第十二話 「ありがとう」と若が言うので
「『夜叉の檻』をもう一回、ちゃんと思い出せるところがないか書き出してたんだ」
三陽会を見送り、片付けと食事を済ませた後、晴臣に誘われた鷹匠は彼の部屋を訪れていた。
2人ともジャケットだけ脱いで、折り畳みテーブルの上に広げられたノートを見ている。
「シナリオとかルートとかはやっぱり思い出せなかったけど。一つだけ、姉ちゃんが『ビジュと設定がめちゃくちゃいい』って言ってたキャラクターがいてさ。熱く語ってたのを思い出した」
ノートの新しいページには、イメージイラストの横に『イエシャオの柳風月』と書かれていた。
絵自体は前の3人と同じく子どもの落書きレベルなのだが、髪の毛を一つ結びにして結び目に小さな飾りをつけている。
「柳はイエシャオっていう、中華系の小さな組織のボスだって、姉ちゃんは言ってた。髪飾りが中国の飾り紐になってて、かわいいって」
「……かわいいですか?」
「男の人に言うのは変かもしれないけど、顔を見て綺麗な人だなぁとは思ったよ」
晴臣の感想は素直だ。鷹匠が、まるで入交の愛人のようだと感じた色気を、整った見た目によるものだと考えたのだろう。
柳風月の存在を思い出した晴臣は、忘れないうちにとノートに書き足した。今日の弔問で会ったのは、偶然なのだという。
入交の紹介の仕方にあまり良い印象を感じず、特徴が一致したため先に名前を伝えて知っている雰囲気を出してみたとのことだった。
「柳が3人目の『悪いやつ』でしょうか?」
「書き出した時は、いつ登場してくるんだろうと思ってたけど……。三陽会の人たちの知り合いなら、その可能性はあると思う」
ノートを挟んで顔を突き合わせながら、晴臣に問いかける。あれほど避けていたのに、今はこの距離感で話している。おそらく間に、前世と組の事情という主題が2つ同時に挟まっているからだろう。
「三陽会との繋がり方については、わかりますか?」
「……ごめん、それは聞いた記憶がない。姉ちゃん、ハードBLは好きだったけど、ヤクザの設定自体には興味なかったみたいで……。『夜叉の檻』もヤクザの息子が主人公とは知らずに買ったって言ってたと思う。確かに、姉ちゃんの話を思い出す限りだと、上総晴臣の周りはやばい奴ばっかりだったけど、上総組の人たちは単なる脇役扱いだったみたいだし」
そこで、ふと晴臣が顔を上げた。
「そういえば鷹匠のことも、姉ちゃん何も言ってなかった。絶対言いそうなのに」
それは、と。思い当たる節があり、鷹匠は視線をノートへと戻した。
晴臣が言う『夜叉の檻』という名のゲームに鷹匠蓮司が登場しない理由。それは本物の鷹匠蓮司が、すでに死んだ存在であるからだ。鷹匠はこの身体に入っただけの異物である。本来なら、晴臣に出会うはずもない。だからいないのだろう。そう考えれば、納得できた。
「きっと俺も、その脇役の中にいたんでしょう。それよりも、あの場で若が柳風月の名を出せたことが一番大きいです。おかげで助かりました。……ありがとうございます」
自分の中で出した結論は口にせず、礼を伝えると、ほわりと晴臣の頬が赤くなったのが視界の端に見えた。
引き寄せたい衝動を抑え、顔を上げ、少し距離を空ける。
「仲裁の芽を潰しましたから、三陽会がうちと柳を引き合わせる理由はもうないはずです。入交が何を狙っていたのかはさておき、建前を言わせる前に帰しましたから。ただ我々に、夜梟との繋がりを知られただけになりましたね」
入交は柳風月の父と縁があったと話していたが、当然ながら鷹匠はそれを信じてはいない。柳の親世代が大陸から日本に帰ってきたのは、1980年代。いくら当時の柳の父親に新華僑の後ろ盾があったとしても、20年の間に日本で地盤を作り、それを上下関係ではない形で三陽会の会長に届くまで成長させるのは至難の業だ。
つまり、今日の件は双方の利害が絡んだ結果と考えていい。
晴臣が柳の素性を当てた流れは、ただ相手の虚を突いただけでなかった。用意されていただろう言い訳を出せないようにすることで、力関係が歪な2つの組織の姿だけを炙り出した。
「……な、なんか映画みたいだ……」
思わずと言った様子で呟いた晴臣に、鷹匠の口元が自然綻んだ。
「ここは現実ですよ。……若の言うゲームの中かもしれませんが、それでも俺も若もここに存在してます」
「……そうだね」
鷹匠の言葉は、晴臣を安心させるものであったらしい。ホッとしたような表情をしている。
組織同士の駆け引きを体験して戸惑うのは、前世も含めた晴臣の裏社会への関わりの薄さを示していた。
今世での彼は確かに極道組織のトップに近い位置にはいるが、上総重成はできるだけ晴臣に生臭い光景を見せまいとしていた。晴臣の母親も同じだったと、重成に聞かされたことがあった。
『日向が似合う人間をよ。俺らみてえな日陰もんが手に入れようってんなら……そりゃあもう、キレ〜な檻を作ってやらねぇと駄目だ。羽を切らなくても、ここが天国だって勘違いするくれぇのよ』
重成は器が大きく、漢気があり、それでいて残酷な男だった。
だからこそ、鷹匠も「親父」と呼べた。
——おそらく、重成も気付いていたのだろう。
自身の本質に最も近い人間は、息子の晴臣ではなく拾っただけの鷹匠なのだと。
「鷹匠、跡目の件なんだけど……」
ノートを片付けた晴臣が、テーブルを脇に寄せ、正座をする。
彼にだけ居住まいを正させるわけにはいかず、鷹匠も同じようにフローリングの上に正座した。
「上総組の人たちが、鷹匠が俺かで割れそうになってるのも知ってる。……それを知った上で、俺が大学を出るまでは、って鷹匠が皆を抑えてくれてることも」
「…………」
鷹匠は、正直なところ驚いていた。
跡目についての内情など、晴臣には聞かせていない。
ふと、どこまで深く知っているのかと想像し、背筋が凍った。
大丈夫だ、知るはずはないと考え直す。先日のストーカーのように、晴臣の邪魔になる者は、彼に見えないように排除している。左目を負傷した時に学んだ。表立って動けば、誰かを傷付ける行為を嫌う晴臣が困るだけなのだと。
それよりも、目の前の話だった。
「喪が明けたら、と言われてましたね」
「うん。本当は年明けの挨拶の時に、鷹匠に伝えようと思ってたんだ」
真っ直ぐに鷹匠を見つめた晴臣が、その手を床につく。
鷹匠蓮司、と。
名を呼ばれた。
「……父が遺した上総組を、よろしくお願いいたします」
「——……若」
晴臣が、頭を下げる。
真摯な声で、全幅の信頼を鷹匠に寄せて。
「俺が自分から引けば、古参の人たちも納得してくれる。何もしてこなかった俺より、長い間組のために働いてくれた鷹匠が組を率いるべきだと思うから」
「…………なら、若は……、進路は……」
「それもちゃんと考えてる。着替えてる時に言っただろ?決めた、って。こっちはちゃんと年が明けてから伝えるから、時間だけ空けといて」
「…………」
「そうだ、鷹匠。……まだ家に帰ってくるつもりはない?」
「…………えぇ」
「そっか……」
少し寂しそうに笑った晴臣が、「スーツ皺になっちゃうな」と立ち上がった。
——鷹匠は。
自分の思考が、酷く冷たい流れに沈む様を感じていた。
今ここで晴臣の手を取り、床に押し倒し、その服を残らず剥ぎ取っていないことが奇跡であるとさえ思った。
逃げられないよう、足の腱を切るべきか、腕を折るべきか。あるいはすべてが涙と喘ぎに変わるまで、肉を打ち込むべきか。
そうだ、初めからそうするべきだった。
まだ攻略ノートの3人目の「悪いやつ」も残っている。
安全な檻に閉じ込めてやった方が——。
「鷹匠、どうしたの?」
『……たぁじょ、ないてるの?』
「……っ」
鷹匠は伸ばしかけていた手を、止めた。
拳を強く握り、「なんでもありません」と立ち上がる。
「跡目の件、謹んでお受けいたします。親父の墓前で胸張って報告できるような、組にします」
「……ありがとう」
「忙しくなりますので、年末の一周忌まではこちらには帰って来られないと思います。お身体ご自愛ください」
「鷹匠もね……。油断するとすぐ、ビールとツマミだけでご飯済ませようとするから」
甘く優しい言葉に返事はせず、頭だけ下げて晴臣の部屋を後にする。
着替えた部屋で車のキーと携帯電話が入っているジャケットだけ掴んで、勝手口から裏庭に出た。
到着したのは朝の9時半頃だったが、秋の日は釣瓶落としとは言ったもので、いつの間にか空は夕暮れの様相を呈していた。
車に乗り込み、エンジンをかける。
ドス黒い感情と、それを抑える理性が衝突している。
晴臣は、自分の進路を決めただけだ。
そしてそれは鷹匠自身、現状の最善手だと考えていた案だった。
鷹匠が組を継ぎ、晴臣はカタギとして生きる。
晴臣に極道は向いていない。無理やり跡目を継がせたところで、本人を不幸にするだけだ。そんな未来は、死んだ重成も、組の者も、誰も望んでいない。
これが最善。
これ以外に、丸く収まる方法はない。
それを理解してもなお、鷹匠の中で叫んでいる者がいる。
死んだチンピラだ。
……本当は。
逆のことを、望んでいた。
鷹匠の中で、組を継ぐのは晴臣だった。入交も玄関口で、そう読んでいた。
晴臣が跡目を継ぎ、鷹匠がそれを支える。
晴臣は、ただ座っているだけでいい。汚れ仕事は、鷹匠の役目だ。慣れている。何の問題もない。
そうやって、2人でずっと。
「……っ……」
振り切るように、アクセルを踏んだ。
惨めな男は、死んで光を掴んだはずだ。
冷たい水の中で「死なないで!」と泣きながら叫ばれ、爪が剥がれるのも構わず引っ張ろうとしてくれた、眩い光。自分を想って泣いてくれたあの光に似た温もりを、ようやく手に入れたと思っていた。
思っていた、のに。
溺れて死んだチンピラが、鷹匠蓮司となってから使わなくなった、かつての郷里の言葉で叫んでいる。
必死に、手を伸ばしながら。
『……ん?お前今、チャカっつったか?西の出か?』
拳銃の俗称が、東と西で違うことを失念していた。
見た目だけ変わって、中身は変わらない。
人を殺して、人を騙して、生きている。
「……アホが。いっぺん死んでも……結局、一緒やないか」
鷹匠は、車を走らせた。
暗い闇を内包する、夜の帷に向かって。
次回第十三話は9月22日17時更新です。




