第十九話 「一緒にいたい」と若が言うので
「あ〜〜っ!緊張しました!普通あのタイミングで煽ります!?」
「あそこで煽らねぇと、導火線に火をつけられねぇだろ」
「そりゃそうですけどねぇ!」
料亭から出て、帰りの車内。
鷹匠が乗った瞬間に声を上げたのは、運転席の山川だった。
「俺も緊張した〜。撃たれるかと思った」
続いてジャケットを脱ぎながら乗り込んできた晴臣に、先に腰を落ち着けた鷹匠が柔らかな視線を向ける。
「撃てませんよ、入交には。あの場で俺を殺れば、あいつは終わりです。面子よりも、会長の地位と金に固執するタイプですから、撃てるはずがない」
「そ、そうなんだ……。カッとして犯行に及ぶ、とかはないんだね」
ベストまで脱いだ晴臣が、ついでに、とネクタイも外す。
「左右はやろうとしてましたね。そういう意味では、入交は烏合の衆の頭に向いてます」
でもこれで、と鷹匠は視線を晴臣から運転席側のサイドミラーへと移した。走り出した車の後ろに、間隔を開けて乗用車がついてくる。
「三陽会は、鉄砲玉を出すでしょう」
会食の間は必要ないと車内に置いていた携帯電話が鳴った。料亭へ向かう前にもかけてきた、長田だ。
〈よぉ、生きてるみてぇだな〉
「生きてますよ。しっかり守ってくださいね、期待してます」
サイドミラーに映る車。その助手席に長田の姿がある。
〈守りは期待すんな。こっちは、一触即発なヤクザ組織の会合があるって通報受けて、周辺をパトロールしてるだけなんでな〉
プツ、と通話が切られる。
文句を言いながらも付き合ってくれるのが、長田の長所だ。もちろん、彼自身にも旨みはある。目論見通りに行けば、長田は大物を釣り上げることができる。
「やりきっといてアレですけど、相当危ねぇ橋っすよ。俺らはともかく、若には降りてもらった方が……」
車は路地から大きな通りへと出た。合流により、長田が乗った覆面パトカーが数台後ろに回る。
「気持ちは嬉しいけど……。ここで逃げたら、俺が山川さんに言えなくなるから」
「俺に?何をです?」
「上総組の鷹匠を俺にください、って」
「ブフォッ」
「ちょっ、汚い。後で拭いてね。仮免の練習、この車でやる予定だから」
言われて、ハンドルについた涎を袖で拭いた山川が、ルームミラーで晴臣と鷹匠を交互に見てから大きなため息をついた。
「……若って、やっぱり親父の息子なんすね」
「父さんも、欲しいものは絶対手に入れるタイプだったもんね」
「顔は姐さん似なのに〜!」
よよよ、と古い泣き真似をしながら山川がウィンカーをつける。その視線が、不意に「おっ?」と道路脇に向けられた。
「あそこの道路脇、なんか子どもがいっぱいいますね」
「本当だ。今日から3学期だからかな?」
言われて同じ方向を見た晴臣が答える。鷹匠も二人の視線の先を見た。交差点に面した歩道で、黄色い学帽を被った児童たちが集まっている。近くには保護者と、数台のカメラ、そして制服を着た警察官が2人いた。
「何か幟に書かれてますよ」
「交通キャンペーン、かな?学期始めで、安全指導してるのかも」
「40キロで走りまーす」
山川が減速を宣言する。
だがスピードが落とされる前に、突然、真後ろから強い衝撃が来た。
振り返った鷹匠の目に、白の4トントラックのフロントグリルが映った。近すぎて、運転席は見えない。
何度も繰り返しぶつかってくる。道路脇へ弾き出すように。
事故、ではない。
明らかに故意だ。
「馬鹿かよ!こんな目立つ鉄砲玉用意するやつがあるか!」
山川が叫ぶ。
「ここまで来たら、『名前を語る』連中そのものをでっち上げる気なんだろ」
鷹匠は、有無を言わさず晴臣を引き寄せ抱え込んだ。
「先に出る。弾き飛ばされる前に、電柱にでもぶつかって止まれ。死ぬなよ」
「セダンの頑丈さに期待します!」
返事を聞き、真横にあるドアを開けた。蛇行するセダンから、晴臣を包むように抱えて飛び降りる。そのすぐ脇を、トラックが通過していった。
悲鳴とブレーキの音。
大きな衝撃音がして、山川が運転するセダンが電信柱に衝突する。直後に追い討ちをかけるように、トラックが車の後方に斜めに乗り上げた。
辺り一帯が騒然となる。
制服の警察官が「下がって!」と声を張り上げる。固まって泣く子ども。その中の1人がパニックになって輪から抜ける。
鷹匠は腕の中の晴臣を見た。
だが晴臣は、別のものを見ていた。
トラックの運転席から、明らかにまともではない状態の男が1人降りてくる。薬物中毒だ。手に、自動拳銃を持っている。男が何かを喚きながらそれを周囲に向かって、でたらめに構える。
悲鳴が大きくなった。
「うぅるせぇぇぇ!どこだぁぁッ!」
誰かを探している。その目が、パニックの中で走る小さな子どもを見つけた。
「テメェかぁ!」
男の目には誰が映っているのか。銃口が向けられる。そこに晴臣が走っていく。
「……若ッ!」
すべてが目まぐるしく動いていた。
鷹匠の目には、晴臣しか見えていなかった。
銃口の先にいる子どもを抱える晴臣の、その腕を掴む。
一瞬だけ、目が合う。
腕を引き、子どもごと、立ち位置を入れ替える。
銃声が、冬の空気を縦に割いた。
「……、鷹匠ッ!」
銃口は、真っ直ぐ鷹匠に向いていた。
小さな穴が、ジャケットの胸元に空いている。
鷹匠はそれを見下ろし、それから銃を持つ男へと走った。
「ヒッ!」
撃たれても向かってくる鷹匠に、男が恐怖に顔を引き攣らせながら何度も引き金を引く。
だが、スライドは後ろで止まったまま。弾は出なかった。
捨て駒の鉄砲玉らしい、装填が一発だけの古いトカレフ。
腕を振り抜き、男を殴りつける。空中でくるりと横に回転した身体が、バウンドしてアスファルトに転がる。そしてそのまま短い呻き声を上げると、動かなくなった。
「鷹匠……!!」
子どもを保護者に渡した晴臣が、焦りと絶望を滲ませながらやってくる。鷹匠の前に回り込み、空いた穴を見てグッと息を詰まらせ、ジャケットを開く。
「——……」
そして、目を丸くした。
「……ここがゲームの世界だというのは、本当かもしれませんね」
晴臣にだけ聞こえる声で、鷹匠が囁く。
ジャケットの下のベストには、穴が空いていなかった。
「俺があげた、携帯灰皿……」
代わりに、ジャケットの胸ポケットに入っていた金属製の携帯灰皿に、弾が突き刺さっている。
「素人の銃なんか当たるもんじゃありませんが、狙いが良くて助かり——……泣かないでください」
鷹匠の指が、晴臣の目から零れる涙を掬った。
「た、鷹匠が、死んだら……どうしようかと思った……」
「あなたを置いて、死にませんよ」
しがみつかれ、その身体を引き寄せる。
路肩に停車したランプ付きの覆面パトカーから、無線を終えた長田が歩いてくるのが見えた。路上では、運転をしていた警察官が、制服の警察官たちと協力して銃を持っていた男の身柄を拘束している。
「事情聴取は付き合えよ?」
「えぇ。すみませんが、山川用に救急車の手配を頼みます」
「さっき見てきたが、かってぇ車だな。トラックが乗り上げた後ろはさておき、前はほとんど無傷だ。ま、せいぜいムチウチ2週間コースだな」
「……そうですか」
安堵の息が漏れる。それを見て長田が瞬きをひとつした後、ニヤリと口元を歪めた。
「随分と人間らしくなったじゃねぇか?愛を知った野獣が人間に戻るってのは、物語だけじゃねぇってことか」
「好きなように想像してください。礼だけ言っておきます。『偶然』居合わせてくれて、助かりました」
「おぅ。巡回中にヤク中の発砲事件だ。こいつは大事件だぜ」
鷹匠とすれ違いながら、こいつは独り言だが、と長田が耳元に口を寄せる。
「……都知事が変わるかもな」
それは政界に食い込んでいる帝和建設と薬物の関係を、捜査線に乗せる決断をしたということだ。薬物のルートは、三陽会もしくは夜梟の上組織が絡んでいる。その証拠と、柳の証言、そして発砲した薬物中毒の男を使って、牙城に手をかけるつもりでいるのかもしれない。
とは言え鷹匠にしてみれば、それは勝手にやってくれ、くらいのものだった。
「……出世したら、教えてください。祝いくらい、贈りますよ」
「いらねぇよ。昇進が一発でオシャカになるわ」
そのまま長田が歩いていく。鷹匠は腕の中の晴臣の背を撫でると、「これで一応のカタは着くでしょう」と声をかけた。
今回の件について入交は、『三陽会の名を語るヤク中による単独犯』としてシラを切ろうとするだろう。
だが、警察は柳風月の身柄を確保している。根拠があるわけではないが、鷹匠は柳が警察との取引に応じるのではないかと考えていた。
それは正義感ではない。
ただ単に、死にきれなかった男の残りの時間の過ごし方として、それを選ぶのではないかと思った。
柳の証言があれば警察は、一昨年の取締りから逃れた三陽会を、起訴まで持っていける。罪状はなんでも良い。家宅捜査に入れば、余罪はいくらでも積み上げられる。さすがの入交も、年貢の納め時だ。そして警察側は、それを足がかりとして麻薬取締部と連携して本命を落とす予定なのだろう。
鷹匠は、雲ひとつない冬空を見上げた。
「……マンション、買いましょうか」
「えっ、なに突然……」
腕の中の晴臣がくぐもった声で聞いてくる。
なに、と聞かれても鷹匠としても、特にこれといった理由はなかった。
「欲しいな、と思いまして。家が」
本当に、この程度だ。
晴臣と自分、2人だけの家が欲しいと思った。それだけだった。
「いいけど、就職祝いにしてほしい。まだあの家に、鷹匠と一緒にいたいから」
「……わかりました」
そして提案されれば、それもそうだと思った。上総組の本宅は、16年間過ごしてきた場所だ。あと3年、ゆっくりするのもいい。
「では3年かけて、マンションを選びましょう」
「うん」
鷹匠の胸を満たす、温かいもの。
なるほど、と晴臣を抱く腕に力を込めた。
愛とは、こういう形をしているらしい。




