第十三話 「誕生日プレゼントだから」と若が言うので
それでも、煙草は吸わないままでいる。
これからは住む世界が違うのだから、吸ったところで気付かれはしない。今後はおそらく、時折顔を合わせて近況を確認するだけの関係になる。あと3年もすれば、晴臣も社会人だ。通勤するにしても、さすがに家を出るだろう。
就職先に近い所の新築マンションの最上階でも買って、就職祝いにするのも良い。車は祝いには向かない。本人は以前、身分証明にしか使わないから運転免許は取らない予定だと言っていた。
何を贈ればいい。
何を贈れば喜んでくれて。
手を握っていて、くれるだろうか。
……そんな未来は、もう来ない。
晴臣は、自分の道を決めた。
そしてそこには、上総組は、鷹匠は、入っていなかった。
「……ねぇ、私と寝る?いいよ、蓮司が相手なら」
「寝ねぇよ、てめぇとは……」
ソファの上で仰向けで寝る鷹匠の上に、重なるように美奈子が乗っている。
この距離は2人の親密さというよりも、互いが積んできた過去による距離だ。
「何があったのかは聞かないけどさ。ビールだけじゃ、お腹は膨れないよ?」
「……ビールは麦だから飯だ」
「蓮司って時々、大阪のおじさんみたいなこと言うよね」
身体を起こした美奈子が、「さすがに片付けるからね」と、床に転がっているビール缶をゴミ袋に集めていく。
「大学でハルくんを見てくれてる子からの伝言。ハルくん、人気あるみたい。顔も可愛いし、性格もいいもんね」
「……そうか」
「う〜わ。さらに空気が重くなった。帰る直前に言うんだった〜」
ビール缶をまとめ終えた美奈子が、ウェットティッシュを取り出し、自分の手を拭く。
「先月から見かけるようになった三陽会の人たちの件。他の店にも聞いたら、あちこちでかなり派手に遊んでるみたい。私はヤクザ家さんには詳しくないけど、こういうのって抗争にならないように不文律があるのが普通じゃないの?」
「……若が組を継ぐと思ってるからだろ」
「は?蓮司がいるのに、継ぐわけないじゃん。誰?そんなガバガバなレース予想してんの」
美奈子の問いに、ようやく鷹匠は瞼を上げた。
明け方近くまで組の仕事をして、倉庫部屋に戻ってきて、ビールを1本だけ空けて横になった矢先のことだ。
カレンダーの数字は、11月。フロア全体に空調が入っているせいか、室内の気温は低くはない。だが朝の6時を過ぎても、まだ空は薄暗いままだった。
「……お前も、俺が継ぐと思うのか」
「えっ?思うよ。継がないの?」
「継ぐ……。若に、頭下げて頼まれた」
「……あぁ〜ね〜……」
手を拭き終わった美奈子が、「隣の部屋から持ってきた」と近くに置いていた木箱をひっくり返し、テーブルにして上にコンビニの袋を乗せる。
「これ、朝ごはん。鶏団子スープとおにぎり。三陽会の人たちについては私の方からも、もうちょい調べてみるね」
ビール缶が入ったゴミ袋を持って、美奈子が立ち上がる。
ソファで横になったままの鷹匠を見下ろして、ため息をついた。
「拾ってもらった恩があるから、関係切られるの覚悟で言うけどさ。ハルくんに上総組は無理だよ。蓮司が隣で支えたとしても、多分、壊れる。私や蓮司みたいに、根本的なところで人の善意とか良心を信じてない人間じゃないと、つらい思いをするだけだもん。……壊したいなら、別だけど」
「……さっさと帰れ」
「ハイハイ。ご飯、ちゃんと食べなよ」
じゃーね、とドアを開けて出ていく。
ヒールの音が遠ざかり、部屋に再び夜明け前の静けさが戻った。
口には出さないが、美奈子を見ていると前世の姉を思い出す。美奈子の方は以前、鷹匠といると死んだ兄を思い出すと言っていた。2人の間に肉体関係がないのは、それが理由だ。
しばらく天井を見上げていたが、諦めて起き上がった。
木箱を引き寄せ、コンビニ袋を探る。
腹は空いていないが、何か入れておかなければならない。食うや食わずの時期もあった前世や、まともな食事ができていなかったこの身体の持ち主と比べれば、無理やりでも食事を取るなど贅沢な身分だと自嘲した。
襲名に向けての準備は、水面下で進めていた。
ぱっと見ただけでは、いつもと変わらないように。
穿った見方をする者がいれば、『晴臣が』跡目を継ぐ用意に見えるように。
上総組に対して野心を抱いている者にしてみれば、二代目が晴臣になることはすなわち、戦場がただの狩場に成り下がることを意味する。蝶よ花よと甘やかされてきた、子ども。裏社会は、晴臣をそう判断する。
その最たる例が、三陽会だ。
あの日、会長である入交は『弔問の場で、鷹匠が席と黒を晴臣に譲った。花を持たせるために、あらかじめ鷹匠が集めていた夜梟の情報を晴臣に渡した』と判断しただろう。
実際は弔問の朝に残ったのは晴臣の判断で、鷹匠のスーツの色は三陽会の無礼への意趣返し程度の考えだった。さらには夜梟の件は、晴臣の前世の知識などという逆立ちしても予想できない答えだ。
入交の勘違いを、否定はせずとも確信まではしないよう、誘導することもできた。
だが、しなかった。
あの場で間抜けとしか言えない予想をする入交を見て、鷹匠は「利用できる」と考えていた。
年明けの襲名披露で跡目が確定するまでの間、二代目が晴臣なら風舞伎町は取ったも同然だと、大手を振って上総組のシマを歩き回るに違いないと考えた。そしてそれは今、予想通りに進んでいる。
こうなると、晴臣は逆に安全だ。三陽会は、大事な餌場を提供してくれる予定の晴臣に手を出せなくなる。
気に掛かっていた、『帝和誠を使って晴臣を狙った存在』の犯人候補が1つ消える。
美奈子の報告でも、今のところ大学周辺に怪しい影はない。
残るは、あの柳という男だが。
正直、帝和誠の指示者については、こっちの線の方が濃かった。晴臣を攫った場所が横浜というのも、その理由だ。
だが柳の面は、すでに割れている。しかけてくるとすれば、一度きりになる。そのタイミングで、晴臣を守り、柳を潰す。
——それでおそらく、ノーマルエンドとやらが達成される。
晴臣の前世はノートとともに片付けられ、そのまま引き出しの中で眠るのだろう。
過去に囚われたままの、鷹匠を置いて。
街にクリスマスのイルミネーションが灯り始めた。
クリスマスケーキとおせちのカタログが、コンビニの店頭に同時に並んでいる。ちゃっかりしているコンビニ店員にセールスされ、ケーキを2つ、12月25日夜の指定で組の本宅宛に配送を予約した。さすがにおせちは、毎年頼んでいる仕出し屋があると断りを入れたが。チョコレートケーキと苺が乗った生クリームのケーキをひとつずつ。晴臣は小さい頃から、苺のショートとチョコレートが好きだ。クリスマスに鷹匠から何か贈るのは、初めてだった。
去年のクリスマスは、上総重成の逝去と重なりそれどころではなかったが、前の年までは晴臣からプレゼントを受け取っていた。
誕生日がわからない鷹匠に、自身の誕生日プレゼントの返礼がしたいからと晴臣が提案してきたのがきっかけだ。
随分と後になって美奈子から「クリスマスってプレゼント交換が基本じゃないの?」と言われ、それも知らなかったと慌ててプレゼントを用意しようとしたら、晴臣からは「これはクリスマスじゃなくて、鷹匠への誕生日プレゼントだから」と断られた。
鷹匠の部屋には、晴臣から贈られた品が、大事に保管されている。
携帯用の灰皿だけ、まだジャケットの胸ポケットに入っていた。
数日後の早朝、美奈子から情報の続きが入った。
三陽会の人間が、上総組のシマで名前を出して派手に遊んでいる件だ。
兄弟盃を交わしている間柄ならともかく、上総組と三陽会は単に火種がないというだけでしかない。ほんの少しでも誰かが焚き付ければ、すぐにでも燃え上がる。
その状態で、組の名前を出して他組のシマの店で酒を飲む。
こちらが何も言わなければ、周りは上総重成を喪った上総組が三陽会に膝を折ったと思うだろう。
『上総組の2次団体が面倒見てるお店が、脅しをかけられてるみたい』
電話口の美奈子が、「直接聞いて」と言い、通話の相手が男に変わる。
男は、上総組の傘下の組がケツモチをしている個室ビデオ店の店長だった。キャバクラのように掛けで飲んで高額になったら飛ぶといった悪質な客はいないが、極度に部屋を汚したり、支払いを拒んだりといった小さなトラブルを起こす客の対策として、毎月固定の額を店側に支払わせている。
電話に出た店長によると、昨日の夕方、店の裏にゴミを出していたところ、三陽会のバッジをつけた男3人に囲まれたのだという。彼らの要求は一つ、「ケツモチを上総組から三陽会に変えること」だった。また来週来る、と言い1ヶ月10万を提示して去って行ったという。
『金額的にも今の倍ですし……。どうしたら良いのかと困っていたら、美奈子ちゃんが上総組の方を知っていると言うので相談させてもらいました』
その話を聞き、鷹匠は「昼過ぎに店に話を聞きに行く」と告げ電話を終えた。上総組が個室ビデオ店のケツモチを直接しているわけではないが、担当している組に任せるには荷が重い。まずはそこに出向き話を通してから、店へと向かう。
担当は、傘下に入った後に風舞伎町内に事務所を構えた、構成員が10人ほどの小さな組だった。鷹匠の訪問に恐縮していたが、話を聞いて二つ返事で鷹匠による場の預かりを承諾した。相手からすれば、三陽会という巨大な組織とのトラブルが起きる前に、親組織の若頭が動いた形になる。大きな借りにはなるが、それよりも厄介な面倒ごとを抱え込まずに済んだことを良しとするだろう。
店までは、徒歩で行く。
風舞伎町は、飲食、風俗、道楽を混ぜこぜにした巨大な市場を持つ歓楽街だが、面積的にはそう広いものではない。目的の店は、ケツモチをしている組事務所から歩いて20分ほどの距離にあった。
時間は午後2時。人通りは少なく、業者の軽トラや、配達のバンの路上駐車が目立っていた。
通りから角をいくつか曲がり、カウンターだけのスナックが並ぶ細い路地を通り抜ける。
「あら、鷹ちゃん。久しぶりねぇ」
酒で焼け切った声で、呼び止められる。住居兼店舗になっているスナックの2階の窓から、カーラーを前髪に付けた女が顔を出していた。
「最近全然顔を見せてくれないんだもん。死んだかと思ってたわよ」
「忙しくてな。三陽会がシマを荒らしてる件以外で、何か良い情報はあるか?」
見上げたまま問いかけると、女が指を3本立てた。
「……交渉成立だ。降りてこい」
「毎度あり〜」
ドタドタと階段を降りる音がする。薄いキャミソールに短パンを履いただけの女が、店のドアを開けて出てきた。
「鷹ちゃんは、女の情報でも値切らないから大好きなのよねぇ」
「……使えるなら、男でも女でもどっちでもいい」
女に招かれ、まだ開店していない店の中に入る。「何か飲む?」と聞かれて断った。
自分の分だけの水割りを作った女が、カウンターに肘を乗せてもたれながら、グラスを傾ける。
「10日くらい前から、ちょいと毛色の違う若い連中を見かけてるよぉ。半グレっぽい雰囲気でさぁ。どっか電話する時だけ、中国語喋ってんの。……鷹ちゃん、心当たりある?」
「…………」
夜梟か、と鷹匠は目を細めた。三陽会が引き入れたのか、それとも自分たちの判断で入ってきたのか。
鷹匠の反応を見た女が、「やっぱ鷹ちゃんに情報渡して正解みたいだねぇ」と笑う。
「人数は多くないけど、誰か探してるみたいだったよぉ。誰か、っていうか、目に傷がある人。数人で固まって話してる時に、指で左目を切るみたいな動きしてたからさぁ」
三陽会と繋がっている夜梟が、晴臣ではなく鷹匠を探している。それは鷹匠の中では、新たな情報だった。
「……他には何かあるか?」
「後はないねぇ」
「そうか。……今度、事務所の人間を、俺の支払いで何人か飲みにやらせる。高い酒、好きなだけ飲ませてやってくれ」
「あらぁ〜!あんがとねぇ!」
女がカラカラと、氷が入った空のグラスを振る。
鷹匠は万札を3枚カウンターに置くと、追加を作り始めた女に背を向け店を出た。
次回第十四話は9月23日17時更新です。




