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第二十話 2005年某所にて

 先週末に満開を迎えた桜は、すでに散り始めていた。

 

 2005年、4月。

 鷹匠は、広々とした真新しいマンションの玄関で、新社会人のスーツに身を包んだ晴臣を眩しく見つめていた。

 スーツも時計も靴も、この日のためにわざわざ安価なものを探した。そうしてほしいと言われたからだ。

 就職するにあたり、晴臣は少しだけ髪を切った。形の良い額が、半分ほど見えている。

「似合ってますよ、晴臣」

 微笑むと、頬を染めた晴臣が嬉しそうに笑う。そのまま引き寄せると、慣れたように晴臣は少しだけ唇を開いて鷹匠を受け入れた。



 2002年の年明けに起きた事件は、2つの意味で日本中の話題をさらった。

 1つ目は、真っ昼間から薬物中毒の男がトラックを暴走させ乗用車に追突した挙句、児童に銃を向け発砲したこと。この凶悪事件は、交通安全のキャンペーンを撮りに来た地域のケーブルテレビの報道カメラにより、一部始終が撮影された。犯人の凶行、異常な言動、手にした拳銃が児童に向く様子まで。当の局だけではなく、瞬く間に全国ニュースにも流された。

 2つ目は、その後の出来事だ。犯人は児童に向けて銃を向けた。そこに1人の青年が割って入り、児童を抱えて庇おうとした。だがさらにその青年の前に長身の黒いスーツの男が現れた。児童と青年を自らの背に庇った瞬間、銃声が響いた。

 距離と銃口から、当たっていなければおかしい状況だった。

 だが男は倒れることなく、犯人に向かって走ると、その拳を犯人の頬に叩き込んだ。

 庇われた青年が、児童を保護者に預け男の元へ向かう。カメラがジャケットを捲って、驚いている青年の表情を捉える。


『俺があげた、携帯灰皿……』


 音声マイクが、2人の声を拾っていた。


『素人の銃なんか、まともに当たるもんじゃありませんが、運良く狙いが良くて助かり——……泣かないでください』

『た、鷹匠が、死んだら……どうしようかと思った……』

『あなたを置いて、死にませんよ』


 その直後にカメラは警察から撮影禁止が出され、映像も止まった。

 しかし視聴者たちには、それで充分だった。

 まるで映画のワンシーンのような光景とやりとりが、現代のヒーロー劇だとして一気に広がった。マスコミは話題の2人を探し、追いかけようとした。——そして、途中で誰を追おうとしているのかを知り、軒並み引き上げていった。

 それでも世間での熱狂は、次の楽しみが見つかるまで冷めることはなかった。

 


 ぺしん、と鷹匠の手を叩いた晴臣が、吐息を零しながら身体を離した。

 どうやら不埒な位置に移動しようとしていた指に気付いたらしい。かっちりと着込んでいる晴臣とは対照的に、鷹匠はボタンをすべて開けた藍色のワイシャツに、黒のスラックスという姿だった。晴臣に言わせると「凶暴な色気」らしい。自覚はある。しかし鷹匠から見れば、晴臣もそうだった。

 20歳の誕生日。キャンプで泊まったコテージの中で、初々しい姿を見せてくれた晴臣は、すっかり艶のある青年として咲いてしまった。咲かせたのは自分だと胸を張って言える身としては、最高の2文字ではあるのだが。恥じらっていた頃の晴臣も、それはそれで最高だったと時々思う。

  

 今いるこの高層マンションは、晴臣の就職先からほど近い場所にある。入居したのは先月だ。1部屋しかない最上階を購入した。バルコニーからの景色を見た晴臣が「ここいいね」と冗談混じりに言ったのが購入の決め手だった。

 買って鍵を渡した時は「……え?本当にあの億ション買ったの……?」と引かれてしまったが、気に入っているようなので結果オーライだと鷹匠は思っている。

「忘れ物はありませんか?」

「持ってきて、って言われた資料は鞄に入れた。携帯電話もマナーモードにして入れてるし、財布とハンカチも持った。大丈夫だと思う」

「体調が悪くなった時は、すぐに連絡をください。迎えに行きます」

「うん、ありがとう」

「残業の時も、迎えに行きます。……雨の日は送り迎えにしましょう。それから昼休みは、しっかり食事と休みを取ってください。あとは」

「わかった!わかったから!」

 ぎゅむっと手のひらで口を押さえられた。出そうとしていた言葉がモゴモゴと晴臣の手に吸い込まれていく。

 鷹匠は言葉で伝える代わりに、手を伸ばし、晴臣の耳の後ろを指の腹で撫でた。

「……っ」

 驚いた晴臣が口を押さえていた手を離したタイミングで、続きを口にする。

「休みの日は、ずっとしましょうね」

「っ!も、もう!なんで朝からそういうこと言うんだよ!思い出しちゃうだろ!」

「……ベッドに戻ります?」

「戻らない!行ってきます!終わったら、連絡するから!」

 四角い革鞄を抱えた晴臣が、怒りながらも思いやりのある言葉をしっかり残してドアを開けて出ていく。鷹匠は部屋の前にあるエレベーターが開く音がするまで、閉められたドアを眺めながら見送り、それから部屋へと戻った。

 晴臣は、本人が希望する業種へと無事就職した。彼の未来の決定に、前世の自分の死が関係していることに、鷹匠は深い満足を覚える。

 過去を忘れて生きて欲しい、などとは思わない。むしろ囚われていて欲しいとさえ願っている。

 こうした考えは、一般的には忌避されるものなのだろう。

 だが晴臣はそれを知ってもなお「鷹匠らしくて、良いと思う」と笑った。だから、鷹匠は気にしていない。

 今気にしなければならないのは、風舞伎町に新しくオープンさせるアミューズメントビルの内装とテナントについてだ。

 2025年までを知る晴臣から「エンディング後に暴対法が施行されないとも限らないから、別の事業を始めてもいいかもしれない」と提案され、ビルを1棟買い上げた。今後は夜の店だけではなく、観光客向けの事業も展開していく。

 プレオープンに招待する旨を外商の厚木に伝えると、キラキラとした目で頷かれた。帝和建設の件では、こっそりと礼を言われたりもしている。例の年明けの報道も見たらしく、一家総出で鷹匠をヒーロー扱いしていた。

 帝和建設は、都への多額の献金と引き換えに工事を優先的に受注していたことと、会長を含む複数の役員が国内外の暴力団組織と違法薬物の取引をしていた事実が明るみになり、会長が逮捕された。3年経った現在でもまだ裁判が続いている。会社は役員を入れ替えたものの、社会的信用の失墜は免れず、取引の中止が相次ぎ、帝和建設は事実上の解体となった。

 帝和建設と繋がっていたとされる三陽会は入交が薬物の密輸と売買で起訴された後、多くの余罪が見つかり、こちらはまだ一審すら始まっていない。長田の話では、柳の証言により三陽会と帝和建設の関係の証拠固めはできたとのこと。ただし夜梟(イエシャオ)の上の組織は、すでに全員が日本を脱出しており、追跡は不可能とのことだった。

 その柳とは、一度だけ面会をした。組織を裏切る証言を出す条件として、鷹匠との面会を求めたためだ。鷹匠はそれを飲み、警察病院の一室で10分のみ話をした。その後、起訴猶予中に逃亡したと聞いている。おそらく、どこかの船に乗って海外へ渡ったのだろう。


 シャツのボタンをかけ、金バッジ付きのジャケットを羽織る。

 鷹匠の家は、上総組の本宅だ。このマンションは晴臣の名義で、鷹匠が通う形になっている。

 キーケースを手に取り、玄関へと向かう。

 靴箱の上に、写真を貼るボードがある。毎年晴臣の誕生日にキャンプをする。その時の写真が多い。

 ボードの横には、小さな携帯用の灰皿が置かれていた。

 何かが突き刺さったような、穴が空いている。

 鷹匠はそれを手に取り、ジャケットの胸ポケットに入れてから、玄関を開けた。


 2005年の日本——……のような、場所。

 鷹匠蓮司は、上総晴臣とともに生きていた。

次の話は、各人物紹介とその後のオマケなどになります。

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