招待状と陰謀
それからあっという間に季節は巡り、グレーゲルと出会ってから、季節が一周しようとしていた。
アニェスは手元にある王家からの便箋を小一時間は眺めていた。
「読まないのですか?」
そばに控えていたグレーゲルは静かに尋ねる。
届いた手紙に王家の紋があるのを見つけて、とても驚いた。だが、冷静になってみればアニェスだけに特別に送られてくるわけがない。兄姉も受け取ったようだ。だからヴィスコンティ家に関わるものかと考えたが、それなら長兄のアダンにだけ送れば良い。
面倒ごとの予感がして、アニェスは思わずため息をつく。
しかし、いつまでもこうしていても埒が明かない。
「ええ……開けてみるわ」
アニェスは渋々ペーパーナイフを手に取り、投げやりな手つきで封を切った。
内容を見ると、なんと舞踏会への招待状だった。
どうやら今回の聖誕祭は一五〇〇年の節目ということで、有力貴族が王宮に招集され、王家と共に盛大にお祝いをするらしい。
「どうでしたか?」
「くだらないことだったわ。今年の聖誕祭は王宮に集まって祝うみたい」
アニェスは肩を竦めた。
王家からの招待は、何に代えても応じなければならない。今年も孤児院でお祝いする予定で楽しみにしていたので、アニェスは落胆を隠せなかった。不敬だろうが、二人なら関係ない。イヴォンにお断りをしなければ。今日、何度目かのため息が漏れた。
一方、グレーゲルは考え込むように顎を撫でた。
「それはそれは……素晴らしいことです」
「本当にそう思ってるの?」
アニェスが眉を顰めると、グレーゲルは小さく笑った。
「ええ……しかし、ご安心ください。何があってもお供いたします」
「もう、冗談なんだか本気なんだか。でも、ありがとう」
手紙を受け取った後も、二人はいつも通りで、孤児院を訪れる日々が続く。
ところが、孤児院の方はいつも通りではなかった。近頃は、イヴォンの他にフードを目深にかぶった見習いのような者たちを度々見かけるようになった。彼らは常に慌ただしく孤児院と外を行き来していた。
さすがに気になって、イヴォンに「あの方たちはどなた?」と尋ねたが、彼は朗らかに「聖誕祭の準備を手伝っていただいております」とだけしか答えなかった。もちろんそんな答えでは到底納得はできなかったが、部外者であるアニェスがそれ以上問うこともできず、ただぼんやりとその慌ただしい様子を眺めていた。
ある日、フードを目深にかぶった者のうち、一人がこちらに気づいて駆け寄ってきたことがあった。身の危険を感じ、アニェスは後退りした。その者は背格好からして男のようだった。男はアニェスに近づくと腰を少し折り曲げ、フードを僅かに上にずらして顔を見せた。アニェスがその顔を見上げると、グリーンの瞳と目が合って、恐怖に身体が凍りつく。男はそっと囁いた。
「アニェス様、ヨーランです。覚えておいでですか?」
「ひっ……え?」
ヨーラン? はて、誰だったかとアニェスは視線を宙に彷徨わせる。そして、しばらく逡巡した後、やっと思い出した。昨年、ロッテンバーグがグレーゲルに命じて殺させようとしたワーゲル王国の騎士だ。
「まあ! ヨーランさん!?」
つい大きな声を上げると、ヨーランが慌てて人差し指を口元に当てた。
「しっ! 声が大きいです!」
「あっ……ご、ごめんなさいっ」
慌てて謝りつつも、こうして再び生きて再会できたことに感動し、アニェスはヨーランをまじまじと見つめた。瞳が潤むのを感じる。あの日、ヨーランは目が血走り、頬が痩せこけ、明らかに異常をきたした状態だったが、今、目の前にあるグリーンの瞳は理知的に輝いていた。
「アニェス様。あの時は危険な目に遭わせてしまい、大変申し訳ございませんでした」
ヨーランは苦しげな表情を見せた。その顔を見て、アニェスもその時のことを思い出した。
「いえ、グレーゲルのおかげで怪我も何もなかったので……」
アニェスは控えめに微笑んだ。本当はとても恐ろしかったが、あの時のヨーランは正常な判断ができなかったはずだ。理由は分からないが、今は責めるべきではない。
「それでも、あと一歩のところでアニェス様に斬りかかるところでした」
ヨーランは屈んでいた腰を真っ直ぐ伸ばすと目を伏せた。
「あの、本当にもう気にしないでください。結果的に助かったし、あの時のあなたはなんというか、正気を失っていたようだったので」
アニェスの言葉にヨーランはしばらく考え込み、おもむろに口を開いた。
「ええ……たしかに私は、何者かに捕らえられ、何か甘い、ドロリとしたものを飲まされました。そして気づいたら、広場のステージの上に……もう何が何なのか分からず……」
ヨーランは唇を震わせた。最後の方は、擦れてほぼ囁き声になっていた。
「ドロリとしたもの? 何でしょう?」
「チャコリノでは? 高貴な身分なら簡単に入手できます。あなたの姉君のように」
急に別の声が割り込んできて、アニェスは驚いて勢いよく振り返った。
「グレーゲル!」
グレーゲルは目線だけで返事をした。
「おそらくチャコリノにタイロンが混ぜられていたのでしょう。チャコリノも食べれば気分が高揚しますし、タイロンと味の相性も良く、混ぜて飲まれます」
「タイロン?」
耳慣れない言葉に、アニェスは首をかしげた。
「巷で流行っている薬物です。甘ったるい味と匂いが特徴で、飲むと牛でも興奮状態になるとか」
「まあ! そんなものが流行っているの? 一体なんのために?」
「多幸感を味わえるらしいです」
「……幸せになれるってこと?」
ヨーランを見ていると、どうにもそうは思えなかった。グレーゲルは肩を竦めた。
「その後が中毒症状で地獄ですが」
アニェスは息を呑んだ。ただメリットがあるだけではないらしい。素晴らしい効き目には、大きな代償がつきものだ。
「私もタイロンかと思います。ただ……」
ヨーランはグレーゲルの意見に賛成しつつ、言いにくそうに地面を見つめた。
「ただ?」
「ただ、それだけではないようで……恐らく、魔法も使われていたかと」
ヨーランの言葉に沈黙が訪れた。それを破ったのは、グレーゲルだった。
「魔法使いはワーゼル王国の血を引く者からしか産まれない」
「ええ、その通りです。しかし、にわかには信じ難いのですが……薬を飲まされる前に、何者かが私の目を見て、その瞬間、急に思考が鈍くなりました」
グレーゲルは難しい顔をして唸った。話についていけず、アニェスは首を傾げる。
「目を見ただけで魔法が使えるの?」
「ええ、私たちが魔法を使う時、何らかの合図が必要ですが、それは人によって違います。そいつは視線を合わせることがスイッチだったのでしょう」
「へぇー便利そうね」
「ええ、ただ戦闘向きではありませんね。物にはかけられない上、一度に全員と視線を合わせることは出ませんから」
「あっ、たしかに。向き不向きがあるのね」
「そうです。その魔法使いは詐欺師や政治家向きでしょう。周りに気づかれず、人に魔法をかけられるのですから」
「なるほど、魔法のかけ方からその人の職業がある程度わかるのね」
うんうんと頷きながら話を聞いていたが、いつの間にかアニェス向けの授業になってしまっていたことに気づいて、慌ててヨーランに顔を向けた。
「あの、ごめんなさい! 話の腰を折ってしまいました」
「いえいえ、それも重要なことです。続きですが、魔法で錯乱状態に陥った後、ドレグニア王国への恨みを滔々と語られたような気がします。夢の中のような感覚で、定かではありませんが……そうしたら、ふつふつと怒りが湧いてきて、その後、薬を飲まされたら、感情が一気に高ぶって、自分が制御できなくなっていって……」
「気づいたら断罪されていたと」
「ええ、その通りです」
グレーゲルの言葉に、ヨーランは深く頷いた。一方、アニェスはヨーランの説明に引っかかりを感じていた。
「ちょっと待って。グレーゲル、前にあなたは魔法で特定の感情を引き出すことはできないって言ってなかった?」
「ええ、そうですね。ただ、今回は魔法というより催眠に近いようです。精神操作の応用でしょう。ドレグニア王国への恨みは、元々ヨーランの身の内にあったものです。普通、精神操作は思考を奪った後に命令を出すものですが、今回はその恨みを引き出すために上手いこと語りかけたのしょう。そして、極めつけはタイロンです。微かな火種から爆発させるのにはうってつけです」
グレーゲルは腕組みして肩を竦めた。
「そう……そんなことできる人がいるのね」
「ええ。そして、それはワーゼル王国の血を引く者だけです」
事の複雑さに、アニェスは空恐ろしく感じ、思わず身震いした。




