第2話 その名はライク
フレデリカは魔術陣の中央に立ち、本に書いてあった呪文を読み上げる。
「『来たれ戦に彷徨った戦士よ。次なる戦いの荒野はここに在り。その身、塵となるまで運命の風はお前の頬を撫でる』」
魔術陣が発光する。フレデリカの視界が真っ白になる。
これは伝説の戦士へと働きかけている最中なのだろうか。
――何だ、この無数の手は。俺を引きずり込もうというのか。
声が聞こえる。男の声だ。
「っ!」
同時に、何かがフレデリカの中に入り込んできた。この感覚は言葉では言い表せない。
不快感とも違う何か強烈な違和感。だが、やがてそんな感情は溶けていく。
フレデリカはただ目を閉じた。
自分の望みが叶うその瞬間まで――。
(どう、なったのかな?)
光が消えた。魔術の終了の合図だろうか。
フレデリカはまだ目を閉じていた。
(もう乗っ取られたのかな?)
とはいえ、四肢は動く。思考する力もある。ゆっくりと目を開けてみるも、特に違和感はない。
それならば見た目でも変わったのだろうか。そう思い、姿見の元まで歩いていく。
フレデリカの後ろに、ローブを纏った黒髪の男が立っていた。しかも半透明である。
「ひあぁぁああ!! 知らない人が堂々と私の後ろにいる!? しかも何か身体が透けてるー!?」
「驚くな馬鹿が。何故俺よりお前が驚いているんだ」
フレデリカは近くにあった木剣を掴むと、素早く男の方を振り向いた。
「と、突然現れて、何の用ですか!? まさか私のスタイルが良いからって襲いに入ったとか!?」
「それならば問答無用で組み伏せているだろうが、良いから落ち着け。本来なら俺がうろたえる場面だぞ、これ」
沈黙が訪れる。
フレデリカは突然の出来事に思考が追い付いていない。
「お前だよな、俺を召喚したのは」
召喚した、その一言でフレデリカは全てを理解した。
「も、もしかして貴方が伝説の戦士さんですか!? やった……やった! 成功だ! やった! あ、あのあの! 私、フレデリカ・バニングウェイって言いまして……って、あれ? でも何で私は自由なの?」
「知らん。だが、俺の質問には答えろ。何故、俺を召喚した。せっかく人が気持ちよく眠っていたのに邪魔しやがって」
「えと、それはですね。私が最強の剣士になりたくて、それで貴方に私の身体を乗っ取ってもらえないかと思って」
「頭大丈夫ですか?」
「まだお父さんから見放されてないから大丈夫だと思います」
男は大きなため息をついた。そして、手をひらひらと振る。
「お前、いま最強の剣士になりたいって言ってたよな? 悪いが、お前の期待に沿えんぞ」
それはフレデリカにとっては、死刑宣告と同義だった。
「な、何でですか!? 私の力が足りないんですか!? それとも何か別の問題が!?」
「何を勘違いしているのか知らんが、俺は魔術士だ。だから、そもそも剣など知らん」
「……え」
フレデリカは事実から目を背けたくて、必死で今の言葉を受け取らないように努めた。だが、彼女の持つ真面目さがじわりじわりと事実を受け入れていってしまう。
「そん……な」
「戦魂召喚の魔術に期待しすぎたな。……あるいは、それともこの俺の力が強すぎて、他の魂を跳ねのけてしまったのかもしれん」
男は冷静に状況を分析していく。
それを聞いているのかいないのか、フレデリカはどよんとした目を男へ向けた。
「あの、名前は?」
「ようやく俺の名前に興味を示したか。ならば答えよう」
男はローブを翻す。
「俺こそは魔術の権化! 星の数の魔術を扱う大魔術士! 俺の名を聞けば、界隈は誰もが震えるだろう! そう、俺の名は『無限の夜』、ライク!」
「!」
フレデリカは目を大きく見開いた。
ライクの言葉を飲み込み、咀嚼し、出た言葉とは――!
「ごめんなさい、ぜんっぜん分かりません」
「何だと!? この俺の名を知らぬとはそれでも魔術士の端くれか!」
「そっちもごめんなさい。私、魔術士になる気のない剣士ですので……。というか、もう帰っていただいても良いんですが……」
「帰れるならとっくに帰ってるわ、この小娘が!」
ライクの手がフレデリカの胸倉へ伸びる。
フレデリカは咄嗟に構えたが、ライクの腕はすり抜けていった。
「ちっ! やはりこれは肉体ではなく、魔力体か。命拾いしたな」
「え、え? 何ですり抜けたんですか? わっ、何だか変な感じ」
そう言いながら、フレデリカはライクの身体を行ったり来たりしている。
今すぐ害をなす存在ではないと分かったフレデリカはすっかり調子に乗っていた。
「調子に乗るな」
ライクが人差し指を僅かに動かした瞬間、机の上のペンが動き出し、フレデリカの後頭部へ飛んで行った。クリーンヒットだ。
「いたっ! 身体が透けて、物動かして攻撃だなんて、やってること幽霊と変わりないんだけど!?」
「幽霊のような存在と一緒にするな! 幽霊は幽霊。魔力体は魔力体だ。そこには天と地ほどの差がある」
すっかり敬語が抜け、元の口調に戻ったフレデリカは両手を合わせた。
「あの、本当に帰ってもらうことは出来ないかな? 私が乗っ取り希望していたのは伝説の剣士様で、魔術士さんにはその、ほんっとうに用がないんだ。だから、お願いします。お帰りください」
「……おとなしそうな顔して、言っていることが自分勝手すぎるな。もはや笑ってしまうほどの落差だ」
ライクは大きなため息をついた。
「良いか、この俺が特別に今の状況を教えてやるよ」
「私に分かるようにお願いね」
「まず、結論から言うと、お前はもう二度と戦魂召喚の魔術は使えん。つまり、お前が目論んでいた伝説の剣士を召喚するというのはご破算になったということだな」
「!? なんで!? 嘘でしょう!?」
「事実だ。この魔術は一つの肉体に対し、一つの魂しか反応しない。そして、そもそもの話だが――」
ライクは衝撃の事実を告げた。
「お前は確か肉体を乗っ取ってもらおうと言っていたよな。なら失敗することが正解だったぞ」
「え、じゃあ私がやったことは……」
「お前は驚くことに、正確な手順でこの魔術を完遂した。だから俺はお前の肉体を媒介に、こうして現世に蘇ったんだ」
そこでフレデリカは母親の遺した本の内容を思い出す。
――自分の身体を媒介に、伝説の戦士の魂を召喚する。
そう、確かに乗っ取られるといったことは一言も書かれていなかった。
「私って……私って……」
「落ち込む理由が分からん。何故お前が戦魂召喚の魔術を知っているのかはさておくとして、それは最上級魔術だ。そこらへんの魔術士に使えたことを言ってみろ。頭がおかしくなったか、嫉妬に狂われるかのどちらかを楽しめるぞ」
「そんなことしても、何の自慢にもならないよ。はぁ……」
ため息をつき、フレデリカはベッドに潜り込んだ。
「おい、何をしている」
「何って、寝るんだよもう。これは悪い夢だったの。だから私は寝るの。寝てリセットだ」
「この『無限の夜』を目の前にして言う冗談がそれか。中々にセンスあるな小娘」
「小娘じゃなくてフレデリカですー。まぁ悪夢にそれを言っても仕方がないか。それじゃお休み。眠ったらいなくなっていますように」
「おい小娘。小娘! おい! ちっ、本当に寝やがった……」
先ほど目を閉じたかと思えば、もうスヤスヤと寝息を立てるフレデリカ。
ライクはそんなフレデリカの寝顔を無言で見つめた。
「……見るからに俺より歳が下だな。こんな小娘が戦魂召喚の魔術を使えるとは」
ライクは人差し指をクイと動かした。すると机の上のペーパーナイフが浮遊し、フレデリカの喉元へ切っ先が向けられる。
これは物体操作の魔術だ。先ほどのペンを動かしたのもこの魔術だった。
本来なら発動まで多少のタイムラグが発生するのだが、ライクにとってはこんなもの、魔術でも何でもない。よって、この魔術の発動にタイムラグなど存在しない。
「戦魂召喚の魔術を解除するには、術者が死ぬだけでいい。そりゃそうだろう。媒介にしているものがなくなれば、それに頼っているモノはいなくなる。道理だわな」
ライクが指を上に動かすと、それに合わせてペーパーナイフの高度も上がっていく。
まるで罪人の首を跳ねるギロチンのようにも見えた。
「俺は誰かに縛られるのが嫌いだ。だから俺はお前を殺す。今更この世に未練などないのだから」
――私が最強の剣士になりたくて、それで貴方に私の身体を乗っ取ってもらえないかと思って。
突然フレデリカの言葉が浮かんでくる。
前半に興味はない。あるのは後半の部分。
「……最上級魔術を行使した奴の目的が、知らん奴に身体を乗っ取られること、か」
ライクは鼻を鳴らす。そして、指を横に振ると、ペーパーナイフは元の場所へと戻っていった。
「確かフレデリカ・バニングウェイだったな。良いだろう、これも何かの余興と捉えてやろう」
ライクの表情は真顔だったが、言葉はどこか楽しげだった。
◆ ◆ ◆
早朝。フレデリカの体内時計は毎日同じ時間に起床を促す。
「おはよう私! おはよう剣!」
電光石火の速さでベッドから飛び降り、身支度開始。
彼女の朝のルーティンはこうである。起床、修行、学園へ登校。
さぁ、フレデリカのいつもの日常が始まる!
「おい小娘。何だ昨日のいびきは? 敵襲かと思って、魔術を使いかけたぞ」
「…………」
彼女の目の前には、当然と言うべきか、半透明のライクが立っていた。正確には浮いていた。
「あぁ、私はまだ悪夢の中にいるんだ。そうじゃなきゃ昨日のハズレがここにいるわけないもんね」
瞬間、昨日と同じようにフレデリカ目掛けてペンが飛んできた。額に直撃だ。
「ったい! 何するの!?」
「寝ぼけているようだから起こしてやったのだ。感謝しろ」
「あれは悪い夢じゃなかったんだ。悪い現実だった……」
「現実を直視出来た分、少しは成長出来たのではないか?」
「成長……そうだ、私はこんな幽霊と駄弁っている場合じゃない。修行しないと!」
フレデリカが気合を入れなおしたのと同時、ノック音がした。
「おはようフレデリカ。どうしたんだい、さっきから誰と喋っているのかな?」
「げっ!」
父親の声に、フレデリカは身体が強張った。こんな怪しい男を部屋に連れ込んだなんて知られれば、なんと言われるか分かったものではない。
どうにかして誤魔化そうとしたが、それを為すには、いささか時間が足りない。
「フレデリカ、入るよ。一体誰と――って、何だ独り言だったのか」
「え?」
フレデリカはライクの方を見る。しっかり隣にいた。
だが、父親は首を傾げ、不思議なものを見るような目でフレデリカを見ていた。
「無闇に騒ぐのは感心しないよ。さて、と僕はこれから朝食の準備をしてくるから。また後で」
「あ、うん。ごめんね、お父さん」
パタンと扉が閉じられた。
フレデリカはライクの方へ顔を向ける。
「え、何で? 見えてないの?」
「勉強不足だな。俺はお前にしか見えない。だからお前は朝から無駄に騒いでいるおかしな奴ってことだ。ははははは!」
清めの塩でもぶつけてやろうか。
本気でそう思うフレデリカであった。




