな条件を出して……な。
メメヤさんの粋なご提案さ」
~Detective end~




