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聖誕祭の魔法騎士  作者: 板山葵
ドレグニア王国革命編
17/43

神父と聖誕祭

 いよいよ待ちに待った聖誕祭の日。アニェスは当然、孤児院に行く予定だ。

 今頃、兄姉はそれぞれの家でパーティーをしているだろうが、知ったことではない。そもそも、アニェスはそれらに参加したことがなかったので、どんなものかすら知らない。

 もっとも市井で行われるお祝いも、よく分かっていないのだが、年に一度のお祭りだからと、いつもより少しだけお洒落をした。


 支度を終えると、グレーゲルが部屋に入ってきた。


「お綺麗です」

「ありがとう。馬子にも衣装ね」


 恥ずかしくなって、ついアニェスは自虐をした。


「死神に大鎌でしょう」

「なんだか不吉ではないかしら!?」


 グレーゲルの言葉に驚いていると、彼はおかしそうに笑った。


「私の祖国のことわざです。たしかに相応しくないですね……では、『妖精に羽』にいたしましょう」

「いい考えね。それなら素敵だわ」

「恐縮にございます」


 グレーゲルは、わざとらしいくらいに仰々しく礼を執った。アニェスは肩を竦めながらも、このくだらないやり取りに愛おしさを感じた。




 しかし、それも長くは続かなかった。支度をして一階に降りると、玄関から次姉のベレニスが丁度入ってきたところだったのだ。

 彼女はカールさせた艶やかな金髪を揺らし、扇子で口元を被いながらゆったりとこちらに向かって歩いてきた。

 例年、二人の姉は嫁ぎ先の家で聖誕祭を祝っていたはずだ。それがなぜ、今年はヴィスコンティ家に来たのだろう。アニェスは訝しげに目の前の姉を見つめた。


 ベレニスはアニェスに気づくと、つんと尖った顎を上げ、鼻を鳴らした。


「あらアニェス、あなた引きこもりはやめたのかしら?」

「お久しぶりです、お姉様。ええ、本日は孤児院に行く予定です」


 アニェスは、礼を執って答えた。それを聞いたベレニスは口の端を吊り上げた。


「ああ、あの汚らしいところ……! あら、今日はいつものみすぼらしい格好ではなくって?」

「はい、聖誕祭のお祝いをするそうなので」


 ベレニスは高笑いした。


「まあ、あのような所でのお祝いなんて、たかが知れているわね。今日は、あなたにしては見られる格好をしているけど、そんな格好する必要もないでしょう」


 そう言ってベレニスは、そばに控える専属の執事に何事かを耳打ちすると、にっこりと微笑んだ。


「……でもせっかくの聖誕祭ですもの。もっと綺麗に飾りつけして差し上げないとね? わたくし直々に」


 耳打ちされた執事は、後ろに控える使用人二人に指示を出すと、一人は火を灯した蝋燭を、もう一人は茶色い小さな塊をベレニスに差し出した。両方を受け取ったベレニスは、その茶色い塊を蝋燭で炙った。すると、みるみるうちに塊が溶け出し、彼女の指先を汚した。

 ベレニスはその指先をペロリと舐めると、鈴を転がすような可愛らしい声で笑った。


「これ、高級品なのよ? 可愛くデコレーションしてあげる」


 ベレニスは茶色い何かに塗れた指先をアニェスの方に向けると、そのまま向かってきた。


「いやっ!」


 アニェスは、とっさに両腕で自分を庇った。

 しかし、いつまで経っても恐れていたものは来なかった。それどころか、大きくて暖かいものに、すっぽりと包み込まれていた。


「あら、どちら様かしら?」


 ベレニスは立ち止まって、つまらなさそうに尋ねた。アニェスを庇っていたグレーゲルは、ゆっくりとその腕を解いた。アニェスが見上げると、彼の表情には何の感情も浮かんではいなかった。だが、瞳だけは剣呑な光を帯びている。


「アニェス様の護衛でございます」


 アニェスを背中に庇いながら答えるグレーゲルを品定めするように、ベレニスはつま先から頭のてっぺんまで彼をじっくりと眺めた。


「まあ、みすぼらしい格好をしているようだけれど、顔と身体は悪くないわね」


 ベレニスはグレーゲルに近づくと、婀娜っぽい笑みを浮かべて彼に手を伸ばした。


「今宵、わたくしの部屋に来てくださる?」


 ベレニスは顔をぐっと近づけて誘うと、グレーゲルの頬にぴたりと手を添えた。その手は塊が溶けたもので汚れており、彼の頬にべっとりと付着した。

 グレーゲルは微かに眉を顰めた。それを見て、ベレニスは満足そうに笑った。


「わたくしの手を綺麗にする役目を与えて差し上げるわ」


 グレーゲルは頬に着いた汚れなどものともせず、じっと目の前のベレニスを観察していた。そして今度は、彼の方から手を伸ばした。


「私のような下賎な者、貴女様のお役に立てるとは思いません」


 そう言うと、グレーゲルは素早く手のひらをベレニスに向け、さっと横にスライドさせた。すると、彼女の瞳に一瞬だけ靄がかかるのが見て取れた。先ほどまでいやらしい笑みを浮かべていたベレニスは、唐突に夢見心地な表情になった。


「そう……それもそうね」


 ベレニスは「どうでも良くなったわ」とぽつりと呟くと、ゆっくりとした足取りで食事の間へと姿を消した。その後ろ姿を無表情で眺めながら、グレーゲルは頬についたその茶色い何かを強引に手で拭ってぺろりと舐め、「甘いな」と呟いた。その後、すぐに魔法で水を出して顔を洗い、こぼれ落ちた水だけを消し去り、ベレニスの使用人に「お前たちの主が汚したんだ。片付けといてくれよ」と威圧的な声色で指示を出した。

 ベレニスの使用人たちは、急にアニェスたちに興味をなくしたベレニスに困惑した様子だったが、そそくさと掃除用具を取りに行き、床に落ちた茶色い塊を拭き取り始めた。


 アニェスはその様子を呆然と眺めていた。

 これが精神操作という魔法。その力の強さに恐怖を感じる。もし自分が精神操作をかけられていたら――

 これまでたくさん支えてくれたことへの感謝も、この短期間で育った淡い恋心も。すべて紛い物なのだとしたら、空虚な自分しか残らないだろう。


「アニェス様」


 言葉を発することもできずに固まっていると、グレーゲルが声をかけてきた。


「無礼を承知でお願い申し上げますが……孤児院に行くまでの道中、馬車に同乗させていただいてもよろしいでしょうか?」

「え?」


 予想外の頼みに、アニェスは目を瞬かせた。

 グレーゲルはいつも馬車には乗らず、一人で馬に乗って馬車と併走していた。基本的にドレグニア王国では、馬車に使用人は乗らない。グレーゲルもそれを承知しており、踏襲しているのだろう。だから、この提案は意外だった。


「ええ……それはいいけれど」

「ありがとうございます」


 グレーゲルは頭を垂れた後、アニェスを馬車までエスコートし、その後に続いて自身も馬車に乗り込んで向かいの席に座った。


 道中、しばらく沈黙が続いた。それを破ったのはグレーゲルだった。


「恐ろしいですか?」

「え?」


 急に話しかけられて、アニェスは面食らった。


「精神操作の魔法を見たのは初めてですね」

「あ……ええ、そうね」


 グレーゲルは手元を見つめていた。


「精神を操られた人は不気味でしょう」

「……そうね、感情が抜け落ちたようだった」


 アニェスがそう言うと、グレーゲルは弾かれたように顔を上げた。


「それを、あなたにかけようとしていた私が怖いですか?」


 そこで初めて、グレーゲルの言いたかったことをやっと理解した。


「分からない。でも……今、私があなたに、こっ好意を抱いているのが操られているせいだったとしたらって考えると……すごく恐ろしいわ」


 グレーゲルは黙ってアニェスの方へ手を伸ばし、そしてすぐに引っ込めた。

 気をつかっているのだろう。以前、アニェスがその手を怖いと言ったから。あの時は直感的に恐怖を感じただけだったが、グレーゲルがしようとしていたことを知った今となっては、その恐怖は正解だったのだと思う。

 今だって怖くないと言ったら嘘になる。だって、何が本当の感情で何が魔法のせいなのか、アニェスには分かりようがないのだ。


 でも、こうやって触れるのを躊躇するグレーゲルの気遣いが嘘だとは思いたくない。


 アニェスは自ら手を伸ばして、彼のその手を絡めとった。グレーゲルはぴくりと反応したが、強くその手を握りしめると、彼もしっかりと握り返してきた。


「アニェス様、ひとつ言わせていただきますが、精神操作をかけると先ほどの……あなたの姉君のように無感情の操り人形のようになります。その者の人となりのまま、特定の感情だけを引き出すようなことは、おそらくできないでしょう。少なくとも私には」

「……そうなの?」

「ええ、だからあなたには魔法をかけておりません。それに……誓って、今後もかけることはないでしょう」


 グレーゲルは握っていたアニェスの手を恭しく持ち上げ、手の甲に口づけた。

 詰めていた息をふっと吐き出す。この気持ちは、きっと本物だ。


「グレーゲル、好きよ」


 アニェスの言葉に、グレーゲルは目を見開いた。そして、少し意地の悪い笑みを浮かべた。


「私もです。アニェス様。ですから、好きなだけ好意を抱いてもよろしいのですよ」

「もうっ、からかわないで!」


 むっとしてグレーゲルを睨め付けたが、彼があまりにも幸せそうに微笑んでいたから、毒気を抜かれて一緒になって笑ってしまった。


 ひとしきり笑った後、目尻に溜まった涙を拭きながら、アニェスは「そういえば」と呟いた。


「あれってなんだったの?」

「……ああ、あなたの姉君が私に擦り付けたものですか?」


 グレーゲルは窓際に肘をついてアニェスを流し見た。


「あ、ごめんなさい……私の姉が」


 そういえば、身内が粗相をしたのだった。思い出して申し訳ない思いでいっぱいになる。

 アニェスの素直な反応に、グレーゲルは小さく笑った。


「意地悪でしたね。すみません。あれはチャコリノでした」

「チャコリノ……ってあの高級品の?」


 ベレニスは塊を躊躇なく無駄にしていたが、本来チャコリノとは海を渡ってしか入手できないものであり、一昔前までは宝石と同等の価値があった。昔は温かい飲み物として楽しまれていたが、冷やして固めて食べるようになったのはつい数十年前のことだとか。


「ええ、もったいないことです」

「そうね……お姉様はどうしてそんなものを持っていたのかしら?」


 アニェスは首をかしげた。


「聖誕祭、だからですかね」

「あっ! それもそうね」


 グレーゲルは肩を竦めた。しかし、しばらく逡巡した後、窓の外を眺めながら「あるいは……」と呟いた。上手く聞き取れなかったアニェスは「え?」と聞き返したが、彼は曖昧に笑うだけだった。




 孤児院に近づくと、門にキラキラと輝く飾り付けが施されているのが、遠目からも見てとれた。近づくにつれ、色とりどりの布の切れ端を繋げたものや星型のガラス細工、ドライフラワーで造られた飾りだと分かった。そのそばには、いつもの如く笑顔でアニェスたちを出迎えるイヴォンがいた。


 孤児院に入ると、大きな針葉樹に門と同様、様々な飾りつけが施されていた。


「すごく綺麗ね」


 思わず呟くと、向かいに座るグレーゲルが微笑んだ。


「聖誕祭ではどこの街でもツリーに飾りつけをするのです」

「まあ、すごい……」


 ツリーを見上げて感嘆のため息をつく。

 その時、つむじ風が吹いて、アニェスは寒さに肩を震わせ、思わず両手を擦り合わせた。するとグレーゲルがそっと近づき、風上に立った。そんなちょっとした行動にも、どきどきしてしまう。


「アニェス様、外は冷えます。どうぞ、中へ」

「うっ、ええ……ありがとう」

「そうですね。本日は教会に参りましょう」


 イヴォンは二人の浮ついたやり取りに肩を竦めつつ、いつもとは違う方向へアニェスたちを案内した。




 アニェスにとって、孤児院の教会に入るのは初めてだった。いつもは、庭か屋内の遊び場で過ごしており、教会には近づいてはいけないような気がしていた。

 しかし、今は準備のために人がたくさん出入りしており、その中には見知った子どもたちもちらほら見かけた。そのおかげで、アニェスは安心して中に入ることができた。


 教会の中は空気が澄み渡っているようだった。二列に並んでいるベンチには、疎らに人が腰かけており、その奥にはステンドグラスが光を透かして祭壇を照らしている。


「わあ……すごい」


 厳かな空間に圧倒される。少し進んで辺りを見回すと、二階の入口側に大きなパイプオルガンが見えた。


「大きい……初めて見たわ」

「弾けますか?」


 グレーゲルが背後から尋ねてきた。


「鍵盤楽器は……昔、少し習ってたけど、うるさいからって辞めさせられちゃった」


 アニェスは肩を竦めて笑った。


「いつかまた弾けるようになりますよ」

「本当かしら?」


 おどけて尋ねると、グレーゲルは恭しくアニェスの手を取った。


「ええ、私が約束します」

「では、その時には最高の先生を所望するわ」

「私では不足で?」


 グレーゲルは心外だとばかりに片眉を上げた。その様子にアニェスは小さく吹き出した。


「あら、あなた弾けるの?」

「ええ、『犬の散歩』くらいなら」

「もう! それって子どもが遊びで弾く曲よ!」

「……あの、もういいですか?」


 アニェスとグレーゲルはすっかり二人だけの世界に入り込んでいたが、イヴォンにやれやれといった様子で席にうながされた。


 席に着いてしばらく待っていると、イヴォンが前に出て挨拶をした。その後、孤児院の子どもたちが並び、パイプオルガンの伴奏で聖歌を歌った。教会に響くパイプオルガンの音色と子どもたちの個性に溢れた歌声がアニェスの心を満たしていく。


「本当に……子どもなんて好きではなかったのにね」


 なんとはなしにぽつりと呟く。それを耳にしたグレーゲルはちらりとアニェスを見たが、優しく微笑むだけで結局何も言わなかった。


 聖歌が終わると、子どもたちによる劇が始まった。白い布を纏った子どもが何人が並んで立ち、中央には青い布を纏ったマリーヌが膝をついていた。どうやら彼女は主人公らしい。

 さらによく見てみると、脇に控えている馬の模型の首元から、ケビンが顔を出してることに気づいた。アニェスは思わず笑ってしまった。

 その声がグレーゲルに聞こえたようで、彼はおもむろに手を伸ばし、アニェスの膝に置かれた手をそっと握った。振り向いて見ると、グレーゲルもアニェスを見ていて、劇の最中にも関わらず、二人は微かに微笑みながら見つめ合った。


 劇が終わると、孤児院に戻ってケーキを食べたり、いつも通り遊んだりして過ごした。子どもたちは皆、発表の余韻で興奮冷めやらぬ様子で走り回っていた。

 アニェスはその様子をぼんやりと眺めた。

 今だけは皆、自分の置かれた立場や状況を忘れて幸福に浸れる。それはアニェスも例外ではない。

 この時が一生続けばいいのに。心からそう願った。

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