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第四話 「勘違いだったかもしれない」と若が言うので

〈もしもし、蓮司?風舞伎(ふぶき)町の駅前に着いたよ。ハルくんも見つけた〉


 蕎麦を食べ損ねた日から数えて8日、翌週の土曜日。

 鷹匠は風舞伎町の一角にある、上総組が所有する六階建てのビルの最上階に構えられた事務所で、その連絡を受けていた。事務用の机の上にはデスクトップのパソコンと、山積みになった書類が置かれている。

 壁の時計は、18時半前を指していた。

「できるだけ近く、向こうから見えないテーブルについてくれ。飲食代は俺の名前で領収切って、事務所に回してもらっていい」

 電話の相手は、鷹匠が経営しているキャバクラ店の店長だった。鷹匠が拾ってゼロから経験を積ませた、夜の女だ。名前は美奈子と言う。

 美奈子には、今夜の晴臣の合コンを近くで見張れと伝えてあった。


〈りょ〜かい。店の子たち何人か連れてきてるから、タダ飯させてもらうね〉


「酒は入れてもいいが、若を見失うくらいまで飲むなよ」


〈わかってるって。私が蓮司の期待から外れたこと、今まであった?〉


 女の声に艶と媚が混ざる。鷹匠は息だけで笑うと「ないな」と答えてやった。

 美奈子の店には、良い女が揃っている。それは稼ぐキャストとしてという意味だけではなく、肝が据わり機転が効くという意味でもだ。

 先日も男を1人、遠洋漁業船に乗せるまで金を引っ張った。キャバクラのキャストにハマり、闇金から借りた金を返せなくなった末のことだ。


 それは、鷹匠が山川に処分を指示した男だった。 

 遠洋漁業は、イメージほど悪いものではない。真面目に働けば、それに見合うだけの報酬は手に入る。

 とは言え、危険な面もある。

 アフリカルートに乗れば海に落ちても死ぬ可能性は少ないが、新人は港でよく強盗に遭う。

 シベリアルートに乗れば、毎日が死と隣り合わせだ。

 だが諸々の経費を差し引いても、2年も乗れば手元に600万は残る。500万の借金を返しても、次の仕事を見つけるまでは暮らしていける。

 その頃には、晴臣のことなど頭から抜けてしまっているだろう。

 ……大人しく覗きをしているくらいなら、船にまで乗せるつもりはなかったが。

 山川の報告によると、男は晴臣が高校時代に通っていた予備校の事務員とのことだった。性癖は女に偏っていたが、晴臣の見た目が好みで目で追っていたらしい。ところがある日、「おはようございます」と受付で声をかけられ、自分に気があると勘違いしてしまった。以降ずっと、晴臣は事務員である自分に片想いをしているがそれを秘めているという妄想を抱いて過ごしていた。

 その後、晴臣が進学したことで会えなくなり、「寂しいだろうから、こちらから探して声をかけてあげよう」と予備校に残されていたデータを盗んで、大学へと辿り着いたらしい。

 偶然を装って食事に誘うつもりだった、と報告書には書かれている。

 もちろん晴臣は、受付にいた男に挨拶したことなど覚えてもいないだろう。

 つまり、すべて男の自業自得だ。

 たかが挨拶を好意だと勘違いしたことも。

 その後、夜の女の手腕にコロリと陥落し闇金に手を出すまでのめり込んだことも。

 少し前に晴臣から、「ストーカーだと思ってた人……。あれ以来見てないから、俺の勘違いだったかもしれない……」と恥ずかしそうに申告された。

 それでいい、と鷹匠は考える。

 社会の暗部など、晴臣の視界に映す必要はなかった。


〈あ!待ち合わせのグループが来たみたいだから、行くね。また連絡する〉


 プツ、と音がして通話が切れる。

 鷹匠は携帯電話をテーブルに置くと、パソコンに表示されている株式市場の画面を眺めた。取引は、昨日の午後で終了している。確認のために表示していたページだ。今のところ大きなニュースもない。月曜の朝の変動は、小さいだろう。

 保有銘柄に並んでいるのは、2025年の日本を知る晴臣から「こういうの良くないかもだけど、絶対買った方がいい!」と太鼓判を押された銘柄たちだ。ゲームの設定という違いはあるにしても、これからの世界はインターネットによる情報通信サービスが中心になると言っていた。

 前世では2002年から10年刑務所で暮らし、2012年に出所してその日に死んだ鷹匠としては、晴臣が言う『スマホ』や『SNS』、『仮想通貨』などが何を指すのかもわからなかったが、とりあえず浮いた金は全て晴臣が指定した銘柄に回していた。

「頭(カシラ)、失礼します」

 ノックの音がして、ストライプのスーツを着た男が入ってくる。鷹匠より背は低いが体格の良い、短髪を金色に染めた男だ。この事務所の若衆の中では一番の古株だった。

「四ツ橋百貨店の方がお見えです。応接室でお待ちいただいています」

「わかった、すぐに行く。中元に旅行券包んどけ」

「押忍」

 パソコンの電源を落とし、スーツのジャケットのボタンをかける。

 優しく見える笑みを貼り付けて、鷹匠は応接室へと向かった。




「鷹匠様、ご無沙汰しております」

「こんにちは、……いや、もうこんばんはですね。こんな時間にすみません、厚木さん」

 鷹匠が応接室に入ると、ソファに腰を下ろしていた壮年の男がすぐに立ち上がった。

 紺色の三つ揃えのスーツに、磨き上げられたブランドの革靴。時計は派手さはないが、質の良い国産品だ。

 鷹匠が『厚木』と呼んだこの男は、何年も付き合いがある百貨店の外商部長だった。

「晴臣様のお誕生日の件でございますね」

「えぇ。さすが厚木さんだ。覚えていてくれたんですね」

「上総組様の大切なご子息様のお誕生日を、忘れるはずもございません。実はすでに、ご提案できそうなものをいくつか用意しておりまして」

 にこやかに答えた厚木が、ソファの隅に置いていた紙袋から分厚いバインダーを取り出す。そうして鷹匠が向かいのソファに腰を下ろしたのを確認してから自身も座り、バインダーを鷹匠へと手渡した。

「大学へご進学されたとのことで、腕時計を中心に提案書を作成いたしました。派手な物や、ブランド色が全面に出た物はお好みではない方でいらっしゃいますので、シンプルなラインですが、価値の高い物を選りすぐっております」

 バインダーを開くと、厚木の言う通りベルトや文字盤はシンプルだが、国内での流通が限られているハイブランドのナンバリング入りの限定品が並んでいた。

 どれも1本で高級車が買える価格だが、晴臣が好みそうなデザインをしている。

 鷹匠は、こうした先回りができる厚木の手腕を気に入っていた。

 じっくり見ていると、応接室のドアが静かに開いた。先程の若衆の男が茶を持って入ってくる。2人の前に白い磁器の湯呑みを置くと、袱紗(ふくさ)を鷹匠側に置いて退室していった。

 ドアが閉まる音を聞いてから、バインダーから顔を上げる。

「さすがですね、厚木さん。どれも晴臣くんに似合いそうで、すぐには決められませんよ」

「ありがとうございます。こちらの提案書は、鷹匠様専用ですので、どうぞ存分にご覧ください。もしお決まりになられましたら、いつでもご連絡を。商品は、一旦すべて押さえてございますのでご安心いただけますと、幸いです」

「そんな、全部押さえてるだなんて。買うのが1本だけじゃ、申し訳なくなるじゃないですか」

 冗談めかして言うと、厚木も同じように乗ってきた。

「それが狙いですから。ぜひ、2本なり3本なり」

「ははは、怖いなぁ。わかりましたよ。僕の分も合わせて、今回は時計を2本いただきます。どれにするかは、また連絡しますね」

「ありがとうございます!」

 厚木がテーブルにぶつけそうな勢いで頭を下げた。

 1本でも最低1000万はする腕時計だ。おそらく彼は会社に戻ったら、部下たちにホクホク顔で報告をすることだろう。

 当然ではあるが、晴臣の誕生日プレゼント代は、鷹匠の個人資産から出ている。そこに組の金は一切ない。店の経営や、不動産投資で稼いだ金だった。

 話がひと段落して茶で口を湿らせている厚木の前に、先程金髪の男が持ってきた袱紗(ふくさ)を置く。

 包みを開くと、中元の熨斗がついた薄いギフトケースが入っていた。

「厚木さん、これ良かったら受け取ってください。お子さん、今年で中学卒業でしょう?ご家族皆さんで、記念旅行にでも」

「そんな、申し訳ないです……!」

「いつも良い品を回してくださるお礼です。大丈夫、受け取ったからと言って強請ったりしませんから」

 もちろんこれも、冗談に聞こえる言い方だ。厚木は笑うと「では、お気持ちとともに頂戴いたします」と受け取った。

 商談が終わると、あとは世間話だ。

「会社に戻ると、いつも皆が私を心配するんですよ」

「ヤクザの事務所だからですか?」

「……大変申し訳ございません。鷹匠様はお優しくて親切な方ですし、我が社でも最上位クラスの顧客様だと強く言い聞かせてはいるのですが」

 明確な肯定はしなかったが、恐縮したように厚木が言う。鷹匠は、より柔らかい笑みを作った。

「仕方ありません。うちの事務所には、見た目が怖い者も多いですから。ですが、だからこそ僕はそんな彼らの受け皿になりたいんですよ」

「受け皿……ですか?」

「今の日本では、一度でも過ちを犯した者は這い上がることが難しい。暴力に生きるしかなかった彼らが、社会と繋がって真っ当に働ける場を作りたいと思っています」

「鷹匠様……!」

 厚木の目が、感動によってキラキラと輝く。だがすぐにそれが、小さな溜息に取って代わった。

「世の中のお金を持ってらっしゃる方が皆、鷹匠様のような方であれば良かったのですが」

「……四ツ橋百貨店が抱える富裕層ともなれば、様々な界隈の方がいらっしゃるのでしょうね」

「えぇ……。先日も、……、っと失礼しました」

 うっかり、と言った様子でこぼした厚木に、鷹匠は「いえいえ」と穏やかに返した。

「業務上、守秘義務は多いでしょうからお気になさらず。……ただ」

 厚木が「優しい」と感じた表情のまま、口を開く。

「顧客ではなく、友人として愚痴を聞くくらいなら、いつでもできますよ」

 鷹匠にとって、カタギの人間は情報源だ。

 彼らは、相手の態度を見て『善意がある』と勝手に解釈してくれる。

「いやぁ、大した話でないのですが……」

 秘密にしてくださいね、と話し始めた厚木に、鷹匠は「もちろんです」と目を細めて答えた。

次回第五話は9月14日17時更新です。

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