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聖誕祭の魔法騎士  作者: 板山葵
ドレグニア王国革命編
13/43

嫉妬

 必ず救うとグレーゲルがアニェスに誓ってから、二人の距離は少しだけ近くなったように思う。


「両想い……よね?」


 今日も今日とて孤児院へ向かう馬車の中、一人なのをいいことに小さく呟く。

 グレーゲルは大人で、余裕そうで、いつもアニェスの心を乱してくる。甘い笑みを向けるのも、優しい言葉をかけるのも、口付けをするのも、もしかしたら、彼にとっては遊びの延長かもしれない。社交界にデビューしているとはいえ、アニェスは今まで人付き合いを全く経験せず、ましてや恋愛なんて古い小説でしか触れたことがなかった。経験値の差は歴然だ。

 だからといって、グレーゲルを疑いたくはないのだが。


 生来の臆病さを発揮して鬱々と考え込んでいると、いつの間にか馬車は孤児院に着いて、門を潜って停まった。


 ため息をついて馬車から降りると、いつも出迎えてくれるイヴォンが今日はいないことに気づいた。おろおろと周囲を見回してイヴォンを探していると、馬から降りたグレーゲルが近寄ってきた。

 さっきまで考えていたことを思い出し、カッと頬が熱くなる。


「イヴォンは?」

「えっと、それがどこにもいなくて……」


 何となく気まずく感じて、アニェスはグレーゲルについ素っ気ない態度をとってしまった。グレーゲルは時間にして数秒間、無言でアニェスを見つめたが、頑なに視線を合わせない彼女に諦めたのか、イヴォンを探して周囲を見渡した。しかし見つけることができなかったらしく、ため息をついた。


「いませんね」

「ええ、どうしましょう」

「職員室に行ってみましょう」


 グレーゲルは頭を掻きながら答えた。施設に勝手に入るのは気が引けるが、他に探すあてもないなら、そうするしかないだろう。


「そうね。それがいいわ」


 アニェスは、先を行くグレーゲルについて行くことにした。




「ダニエラ……お願いだから余計なことはしないでくださいね?」

「えぇーなんで? グレーゲルが来るんでしょ?」

「そうです。だから大人しくしていてほしいのです」


 職員室の前まで行くと、グレーゲルは扉の前でピタリと止まった。アニェスも近づいてみると、男女二人の話し声が聞こえてきた。一人はイヴォンのものだった。


「私はいつでも大人しいけど?」


 挑発的な女性の返事に、イヴォンがため息をつくのが聞こえた。


「グレーゲルは仕事中なんです。本当にお願いしますよ」

 

 ――仕事中。

 不意に耳に飛び込んできたその言葉に、アニェスは心が抉られるような胸の痛みを覚えた。

 そうだ。グレーゲルにとって、この日常は仕事だった。何が目的かは分からないが、アニェスに近づいて行動を共にすることが、おそらくグレーゲルの仕事なのだ。そしてアニェスは、それを分かった上で見逃している。これで両想いだなんて、思い上がりも甚だしい。

 もしかして、遊ばれているのではないだろうか。魔法がなくても、色恋で操れる愚かなご令嬢だと思われているとか。

 嫌な可能性ばかりが浮かんできて、もはや職員室の会話など耳に入らない。


「……ス様、アニェス様」

「うん、えっ?」


 いつの間にかグレーゲルに小声で呼ばれ、アニェスは間抜けな声を出して、弾かれたように顔を上げた。グレーゲルは怪訝そうな顔をしてアニェスを見た。


「アニェス様、少しここで待っていただけませんか?」

「え……ええ、分かったわ」


 状況がよく分からず困惑してると、グレーゲルはアニェスの頭に手を置いて柔らかく微笑んだ。


「すぐにお呼びします」


 そう言うと、彼はノックをして硬い声で「グレーゲルだ」と名乗り、部屋に入っていった。


 グレーゲルが職員室の扉を閉めると、それまで聞こえていた中の声が、急に聞こえなくなった。これも魔法だろうか。

 自分だけが蚊帳の外にいるように感じて、胸がモヤモヤする。仕方のないことだと頭では分かっていても、心が追いつかなかった。


 グレーゲルはワーゼル王国の軍人。そして、おそらくイヴォンもその筋の人だ。そうなると、この扉の向こうにいる女性もきっとワーゼル王国の人だろう。グレーゲルが一人で部屋に入り、防音処置を施したのがその証拠だ。


 グレーゲルにはアニェスと出会う以前のワーゼル王国での生活があって、ドレグニア王国が支配する前はきっと平和で楽しく暮らしていたのだ。イヴォンと扉の奥の女性もそうだろう。しかし祖国を奪われ、こうして国外で仕事をする羽目になっている。彼らに、ドレグニア王国を恨む道理はあれど、好きになる道理なんてティースプーン一杯もないだろう。

 もちろん、アニェス自身も、こんな国を好きだとは思えないし、大した思い入れもなかった。とはいえ、曲がりなりにもこの国の貴族だから、ワーゼル王国の者が多いこの孤児院を訪問するのも、潮時かもしれない。

 それに、グレーゲルがワーゼル王国の人々と、自分には分からない会話を繰り広げるのを、冷静に聞いていられる自信がない。


「もう帰りたい……」


 アニェスがひとりごちると、丁度よく職員室の扉が開いてグレーゲルが顔を出した。


「入って……アニェス様?」


 アニェスが返事をしようと口を開く前に、グレーゲルはその顔を覗き込んだ。そして部屋の外に出ると、扉を閉めてアニェスの両肩に手を置いた。


「どうなさいましたか?」

「ううん。なんでもないの!」


 微妙な空気を払拭したくて、空元気で返事をする。さっきまで、心ここに在らずだったせいか、思考がうまく働かないが、無理やり笑顔を作ってグレーゲルを見上げた。彼は怪訝そうな表情でアニェスをじっと見つめたが、結局は何も言わずに、肩に置いた手を下ろした。


「分かりました。紹介したい人がいますから、来ていただけますか?」

「え、ええ……! 行きましょう!」


 正直なことを言えば、あまり気乗りはしない。だが、その内心を表に出すと失礼になると思い、アニェスは元気よく答えた。

 その返事を聞いて、グレーゲルは背を向けてドアノブに手をかけた。しかし、しばらく、その体勢のまま動かなかった。


「グレーゲル……? どうし――」


 不思議に思って声をかけようとしたら、グレーゲルが勢いよく振り返ってアニェスを抱き締めた。


「グ、グレーゲル!?」


 戸惑いつつ、もう一度グレーゲルに声をかけると、彼は何も言わず腕の力を強め、しばらくしてゆっくりと解いた。完全に身体が離れると、グレーゲルはアニェスから視線を離さぬまま後ろに下がり、扉を開けて「どうぞ」と先を促した。

 心臓が早鐘を打ち、頭の中が一瞬で真っ白になる。一体何のつもりなのだろう? 後ろ向きに考えすぎるアニェスの思考パターンを見透して、安心させようとしてくれたのだろうか?

 何が何だか分からず、アニェスはしばらく固まってしまっていたが、グレーゲルの強い視線に急かされ、困惑したままおずおずと部屋に足を踏み入れた。




「失礼します」


 職員室に入ると、中はイヴォンと修道服を着た女性の二人だけだった。ということは、先ほどの声はこの女性のものだろう。アニェスはちらりとその女性を見た。

 彼女はこの辺りでは見ない風貌だった。頭巾からこぼれ落ちた艶やかな黒髪と黒い瞳、健康的な褐色の肌、とても華やかな顔立ち。背が高く、修道服からも豊かなバストが窺える。


 「こんにちは。アニェス・ヴィスコンティ嬢」


 初対面の相手を前に所在なげにしていると、イヴォンがいつも通り、にこやかに声をかけてきた。


「……ごきげんよう、イヴォン神父」

「あら、あなたがアニェス様?」


 イヴォンに挨拶を返すと、それに被せるように女性が問いかけてきた。


「ええ、はじめまして。アニェス……ヴィスコンティと申します」


 おそらくワーゼル王国の筋の者であろう彼女に、ファミリーネームを名乗ることに少し抵抗を感じたが、礼儀として仕方なくフルネームを名乗った。


「知ってるわ。ヴィスコンティ侯爵令嬢、でしょ? 自国や隣国の民が苦しむ中、何不自由なく贅沢三昧できちゃう大貴族のお嬢様ね」

「ダニエラ!」


 ダニエラと呼ばれた女性は、イヴォンが窘めても気にもとめず、大きくて真っ赤な口の端を吊り上げ、皮肉げに微笑んだ。アニェスは事実を突きつけられて気まずく、目を逸らすことしかできなかった。


「私はダニエラ。ここの補佐として派遣されたの。よろしくね?」


 ダニエラが表情を変えないまま手を差し出した。

 握手を求められているのは分かっている。だが、事実とはいえ嫌味を言われた後で、どうしてもそんな気分にはなれない。

 無視するのも失礼にあたるだろうと考え、アニェスは仕方なく「ええ、よろしく」と目を伏せて呟いた。握手に応じてもらえなかったダニエラは、不満げに鼻を鳴らした。


「アニェス様」


 アニェスはハッとした。声の主はグレーゲルだった。反射的に彼の方を向いたが、表情からは何を考えているのか全く分からなかった。しかし、そのアイスブルーの瞳はアニェスの心を見透かしているかのようだった。


「あ、ご、ごめんなさい。慣れていなくて……」


 焦って取り繕ったが、下手な言い訳は、むしろしない方が良かったようだ。結果、アニェスの言葉を聞いて、ダニエラは怒りに肩を震わせた。


「はぁ? 貴族のご令嬢様は握手なんて下品な真似はしないって? ごめんなさいねー? 気がつかなくて」

「いえ、そういうわけでは」

「じゃあ、どういうわけ?」

「えっと、だから握手に馴染みがなくて」


 しどろもどろに答えるが、ダニエラの詰問は止まらなかった。


「へぇ、貴族の間では馴染みがなかったら目を伏せて適当に返事をするのね? 便利な文化ねぇ」

「それは……」


 今度こそ、アニェスは返事をすることができなかった。嫌味を言われてムッとしたのも事実だが、根底にあったのは、ただの嫉妬だからだ。

 グレーゲルと出会ってから少しづつ築いてきた孤児院での人間関係が、一瞬のうちに崩れ去っていくような感覚に陥り、焦りと憤りを感じたのだ。

 グレーゲルと寝食を共にするようになってから、色々なことがあった。イヴォンとも以前より話をするようになった。子どもたちとの楽しいひと時も、自分の中で認められるようになった。

 でも、結局は蚊帳の外だということに気づいたのだ。


 それだけではない。不安だった。目の前の、この魅力的な女性にグレーゲルを奪われるのが。そもそも最初から、自分のものではないのにも関わらず。


 言えるわけがない。こんな浅ましい気持ち。特に、グレーゲルの前では。

 アニェスが何も言えずにいると、イヴォンが手を打って、有無を言わせぬ声色で「はい、そこまで」と二人を制した。


「ダニエラ、そんな風に嫌なことばかり言って、挨拶に応じてもらえると本気で思ったのですか?」


 ダニエラはため息をついて、無言で肩をすくめる。


「アニェス・ヴィスコンティ嬢がこのような対応をしたのは、あなたが最初に差別的なことを言ったからでしょう」

「あ、いえ! そんな……」


 アニェスは慌てて否定した。本当は、最初からダニエラに良い印象など抱いてはいなかった。嫌味なんてどうでもよいことだ。

 しかし、そんな思いで否定したのが、ダニエラには異なって映ったようだ。彼女は烈火の如く怒りだした。


「なんなの!? フォローのつもり!? とんだ偽善者ね! あんたなんかにフォローされても嬉しくないわ! そもそも、あんたらドレグニア王国の貴族や王族が贅沢三昧でみんなが苦しんでいるのは事実でしょう!?」

「……っ」


 ダニエラの批判に息が詰まる。

 彼女の言っていることは、個人のスタンスとは関係なく、紛れもない事実。自国民やワーゼル王国の民は今も苦しんでいる。

 それにも関わらず、アニェスにはこの国を変えられるほどの力など持ち合わせてはいない。

 客観的に見れば、アニェスは貴族でありながら、この国の問題を放置していることになる。


 はじめは個人的な嫉妬の問題だったのが、国家の問題と絡み合い、ごちゃ混ぜになってアニェスに重くのしかかる。

 何から片付ければいいのか? どうすれば、全てが丸く収まるのか? そもそも、アニェスに何ができるのか――

 途方もなくて、涙がこぼれそうになった。


「あーあ、そうやって泣けばみーんな味方してくれるんだ? そうやって――」

「ダニエラ」


 なおも畳み掛けるダニエラを制したのはグレーゲルだった。


「なっ、何よグレーゲル! あんただって苦しんだでしょう?」


 グレーゲルに止められたのが予想外だったのか、ダニエラは目に見えて動揺した。


「確かにお前の言っていることは一理ある」

「でしょ! だったら……!」

「だが、それとアニェス様自身とは、関係がないだろう。彼女だって生まれは選べない。それに貴族令嬢だとしても、家督は長兄が継いでいる。女性だから力もないだろう。その中で領民のためにできることはしていた。短い間でも、それは見て取れた」


 グレーゲルの言葉に、堪えていた涙がつとこぼれ落ちる。そのひとしずくと共に、今までアニェスを捕らえていた苦しみも、ほんの一部だが流れ落ちたように感じた。


 ふと静寂が訪れる。アニェスはダニエラの様子が気になり、彼女に視線を移した。


「あ……」


 アニェスは目を瞠った。ダニエラも泣いていたのだ。


「そ、そんなの……私にだって関係ないわよ!!」


 彼女は叫ぶと、アニェスに肩をぶつけて強引に出口へと向かった。そしてグレーゲルの前まで行くと、一瞬迷うようなそぶりを見せた後、思い切ったように走り出し、部屋の扉を乱暴に開けて走り去った。


 再び静寂が訪れる。

 自分の個人的な感情のせいで最悪の展開になってしまって、アニェスは苦い気持ちになった。


「あ、の……私」

「アニェス様、お怪我はありませんか?」


 グレーゲルは、気遣わしげに声をかけた。


「ええ、ないけど……」

「お怪我がなくて何よりです。アニェス様……もうお分かりでしょうが、ダニエラは、ワーゼル王国の者です。そして、ドレグニア王国内の問題もさることながら……この国に支配されてから、ワーゼル王国の民が差別され、搾取され、虐げられているのもまた事実です。だから彼女は今、ドレグニア王国の王族や貴族を憎み、感情の行き場を失っているのです」


 グレーゲルは目を伏せた。


 ダニエラは、立場は違えど、きっと自分と同じだ。大きな力に虐げられ、どうにかしたいのに自分一人では何もできない。そんな憤懣やるかたない気持ちが出口を求めている。


 そこまで考え、宗主国の貴族と属国の民を並べて同じだとするのは、傲慢な理屈かなとアニェスは自嘲した。


「ええ……私も自分のことしか考えてなくて大変な失礼をして、申し訳ないわ」

「侮辱されたのですから、挨拶に応じないのも当然です」

「それは……」


 違う。ただ一人になりたくなかっただけだ。グレーゲルをとられたくなかっただけ。そう言いたかったが、何らかの意志で動いている彼には全てが迷惑で、重荷にしかならない。そう思って何も言えなかった。

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