第十六話 約束をしたはず
風舞伎町の店に仕掛けた罠は、ほぼ完璧な形で作動した。
報告によると、口火を切ったのは美奈子だった。
『貸切までしてる法要の場に、まさか入ってくる馬鹿はいないだろうけど。もし来たら、こう言えって『新しい親分さん』に言われてるの。年明け、襲名披露が終わったらそっちに行く、って。大事な法要を土足で汚した落とし前、付けさせるからって』
それを聞いて慌てたのは、店のボーイを押し除け無理やり入ってきた三陽会の構成員たちだった。
知らぬ存ぜぬでは通せない。今更シラを切ることもできない。
とりあえずその場では伝言を持ち帰り、上層部に報告するだろう。それは入交の耳にも入り、そこで初めて、手慣れたやり方から二代目が晴臣ではないと気付く。あるいは、晴臣だと思うように仕向けられていたと。
罠とは知らず、他人のシマの切り取りを仕掛けたこと。一周忌という大事な法要を踏み荒らしたこと。この2つだけでも、三陽会の評判は地に落ち、日本中の極道から『ハメられた礼儀知らずの三下』としてそっぽを向かれる。それだけの失態を犯している。メンツで生きている極道には、致命傷とまではいかないが高い授業料になる。
シマからは、それで手を引かせる。
三陽会に対してのケジメは、そこからだ。
年の瀬の中華街は春雪ほどではないが、街全体が提灯の明かりやイルミネーションで飾られ賑やかな雰囲気となる。
大通りの店は観光客のために営業時間を延長し、街でカウントダウンをする者たちを温かく迎えていた。
通りを一本入ると、華僑のコミュニティでの静かな年越しを見ることができる。中には2月の春節まで待てず爆竹を鳴らす者もいたが、そうした騒ぎも込みで異国の色を滲ませた夜となっていた。
夜梟が手打ちの場として指定した高級中華料理屋は、観光地の中心部にあった。駐車場は完備されていないが、12月は隣接のコインパーキングを数台分貸切にしている。その中の1スペースに車を停めて降りると、遠くの方から爆竹が鳴る音がした。
歩きながら山川へ電話をかける。「若も隣にいます」と言われ「そのまま離れるな」と告げて通話を切った。
去年は別として、今までの鷹匠の年越しは上総組の本宅で過ごすのが恒例となっていた。
上総父子を中心にして、幹部たちと蕎麦を食べ、花札などで小さな賭け事などをして同じ部屋で過ごした。
テレビを見たりもした。
仕事に必要だからと色々覚えていた鷹匠は、紅白で解説役になることが多かった。上総重成は最近の曲を知らず、晴臣は昔の曲を知らない。どちらも知っている鷹匠が解説するたびに、山川から「司会より詳しいじゃねえっすか」と突っ込みが飛んできた。
あれに名前をつけるとするなら、きっと『家族の時間』だった。
店の前まで来ると、すぐに案内役らしいスタッフがやってきた。
夜梟は、——いや、柳風月は、鷹匠に対してひとりで来るようにと指定した。こちらも1人で行くから、と。
手打ちの件については、山川には話してある。万が一、鷹匠が戻ってこなかった場合の今後の対応を含めて。
上総組にとって夜梟は、下部組織と揉めた小グループでしかない。その夜梟が、一対一での話し合いを求めている。罠であろうとなかろうと、その時点で鷹匠に選択肢はない。面子商売というのは、面倒なものだと思う。この場合、鷹匠が1人で手打ちに赴くのは、自身の面子のためではない。上総重成の顔に泥を塗らないためだ。
店は周辺でも一際大きな四階建てのビルに、緑の瓦を貼り付けた宮廷風の建物だった。強い油の香りが漂っている。入り口には朱色の柱が並び、同じ色の提灯が吊り下げられていた。
中に入ると、一階部分は一般客用のホールになっていた。人々のざわめきと食器が立てる硬い音が混然としている。
鷹匠はホールを通ることなく、横の通路から上階用のエレベーターへと案内された。大きな花瓶に生けられた百合が、独特の甘い匂いを放っている。
朱と金の壁紙で囲まれたエレベーターで四階まで上がる。扉の先は、毛足の短い朱色の絨毯が敷かれた廊下になっていた。個室しかない、VIP専用のフロアだ。
だが、この街の最上というわけでもない。
牡丹、と書かれた間へ案内された。
朱漆塗りのドアの前で立ち止まったスタッフが「失礼します」と探知機のような器具を取り出す。
「防犯上、VIPルームへは武器その他、電子機器の持ち込みもお断りしております。こちらにお預けください」
「…………」
預けないことには、中に入れないようだ。仕方なく、2台の携帯電話をスタッフに預ける。
受け取ったスタッフが、ノックしてからドアを開けた。間接照明に照らされた廊下から、明るい室内へと入る。8人掛けの円卓の手前に、柳が立っていた。周りに他の者がいる様子もない。
「鷹匠さん、本当にひとりで来てくださったんですね」
柳は、臙脂色のシャツに黒いスーツを着ていた。藍色のシャツに黒いスーツの鷹匠と、似ているようで似ていない。
どうぞ上座へ、と勧められ、奥の席へと座った。
外の喧騒が嘘のように静かだ。天井から吊り下げられた灯籠が、壁紙の唐草模様を浮き上がらせている。
「父がよく利用していた店なんです。お酒は好まれますか?」
「必要ない」
「では、温かいお茶にしましょう」
廊下側のドアの近くで待機していたスタッフにお茶の用意と料理の開始を伝え、柳は入り口に近い席に腰を下ろした。
その口調や態度からは、まるで敬意を持った相手との会食をしているかのようだ。
しかし実際には夜梟は、いや、柳は写真を使って晴臣を脅そうと動いた。その事実だけでも鷹匠から見れば、今後どれだけの実績を積んだとしても信用するに値しないと判断するに充分な一手だった。
「海鮮を中心にしたコースにしました。お口に合えば良いのですが」
鷹匠の視線に潜む冷たい色にも気付いているだろうに、楽しそうにくちもとを綻ばせる。
「毒や薬の類は入ってませんから、安心してください」
「……そういえば、帝和建設の息子がいた地下クラブ。見張りの男の言葉に、中国訛りがあったな。仕切りは誰だ?」
答えるとは思わなかったが、とりあえず聞いてみる。しかし意外なことに、柳は「うちは下請けですね」とあっさりと答えた。
「三陽会さんと、うちの上の組織が共同でやってるシノギです。帝和の件は、上総組の弱体化を依頼されたうちが、危機管理ができてなさそうな上総晴臣さんにターゲットを絞り、実行しました」
「依頼したのは?」
「鷹匠さんなら、もう答えはご存知かと。クリスマスの風舞伎町の件、僕の耳にも入っています」
柳が言葉を区切ったタイミングでドアが開き、スタッフが配膳用のワゴンを押しながら入ってきた。茉莉花茶の香りが室内に広がる。茶の注がれたカップとともに、前菜の皿が鷹匠の前に出された。
「ここのコース料理の最後に出てくる杏仁豆腐が好きなんです」
箸でキクラゲの和え物を摘みながら柳が言う。
鷹匠は茶で口を湿らせてから、義務的な動きで箸を取った。
フカヒレも鮑も伊勢海老も、この場にいる限り、すべてが同じ味だった。
何がそんなに楽しいのか、柳はよく喋った。鷹匠からの印象は初対面から今に至るまで最悪の部類だとわかっているだろうに、穏やかな笑みを浮かべてあれやこれやと話題を振ってくる。鷹匠からの返事はないのだが、それさえ気にすることなく、当たり障りのない話題を続けていた。
部屋に時計はなかったが、鷹匠の腕時計は午後9時半を指していた。夏に晴臣に贈り物として選んだ腕時計と一緒に購入したものだ。
料理も飯物まで終わり、最後となるデザートが運ばれてくる。
ガラスの器に乗った杏仁豆腐を脇に寄せ、鷹匠はテーブルの上に厚みのある封筒を置いた。
「うちの名前を出した馬鹿な組からの迷惑料だ」
「……ありがとうございます」
席を立って取りに来ることはなかったが、柳は受け入れの姿勢を見せた。
今にして思えば、発端となった小競り合いも仕掛けた罠の1つだったのかもしれない。だがあの時はまだ入院はしていたものの、上総重成は存命だった。
三陽会の狙いは単純だ。上総組を弱体化させ、風舞伎町を手に入れる。
だが、夜梟の狙いが、この後に及んでもはっきりとしなかった。下請け、というのは、それはそれで間違いではないのだろう。しかしそれだけでは、晴臣に対する脅迫が意味を成さないのである。
柳は鷹匠に対して「隣に置いてほしい」と話を持ちかけてきたが、鵜呑みにするのは愚かな行為だ。それをやれば柳は、三陽会と夜梟の上組織両方を敵に回す。鷹匠と組むために渡る橋としては、リスクとリターンが見合っていなかった。
「……その目の傷」
天気や季節を絡めたこの街の話を延々と続けていた柳が、鷹匠自身について触れる言葉を口にする。
「上総晴臣さんを守った結果だと聞いています。あなたにそうして守ってもらえて、……彼は幸せ者ですね」
赤の他人に晴臣との過去を口にされるのは、正直言って良い気分ではない。さらに言えば迷惑料として金を渡した鷹匠に対し、喧嘩になるよう仕掛けたことへの謝罪は、柳からはまだされていない。決着を先送りにした状態で過去に触れられ、鷹匠の中にはっきりとした怒りが沸いた。
「先に挑発した詫びもなく人の過去を詮索する辺り、夜梟は規模も器も小さな猿の群れのようだな」
「これは失礼をしました。もちろんその件もお詫びいたします。元はと言えば、酒に酔ったこちらが吐いた暴言がきっかけだったと聞いています。申し訳ないことをしました。お許しください」
テーブルに手をついた柳が、深く頭を下げた。
1年にも渡り上総組の中で小さく燻っていた火が、ようやく鎮火する。上総組にとっては身入りのない決着ではあるが、面倒ごとを抱えたままよりはマシだ。
もう柳に用はない。
「謝罪を受け入れる」
それだけ伝えて立ち上がると、柳が「デザートは?」と問うてきた。
「甘いものは好きじゃない」
「……杏仁豆腐ではなく、話のデザートならいかがでしょうか」
妙な言い方に、視線を向けた。柳から「おかけください」と言われたが、無視してそのまま話の続きを促す。少なくとも、天気の話ではなさそうだった。
「この間は、昔の名前で呼んでしまってすみませんでした。お詫びに、僕の話をさせてください。橋本信雄さんについても、お伝えできます」
「…………」
鷹匠蓮司という身分は、この世界での最初の女と前世の名前から作られたものだ。身体に残る元の持ち主の記憶は鮮明ではなく、残滓のようにこびりついている程度の赤の他人。その他人の身内の話をされたところで、何の意味もない。
だが理屈とは裏腹に、数分、そのために時間を使ってやってもいいとは感じていた。
それは身体の持ち主である、橋本信行への手向けだったのかもしれない。
座り直しはしないが聞く姿勢を見せると、柳は微笑みながら自身も杏仁豆腐の器を脇に寄せた。
「僕はこの見た目ですから、昔から父に利用されてきました。不思議なもので、人間って若い分にはいくらでも需要があるんです」
それは柳が過去に何を『されて』きたのかの独白だった。
「僕の『客』は父が選んだ、父にとって利になる人たちでした。父が言うには、信雄さんに生前『子どもは具合が良い』と勧められたそうで、それを真似たと言っていました」
「——……」
ぐっと、鷹匠の胸に覚えのない深い痛みが走った。
元の身体の、橋本信行のものだった。
「僕がそれを聞いたのは、信雄さんが亡くなってから何年も後のことです。ですがその時、最初にこう思いました。信雄さんが、苦しんで、苦しみぬいてから死んでいますように、と。……どうでしたか?」
「……酔って寝ていた。だが異物を吐き出そうとして、泡とゲロで喉を詰まらせていたな」
「そうですか。良かったです。父も、たくさん血を流しながら死んでくれました」
柳が浮かべた笑みは、子どものような無邪気さがあった。蓮司さん、と名を呼ばれる。
「僕らは同じなんです。同じ痛みを知って、同じ復讐を果たした仲間同士。だから、わかります。あなたは何かを探してる。……それは、きっとあの時伸ばして誰にも届かなかった『手』だ」
「それはそっちの言い分だな。俺は橋本信雄に対する恨みなんざ、持ち合わせてねぇよ」
「そうでしょうか?」
「……ただ。今また顔を合わせたら、前よりもっと『良いやり方』で消すくらいは、してやる」
「ははっ、やっぱりあなたは僕のヒーローで、……僕の仇のひとりだ」
ノックがされ、配膳をしていたスタッフが入ってきた。柳に封筒を渡してから、頭を下げて退室する。
「あぁ、ちょうど届きました。これを待っていたんです」
封筒をテーブルに置いた柳が立ち上がった。
「薄暗い部屋の中で、父よりも年上の年寄りたちに抱かれながら、ずっと考えていました。信雄さんが父に余計なことを言わなければ、僕は組織の後継者として、大切にされていたのではないかと。……だから、これは罰なんです、蓮司さん」
ドアを開けた状態で、こちらを振り返る。うっすらと笑みを浮かべたまま。
「まだ出航はしていません。倉庫街近くの岸壁に船を停めています。先に行って待ってます。……また後で」
柳が立ち去り、ドアが閉められる。
鷹匠はテーブルの上にある封筒を躊躇いなく手に取った。一枚のポラロイド写真だ。画質は悪く、全体的に明かりが足りず、よく見なければ何が起きているのかわからないほど暗い。
それは複数人に組み敷かれた、青年の写真だった。床や背景から、小さなクルーズ船のデッキのように見える。
青年の明るめの髪が、唯一の光源らしい船の小さな灯りに反射していた。
そんな馬鹿な、と思った。
呼び出しの時間に、山川は晴臣といるといっていた。写真の人物が晴臣であるはずはない。
咄嗟に携帯電話を探り、スタッフに預けたことを思い出した。グルかと考える。ならば確認の連絡を取らせたくない時点で、晴臣には何も起きていない。
起きていない、はずだ。
だが、極道として生きてきた自分が別の可能性を指摘する。
そうやって二の足を踏ませて、時間稼ぎをしているのではないかと。
柳は「先に行く」と言っていた。晴臣を呼び出した埠頭の方に向かっているのであれば、鷹匠のこうした思考の時間は柳の狙い通りだ。
写真を懐にしまい、すぐに部屋から出た。当然ながら、そこに柳の姿はない。エレベーターに向かうと調整中の表示が出ていた。
舌打ちをして、非常階段へと向かう。
内鍵を開け、ビルの外に作られた鉄製の螺旋階段を駆け降りた。
次回第十七話は9月26日17時更新です。




