王宮での聖誕祭②
王宮に足を踏み入れ、大広間の手前までたどり着くと、グレーゲルはちらりとアニェスを横目に見た。その顔には心配が浮かんでいる。
「準備はよろしいでしょうか?」
「……ええ、頼りにしてるわ」
「お任せください」
アニェスは緊張を紛らわせるためにゆっくりと深呼吸をすると、グレーゲルの腕にかける手に一度だけキュッと力を入れ、ついに貴族の集まる大広間に足を踏み入れた。
そこには、豪華絢爛な空間が広がっていた。
古典芸術のような美しい造りのフロアを、蝋燭が刺さった無数のシャンデリアが煌々と照らしており、純白のクロスが掛けられたテーブルには様々な料理が並んでいる。周りを見渡せば、色とりどりの華やかなドレスに身を包んだ淑女や、上質な礼服で挨拶を交わす紳士の煌びやかな姿が目に飛び込んでくる。
しかし次の瞬間、それまで社交を楽しんでいた全員が、一斉にアニェスたちの方を振り返った。その視線の多さに、アニェスはぎょっとする。久しく社交界に出ていなかったせいで、自分がどんな評価をされていたのかが分からなかった。
ちらりと近くに視線を移すと、令嬢が二人、アニェスを見ていた。扇で口元を隠し、何やらひそひそと話をしており、時折、眉をひそめている。
もしかしたら社交を怠っていた怠け者とか人嫌いで気難しいとか、貴族の間でもっぱらの噂になっているのかもしれない。ドレスの着方や立ち振る舞いがおかしいのかとも考えたが、いくら着慣れていないとはいえドレスは侍女に着付けてもらったのだから、おかしな所はないはずだ。やはりアニェスの悪い噂が広まっているのかもしれない。
急に不安になり、俯いて周囲から視線を逸らす。しかしその時、グレーゲルにクイッと腕を引かれ、アニェスは驚いて顔を上げた。
「アニェス様、よく似合っておいでですよ」
「え?」
困惑してグレーゲルを見ると、彼は空いた方の手でイヤリングに触れた。
「私の色です、アニェス様。この色があなたに似合わないわけがありません」
「グレーゲル?」
グレーゲルはイヤリングから手を離すと、アニェスの耳元に顔を近づけた。
「ですから安心してください。私がついております」
アニェスはハッとしてグレーゲルのアイスブルーに輝く瞳を見つめた。
「ええ……そうよね!」
グレーゲルに言われて思い出す。彼が隣にいるという当たり前のことを。そうしたら不思議と勇気が沸いてきた。それと同時に、込み上げてきた熱いものを必死に押しとどめる。
グレーゲルはいつも、アニェスの心の機微を敏感に察知して、欲しい言葉をくれる。まるで魔法使いだ。もっとも本物の魔法使いだが。
アニェスたちが大広間の中程まで進むと、それまで視線だけを投げかけてきた貴族たちがやっと動き出し、挨拶のためにアニェスの元へ集まってきた。昨夜眠れなくなるくらい不安だった久しぶりの社交だが、グレーゲルが隣にいると思うと、アニェスは安心して堂々と振る舞うことができた。
しかし、世の中には当然数え切れないほど場数を踏んで、社交界という綱渡りを目をつぶっていても余裕でこなせる恐ろしい人間がいる。
「お久しゅう。アニェス・ヴィスコンティ嬢」
しばらく挨拶と世間話をしていると、後ろから声をかけられた。振り向くと、そこにいたのは、ギヨーム・ロッテンバーグ侯爵、その人だった。実に、ヨーランに襲われた時以来の再会だ。
ロッテンバーグは、最高級のテキスタイルを使った重厚感あるコートを身にまとい、その年齢と地位にふさわしく威厳に満ちていた。
「お久しぶりです、ロッテンバーグ公爵閣下。ごきげんいかがでしょうか」
「悪くない。とてもお綺麗だ、アニェス・ヴィスコンティ嬢……おや?」
ロッテンバーグはアニェスと挨拶を交わすと、グレーゲルの方を見て口の端を吊り上げた。
「これはこれは……彼はいつ爵位を賜ったのかね?」
ロッテンバーグは、目ざとく背後に佇んでいたグレーゲルに気がついて、皮肉を浴びせた。アニェスは焦ってグレーゲルを盗み見る。そのあたりの設定は丸投げしていた。
グレーゲルは認識阻害の魔法を自身にかけていると言っていたが、そもそもロッテンバーグには彼がどう見えているのか、アニェスには分かるはずもない。アニェスから見たグレーゲルは軍服を着ている。それにも関わらず、ロッテンバーグは『爵位』と言った。つまり、傍からは、ごく一般的な貴族の礼服を着ているように見えているのだろうか?
どう返したものか分からず、答えあぐねていると、グレーゲルがアニェスの隣にスッと並んで淀みなく答えた。
「お久しぶりです、ロッテンバーグ公爵閣下。父がオーウェンタリア王国で男爵の位を賜っていたもので」
ロッテンバーグは片眉を上げた。
「ほう? そなたの父は行商人だと聞いたが?」
「ええ、父は次男で自由にしておりましたが、伯父上が流行病で亡くなり、そのため父が爵位が引き継ぎました」
グレーゲルはスラスラと嘘か誠か分からない最もらしい事情を説明した。アニェスは自分が気持ちを隠すのが得意な方だと自負していたが、本物の嘘つきは、こんなにも自然に口が回るものなのかと舌を巻く。
かえって不安にさせられるほどのグレーゲルの至極冷静な返答に、やり過ごせたとアニェスはほっと胸を撫で下ろした。
しかし、社交界の重鎮であるロッテンバーグがそれだけで納得するはずがなかった。
「ふむ……しかし、それならばなぜ、そなたは侯爵令嬢の護衛なぞしていたのかね?」
アニェスはピシリと固まった。今度こそ痛いところを突かれた。再び訪れたピンチに、ゴクリと生唾を飲み込む。
勝ちを確信したロッテンバーグは口の端を吊り上げた。ところが、グレーゲルは堂々たる佇まいで言い放った。
「ええ、護衛と偽っておりましたが、実は私はアニェス様の婚約者なのです」
アニェスは勢いよく振り返って、グレーゲルを見た。
そんなことはいっさい聞いていないと、アニェスは無言で訴える。衝撃の設定に開いた口が塞がらない。これくらいの粗相は許してほしい。むしろ声を出さなかった自分を褒めてやりたいくらいだとアニェスは思った。
「婚約者だと……? それは誠かね、アニェス・ヴィスコンティ嬢?」
急に水を向けられて面食らったが、急いで顔を引き締め、真面目腐った表情で頷く。
「ええ、グレーゲル様は私の婚約者でございます」
『様』と呼ばれたグレーゲルは、ぴくりと反応した。アニェスはそれを見逃さなかった。普段だったら揶揄ってもっと呼んでいるところだが、今はそんな場合ではないのを残念に思った。この状況でそんなことを考えてしまうアニェスも、意外と肝が据わっているのかもしれない。
「なるほど。ヴィスコンティ侯爵に確認しても?」
「それは……」
ロッテンバーグは、真偽の程をアダンに確認するつもりのようだ。アニェスはまたもや焦ってグレーゲルを見上げる。だが、彼は余裕綽々と口許に笑みを称えていた。
「ええ、かまいませんとも」
ロッテンバーグは、しばらく無言でグレーゲルを睨め付けた。その顔にはグレーゲルに対する疑いの色がありありと浮かんでみえる。
「……よかろう。では、私はこれで。めったに来られない王宮なのだから、ぜひとも楽しんでくれたまえ」
ロッテンバーグは最後に嫌味たっぷりに言い残し、二人の元から去って行った。
危機的状況から脱したのを確認し、アニェスはホッと胸を撫で下ろす。ただし、看過できないことがある。
アニェスはグレーゲルの腕を掴み、周囲を確認してから顔を近づけた。
「ねえ、お兄様に確認しても良かったの? というか……どういうことかしら、あの設定?」
アニェスが問い詰めると、グレーゲルはいたずらに成功した子どものように瞳を輝かせた。
「問題ありません」
「そうなの?」
「ええ、アダン様には夜な夜な精神操作の魔法をかけて婚約者の存在を植え付けましたから」
「そんなことをしていたの!?」
あまりの入念さに圧倒され、半歩後ろによろめく。グレーゲルはしっかりとその分、距離を詰めた。
「ヨーランが操られたことから着想を得ました。そのうち護衛の身分では入れない場所に潜入する必要も出てくるだろうと懸念していた矢先、渡りに船でした」
グレーゲルは茶目っ気たっぷりに言った。アニェスはそれを聞いて、ちゃっかりしすぎだろうと、アダンには申し訳ないが笑ってしまった。
「でも、その人の人となりのままで特定の感情を引き出すのは難しいって言っていなかったかしら? 記憶を植え付けることなんてできるもの?」
「ああ……まあ少し、穏やかな性格になったような気がしますが」
「えっ、そうなの!?」
アニェスは最近のアダンを思い出そうとした。しかし、できないことに気づく。最後に彼に会ったのはいつだったか。
「何かに怯えるようになり、少し内向的になったような気もしますね」
「ちょっと、それってもろに影響が出ているじゃない!」
よく考えたらロッテンバーグとの一件以降、アダンとは数える程しか会っていない。呼び出されて仕事を言いつけられることもめっきり減ったし、同じ屋敷に住んでいるにも関わらず、すれ違うことさえほとんどなかった。侯爵家の当主なら忙しい時もあるだろう程度にしか考えていなかったが、どうやらグレーゲルの仕業だったようだ。
「いい薬でしょう」
「まあ、そうかもしれないけど、それにしてもまさか婚約者なんて……」
「お嫌でしたか?」
グレーゲルは眉をハの字にして尋ねた。アニェスはこの顔に弱い。そして、グレーゲルはそのことをよく知っていた。
いつもだったら焦って否定しているところだが、驚かされた仕返しとばかりに、アニェスはにやりと意地悪な笑みを浮かべた。
「まさか、身に余る光栄よ」
いつぞやグレーゲルの真似をして、アニェスは仰々しく礼を執る。すると、グレーゲルは渋い顔になった。
「嫌味ですか? ロッテンバーグ公爵閣下にそっくりですね」
「あなたに似てきた、の間違いでしょう?」
グレーゲルが肩をすくめると、アニェスはくすりと笑った。
「……それに本心なのよ?」
アニェスは小さく呟いた。婚約が本当だったらどんなに良いか。
敵対感情をもった国同士に生まれた。
お互いがお互いを好きでいても、この事実だけは覆らない。宗主国の貴族として強引に婚姻関係を結ぶことはできるかもしれないが、グレーゲルの周囲はどう感じるだろうか? さしずめ、権力を笠に着て、国に仕える希少な魔法使いを奪った泥棒猫、といったところだろうか。そんなふうに思われて耐えられる気がしない。
そもそもアニェスはグレーゲルの家格も知らない。彼にそれなりの爵位があれば、もっと楽に政略結婚できるかもしれない。
そこまで考えてハッとする。結局は同じことだ。彼が貴族であってもなくても、どちらにせよ権力で無理やりグレーゲルをものにしようとしている。そんな人間を民が許すはずがない。
こんなことを考えていると知れたら、グレーゲルにも軽蔑されるだろう。
ついこの前、グレーゲルはアニェスを救うと言った。救われた後はどうなるのだろう。まさか本当にパエロニパーティで一生遊んで暮らして、めでたしめでたし、ではあるまい。用済みとして捨てられるのだろうか? はたまた愛人にでもなるのだろうか?
アニェスとグレーゲルはどうあっても祝福されない。アニェスには二人の幸せな結末が全く見えなかった。
沈んだ気持ちを誤魔化すように微笑むと、それを見たグレーゲルがアニェスにそっと手を伸ばした。
「静粛に!」
その手があと少しでアニェスの頬に触れようとした時、大きな声が響き渡り、大広間は水を打ったように静かになった。そして、その場にいた皆の視線が一斉に、声が聞こえてきた方の入口に集まった。




