第16話 『無限の夜』、到来
「――あ」
駄目だった。完全に意識外からの一撃だった。フレデリカはついに視界が暗くなった。
自分が立っているのか、もう倒れたのかも分からない。
「はは、ははははは! はぁぁぁははは!」
そんな中、ピサラの笑い声が聞こえる。
「滑稽滑稽滑稽ぃ! 面白すぎるよお前! 野良犬が腹出して倒れようとしているじゃないか! 欲を出して人間サマに噛みつこうとするからこうなったんだよ! はははは!」
意識を失いかけているフレデリカの耳は、確かにピサラの暴言を捉えた。
反論しようとした。けど、出来ない。口が動かない。そもそも、自分の状態が良く分かっていない。
ぐるぐると回る思考。そんな中、確かに思ったことがある。
(まだ、いけるでしょうが……!)
この足よ、動け。フレデリカの気持ちはこれだけだった。
あがくフレデリカへ向けられた彼の暴言はもっともかもしれない。やはり剣一本では魔術に勝てないのだろうか。自分がもっと魔術を勉強していたら……?
それは全て過ぎた話。ライクを除いて時は戻せない。
だけど、それだけだ。最後の最後まで、フレデリカは負けを認めない。
(まだ、まだ……!)
倒れるなら前のめりに。最後の最後まで歩みを止めない。
そんなフレデリカへピサラはトドメを刺そうとする。
「野良犬! お前は弱すぎた! 負けたんだよお前は! 人間サマに許しを乞いながら無様に倒れな!」
ピサラは最後に特大の火球を撃ち放った。まともに直撃すればひとたまりもない。
「まぁあの金髪男の言うとおりだ。フレデリカ、お前は弱い」
ライクは小さく呟いた。この声はフレデリカに届いていない。
何度でも言おう。
彼は別にこの勝敗に興味はなかった。フレデリカが勝とうが負けようが、彼にとっては些末な出来事。
だが――。
「とはいえ、お前の諦めの悪さをそう言われるこたぁないわな」
フレデリカの意志の強さを嗤われるのだけは、話が違った。
直後、フレデリカの前方に長方形の盾が生まれ、火球がかき消された。
「何だと!?」
「ふ、ふふふ……」
ピサラは目の前の光景が信じられなかった。
あれだけ痛めつけたはずのフレデリカがまだ立っていたのだ。
「ふふはははは! なるほど、これがお前の身体か」
フレデリカらしき存在は、ピサラのことなど気にした様子もなく、己の身体を確認していた。
この状況下でそんな余裕のある行動、ピサラが許すはずもなかった。
「何を余裕ぶってんだよ野良犬! お前は無様に倒れるんだよ! そうら今度こそ! 大火球の魔術!」
ピサラの前方の空間から、巨大な火球が放たれた。フレデリカを軽く飲み込めるほどの大火球だった。
それに対し、フレデリカは避ける素振りもなく、ただ立っていた。
数秒もしない内に大火球は着弾した。爆発し、燃える。見るからにやりすぎな破壊力。明らかに殺すような勢いだった。
だというのに!
「お前もしかして疲れたのか? 大火球の魔術と叫んだ割には、カスみたいな威力だったぞ」
立っていた。フレデリカは腕を組み、まるでつまらない演劇を見ていたかのような雰囲気だった。
「ぼ、僕の大火球の魔術が……!? いや、そんなわけがない。そんなことがあるのか?」
「ある。だからこそ俺が立っているのだ」
「お前……何なんだ?」
「俺の名を聞いたな? ならば答えてやろうか」
フレデリカは一歩前進する。同時に、ピサラは一歩下がっていた。
「俺は魔術を極めし者。明けぬ夜を永遠にする者。そう、俺こそは――」
フレデリカが高らかに名乗りを上げる。当時、彼を知っている者は皆、その名を聞いて震えあがった――!
「『無限の夜』、ライク」
「ライク……『無限の夜』、だって? モノマネをする時間じゃ……ないだろ」
ピサラは今の状況と、そしてフレデリカが吐いた言葉を飲み込めなかった。
何せ、名乗った名前があまりにも馬鹿らしすぎるのだから。
(『無限の夜』だと……!? 魔術の世界に入る時、まず初めに聞くことになる名だぞ? それを名乗るのは子供か演劇の時くらいだろう……!)
魔術を極めし者。
あらゆる不可能を可能にした者。
『無限の夜』対国家という馬鹿みたいな対戦カードが成立する者。
ライクとは、そういう人間なのだ。
「野良犬が! 馬鹿も休み休み言え! あの『無限の夜』の名をこんな土壇場に名乗るだと!? ふざけているのか! 遊びのつもりか!」
だからこそピサラの怒りが膨れあがる。
同時に、ピサラに同情が寄せられるであろう状況だった。
それも無理はない。誰がこの事態を予測できようか――!
まさか本物のライクが、一時的にフレデリカの身体の優先権を奪い、この現世に帰還するなどと!!
「悪いな。俺からすれば、もはやこの戦闘はお遊びだ。だから全力で楽しませてもらうさ」
フレデリカ改めライクは、軽く腕を振るう。
瞬間、ピサラの身体が地面に打ち付けられた。
「がッ……!?」
「おいフレデリカ、聞いているか? 物体操作の魔術ってのはこう使うんだよ」
そう言いながら、ライクは人差し指を何度か動かす。すると、ピサラがその動かした方向に飛んでいき、壁や地面に衝突する。
これは基本的な魔術である物体操作の魔術だ。もはやピサラの力量ではそれに対抗することすらできなかった。
「おい……気絶しようとするな」
ライクはそう言いながら手のひらを向ける。瞬間、彼の手のひらから雷が放たれた。
だがこれは魔術ではない。
「ぐぁぁぁ! 雷撃の魔術とは……!」
「あ? 誰がお前にそんな魔術を使うか。俺、というかフレデリカの魔力を直接浴びせているだけだ」
この雷撃の正体は純粋にフレデリカの魔力だった。そう、ライクがまともに使った魔術は物体操作の魔術のみ。
ライクは鼻を鳴らした。これがフレデリカに大口を叩いていた奴の力量なのかと。
ピサラは恐怖した。これが先ほどまでの野良犬だというのか。
この時点でピサラは戦意を喪失した。
ピサラが逃げようとする。もはや戦いなどどうでも良かった。このままでは殺されると、そう思ったから。
だがライクはそれを見逃すほど甘くない。
「おい逃げるなよ」
「何だ!? 動けない!?」
「これも物体操作の魔術の応用だ。やろうと思えばお前程度の動きなどこうして封じ込められる」
「ひっ……! 助けて! 助けて!!」
「お前の誇りはどこにいった? フレデリカは最後の最後まで戦っていたぞ」
ライクの左手に魔力が集中する。すぅっと人差し指がピサラの額に向けられる。
凝縮される魔力。その濃度とそれが己の額に向けられる意味。もはやピサラは発狂状態だった。
「こっ殺される! 誰か! 誰かぁ!」
「それよりも、さっきから大声をあげているが無駄だ。俺が顕現した時、防音の魔術と鈍化の魔術を使わせてもらった。この状況は誰にも不思議に思わぬだろうし、お前の声は俺にしか聞こえないぞ」
そう言われてようやくピサラは状況の不自然さに気づいた。
誰も助けに来ないのだ。このようなあり得ない状況になっているというのに、誰も来ない。
こんなことあり得ない。これはそもそも授業の一環だ。だからこそ教師もいる。教師も馬鹿ではない。こんな異常事態になれば絶対に介入してくるはずだ。
この土壇場での、この強烈なネタばらし。ピサラの心は完全に折れていた。
「まぁ、俺に優しい言葉などは期待するな。少なくともフレデリカに喧嘩を売った時点でこうなる可能性は少なからずあった。お前は運が悪かったんだ」
ライクの左人差し指から細い光線が放たれた。
「死んでたまるかぁ!」
叫びながらピサラは何重もの岩の壁を生み出す。これを防御兼目くらましにして逃げる。ピサラはそんな甘いことをまだ考えていた。
光線が岩壁に触れる。すると、一切の抵抗もなく、光線が岩壁を抜ける。どんどん抜けている。そこに壁なんてないように。がら空きの空間をただ直進するように。
光線はただ進む。
これこそがライクの必殺魔術。
「無駄だ。俺のこの光線には時間魔術を混合させている。俺の光線は自分にとって不都合な存在の時間を歪める。だからこれに防御は出来ない」
ライクはこの絶技にこう銘打っていた。
「時の槍。俺はこの魔術をそう呼ぶ」
「うわあああ!!」
時の槍はピサラがどこにいようが自動追尾し、どこまでも追う。光線がピサラに直撃するまであと少し。
これに触れたらどんなことが起こるのか。それはライクにさえ良く分かっていない。
ピサラが発狂している。しかし、時の槍はとうとうピサラの額に直撃する。
彼は目をつむった――。
「――――」
ピサラは今、自分がどうなっているのか分からなかった。死んだのか、それとも?
目が動くので、彼はゆっくりと目を開いた。
「あ……?」
「決まりましたね。勝者はフレデリカさんです」
地面に座り込んでいたピサラの見た光景は、先生に勝利宣言をされているフレデリカの姿であった。彼女の勝利に、生徒達はどよめいていた。
ピサラはこの状況が良く飲み込めていなかった。自分が作った壁があったはずだ。そして、相手の攻撃で自分は死んだはず――。
フレデリカがちょいちょいと下を指さした。その動作に従い、自分の真下を見ると彼はその結末を認識する。
「外し……た」
地面に一か所だけ穴が開いていた。底が全く見えない。
そう、これが戦いの結末。
あの時の槍は、ピサラに当たる瞬間、直角に方向を変え、彼の真下に着弾した。あとはライクの気が済むまで、地面を掘り進み、そして消える。
フレデリカがピサラへ歩み寄り、彼の耳元に顔を寄せた。
「喧嘩を売る相手はちゃんと選ばなきゃなぁ……? 今後、俺――ごほん、ワタシとお前がいびっていた奴に妙なことをしたら、音もなく殺す。それだけ覚えておけ」
「……」
ピサラは放心していた。だが、聴覚だけはちゃんと生きていたので、僅かに首を上下に振ることが出来た。彼の身体からは生気が抜け落ち、五歳ほど歳をとったように見えた。
人為的な時の魔術、と言えばどれだけ意地の悪いことだろうか。
フレデリカ――もといライクは水を集め、小さな簡易手鏡を作った。
「とまぁ、これがお前の力だ。常日頃、鍛錬を重ねた末の姿になる。まぁ、せいぜい頑張るが良い」
ライクが指を鳴らした直後、フレデリカに身体のコントロールが戻ってきた。




