暴動(グレーゲル視点)
ダニエラがロッテンバーグを打ち損じた直後、大広間では大変な騒ぎになっていた。王妃は人差し指を失い、ロッテンバーグは頭を狙われたと周囲は大狂乱だった。
壁に控えていた騎士たちは、すぐにこの国の要人である王族とロッテンバーグを囲んだ。放っておかれた貴族たちは死にものぐるいで物陰に隠れた。
グレーゲルはその様子を冷静に観察しつつ、次の行動を考えていた。
ダニエラがロッテンバーグを打ち損じた。彼女ほどの狙撃の名手ならば、何もなければ外すことはない。つまり、邪魔が入ったということだ。
これは今、かなり旗色が悪いと考えて間違いない。
そう考えているうちに、外から銃声が鳴り響いた。ダニエラが撤退する合図だ。
もう形勢逆転は見込めない。こちらも速やかに撤退する必要があるだろう。グレーゲルはそこまで考え、ふと視線をロッテンバーグへと向ける。
ロッテンバーグは数人の騎士に囲まれ、妙に落ち着いた様子で周囲を観察していた。
――まだチャンスは残っているかもしれない。
グレーゲルは意を決して、ロッテンバーグに近づいた。
「ロッテンバーグ公爵! ご無事でしたか?」
グレーゲルは焦ったふうを装ってロッテンバーグに声をかけた。ロッテンバーグは一瞬だけ目を細め、言葉を返す。
「ああ、なんとかね。ところでどうして私の元へ?」
ロッテンバーグは真意を見透かそうとするかのごとく、グレーゲルを睨みつけた。それに対して、眉尻を下げて弱りきった表情をつくる。
「それが、アニェス様が消えてしまったのです!」
「なんだと? お前が見ていたのではなかったのか!」
ロッテンバーグは目を見開き、あからさまに焦った様子になった。心を乱している人間には、隙ができやすい。グレーゲルは、一筋の光明が差し込むのを感じた。
「そのつもりでしたが、一瞬声をかけられた隙にまるで霞のように居なくなってしまったのです」
グレーゲルは話しながら、眉を顰めるロッテンバーグにゆっくりと近づいた。騎士たちは二人が自然に話しているのを確認し、グレーゲルへの警戒を解いていた。これ幸いと騎士の間に割って入り、手を伸ばせば触れられる距離まで進む。
その瞬間、激しい衝突音が起こった。
とっさにロッテンバーグから距離を取り、周囲を見回す。
衝突音は断続的に鳴り響き、時折、爆発音まで響き渡った。
「なんだこれは!?」
ロッテンバーグは大声を上げた。さっきアニェスが消えたことを伝えた時とは、全く異なる白々しいほどの驚きぶり。まるで周囲に聞かせているようだ。
グレーゲルは静かに目の前の男を観察した。
その時、突如として勢いよく扉が開き、外に立っていたはずの騎士が十数人なだれ込んできた。そして、そのうちの一人が、広間中に響き渡るような大声で叫んだ。
「暴動です! 民衆が扉を破ろうとしています!!」
新たに加わった襲撃に、場内は混迷を極めた。
騎士たちの判断により、大広間に集まる貴族はその場に待機することになった。その間も衝突音と爆発音が絶えず鳴り響く。
グレーゲルは今、いかにロッテンバーグの隙を狙って攻撃を仕掛けるか、という本来の目的ではなく、どうやってアニェスを迎えに行くかということで頭を悩ませていた。前者はもう、希望はないだろう。暴動さえなければチャンスはあったのだが。
アニェスと合流するために、外に出ようとすると目立ってしまい、扉に控える騎士に止められる恐れがある。もちろん、アニェスに向かうよう指示した部屋にも、転移の符号は用意してある。だから直接迎えに行くことはできる。しかし、それをするのは最終手段だ。使ったら最後、眩い光と共に姿を眩ます様を、大勢に確認され、その光と共にグレーゲルの正体も白日の元に晒されるだろう。
「クソッタレな時代遅れの騎士どもが……」
グレーゲルは小さく悪態をついた。今どきの兵士は銃を使う。ワーゼル王国では魔法を使える軍さえ存在する。剣しか使えない人間は真っ先に死んでいくのだ。
そもそも城門が既に破られているのに、前もって知らせも寄越さないとは本当に守る気があるのか?
イライラと考えていると、外から騎士が一人駆け込んできて叫んだ。
「もうすぐ扉が破られます!」
その言葉を受けて、大広間が騒然となった。そして一際大きな衝突音が鳴り、そのすぐ後に怒号が響き渡った。もはや貴族たちは絶望し、涙を流しながら祈っている者すらいる。
大広間の扉が破られるのも、時間の問題だった。
騒ぎの一方で、ロッテンバーグの元に駆け寄る者が一人いた。
「ロッテンバーグ公爵、裏口がございます。どうぞこちらへ」
そう囁いたのは騎士だった。その者は、他の貴族に気づかれぬよう、玉座の後ろに掛かった国旗の裏にロッテンバーグをすみやかに誘導した。
ロッテンバーグはあからさまに狼狽えた表情をつくりながらも騎士の指示に従っていたが、国旗の裏に入り込もうとした瞬間、グレーゲルにしか分からない程小さく口元をニヤリと歪めた。それに気づいたグレーゲルは一瞬殺意を覚える。だが、どうにか押し留めて「どうかご無事で」と礼を執った。
魔法を使わずとも、グレーゲルが敵だと気づかれていたか。それとも、元より知られていたのか。
グレーゲルはため息をつきながら、頭をがしがしとかいた。
不自然な形でアニェスの護衛になったせいか。ロッテンバーグに警戒されるのも、当然といえば当然だ。なんと言っても可愛い姪なのだから。
改めて周囲を見渡すと、王族や高位貴族の姿もすっかり見えなくなっていた。おそらく、ロッテンバーグと同じ裏口を使って避難したのだろう。
自分のことしか考えない、この国を治める者の姿勢。腹立たしいことこの上ないが、魔法を使う上では、かえって好都合だった。
グレーゲルは手始めに、自身に認識阻害の魔法を強くかけ、周囲から存在さえ認識されないようにした。そして、近くの大きな柱に氷の突起を生やし、それを足がかりに丁度いい足場まで登った後、氷を消す。
アニェスがいる部屋は、彼女以外が壁に触れても、扉が出現しないようになっている。強力な魔法使いがアニェスの居場所を探知したり、彼女自身が内側から扉を開けたりしない限りは、まず問題ないだろう。
グレーゲルはひとまず、この暴動が落ち着くまで待つことにした。
嵐の過ぎ去った大広間は酷い有様だった。貴族も平民も、おびただしい数の死体が転がっている。
暴動は数の暴力で平民側が勝利し、今頃は生き残った民衆が貴族の死体を掲げ、街を練り歩いている頃だろう。
気になるのは、ロッテンバーグのあの嘘くさい焦りぶりだ。この暴動を予想していたどころか、一枚噛んでいたのではないだろうか。
暗殺を予見して失敗させるために、暴動を誘導したのか? それとも暴動自体が目的だったのか? それは定かではないが、想定内だったことは間違いない。
グレーゲルは柱から飛び降り、屍を避けながら大広間を横切った。
フロアを出ると、廊下も惨憺たる有様だった。壁にかけられた絵画は打ち捨てられ、大輪の花が生けられていた豪勢な壺は粉々に破壊され、その横に台座が転がっていた。花は踏み荒らされ、元の美しさは影も形も残っていない。
グレーゲルは周囲を窺いながら、廊下を静かに進んだ。
T字路の突き当たりまでたどり着くと、一見何もない壁の前に手をかざし、スッと横に動かした。すると、空間が揺らぎながら扉が出現した。
何事もなければ、ここにアニェスがいるはずだ。何もなければ。
グレーゲルはゆっくりとドアノブを回すと、静かに扉を開いた。
「アニェス様、ご無事ですか?」
そっと声をかけるも、返事はない。
グレーゲルは焦って、勢いよく扉を全開にする。
「アニェス様っ……!」
そこはすでに、もぬけの殻だった。
よく探してみようと一歩踏み出すと、足元に広がる染みと手のひらサイズの潰れた黒い塊があった。グレーゲルはしゃがみこんで、その塊をよく確認した。
「これは……!」
間違いない。蜘蛛だ。
アニェスが偶然潰した可能性もある。しかし、この蜘蛛は機動力に優れている種だ。潰すのは容易ではないだろう。ましてや、ヴィスコンティ家の使用人から集めた情報では、アニェスは蜘蛛恐怖症のはずだ。蜘蛛恐怖症の人間が、こんな風に容赦なく手のひらサイズの蜘蛛を潰せるものだろうか? この跡は偶然潰したというより、害意を持って踏み躙ったもののように見える。
大きくて素早い蜘蛛を、こうまで踏みつけたのが、蜘蛛恐怖症のアニェスだとは考えにくい。
そもそも、この部屋は魔法で創造されている。万が一にも、偶然誰かが開けてしまった時のために、古ぼけた物置の造りにはしているが、虫の一匹もいるはずがない。
つまり――アニェスが扉を開けたのか、誰かが扉を見つけてしまったのかは定かではないが――外から蜘蛛が侵入し、それをアニェス以外の誰かが意図的に踏み潰したとしか考えられない。それも蜘蛛の逃げ足の速さを考えると、何らかの仕掛けを使って。
そして、アニェスの蜘蛛恐怖症の元凶となり、かつ蜘蛛を使役できる人物を、グレーゲルは一人知っている。
「ティエリー……!」




