エスコートの申し出
聖誕祭の一月前ともなると、屋敷の使用人たちはそわそわと落ち着かない様子で慌ただしくなった。特にアダンに仕えている使用人たちは、衣装や宝飾品に対して細かく大量の注文を言いつけられたようで、腕いっぱいの生地や宝石を抱えてバタバタと駆け回っていた。
一方でアニェスは自室に引きこもり、ベッドに横たわってため息をついていた。
何年も前に、舞踏会での振る舞いは一応教わってはいる。だから、当日は特段褒められることもない反面、恥をかくこともないだろう。
ただ、高価なドレスや宝飾品を身につけるのに気が引けるのだ。使用人や領民から反感を買って襲われるのが怖い。だから、今までそういった類のものは、身につけてこなかった。それどころか所持さえもしていない。そのせいで、ジェレミーもクローゼットを見てため息をつくほど、地味でゆったりとしたドレスしかなかった。
だが、今回は何と言っても王宮へ舞踏会に行くのだから、美しいドレスでなければ許されないだろう。
アニェスは一人、ベッドに沈み込んで頭を抱えた。
その時、部屋の扉がノックされた。今ではノックの仕方で誰だか分かる。
「入って」
「失礼いたします」
グレーゲルは巨体に似合わず、静かに入室した。その腕には、リボンが結ばれた綺麗な箱がいくつか抱えられている。
「グレーゲル、どうしたの? 聖誕祭にはまだ早いわ」
アニェスは抱えられた箱を指差して茶化した。
「お慕いする人には、いつでもプレゼントを贈りたいものです」
グレーゲルは肩を竦めて答えた。
「まあ、私のこと?」
「他に誰がいるでしょう」
アニェスはくすりと笑った。
「そうね。ありがとう。結構沢山あるけど、何かしら?」
「開けてみてください」
グレーゲルは恭しくプレゼントをアニェスに手渡した。アニェスはそれらを全てベッドの上に置き、まず最初に一番大きな箱のリボンをそっと引いて蓋を開けた。
中身を見て、呆気にとられて言葉を失った。
中にはドレス一式が入っていた。最初に目に飛び込んだのは、森を思わせる深く濃いグリーンのテキスタイルだ。持ち上げてみると、それはガウンだった。
「これ……すごくシンプルで独創的だわ。刺繍がない」
「ええ、その方がお好みかと思いまして。裾などに、僅かに入っておりますが」
裾の方を見るとゴールドの刺繍が入っており、控えめだが、だからこそ輝いて見える。ペティコートもドレスと同じ深いグリーンで、胸元を彩るストマッカーはシンプルなオフホワイトだ。
「素敵……かっこいい」
「そうですね。その表現はいかがかなものかと思いますが」
「たしかに、かっこいいは少し勇ましかったかも。でもシンプルだからこそ、引き締まった印象で……すごく好み」
アニェスは目を輝かせて、グレーゲルを見上げた。彼は慈愛に満ちた瞳でアニェスを見つめ、「それは良かったです」と囁いた。
「他も開けていい?」
「どうぞ、あなた以外に開ける人はいません」
残りの箱を開けると、ネックレスにイヤリング、それから髪飾りが入っていた。それら全て、金細工に透明と見紛うような薄いアイスブルーの宝石がはめ込まれている。
「これは……すばらしいわ」
「僭越ながら私の色を使わせていただきました」
グレーゲルは片目をつぶって、冗談っぽく言った。その言葉にむず痒くなって、口元がにやけてしまう。
「ありがとう。素敵だわ……これで私たちお揃いね」
「喜んでいただけて光栄です。色を選ぶのは贈る側の特権ですからね」
「もう、茶化してばっかり!」
アニェスは口を尖らせて怒る素振りを見せたが、喜びが勝ってそれも長くは続かず、すぐに口角が上がってしまう。
喜びを表現する時、人付き合いの少ないアニェスは言葉に飾り気がなく、一方で皮肉屋のグレーゲルは茶化すことで有耶無耶にする。いつものことだ。
二人でひとしきり笑った後、アニェスはふと値段のことを考えてしまい、思わず目を伏せる。
「高かったでしょう。私が貴族として最低限の付き合いもせず、ドレスの一つも持っていなかったせいで」
質素に暮らしていたアニェスは、自分のことを兄姉より善良な人間だと考えていたが、ろくに貴族としての務めも果たさず、兄姉の贅沢や横暴を止めることもしなかったのだから、結局は何も成していない。むしろそれなりに付き合いをこなしたり、他家に嫁いだりしている分、兄姉の方が貴族としてマシなのではないかと最近思いはじめている。
質素に暮らすことは良いことだ。でも、一方で、普段の仕事の対価として、それに見合ったドレスを買うことは、悪いことだろうか? 程度の問題はあるが、役割を果たしているのなら、咎められることではないだろう。兄姉の場合は、行き過ぎているが。
そこまで考えて、少し落ち込む。すると、それを察したのか、グレーゲルは「また自分のことを責めておいてですか?」と優しく問いかけ、アニェスの手を取り、そっと引き寄せた。
「アニェス様、こんな国の貴族と付き合う必要なんてありません。それに……」
グレーゲルはアニェスの腰に腕を回し、続ける。
「ドレスは、私があなたに差し上げたかっただけです。男にとって好いている相手を飾り立てるのは、この上ない喜びですから」
「うっ……そ、そう……かしら?」
グレーゲルが耳元で囁くせいで、頬が熱くなる。その熱はみるみるうちに広がり、耳や首元まで火照りだした。
グレーゲルの抱きしめる腕の力。頼もしいほどに厚い胸板。耳朶を打つ低く深い声。頭の中は、もうグレーゲルでいっぱいになってしまい、ドレスの値段や貴族としての責務のことなど、一気に吹き飛んでしまった。
彼はいつもそうやって、アニェスに嫌な気持ちになる暇を与えない。そうやって何度も救われてきた。
込み上げてきたものを抑えきれず、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。
「……いつもありがとう」
「いつも、ですか?」
グレーゲルは首を傾げた。
「ええ、いつも、よ」
「そうですか」
グレーゲルは柔らかく笑った。
「喜んでいただけて光栄です。アニェス様」
彼は体を少し離してアニェスの涙に口づけた。そして、しっかりと視線を合わせる。
「アニェス様。私に、あなたをエスコートすることをお許しください」
「……いいの?」
「ええ、是非」
グレーゲルは目を合わせたまま微笑んだ。彼の思わぬ提案に、アニェスの心臓はドキドキと音を立てはじめた。
退屈なだけの聖誕祭になるはずが、あっという間にグレーゲルとパーティに出られる最高のイベントに早変わりだ。
だが、不安がよぎる。
「その、万が一あなたを知っている者がいたら良くないのでは?」
アニェスは眉を八の字にして尋ねた。その心配をよそに、グレーゲルは「ああ」と呟き、何でもないように笑った。
「問題ございません。私たち魔術士は、まず外交に出ることはありません。それに国内でも基本的には、フード付きのローブを着用して姿を隠しております」
「え、そうなの?」
「ええ、いざという時に動くのが我々なので」
アニェスは目を瞬かせる。
「かっこいいのね」
思わず言葉が漏れた。しかし、グレーゲルは肩を竦めて首を横に振った。
「結局、我が国が支配されるのを許してしまいましたから」
アニェスはハッとしてグレーゲルを見た。彼は悔しそうな表情で目を伏せていた。そんな彼を何とか元気づけたくて、必死に知恵を絞る。
「グレーゲル……その、どの口が言うのって感じだし、これから何をするのか分からないけれど、きっとあなたならできる……と思う」
アニェスは必死になって語りかけた。そのたどたどしい口調に、グレーゲルはむず痒そうに笑った。そして、アニェスの頬をひと撫でしてから、手を差し出して言った。
「では、何とかしてくださいますか?」
アニェスは差し出された手をまじまじと見つめた。そして覚悟を決めて、その手を取った。
「ええ、もちろん。エスコートしてくれる?」
聖誕祭では、何が起こってもきっと大丈夫だと思った。




