第七話 電話が切られている
シャツの胸ポケットに入れていた携帯電話が、着信を知らせていた。
組専用のものだ。番号は、晴臣と山川にしか教えていない。
「煙草吸ってくる。盗聴器なんざねぇから、安心しろ」
立ち上がった長田が応接室から出ていく。
どれだけ張り詰める瞬間があったとしても、二人の関係が今まで続いているのは結局、長田がこうした気遣いができる男だからなのだろう。
携帯電話を取り出した鷹匠は、表示されている番号を見た。山川からだ。
ボタンを押し、通話に切り替える。
〈若が待ち合わせ場所に来ません〉
名乗りも何もない。だからこそ山川の焦りが伝わってきた。
鷹匠はその瞬間、自分が完全に出遅れていたことを理解した。
〈今日は朝から約束があると、出掛けられました。……ただ、その……明日は若の誕生日で、いつも日付が変わると同時に頭からプレゼント受け取っているので、夜には帰ると言われて、指定された駅で待っていたんですが……〉
「……電話は?」
〈切られてます〉
「行き先は?」
〈友人と食事をする、と〉
場所までは……、と山川が言葉を濁す。
鷹匠は自身の愚かさに、手の中の小さな機械を握り潰しそうになった。
晴臣は、鷹匠を避けたりはしなかった。聞けばよかったのだ。行き先も、交友関係も、……うなじの吸い痕も。
聞かずに、目の前の問題から安易に目を逸らした。
その結果が、これだ。
〈頭……、指示をください〉
山川は、鷹匠よりもよほど冷静だった。
「……今、どこにいる?」
〈横浜です〉
よりによって、と鷹匠は思った。
上総組は、横浜を拠点に持つ組織と小さな揉め事を抱えている。ここで組の人間を使って大っぴらに探せば、向こうに知られ、晴臣が交渉の材料に使われる可能性が出てくる。
鷹匠は、思考の海に沈んだ。
どこだ。
どこにいる?
バスも電車も使わないようには言ってある。本人も、『攻略キャラ』に狙われないよう、送迎を受け入れていた。
だから山川は、横浜まで車で送った。
指定が駅だったのは、待ち合わせの相手に、送迎の存在を伝えてないからだろう。
だがもし、相手の方が車で来ていたら。
……いや、と鷹匠は考え直した。それなら、わざわざ横浜まで行く意味がない。都内で待ち合わせすればいい。
横浜周辺で、過ごす予定だったはずだ。
「……『偉いやつ』のエンディング」
〈えっ?〉
山川が聞き返してきたが、構わず記憶を洗い出す。
晴臣の『攻略ノート』に書かれていた、『偉いやつ』のシナリオ別エンディングの部分を思い出す。
別荘に監禁。これは無しだ。もしそんな場所に招待されていたら、晴臣は必ずそれを言うだろう。誘う側も、別荘というアドバンテージを隠すとは考えにくい。
怪しげなオークションに出される。無くはないが、商品の搬入、スタッフ、参加者など、人が多く足がつきやすい。第一、出品側になるなど、それこそ開催する立場の者でなければまず無理だ。いくら大手とは言え、一企業の跡取りが仕切れる規模ではない。
となると消去法で、会員制の高級クラブで怪しい薬を使われる、というものだ。
帝和誠は、ほぼ確実に違法ドラッグの売買に関係している。立場上、会員制の高級クラブへの出入りも可能だろう。厚木の証言とも、一致している。
「横浜にある、会員制の高級クラブの情報をこっちに回せ。今夜『営業をしていない』店だ。組の名前は出すな」
〈わかりました〉
山川は理由も何も問わずに、承諾だけして電話を切った。
立ち上がり、応接室のドアを開く。
——長田がいた。
「……トラブル発生みてぇだな」
「ええ。今日はこれで失礼します。渡したリストは好きに使ってください」
貼り付けていた笑みも今はない。長田の横を通り過ぎようとすると、目の前に車の鍵をぶら下げられた。
「そりゃどーも、って、トラブル抱えたヤクザ目の前にして言うわけねぇだろ。……おーい!ちょっと出てくるから、覆面貸してくれ!」
声を張り上げた長田に、他の当直の職員たちから笑い声とともに「上司との癒着確認!確保!」と野次が飛ぶ。彼らにとって上総組は、他の反社組織に比べると格段に『行儀が良い』と思われている。鷹匠の左目の怪我が、子どもを庇ったからだと知られているのも、要因の一つだ。外部に漏れれば大事件だが、現在に至るまでの貢献度を考えれば、ある程度のお目溢しは許容範囲らしかった。
「桜田門印のVIPカーは、大抵の場所は顔パスだ。……行き先は?」
「——……横浜です」
「リストの借りは、これでチャラだ」
そのまま歩き出した長田の背を数秒見てから、鷹匠は後を追った。
目を焼くようなネオン街を抜けて首都高へ入ると、都心のビル群が後ろへと流れていくのが見えた。
通常よりも近い位置を飛行機が飛んでいく。空港が近い。高架からの夜景は、空と地をひっくり返したように明かりを人の側に留めていた。
山川からの連絡は、あれから2度あった。2度目の連絡が、必要としていた情報だった。
金曜の夜に、臨時休業をしている高級クラブがある。
地下のクラブだ。
看板の電気は消えているのに、なぜか下り階段の前にガタイの良いガードマンが一人。人の出入りがある様子はないという。
デコイの入り口だろう。そう鷹匠は当たりを付けた。通常は出入り口として機能しているが、特別な日だけ逆に封鎖される。おそらく別の場所に内部へのドアが用意されているはずだ。
助手席に座り、ただ、高速道路の灯りが過ぎていく様を眺める。
もっと手元に縛り付けておけば、良かったのだろうか。
あの応接室にあった、誰かに水を貰うだけの観葉植物のように。
「場所は掴んだか?」
長田には、覆面パトカーに乗った時に、晴臣が友人と出かけてから連絡がつかなくなっていること、その友人が帝和誠である可能性を伝えてある。
店の名前を伝えると、「新華僑の近くじゃねえか」と舌打ちが返ってきた。
「今うちと揉めてる連中のナワバリも、その近辺だったかと」
「……どこと揉めてるって?」
「夜梟です」
答えると、今日聞いた中でもっとも大きなため息が運転席から聞こえてきた。
「戦後大陸に残って、オイルショックの辺りで戻ってきた日本人が作った組織だな。最近になって若い連中が過激化して、親を殺して椅子をぶんどった奴がいると聞いたぜ」
「俺らの世界じゃ親殺しは御法度中の御法度ですが、今の若い連中は感覚が違うということですかね」
「んなわけあるか。そんな無理筋、通るはずがねぇ。何か裏があるはずだ」
ウィンカーを点けた長田が、インターチェンジの出口へとハンドルを切った。
都心とは違った雰囲気を持つ夜景が広がっている。
「拳銃は出すなよ。庇えなくなる」
「庇ってくれる気だったんですか?」
腐れ縁に近い関係ではあるが、今まで長田が明確な味方になったことはなかった。
思わず問いかけると、前を見ていた視線が一度だけ鷹匠へと移された。
「……ハル坊が絡んだ時だけ、テメェはバケモンから人間に戻る。困っている『人』を助けるのは、警察の仕事だ」
二度と言わねぇからな、と言い置き、料金所の手前のレーンに並んだ。
「小銭、用意しとけ」
「万札しかないです。あと、拳銃は初めから持ってませんよ」
「……おまっ!わぁーった!俺が出すよ!……ん?お前今、チャカっつったか?西の出か?」
「…………いいえ」
「そうか、まぁいいか……」
長田が片手でゴソゴソと財布を探している。それを見ながら鷹匠は、必要ではない情報を口にした。
「若が、あんたに懐く理由がわかります。……親父に似てますね」
「そいつはどーも。嬉しくねぇが、アイツとは俺が捜査一課の頃からの付き合いだったからな」
「……香典の中に入ってた手紙を読んで、若が少し笑ってました。……ありがとうございます」
「ハル坊のためにやったことだ。テメェに礼を言われる筋合いはねぇよ」
精算機の前で車を停めた長田が、表示された金額を投入する。
上がったバーを潜り、車は横浜市内へと入っていった。
次回第八話は9月17日17時更新です




