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第十八話 「怖くないよ」と若が言うので

 真冬の海に落ちた鷹匠よりも、両手のひらの皮と、右手中指の爪が剥がれた晴臣の方がよほど重傷だった。むしろ鷹匠に至っては、港に戻る頃には普通に動けるほどになっていた。

 新年の祝いムードに包まれている観光地エリアを避けて陸に上がった3人は、鷹匠が乗ってきた車を使い都内へと向かった。晴臣たちは、山川が運転する白のバンで来たのだという。路駐するなら、高級車よりもバンの方がまだ怪しまれることはないだろうという判断だった。

 早苗の病院に行くことも考えたが、晴臣の「カタギの人を新年早々ヤクザ事情に巻き込むのは、絶対駄目!」という強い拒否により、本宅へと帰ることになった。

 帰ったら帰ったで、ずぶ濡れの鷹匠と怪我をしている晴臣に組員たちが騒然となる一幕もあったのだが、山川に「うるせぇ!散れ!あと誰か救急箱を居間まで持ってこい!」と一喝され、全員が一瞬で散っていった。

 晴臣の手当ては、鷹匠が行った。この時になって痛みが襲ってきたのか、洗浄と消毒で晴臣が涙目になるたびに、鷹匠がオロオロと慌てて中断するという光景が繰り返された。

 この時の鷹匠を振り返り、後に山川はこう語った。

 

 ザブザブ洗ってササっと消毒塗った方が絶対痛くなかったよな、と。




 襲名披露は、正月が明けた4日に行われた。

 法事と同じように主たる幹部たちへ向けた披露式ではあったが、晴臣から改めて鷹匠へと組を託す話を伝えられ、さらには一度の仕掛けで三陽会のすべての構成員を引かせたクリスマスの風舞伎町の件などを知っていた組員たちの中に、反対意見を言う者はいなかった。

 若頭補佐の山川が、「これで安心だ〜」と泣いたことも大きい。上総重成を失った上総組は、一年経ってようやく新たな旗印を得る。


 この日、上総組二代目鷹匠蓮司が誕生した。





 襲名披露から、さらに4日後。

 鷹匠がその報せを聞いたのは、フルスモークの黒いセダンの中だった。ハンドルを握る山川の後ろの席で、隣に座る晴臣から黒無地のネクタイを、包帯を巻いた手で直されていた時だ。

 一般用の携帯に、風舞伎町警察署の長田から連絡が入った。

 海上保安庁の船により発見、保護された柳風月の意識が戻ったという。大晦日の出航から、3日後に、柳は生きた状態で発見された。衰弱はひどいものの大きな外傷もなく、警察病院に入院していた。今後は回復を待って、情報と引き換えに便宜を持ちかける予定だという。

 鷹匠は「わかった」以外の返事をしないまま、電話を切った。晴臣には、「柳の意識が戻ったそうです」とだけ伝えた。鷹匠としては、柳が死のうが生きようがどっちでも良かったが、晴臣が「良かった」と言うので「良かったです」と返した。


 車は、都内にある料亭へと向かっていた。 

 上総組と三陽会のちょうど中間地点にあり、政治家や企業の重役クラスが会食にも利用している。

 店を指定したのは、鷹匠だ。香典返しの名目で二代目の名で三陽会へ申し入れをした。やり取りをしたのは互いに当人ではないが、鷹匠はこの時の入交の心情を簡単に読むことができた。

 自身の予想から外れ、鷹匠蓮司が二代目を襲名した。鷹匠はそもそも、上総重成からの信頼も厚い金筋だ。極道としてのやり方も、まるで『生まれた時からそうであるかのように』染み付いている。その相手が、クリスマスの件を仕掛けた上で、組と組の火線上にある料亭での会食を指定する。入交としては、昨年末の一斉取締りよりも逃げたい場となるだろう。

 その場で弾(ハジ)くほどの度胸は、入交にはない。あの男が死んで側近が会長の座に収まれば話は違ってくるだろうが、金儲けはしっかり上手いタイプだ。自らの椅子を守るためにも、今日の会食では一旦は上総組に対して譲歩の姿勢を見せるに違いない。

 そうしておいて、おそらく帰りに何かを仕掛けてくる。

 鷹匠は、視線を窓に向けた。

 厚い防弾ガラスだ。さすがに都内でカーチェイスするほど馬鹿ではないだろうが、入交が三陽会内部で立場を悪化させていれば、追い詰められた鼠が猫を噛むように、がむしゃらな反撃に出てこないとも限らない。セダンの装甲は、保険のひとつだった。

「……若、怖くはありませんか?」

 会食に同行すると晴臣が言った時、当然ながら鷹匠は反対した。今日仕掛けるのは、入交の反撃込みでの罠だ。RPGでも持ち出されない限り耐え切れる車ではあるが、それでも本当に襲撃されれば安全は保証できない。

 この問いも、車に乗ってから何度も繰り返してきた。

 その度に晴臣は、鷹匠の手を取り「怖くないよ」と笑う。

 鷹匠は手を握り返し、乗り出すように顔を近づけた。

「あーあーあー、そういうの俺がいないとこでやってもらえませんかねー」

 唇が触れる寸前で、運転席からストップがかかる。

「……ルームミラー、見なきゃいいだろうが」

「いや!音とか声とか聞こえてきたら、めっちゃくちゃ気まずいですからね!身内のそういうの、ほんと勘弁してください!」

「身内……」

 山川が何気なく口にした言葉を、無意識に返す。

「若は赤ん坊の頃から知ってますし、二代目もまだヒョロっこいガキの頃からの付き合いなんです。俺は若のことも二代目のことも、弟みてぇに思ってるんですから」

「えっ、そうなの?すごく嬉しいかも」

「お兄ちゃんって呼んでくれてもいいっすよ、若」

「それは嫌だけど」

「急に真顔になるのやめてもらっていいすか?」

 山川のボケに、晴臣が突っ込む。

 上総重成が作った時間の延長が、ずっと今まで続いている。

「俺が呼んでやろうか、お兄ちゃん」

「うっわ!こっわ!びっくりしてアクセル踏み抜くかと思った!」

 半分くらいは本気で呼んだのだが、不評だったようだ。

「もうすぐ着きますから、ちゃんと真面目な顔しててくださいね」

 叱り方がすでに年長者のそれだ。鷹匠が二代目となってからまだ数日しか経っていないが、新しく若頭となった山川はすっかり女房役が定着していた。



 目的地は大通りから離れた、高級住宅街にほど近い場所にあった。

 路地を曲がると、屋根を付けた高い土塀が目に入る。門扉は開いていたが、広いスペースはない。手前で車を停めて晴臣とともに先に降りる。今日の会食に鷹匠が指定したのは、入交を含む、先日弔問に来た3名。こちらは二代目の鷹匠と、若頭の山川、そして香典返しを持つ先代の息子の晴臣。人数と格は合っている。

 少し待っていると、裏手にある駐車場に車を停めた山川が小走りで戻ってきた。

 門から入り口までは、切石を置いた細くうねった道が続いていた。左手側に、苔の付いた松が生えている。右手側には石灯籠が火もなく佇んでいた。

 玄関前に、着物姿の仲居がいる。組子で飾られた引き戸を開け「お待ちしておりました」と、深く頭を下げた。

 会食の場を離れにしなかった理由は、2つ。場を囲まれないようにすることと、人の目を作るためだ。

 客の部屋には不用意に立ち寄らないとは言え、母屋の方が離れよりは働く者の目が届きやすい。入交に勇み足を踏ませない狙いもあった。

 玄関から上がると、木の匂いがした。柿渋色の、真っ直ぐ一枚板の廊下を歩く。

 時間は午前10時50分。三陽会に指定した時間は午前11時だ。ホストとなる鷹匠は、それよりも少し早めにくる必要がある。

 仲居が廊下の突き当たりにある障子の前で、足を止めた。前を向いていた白い足袋が、鷹匠たちへと向けられる。

「こちらでございます」

 指を添えるようにして障子を開き、また頭を下げる。先に鷹匠が入り、晴臣、山川と続いた。

 中は床の間のない、10畳の和室だった。黒檀のテーブルが、入り口から見て縦に置かれている。奥は広縁になっていた。開けると竹垣に囲まれた裏庭に出られるガラス戸が、その先にある。

 テーブルの左右には、座布団3枚ずつ。真ん中の2枚だけ、他の4枚と柄が違う。

 左側の奥に晴臣が座り、柄の違う座布団に鷹匠が腰を下ろした。3人が席につき少ししたところで、案内人の仲居が三陽会の到着を伝える。

 黒の三つ揃いのスーツの上総組よりも、藍が入ったスーツを身につけた入交たちが入ってくる。

 右側中央に座る入交の表情には、先日の弔問の時のような笑みはなかった。



 鷹匠が弔問の礼を述べ献杯した後は、ほぼ無言の席だった。

 仲居が、引き攣った表情を必死で隠しながら膳を運ぶ。

 先付から椀物、向付へと続く。焼き物は、寒鰆の西京焼きが出された。炊き合わせと酢の物、飯までが終わり、干し柿に餡を包んだ和菓子がテーブルに並んだ。

 料理を出し終えた仲居が座から下がる。

 障子が閉まってから、鷹匠は山川に視線を送った。

 一礼をした山川が、小さな風呂敷包みを開き2封の封筒を取り出す。それを受け取った鷹匠が、入交の前に置いた。

「こちら、遅くなりましたが頂戴した香典の返しです」

 三陽会自体が葬儀を欠席し、香典が遅れた件に関しては何も言わない。一周忌直前に香典を口実に柳を連れてきた件についても同様だ。

「これはどうもご丁寧に、……二代目」

 入交は、口の端だけの笑みを見せた。動揺も、焦りも見られない。一流ではないが、この男も組織を率いるだけの胆力は持ち合わせている。

 鷹匠は続いて、もうひとつの封筒を、つい、と入交側へと押した。

「こちらは、『三陽会さんの名を語って』先代の一周忌を土足で荒らした連中のリストです」

「…………」

 ぴくり、と入交の眉が動いた。

「際どい線はいくつもありましたが、三陽会さんとは今まで上手くやってきたつもりです。今時、ハジキを持ち出しての戦争なんて、金がかかるだけだ。うちとしちゃ風舞伎町の件は、おたくを舐め腐ったどこかの組織が、うちと戦争(や)らせようと画策した、と考えてるんですが。……どう思いますか?」

「……そう、ですなぁ」

 答える入交の口の端が、数回痙攣する。

 三陽会を舐めた組織が、三陽会の名を語り上総組に手を出した。

 それを否定すれば、全面戦争になる。戦後の時代ならまだしも、2001年にもなって巨大な組同士の抗争にメリットなどない。潰し合って、別の組が漁夫の利を得るだけだ。

 だが肯定すれば、三陽会は名を語って暴れる連中を見逃した挙句、その対応を上総組に預けた腑抜けということになる。

 前者なら上総組を巻き込めるが、下手をすれば組織自体が揺らぐ。後者なら、ダメージは少ないが評判が地の底に落ちる。

 入交の白目に、赤い線が滲む。怒りを抑えているのがわかった。

 ……だが怒りならこちらの方がずっと上だと、鷹匠は鼻で嘲笑(わら)った。

 勝手に欲を出して、勝手に手を出しておいて。

 殴り返されたら、被害者ぶって怒りを見せる。

 

 通らないだろう、そんな馬鹿の理屈は。


「入院明けで不安定な体調の中、無理して弔問に来てくださった入交会長のご厚意に、上総組は恩で返しますよ。よろしければ、犯人探しも手伝います。余所者に代紋を使われても気付かず、会長に知らせることもできない幹部しかいないのでは、色々と大変でしょうから」

 鷹匠の挑発に、左右に座っていた門脇と宮地が席を立ちかける。だがそれを、唇を固く結んだ入交が腕を差し込むことで止めた。

 太く短い指が、2つの封筒を手に取り若頭の門脇に回す。

「……二代目は、先代とそっくりですな」

「お褒めの言葉として、受け取っておきます」

「えぇ、褒めてます。……久しぶりに、ツブシの重成のやり方を見ました。勉強代として、受け入れましょう」  

 ゆっくりと、入交が立ち上がった。

「席の途中ですが、柿は身体を冷やすからと医者に止められてましてね、今日はこれで失礼いたします」

 では、と。両脇の幹部を連れて自ら障子を開ける。

 そのまま振り返ることなく出ていく背中を、鷹匠は声をかけることなく見送った。

次回第十九話、第二十話(終話)、オマケは9月28日17時更新です。

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