Ghost
そこにはすぐに到着した。そこは、所謂スラム街のような場所だった。過去に住民が一気に移住させられ、そのまま打ち捨てられた"廃墟"。しかし、この多くの家々には未だ、誰かの生活の跡が見られる。時々感じる視線と小石を蹴る物音は、それらの持ち主だろうか。車はスラム街手前の駐車場に停め、アリサは自分の足でその中に突入した。
アリサは自分の目が目的の場所を教えてくれるのをいい事に、自身の危険も顧みなかった。そのまま廃墟群の奥へ奥へと突き進んでいく。
一際大きく光って見える、その存在の元へと。
足を踏み出すたびに、アリサはそれは近づく。それは動いてはいないようだ。目に"見える"ようになるのは、時間の問題だろう。
進みながらもアリサはふと、ある事を思い出した。
それは、光は生き物を引き寄せるという、一般常識とも言える、何でもないような広く知れ渡った知識だった。アリサが最初に知ったのは、小学生の頃だったように思う。あの時、アリサはこの辺りの深海に住む生物についての図鑑か何かを見ていたのだ。
ある生き物は自分の体の一部を態と光らせて、それを目当てにやって来る他の魚を食べる。もしかしたらそれは偶然で、意図していたことではないのかもしれない。だが、結果としてはそれは"上手く"いっている。
私も、引き寄せられているのかもしれない。それは意図していたことではないのかもしれない。
しかし、だからこそアリサはそう思う。ここから先には進むべきではないと。だが、だからと言って今更ここで立ち止まる事はアリサには出来なかった。"何か"を見たい。それは彼女の切り離せない性質だった。
光はもう目の前。他に脅威と成り得るものは無し。
廃墟の陰から飛び出し、アリサはそれを目撃する。
人型。しかし、それはだらんと力の抜けたように頭を下ろして棒立ちしている。問題はその頭上に浮かぶ光。薄暗く光っているそれは、正体がまるでわからない。
「……貴方、誰?」
アリサはその人影に話しかける。
返事はない、しかし反応はあった。動いてこちらに顔を向けた事を反応と見なすなら、だが。
それ以上の反応を示すことはなく、人型はその場に立ち尽くしている。その姿は、さながら亡者のようだ。頭上の光が強さを変えてぬらぬらとそれを照らしているのも、その姿を所々陰にしていて気持ち悪い。頭を垂らしているからか、絶対にその全容が見えない。
アリサは、自分の"目の力"を最大限に解放した。まだ慣れていないとはいえ、多少はコントロールができるようになってきている。
「……っ」
相変わらずの情報の洪水に、目眩を覚えつつ、その正体を探らんとする。チラと見ただけでも情報が多すぎて、どれが重要な情報なのかが分からない。そもそも能力を解放する前から感じ取れるほどの異常なのだ。情報量が足りないはずはない。
「これじゃ、ない」
あえて声に出すことで自分を叱咤して、焦点を調整する。情報は視ることが出来ても、それを全て処理することは、アリサの脳には出来ない。ルドが言うには、いずれそういうこともできるようになるらしいが、今となって考えてみると正直、信憑性が低いような気がする。彼の"そのうち"は実際は、遥かに長い年月なのではないかと思えるのだ。
(みえた!)
アリサは今自分が一番欲しい情報を引きずり出して、そこに焦点を固定した。
それはリクアク・シルユであった。立ち姿や体格、それに赤外線で見た彼の顔は明らかにリクアクのものであった。しかし彼は変わり果てていた。絶望的なまでに中身が空なのである。
(何も……無い?
――――もしかしてあの光は!)
空っぽなどということは、普通、ありえない。生物には内臓や血流、身体そのものを動かすための微細な電気信号が流れるものである。しかし、あのリクアクにはそれが無い。ならば考えられるのは、あそこにいるリクアクは、"死んで"いる。そして、アリサがリクアクだと感じた光、それが命、や魂に値するものだとしたら……
魂の存在が実証される事になる。
("りんご"と取るか、"生"と取るか……か)
メメヤの言っていたことの意味は分からないが、今のこの状況を指していた事なのだとしたら、これは"知ってはいけないこと"になる。
彼はこちらに顔をこちらに向けたままピクリとも動かない。
(魂の存在は、知ってはいけない事なの?)
アリサの目は答えを映すわけではない。ただ、得られる情報が異様なほど増えるだけだ。だから彼女には知らない事までは判別ことは出来ない。アリサの"オルト"は不完全なのだ。
リクアクのあの姿が死んでしまった結果だとしたら、アリサには助ける事は出来ない。しかし、少なくとも彼は今動いた。もしかしたら魂を戻しさえすれば生き返る可能性もある。
(問題は方法……)
アリサは別にリクアクが好きな訳では無い、むしろ嫌いな人間だ。ただそれでも、助ける事を考えているのはおそらく――――
過ぎた好奇心というのは身を滅ぼす。古くからある言葉だ。いや、教訓というのだろうか。それをアリサは理解しているし、実際にそう思う事も少なくなかった。それでも、今回の獲物は諦めてしまうには魅力的すぎる。
「傲慢な人だなぁ、君は」
「っ!?」
突然、動かなかったリクアクの口で、しかしハッキリと彼のものではないと分かる声で、誰かが喋った。
「人の事をジロジロと覗き見て……何のつもりだい?」
その声は閉鎖空間でもないのに拡声器を使ったかのように響いて聞こえてくる。頭に響いて気持ちが悪い。
「なに?あなた……」
アリサの質問には手応えがなく、そのまま静かな時が流れる。風が耳元を通り、どこかで劣化した建材が落ちて砕ける、乾いたしかし重苦しくはない音が響く。
アリサはその声の正体を探ろうと、さらに瞳に力を籠める。
視えるのは自分の視界のみ、アリサは別にその事を忘れていた訳では無い。
むしろ、これまでルド達には"オルト"の使い方よりも、それに慢心しない方法を教わっていたようなものだ。そのおかげでアリサは音にかなり敏感になっていた。しかし、それでも把握しきれない事は相応にある。それが即座に脅威と成り得るとは限らないが、気が付ついたら危機的状況に陥る事など、"良くある事"である。
良くあることであるとは言え、それを切り抜けられるかどうかには実力と、運が絡む。しかし、それだけの実力があるのであれば基本的に、そんな状況には陥らない。交渉の場で相手の些細な隙をつけるなら、そもそもその前に対策を打てるだろう。大人数に囲まれて、それを蹴散らして逃げるのであれば、そもそも囲まれることすらないはずだ。確かにそれが最悪の中の最高の可能性もないわけではない。
しかし、大抵はその状況に絡むのは運だ。たまたま手錠が外れるとか、たまたま相手方がして欲しくないことを思いつくとか、たまたま、味方が助けに来るとか。そんなたまたまが、世の中には多くある。という事は、こういう事も有り得るだろう。
たまたま、アリサの能力が彼の持つ能力との相性が、最悪である。とか。
「それを答える義理はないな」
突如、背後に気配を感じて振り返る。
「……えっ!?」
気が付いた時にはもう遅く、アリサは何か、或いは誰かに後ろから羽交い絞めにされてしまった。視界が制限されていればアリサは、普通の人間と大差はない。オルトを手足に込めて足掻いてみても、拘束は少しも緩んだ様子などない。
(どこから……?)
「悪いね、僕だって遊んでばかりはいられないんだ」
リクアクの体を使って話すそいつの声は、どこか腹立たしげにも嬉しそうにも聞こえた。
「君がここで手に入ったのは思わぬ幸運だったわけだけど、いらぬ欲だったかもしれないな。君に見つかったってことは奴らにも見つかってるかもしれないわけで。ここであいつらに追いつかれるくらいなら、君をわざわざ待ち受ける必要もなかったかもしれない」
それはあくまで淡々と、独り言のように話し続けている。口ぶりからして今のこの状況はあくまで偶発的なものであるらしい。わざと目立ってアリサをおびき寄せたとか、そういう事ではないらしい。そうなると問題は、その声の主はここで何をしていたのかという事になる。
「あなた、誰なの?」
正直、アリサは答えを期待してはいなかった。しかし意外な事に、それは謎かけのようにアリサに答えたのだ。
「均衡を守っていると自称している奴らを恨んでいる者さ」
その言い方は、完全に特定の誰か、あるいは何かを指した言葉である。しかし残念ながら、アリサには何を指す言葉なのか分からない。何かしらの隠語なのだろうか。
「ある程度でも話ができる相手というのはやはりいいね。
これは強突く張りで良くない」
その言葉と共にズブリと身体が埋まるような感覚がして、足元を見る。いつの間にか黒い霞が膝の辺りにまで来ていた。
「何、これ……」
今も底のない沼に沈んでいくかのように、その霞はアリサの頭に向かって迫ってくる。
「なぁに、今すぐ何かしようと言う訳じゃない。君には少しの間、話し相手になってもらう。それだけだ」
それを最後にアリサの意識はぷっつりと途切れた。




