第八話 「駄目だ」と若が言うので
目的の店がある建物を目視できる程度の距離で、長田が車を停めた。
明かりのついていない、4階建ての雑居ビルの前だ。入り口横に、郵便受けが8つある。だがどれも随分使われていないらしく、チラシと宗教勧誘の新聞で埋まっていた。
あともう2、3本通りを渡れば、観光地化したエリアに出られる。とは言え商業エリアから離れたここは、ゼロではないにしろ人通りは多くはなかった。
「頭……!」
車から出ると、見張りながら待っていたのだろう山川が、小声で叫ぶという器用な真似をしながら物陰から走ってきた。
「若を見失った詫びのエンコは、後で詰めます。店が入ってるビルの裏手に業者用のエレベーターがあって、見張りが2人います。しばらく監視してたら、エレベーターが上がってきて、薬がキマってそうな女が1人出てきたんで捕まえました」
「いらねぇよ、一文にもならねぇ指なんざ。で、その女は?」
「車に積んで、話を聞き終わったところです」
そこの、と山川が別の雑居ビルを指差した。小さな敷地の中に、2台分の駐車スペースがあり、うち1台はちょうど街路樹の影になっている。車もそこに停められていた。
「おい、カタギの女に手ぇ上げたりしてねぇだろうな?」
一段声を低くした長田が、山川を睨みつける。
「そんな真似しねぇっすよ。頭に殺されちまいます。金をやるって言っただけです。今は車ん中で金を待ってますよ」
少しムッとしたように返した山川が、スラックスの尻ポケットから何かを取り出す。
「薬を都合してもらう代わりに、大学生を1人、拉致るように指示されてたらしく。こいつを盛って地下に運んだようです」
ジッパー付きの小さなポリパックを差し出され、鷹匠はそれを受け取った。
「ただの睡眠薬だからバレても重い罪にはならないと言われて、前にも一度使用したそうで」
ポリパックの中には、小さな錠剤がいくつか入っていた。横から覗き込んでいた長田が「鑑識に回すか?」と聞いてくる。答える代わりにスライドさせるように、錠剤入りの袋を長田に渡した。
鷹匠が必要としているのは、相手を追い詰める証拠品ではない。判断のための材料だ。拉致に関与している女の物品は、警察に渡した方が利になる。
知りたいのは女の罪の有無ではなく、標的だった。
「……その女、左の口元にほくろはあったか?」
「えっ?は、はい、ありました。やけに色っぽい位置にあるなと思って見たので、確かです」
合コンで晴臣のグラスを酒入りにすり替えた女だ。そう鷹匠は考えた。
あの時の晴臣は、一口だけしては不自然な寝入り方をしていた。目当ての相手を持ち帰るために一服盛るなどというタチの悪い者は、男にも女にも存在している。だが女が単独犯でないとすれば、その後の見え方も変わってくる。
『おっ!?ハルくんの隣にいたイケメンが、「これ、烏龍ハイじゃん」って周りにバラして店員さんに返してくれてる!いい奴〜』
美奈子の言葉を思い出す。晴臣のグラスが酒だと気付き返品したのは、帝和誠で確定している。
もしそれが一口飲んでグラスを避けただろう晴臣を見ての行動なら、証拠隠滅の可能性は充分にあり——。指示役が帝和誠である線を強く示していた。
高級クラブなど、晴臣には縁のない場所だ。それは立場の問題ではなく、彼の生き方の問題だった。晴臣は、夜のにおいが強い場所を好まない。誘われても行くはずがない。つまり、この先の地下に無理やりに連れて行かれたことになる。
帝和誠と、口元にほくろがある女によって。
やり方を知るのは後でいい。状況は揃った。
「……長田さん」
「県警に知り合いがいる。連絡つけといてやるから、女はそいつに渡せ」
携帯電話を取り出した長田が、背を向けてどこかに電話をかける。
「よぉ、スーさん。ちょいと協力してくれねぇか?えっ?……そうだなぁ、ゼネコンのボンボンが中にいるヤク中パーティー……、まぁまぁ、聞けって。悪ぃ話じゃねぇさ。俺が個人で握ってる情報をくれてやるから、今から言う店にパト何台か回して踏み込んでもらいてぇんだよ。……あぁ。ボンボンは、ちょいと訳ありなんでな。本庁に渡してやりゃ、そりゃあデケェ恩を売れるぜ?…………麻薬取締部がすぐ動けねぇのは知ってるよ。さっきまで中にいた女の身柄を押さえてある。店と女は、あんたの手柄にしてくれ」
通話の最後に場所を伝えた長田が電話を切る。近くで聞いていた山川が「やり方が俺よりヤクザじゃねぇか」とぼやいていた。
鷹匠は、長田が電話を切るか切らないかの時点で既に店の裏手へと足を進めていた。
職業柄、薬物の危険性は充分に承知している。
「山川、ここで女を見張ってろ。警察が来たら、引き渡せ」
それでもまた、声は冷静だった。それは晴臣の攻略ノートにあるエンディング全てに『死』の文字がなかったからだ。
ビルの裏に回り込むと、山川の報告通り業者用のエレベーターの前に見張りが2人立っていた。ボタンが外され、左胸の部分が膨らんだジャケットを着ている。
「金持ちの危険な道楽ってより、本職の餌場って感じだな」
物陰から覗き見て、見張りが銃を持っていることに気付いた長田が言う。
「裏の人間が表に太いパイプと金の通り道を作るなら、渡る価値のある橋でしょうね。警戒心の薄い金持ちを薬と快楽で落として飼い殺しにして、企業なり政治なりに食い込む」
「……するなよ」
「しませんよ。若にバレたら面倒だ」
鷹匠の返答に長田は、「組で薬を禁止にしてるからじゃねぇのかよ」と困ったように、呆れたように笑っただけだった。
「さてと、じゃあ行くか。頼むぜ、俺の紋所」
警察手帳を取り出した長田が、見張りに向かって歩いていく。銃を持つ相手だと知っていても足が震えていないのは、長田が持つ経験と胆力の賜物だろう。鷹匠は、その場から動かずやり取りを見ていた。
長田の役割は、門番に鍵を開けさせることだ。
「お〜っと。大丈夫、俺は味方だ。まぁ、話を聞いてくれ」
身構える2人の見張りに手帳を出しながら、長田がゆっくりと近づいていく。
「さっきここから、女が出てきただろ?そいつが署に駆け込んできてな。ここで何をやってるか、全部バラしちまった」
「……なっ」
一瞬絶句し、1人が銃を取り出し、1人がどこかに連絡をするつもりなのか携帯電話を取り出す。
だがその前に「話はこっからだ」と、長田が余裕を崩さずに声量だけを上げた。
「幸い、話を聞いたのは当直中の俺だけでな。俺ぁ、あんたらのボスとも、中にいる帝和のボンボンとも繋がってる。たださ、揉み消すにしても、一応調書が必要でな。ちら〜っとでいい、中を見せてくれや。だ〜いじょうぶ、薬やってようが、乱行してようが、『何もなかった』って報告してやる」
会話を聞きながら、鷹匠は「上手いな」と感じた。ここの仕切りが誰であるのかなど、長田はもちろん鷹匠も知らない。だが2人の人物のうち、帝和の名前を具体的に出したことで、仕切りの名前を『知っていて言わない』選択をしたと相手に思わせている。
「ここで俺を弾いたら、形式上手配したパトを止める手が、なくなる。あんたらのボスに確認してもらってもいいが、警察の中にいる鼠の名前なんざ、いちいち知らねぇと思うぜ。俺はどっちでもいい。本職は警察だしな。俺を疑ってパトに囲まれて困るのは、そっちだ」
見張りの男たちは、互いに顔を見合わせた。
「……今日は、VIPの貸切だ。そう、報告しろ」
流暢な日本語だが、わずかに舌の引っ掛かりがある。
「もちろん。なんならドアを開けるだけでいい。隙間から覗いて帰るわ」
長田の譲歩は、2人の男を安心させたようだった。ついて来い、とエレベーターに乗せられる。
電光パネルが、地下一階の表示で止まる。鷹匠は、長田たちがエレベーターから出て離れただろう頃合いを見計らい昇降ボタンを押した。
エレベーターで降りた地下1階は、小さな倉庫になっていた。
5段になった棚が並び、段ボールの箱が積まれている。中には、食器や灰皿といった店の備品が入っていた。さすがにこんな場所に違法な物品を置くほど馬鹿ではないらしい。
エレベーターから真っ直ぐ正面には、アルミ製のドアがあった。音を立てないよう、慎重に開ける。間接照明に照らされた、赤い絨毯の廊下に出た。
道は一本で、突き当たりに曲がり角がある。そこから声が聞こえてきた。
「中には入るな。隙間から確認して、すぐに閉めろ」
「はいよ」
答えたのは長田だった。
2人の見張りの男がそれぞれ手にしたカードキーを、左右のパネルに差し込む。
ピッと音がしたと同時に、長田が見張りの1人を殴りつけた。
それに気付いたもう1人が、懐に手を入れる。距離を詰めた鷹匠は、それを相手の腕の骨ごと蹴り潰した。
「ギャァッ!」
短い悲鳴と共に、見張りの男が店の中まで吹き飛ぶ。背後で長田が「見張りの銃は俺が拾う!ハル坊を探せ!」と叫んだ。
一歩、足を踏み入れる。
店内は——、悪徳と狂乱の最中にあった。
テーブルの上に並んだ、高級シャンパン。光度を絞られた、ガラスのシャンデリア。内装に彩りを添える、巨大な花瓶に生けられた赤い薔薇。
薬を摂取している者は、何が起きたか理解していなかった。
鷹匠が入ってきても、新しい客か、くらいにヘラヘラとこちらを見ている。男も女も、涎を垂らしながら好き勝手にまぐわっていた。
慌ててやってきた黒服の男たちが、襲いかかってくる。狭い店内での同士撃ちを避けるためか、銃を所持しているのは見張りだけだったらしい。だったら楽なものだと、その体格と力を使い場を制圧していく。
人間のどこを潰せば、動けなくなるのか。
それを鷹匠は経験上、よく知っていた。
目的地は、店内の最奥、カーテンで仕切られた半個室にあった。
勢いよく、カーテンを開ける。
シャツをはだけた状態でぐったりとしている晴臣に、息を荒くしてのしかかる全裸の男がいた。
帝和誠だった。
殺すべきだ。
それしか頭になかった。
帝和誠の頭を掴み上げ持ち上げると、そのままテーブルに叩きつけた。
シャンパングラスが割れ、辺りに血とガラスの破片が飛び散る。
顔面を血に染めた帝和誠が呻きを上げて床に転がる。まだ生きている。しぶといやつだと、鷹匠はその顔面を踏み潰そうとした。
「——……、たか、じょ……!駄目だ……!」
晴臣の声だ。だが鷹匠は、見もせずに首を横に振った。
「いいえ、殺します。こいつは死んだ方がいい」
「だと、しても……!鷹匠が、殺すのは、……駄目だよ……!」
妙な言い方だった。
その小さな引っ掛かりが、頭蓋骨を割ろうとしていた足を止めた。
人を殺すことを否定するための制止ではない。鷹匠の罪だけを否定するような、言葉だった。
鷹匠は、晴臣を見た。
何か喋ろうとした晴臣が、苦しそうに喘いだ後、胃の内容物を吐き出す。
「若っ……!」
鷹匠の中から、帝和誠の存在が消えた。自身が汚れることも構わず、晴臣を抱き上げる。晴臣からの返事はもうなかった。
「ハル坊!」
長田が声を張り上げ、駆け寄ってくる。晴臣の腕や首を見て、「注射の痕はねぇな」と判断すると、鷹匠に声をかけた。
「先に病院に行け。こいつがハル坊に何を飲ませたかは、俺が聞いてやる」
長田の目が、血まみれの帝和誠を一度見てから再び鷹匠へと向けられた。
「お前、ハル坊が止めても、こいつを殺す気だったな。……順番を間違えるな。怒りより先に、その隠してるもんを認めてやらねぇと、いつかテメェはその手でハル坊を殺すことになるぞ」
「——……っ」
「早く行け。胃の洗浄は早い方がいい」
長田はもう鷹匠を見ずに、帝和誠の側にしゃがみ込んだ。
鷹匠は晴臣を抱いたまま小さく頭を下げ、駆け出した。
店を出て廊下を抜け、エレベーターに乗る。外に出ると、パトカーのサイレンが聞こえてきた。
「頭!若……!」
「山川、車貸せ」
「はい!」
すぐに白のバンに走って行った山川が、中からミニスカートを履いた女を引っ張り出して鷹匠に車を渡す。
後部座席のシートを倒し、そこに晴臣を寝かせる。吐瀉物が喉を塞いでしまわないよう、一度指で掻き出し、自身の服で顔を拭ってから運転席に乗り込んだ。
上総重成が生きていた頃から世話になり、関係も深い個人病院が都内にある。
鷹匠は自身の心情を押さえつけるように深く息を吸ってから、車のキーを回した。
次回第九話は9月18日17時更新です。




