第15話 フレデリカの前進
とうとうこの日がやってきた。
今、フレデリカは魔術士科の運動場に立っていた。目の前には例の金髪男子ことピサラ・グレゴワズがいる。
二人は向かい合っていた。あとは教師の号令があれば、すぐにでも始められる状態だった。
「まずは逃げ出さなかったことを褒めさせてくれ。これで逃げ出した、なんてことになったらますます野良犬エピソードが厚くなるところだったよ」
笑いをこらえながらそう言うピサラ。完全に見下し、馬鹿にしてきている。
だが、フレデリカはそう言った類の言葉は一切効かなかった。
「むしろ今、震えているんじゃないの? その野良犬にこれから負けて恥をかかされるんだから」
「僕が? 君に? ふ、ふふ……ふははは!」
ピサラは声を上げて笑った。心底おかしそうに。まるで凄腕の大道芸人の芸でも見て、思いっきり笑っているようだ。
「はは、ははは! まさかの発言だ! 君が僕に勝つ? あははは!」
教師が少し離れ、号令を出した。開戦だ。
同時に、ピサラの表情が一変する。
「――身の程を知れよ、野良犬が」
絶対零度の表情を浮かべ、ピサラの攻撃が始まった。
「炎弾の魔術」
ピサラの左右から巨大な火炎球が出現。直後、その火炎球より火の玉が放たれる。
「!」
すぐにフレデリカは回避行動を開始した。ピサラを中心に円を描くように走る。一発一発はそんなに速くない。冷静に、かつ位置取りを間違えなければ対処は容易い。
そう思っていた。
「前……!」
フレデリカの前方から火の玉がどんどん迫ってきた。後ろからも同様に火の玉が迫ってきている。
こうなった理由はあの火炎球が二つあるからだとすぐに分かった。
(最初は二つ同時に同じ方向へ撃っておいて、ある瞬間から片方を反対回りに変えたんだ)
二つあるが故の柔軟さ。それを見事に扱いきるピサラ。彼の思惑通り、このままではフレデリカは前後から火の玉をもらうことになる。
求められる判断。フレデリカは走りながらも思考を止めない。安全に避けるのならば、タイミングを見て、真横に跳ぶしかない。
しかし、安直が過ぎる。ピサラがそれを見逃してくれる人間ならば良い。そうでないのなら、手ひどい結果になるだろう。
(考えても仕方がない)
前後から飛んでくる火の玉。それが交差する瞬間、フレデリカは真横に跳んだ。
「そうだろうね。そうするしかあるまい」
フレデリカの視界が大きな岩石で埋め尽くされた。
フレデリカは咄嗟に木剣を盾にする。直後、岩石が直撃した。フレデリカは衝撃を殺しきれず、吹き飛ばされる。
「っ!」
「安直! 安直だよなぁ! そりゃそうなるさ! 僕は待っていた! 貴様が痺れを切らして跳ねるのをね!」
「……『私が回避した先に攻撃を置きました』っていう説明を、そこまで偉そうにしなきゃ出来ないなんて語彙力が心配だよ」
「ほう。僕が割と本気で撃ち込んだ石斧の魔術を食らって、その軽口か。耐久力のある野良犬なんだな」
ピサラの指摘通りだ。これは軽口だ、少なからずダメージを受けてしまったことを悟られぬための。
次はどうしようか考えていると、ライクが思念通話で話しかけてきた。
(苦労しているようだな。お前の頼み方次第では、力を貸してやらんでもないぞ)
(安心して、そんなつもり一切ないから)
ライクが垂らした蜘蛛の糸をフレデリカは切り払う。
ライクに助力を求める――そんな図々しい頼み、どの面下げて言えようか。
これは元々、フレデリカ自身が仕掛けた喧嘩だ。そんな恥ずかしいこと、死んでも言えなかった。
(とはいえ、か)
フレデリカは己の状態を確認する。石斧の魔術を防いだは良いが、両手が痺れている。おまけに勢いを殺しきれなかったので、身体にもダメージが回っている。
無策に立ち回って良い相手でないことは分かった。
(けど、もう少しだけ猪となってみようか)
フレデリカは短く息を吐き、ピサラへ向かっていく。シンプルに直進し、シンプルに叩く。色々と策を練るより分かりやすいだろう。
「ただ向かってくるだけか」
ピサラはつまらなそうに言った。
フレデリカと名乗る野良犬。家の名を聞いても動じず、むしろ闘志をむき出しにする者。その反骨精神だけは見上げたものだった。
(惜しかったな野良犬。噛みつく相手を間違えなければ、僕の番犬くらいにはなれただろうに)
しかし、それだけだ。気持ちだけで勝つなどというのは物語の世界だけだ。
フレデリカの底を測り終えたピサラは周囲に魔力を巡らせる。このつまらない戦いを早急に終わらせるために。
「――岩壁の魔術」
フレデリカの左右から岩の壁がせり出した。横長方形の壁。隙間なんてない。左右から逃げ出すのは不可能。唯一の出口は、両者の背後にある空間だけ。簡易的な牢獄。一時的に、フレデリカとピサラだけの空間となった。
「そして、炎弾の魔術。今度はもう少し本気で撃ち込もうか」
ピサラの前方に火炎球が生まれる。すぐに火炎球から火の玉が吐き出された。フレデリカは背筋が凍り付いた。
左右に逃げ場はない。ここから選択できるのは前進か後退か。
考えている暇はない。フレデリカはすぐに最初の火の玉を木剣で叩き落とした。
「踊る道を選んだか! いつまで持つかな!」
二発目、三発目、四発目……。火の玉は間を置かず、どんどん向かってくる。そろそろ防御も苦しくなってきた。しのぎ切れず、右肩に火の玉が当たった。よりにもよって利き腕のほうだ。
ぶつかったときの衝撃と、火炎の熱さがフレデリカを襲う。初めてまともに受けた攻撃魔術。木剣で頭を叩かれる方がまだマシかもしれない。
「立ち止まるのかい! ならば負けだ」
火の玉がどんどん襲い掛かる。まるで炎の壁の前に立っているようだった。
前に進めない。防戦一方。まるで変化のない、ただただやられ続けるだけの時間。
(前へ進めない……!)
とにかく前へ進まないことには始まらない。フレデリカは何とか木剣を器用に動かしながら、火の玉を最低限やり過ごし、全身を試みる。
しかし、単純に物量がある。ましてや左右は壁で挟まれているので、ただただピサラの良いようにやられているだけの図だ。
これではいけない。フレデリカは打開策を考える。
(多分、叩けばあの金髪男子は倒せる。けど、そうなる前にやられちゃ意味がない。ちゃんと防いで、ちゃんと距離を詰めなきゃ)
せめて、とフレデリカは思う。
(自分から隙を作ることが出来れば……)
火の玉を防ぎ、時には食らいながら、フレデリカはふと思った。
そもそも、何で思いつかなかったんだろうという策だ。
(――あるじゃん。簡単なのが)
フレデリカは空いた手を伸ばす。
それを見たピサラは笑う。
「何だそれは? 命乞いのジェスチャーかな? それなら――」
「そんな訳ないよね。私を安く見たな」
魔力を用い、フレデリカは世界に働きかける。
次の瞬間、ピサラの身体が一瞬宙に浮き、そのまま左の壁に衝突した。
「ぐっ……! これは!?」
「物体操作の魔術、実戦初成功……! けど、今はその喜びに浸ることはしない……ッ!」
フレデリカはそのまま接近を続ける。最速で近づいて思い切り木剣で殴る。それがフレデリカの勝ち筋。
だが、フレデリカは知らなかった。
魔術を専門とする魔術士の深奥を――。
「君は中々やるね……。まさか野良犬が物体操作の魔術を使えているとは思わなかった」
ピサラが両手をフレデリカへ向ける。
「野良犬に敬意を込めよう」
直後、左右の壁から棒状の物体がせり出した。フレデリカは反応する間もなく、せり出した棒になぶられる。
全身を強く打たれ、フレデリカは肺の中の酸素を全て吐き出してしまった。
「これこそが岩壁の魔術のバリエーション! 岩撃の魔術だ! まだまだ遊ぼうと思ったが、そろそろ本格的にしつけをしてやろうか!」
岩壁からせり出した棒が引っ込むと、すぐにまた伸びた。全方位からフレデリカは殴られる。
フレデリカは暴力の嵐の中、頭を守るのが精いっぱいだった。
(まずい……! 本当にまずい……! これが、魔術士!)
殴られながらも、フレデリカは何とか前へ進もうとする。だが、ピサラの攻撃はそれだけで終わらない。
「更に炎弾の魔術」
再び火の玉がフレデリカに襲い掛かる。全方位からの殴打、前方からの火の玉。既に勝敗は決していた。
フレデリカが諦めるのならば、の話だが。
「……けない」
フレデリカは足に力を込める。
「負けるもんか……! これで負けたら、本当にマリアンの立場がなくなる。だから私は勝たなきゃならない。ならないんだ……!」
防戦一方。そんな中、近くから呑気な声が聞こえてきた。
「お前。まだ倒れないのか? もういいだろ、さっさと倒れろ」
声の主はライクだった。
彼は別にこの勝敗に興味はなかった。フレデリカが勝とうが負けようが、彼にとっては些末な出来事。
だというのに彼は声を掛けた。何故?
「既に勝敗は見えている。お前が負けで、あの金髪のガキが勝ちだ。この結果はきっと、変わらん」
「っるさい……! 黙って見てて……!」
「最初は余興程度に見ていたが、これ以上は見ていてもつまらん。だから、さっさとぶっ倒れるが良い」
「余興程度だろうね……ライクにとっちゃさ。でも、私にとっては違う」
一歩。また一歩。確実にフレデリカは進んでいた。
フレデリカは別にヤケになったのではない。意識は明瞭。痛いのは慣れている。要はこの心が折れるかどうかの試合。近づけば勝てる自信が、フレデリカにはあった。
だからこそ、フレデリカは前進を続ける。どれだけ痛めつけられても、どれだけ圧倒的な魔術の腕前を見せつけられても、なお!
「ライク、良く見ていて。どんな相手だろうと、私は勝つと決めているの。この剣で、そしてライクから教わったささやかな魔術で……!」
フレデリカは視界がぼやけてきた。ダメージがどんどん溜まっているのだ。一度立ち止まれば、再度動くことは出来ないだろう。
だから前へ進む。前へ。己の誇りを足裏に蓄え、己の気力で背中を押す。
「ちっ。まだ倒れないのか。鬱陶しいな」
絶対に倒れないという意思を見せるフレデリカ。
ピサラはそんな彼女がいい加減に鬱陶しくなった。だからこそ、ピサラはとどめを刺すことにした。
「!」
フレデリカは確かに見た。ピサラの攻撃が止んだのだ。
魔力切れが近いのだろうか――殴られすぎて思考が鈍くなったフレデリカは、それがどれだけ不自然なことだったとしても、この千載一遇のチャンスを逃すことは出来なかった。
「これ、で!」
走る。フレデリカは走る。もう少しでピサラに手が届く。木剣の間合いに捉えることが出来る。
もうすぐ、もうすぐ、もうすぐ――!
「岩撃の魔術」
フレデリカの足元から岩の棒が伸びた。棒はまるでアッパーカットのように、フレデリカの顎を打ち抜いた。




