Nyx
太陽がまだ登っているなか、嫌な音を響かせて黒い塊が林を突き進んでいる。林の中にはマフ二の研究所がある。それに何より、こんな真っ昼間じゃ、人の目は避けられまい。多大な人の記憶など書き換えることなどできよう筈もないので、この件は確実に世間の明るみに出される。この陽光に文字通り明かされるわけだ。
ジェーンの奴も、これは予想外だったろう。
"オルト"を使って無理やり身体能力を上昇させたルドは、あの怪物の下に突貫した。焼け石に水かも知れないが、早いうちに止めなくてはならない。それがルドの本来の仕事なのだから。
かと言って、止められる訳ではない。
近づくにつれて、その巨大さが目立つ。その大きさに、ルドは仰ぎ見なければならなかった。
ルドは走りながら通信端末を取り出して耳に掛けた。通信機としての機能を存分に発揮させ、ルドは通話を試みる。
相手はメメヤだ。
「聞こえるか」
『はろー、こちらメメヤ』
という軽い返事とともにメメヤは直ぐに応答した。状況が状況のため、簡単な説明のあと要件を言う。
「頼む、武器をくれないか」
それも簡素に、単純に。
『武器?何がいい?』
「片手半剣あたりが一番いいんだが」
『つまりいつものね……このまま繋いでてねー』
ルドは走りながらそれを待った。林に入ると倒れた木とかで、脚元が酷い有様になって物凄く走り辛い。しかしそれでも走り続け、あと数十メートルという地点で、メメヤの声が通信機から聞こえてきた。
『捉えた。珍しく高速移動してるねー』
「これでも割と慌ててるからな」
『そりゃあねぇ、計画的には痛いでしょうよ』
ルドはそれきり、通信を切った。
手元には抜き身の剣が握られている。継ぎ目すらなく、しかしただの棒ではない。ちゃんと柄と刃は分かれていて、手が滑って手を切る事もないだろう。
斬れるかどうかは分からないが、取り敢えず試し斬りだ。メメヤの武器の斬れ味が悪い事などあろう筈もないが、相手は未確認物体だ。何が起こるかわからない。
剣を軽く握り直し、意識を集中する。
「はっ!」
なんの手応えも無く、それはぶった斬れる。地面に転がったそれは、煙のように直ぐに霧散してしまう。
「…………………おぁあ」
無数の触手のうちの一本を斬られたことに気がついたからか、悲鳴とも唸り声とも取れる声の様なものを上げて、怪物は振り返った。その時に青白い光が血管のように浮かび上がる。
「こりゃあまた、とんでもない姿になったなあ」
ルドは他人事のように呟き、叩きつけられた触手を避ける。地面に当たったそれは、切断の手応えはない割には地面を揺らすほどの衝撃を生み出しており、地面は陥没している。
「どうしたものか……」
ルドは、再度肉薄してきた触手をバッサリと落とす。それにしても手応えが無い。このままでは完全にジリ貧である。
「本体に攻撃するしかないな」
触手は黒い半球状に見える大きな塊から伸びている。だからおそらく、あそこが本体だと思われる。
ルドは触手の間を掻い潜り、時に剣で迎撃して本体と思われる場所に走った。
"オルト"の力だって無限ではない。早いところ勝負を決めなくてはルドとて持たない。というか、本来はこいつの相手はルドには不可能なのだ。こういう、明らかに"オルト"の塊のような存在はルドにとって、天敵とも言える存在だ。攻撃手段が無いのだから当然である。それに"魔法"もどちらかと言えば攻撃手段では無い。
それでも今回はルドが突貫するのが一番可能性が高いわけだから、仕様が無い。本来ならこんな無茶な事はしない。
球体にたどり着いたルドは剣をそれに突き立てた。
しかし手応えはなく、突き出した腕はすり抜けて上腕の辺りまでが埋まっている。
「本体じゃないのか」
ルドは走る勢いをそのままに、球体の中に脚を踏み出し、突入する。背後ではさっきまでいたところに轟音と共に触手が叩きつけられていた。
内部に入る時、一瞬、視界が黒い吹雪に揉まれたかのように視界がブラックアウトして、しばらく進むと急に視界が効くようになった。半球体の中身は黒い霞がかった広いだけの場所だった。暗く、何も無い。しかし、至る所に青白い光が見える。
その空間はまるで――――
「夜だな」
闇はどうしても死を連想させるものだ。いつ誰が決めたのか、夜闇はいつも、どこの国でも、化け物や怪異が動き始める時間として表現される。
それはこの国、延いてはルドとて例外ではない。夜とは不気味な時間帯だ。時に神の名として語られる。転じて神秘的な、美しい時間帯ともされるが、それは時代が進むにつれて安全になったからだろう。整備され、塗装され、光源を確保出来る、そんな安心感があるから人は、そういう風にも夜を捉えるようになったのだ。
しかしここは、美しいと呼ぶには相応しくない。ここには何も無い。
いや、本当に何も無いわけじゃない。夜空のように黒い空間に浮かぶ細い光の粒は、時に脈動しているかのように明滅している。場合によっては美しくも見えるに違いない。
ただ、その空間は圧倒的に空疎なのだ。閑散としており、まるで生命の息吹など感じられない。
『夜……とは』
突然、空間そのものから声が聞こえ、ルドは耳を澄ませた。
『随分と簡単な言葉を使ってくれるじゃないか、ミウラ……いや、今はリューラが姓なんだっけ』
聞こえてくる声は文字通り空間全体から聞こえるようで、警戒しつつもその声の出処は特定できない。
「誰だ。
まあ多方、この怪物の持ち主とか、そこら辺だろうが」
『当たらずも遠からず……なーんて言ってみようかとも思ったけど、ほとんど当たりなんだよな』
声は代わり映えのしない調子でずっと聞こえてくる。この国の言葉ではあるのだが、声のトーンが低く、調子も平淡でこの声の持ち主は、普段は別の言葉を使っている事が、伺い知れた。そして、そういう言語をルドはよく知っていた。
「出てこいよ、わざわざ話しかけてきたってことは、俺に用があるんだろ」
ルドは煽るように、声の主に語り掛けた。
しかし、帰ってきたのは嘲笑の様な笑い方だけ。次の瞬間にはその声はどこからも聞こえなくなった。
同時に、ルドは背後に何かが湧き出るように出現したのを勘じ取った。
「……!」
重く低い風切り音となって不吉な気配が現実になり、ルドは間一髪でその殴打を避けた。
轟音と共に叩きつけられたその武装に、ルドは見覚えがあった。
「……やっぱり居たか」
そこには脱走して以来、行方不明となっていた、あの女異能力者が立っていた。
確かソーラと呼ばれていたか、その女はあの最後の時と同じような、生気のない状態で立っている。
言葉は通じないと感じ、ルドは剣を構える。本当は銃あたりがあれば楽なのだが、生憎あれは弾数が限られる。正体不明な化け物だったため、今回は頼まなかった。
不幸中の幸いと言っていいのか、今回は彼女一人。つまり、ルドでも何とか対抗できる。
前回は二人だったが、不意打ちがうまく働いたから切り抜けられたにすぎない(不意打ち自体はともかく)。
「今回はどうなる事やら」
ルドは剣でメイスを受ける。まともに受ければこちらの背骨辺りがボロボロになってしまうだろうから、受けるのと同時に斜め後ろに退くように動いて受け流す。それでも痺れるような衝撃が身体を襲い、腕が痺れ、剣を取り落としそうになる。これは受けること自体が上手くないようだ。
逸らされたメイスは地面に激突する。しかし、前回のように地面の破片を撒き散らしたりはしなかった。地面も黒いモヤで覆われているのは、この空間が元の空間とは違うからかもしれない。
「全く、どんな馬鹿力だよ」
何度も振り下ろされるメイスを避けつつも、受けに回っていては勝てないと判断し、ルドは攻勢に出る。
「『ケチル チナア ハフウ』」
それの足元を凍りつかせる。湿った氷だ。案の定彼女は大きく振りかぶったに彼女はメイスの重さに引かれてひっくり返った。
すかさずルドは、その倒れた彼女の左胸の当たりに剣を突き立て、止めを刺す。
普通ならこれで止まる。
しかし、これは超回復の持ち主である。並大抵の事では止まらない。
予想に反し、そのまま時間は過ぎていく。それどころか、黒い霞が晴れていくかのように薄くなってきた。
「……拍子抜けというか」
嫌な感覚が胸中に浮かび、ルドは辺りを見渡す。しかし、そこには何も無い。薄れていく夜の中、森の景色が見え始めたくらいだ。
「…………」
遂には完全に靄が消え、残ったのは心臓に剣の突き刺さった女だけ。なんとも呆気ない終わり方だ。まだ、何かしてくると思っていたのだが。
剣を引き抜き、血糊を振って落とす。剣はメメヤが造った使い捨ての品なのだが、癖でやってしまう。
「さて…………ん?」
後処理をどうしようかと思案していると、ルドは気配を感じ、振り返る。
そこには、戻っているようにと指示を出していた筈のレオが立っていた。
「なんだ、付いてきていたのか」
「あの怪物はどうしたんだ?」
「さあな、消えてしまったよ」
レオの目線は地面に倒れている女に移った。
「なぁ、……なんで、その人は倒れてるんだ?」
レオは意外な強い口調で、ルドに言った。
「なんでだって?そりゃあ、死んでるからだが」
何でそんな当然の事を訊くのかと疑問に思うも、ルドは簡潔に答える。
怒っているのか?
「……っ!?」
レオの目線はルドの持つ剣、女の傷口、そしてルドの顔へと移った。
「殺したのか?あんたが?」
レオのそれは既に問いかけでは無かった。どうやら相当に反感を買ってしまったようだ。だからと言って、取り繕ったりはしない。
「そうだな」
排除命令が出ていたのだから、当然そうする。
「殺したよ」
「何の為に?」
「あれを止めるため、延いてはこの女自体が排除の対象だ」
ルドは誤魔化しもせずに、レオに答えた。
「……分かった。最後に聞かせてくれ」
納得した様ではないが、レオは肩の力を抜いたように見える。
「なんだ?」
「良心は、痛まないのか……?抵抗感とかは、ないのか?」
レオはルドの目をしっかりと見据えて言った。まるで、何かを見極めようとしているかのようだ。
「良心……ね、忘れてしまったよ。長く生きてると、どうしても……ね」
ルドはレオが何に対して怒っているのかは、判っている。それが人として当然の事であるとも知っている。
ただ、それがただの道徳であることも、解っていた。
笑ってしまう。それはそこまで大事なものかと。
「取り敢えず、学校に戻ろう。まだ、あの怪物は出てくるかもしれない」
それはお首にも出さず、ルドはレオを学校へ行くように促した。自分も歩き出し、その道中にマフニに連絡して、女の回収を頼んだ。マフニはそれを聞いてことの他満足しているようだった。




