Common-1
チャイムが鳴るより少し前に、三時限目の授業は終わった。この人は基本的に授業を時間内に教えてくれるからテルフィは結構好きだった。その授業の内容が分かりやすいかどうかはともかくとして、ではあるが。つまり、彼女らにはほかの教室よりも少しだけ早い休み時間が与えられた彼女らは思い思いに好きなことをし始める。
別に彼女は勉強がそこまで嫌いなわけではない。学級での主席をとれるほどには勉強もできると自負もしているし、それは事実だ。けれどもやはり、休み時間というのはいいものである。友とたわいのない話をするのは、楽しいものだ。三限と四限の間の休み時間は昼休みで、他の十分休みよりももう十分ほど長い。
机を並び変えたり、席を移ったり、中には教室を出て他の教室でお昼を過ごしに行ったり、各々がお昼ご飯を食べる準備を始める。この学校では給食は提供していない、中には給食を提供する学校もあるとは聞いたことがあるが、テルフィとしてはこの学校が普通にお昼が持ち込みの学校でよかったと思っている。こう見えて(と本人は思っている)テルフィは偏食家なのだ。
実際は、いつでも飴玉なんかをなめている子として(顔もいいので)結構有名になっているのだが、それは本人が知らないことである。
「テルフィ、今日のご飯何持ってきたの?」
テルフィは前の席に座る友人、ミナルバ・クォージィに訊かれ、自分のカバンの中から二塊のお米の塊を取り出す。ミナルバは親しいものからはミーナと呼ばれている。
「おにぎり?」
「そうですよ、糖分を確保したいものですから」
「それだけ炭水化物取っててよく太らないよねぇ……羨ましい」
言われてみればそんな気がする。ダイエットとかしたことない、というか気にしたことすらなかった。でも、ここはそんなことを馬鹿正直に言う場面ではないだろう。
「そんなことないですよ。ちゃんと運動もしてますし、それに油物は控えるようにしてますから」
少なくとも嘘ではない。
「えぇー……」
こういうやり取りから、他の友達も交えてどうでもいいような話が拡がっていく。それはまるで薪にくすぶっていた火が、新たな薪を得て燃え上がるかのように、話が少しづつずれていくにつれて盛り上がってくる。そうして、彼女たちの休み時間というのは基本的に、こうやって過ぎていく。
チャイムが鳴ると、一斉に慌ただしく部屋の人間は動き始める。
不思議なことに、休みが終わる正確な時間というのはなんでか皆があまり意識していないもので、彼女たちはチャイムが鳴ってから休み時間が終わったことをやっと知ることになる。中にはチャイムが鳴る五分前には自分の席に座っていることもあるが、そういうのは、元から動いていなかったり、動いてはいたが真面目な奴ですぐに席に戻るのか、この二つくらいしかない。
ただ、今日は少しだけ、いつもよりも慌ただしい。何故なら四限目が体育、つまり着替える必要があるからだ。いつの間にか、女子は教室の中で、男子は廊下で着替えるといったような暗黙の了解のようなものができていて、皆がそういう風に動き始めるのである。
ただ、本当に見られたくないのであれば更衣室で着替えるべきであって、そういう風にする人も少なくはない。いや、むしろ教室で着替えるのは本当に簡素な格好をして得来た者だけだろう。すぐに着替えられるから問題ない、と。それでも男子の大部分は更衣室に行かず、廊下でぱっぱと着替えているのだから少し申し訳ない気がしないでもない。因みにテルフィは更衣室で着替える方で、このことに関して言えばあまり関係はない。
テルフィが授業が始まるまでに間に合うように体育館の端っこの部屋にある更衣室に向かって歩いていると、横を男子生徒達がすり抜けた。彼らは男子生徒にしては珍しく、仲間で更衣室に向かっているようであった。そしてその中の一人にテルフィは焦点を合わせる。『レオ・ブラヌート』彼はテルフィの幼馴染で、テルフィと同じようにこの『海底第一学校』に入学した、一見、運動しかできなそうに見えて勉強も出来る。長くはない髪の毛と、その精悍な顔つきはどこか狼とか鷲とか肉食獣を思わせる。
テルフィが見てる事に気がついたのか、レオは首だけを巡らせてこちらを一瞥し、そのまま行ってしまった。相変わらず、野性的な勘が凄まじい。
「ねぇ、彼、こっち見たよ!」
そして隣ではしゃいでるミーナは、そんな彼に好意を寄せていたりする。まあ、顔もいいし、性格も悪くは無いから分からなくはないのだけれども。ただ、テルフィとしてはそんなにいい男か?と思うのである。
「偶じゃないですか?」
だからテルフィは幼馴染な事もあって、さして騒いだりはせず、そんな風に言うのだ。
「違うかもしれないじゃん!」
いつもプラス思考のこの友人は、こう言ってはなんだが、凄くアホっぽい。テルフィとは真逆のような存在だ。正直なところ何故、彼女とここまで親しくなったのかテルフィにも分かっていない。
「かもしれない……ですか。まあ、否定はしませんけど」
「テルフィってそういう所あるよね」
皮肉気味に言ったテルフィの言葉に、ミーナも直ぐに眉を釣り上げて皮肉を言い返してくる。
「お互い様です」
テルフィは苦笑して、それに釣られてミーナも笑い始める。二人でいる時はいつもこんな感じだ。
「ところで、今日って何するんだっけ?」
二人が体育館を横切ったところで、突然話題を変えたミーナは、テルフィの答えを聞かずとっとと更衣室の扉を開けて中に入っていった。テルフィもそれを追いかけるように中に入る。
「まだ球技じゃないですか?」
彼女に追いついたテルフィが思ったままのことを答えると、ミーナは「なぁーんだ」とだけ呟いて、制服を脱ぎ始めた。彼女はスタイルも良く、テルフィにとっても羨ましい体つきをしており、思わずじっくりとミーナの着替えを眺めてしまう。テルフィは太らない体質ではあるが、それはある部分を貧相にもしている原因でもあった。
「ミーナってスタイル良いですよね、羨ましい」
テルフィもいつまでも突っ立っているわけにはいかず、着替え始める。その際、ミーナに聞こえるように呟くのも忘れてはいけない。
「あれだけ甘いもの食べても太らないテルフィに言われたくない」
授業はテルフィの予想通り球技のままであった。偶、身長があまり変わらない二人はそのまま一緒のペアを組み、教師の指示通りにボールを交互に弾きながら、ちょっとした無駄話をし始めた。勿論、教師が見ていない隙を見計らってだ。
「そう言えば、もうすぐ武闘大会だねー。彼も出場するのかな」
ミーナが頭上で弾いたボールをテルフィはちょっと力を込めて高く弾きあげる。それが落ちてくるまでの間に、テルフィはミーナに応える。
「レオの事?」
テルフィは、レオの事は良く知っている。勿論彼の性格についても。だから、彼が今回の武闘大会に出る気がないであろう事も、彼女は理解していた。
「そうそう」
同じようにボールを弾きあげたミーナは、ボールを目で追いながらテルフィの問いに相槌を打つ。
「そりゃあ……」
返そうとしたところで、手が滑ってボールは弾んで行ってしまう。急いで拾いに走り、その途中で他の女生徒に拾われて投げ渡されたのを受け取って、軽く礼を言ってから元の位置に駆け戻る。
「……出ないでしょうね」
再開して直ぐに、テルフィはそう言った。
「えー、なんで?」
ボールをキャッチしてミーナは疑問を口にした。
しかし、テルフィが答えようとしたちょうどその瞬間に、教師が集合をかけたので、二人は駆け足でその前に急ぐ。話は途中で有耶無耶になってしまったが仕方ない。この教師は集合の時に歩いているとすぐ怒る。そしてその小言は非常に長い。
結果として、話す機会を逸してしまったが、後々考えると、むしろ良かったように思える。小さい頃の約束があるから……なんて、中々に恥ずかしくて言えたものではない。そしてそれを未だに信じているということも。
そんなこんなで四限目は恙無く終わった。今日は説教もなかったので、実に平和だった。更衣室で着替え、テルフィ達二人が教室へ戻ると、男子達はまだ廊下で教室の中へ入る機会を窺っていた。それを尻目に、テルフィは教室に入り、自分の席に腰掛けた。五限目は数学だったか。
テルフィは鞄から授業に必要なものを取り出し、それを机に並べながら、二限目にルドに言われた事について考えた。彼は「予定が入ったから集まれなくなった」とは言ったが、その内容は異能力……つまり”オルト”に関する事柄ではないかと推察していた。学校の用事なら急に”予定が入った”などという事はほとんどないだろうし、かといって私的な用事とも思えなかった。先約を破ってまで他の私的な予定を取り付けるような人間には、テルフィは思えなかった。ここには、少なからずテルフィの贔屓と願望が籠っているのだが、そんなことにテルフィが気が付くはずもない。実際のルドは約束を反故にすることもあるし、私的な理由で急に予定を変更することだってある。今回は偶々テルフィの考えが当たっていただけで、別にルドはそんな性格ではない。だが、少なからずもテルフィの予想は当たっているのであった。
テルフィは欠伸をして、机に突っ伏した。テルフィは何故かご飯を食べた後もそこまで眠くなることはないのだが、身体を動かした後はどうにも眠くなるのである。誰がこんな嫌がらせのような時間割を組んだのか、気になるところだ。
「テル、少しいいか」
と、突然意外な人物から声をかけられ、思わず勢いよく顔を上げる。机の前に立っていたのはやはり、レオであった。テルフィの事をテルと呼ぶのはレオしかいない。それは小さい頃の呼び名がそのまま定着してしまっているからで、深い理由はない。
「レオ……珍しいですね、何ですか」
すると、彼は顔を顰めた。思わず同じように眉を顰めて見返すと、彼は手をヒラヒラと振って「気にするな」と言った。
「ただ、お前のその喋り方は治らないもんかと思っただけだ」
成程、確かに本当に昔はテルフィの話し方はこんな風ではなかった。おそらく、そのイメージが定着しているレオとしては違和感があるのだろう。いつも話す時はそういう事を言う。
「……毎度言ってますが、私は直しませんよ。便利ですから」
対してテルフィはいつもこう言って言い返す。レオは肩を竦めて首を横に振り、おまけに溜息をついてから再度口を開いた。普段の彼からすると意外な態度だろう。彼は中学生の時、運動も勉強も出来る好青年として、近所で有名だったのを覚えている。
「いいんですか、そんな風にしてて、皆いるんですよ」
「はっ、別に猫かぶってる覚えはないね」
鼻で笑うその姿は、本当に普段の彼らしくない。何か腹の虫の収まりが悪いかの様な、そんな印象を受けた。
「……まあいいです。
それで、何か用があるから来たのでは」
話が逸れてしまったのでテルフィはレオに水を向けてその様子を見ることにした。
「……あぁ、その通りだ」
レオは真顔になって、テルフィの瞳を覗き込んだ。
「お前、何か妙なことに巻き込まれているだろ。
何に関わっている」
その迫力に僅かに飲まれ、テルフィは一時の間、口を噤んだ。その声は別に大きかった訳では無いのに、レオの声はそれくらい迫力に溢れたものだったのだ。
「……その根拠は、何ですか」
テルフィは努めて平静を保とうとしたが、警戒して声が低くなってしまったのは仕方がない。
「……」
レオが口を開いた途端チャイムが鳴る。元々、周りにはなるべく聞こえないように小声で話していた二人の声はそれに遮られた。
「……続きは放課後にしよう。
放課後は暇か」
「ええ、まあ、暇と言えば暇ですよ」
「なら決まりだ」
彼が自分の席に戻る背中を見送りつつ、テルフィは何とも言えない"胸騒ぎ"を感じているのを認識していた。そしてそれは、授業の間中も止むことは無かった。




