素敵なプレゼント
グレーゲルと初めて出会い、連れ帰ってから、気づけば月が二回満ち欠けした。外はすっかり一面の銀世界で、孤児院では子どもたちがスノーマンを作っていた。
アニェスが彼らの元へ行くと、二つのスノーマンを前に、少年と少女が言い争いをしていた。
「見てみろよ! 俺の方がでかいぞ!」
「私の方がおっきいもん!」
「アニェス様、どっちの方が大きいと思う?」
二人は同時に振り返って、アニェスを見た。
「ケビン、マリーヌ。これ、あなたたちが自分で作ったの?」
二人を交互に見る。すると、二人は同時に目を怒らせた。
「おう! こっちのかっこいいのが俺のだ!」
「あんたのは泥だらけじゃない。こっちの白くてきれいなのが私の!」
「なんだとー!?」
二人は、また睨み合いを始めた。その姿に、思わずふふっと笑みがこぼれてしまう。
「あ、今笑ったでしょー!?」
「俺のスノーマンを笑ったな!?」
むきになる子どもたちの頭を、アニェスは同時に撫でた。
「違うのよ。私、スノーマン作ったことなくて……」
ケビンとマリーヌは目を見開き、同時に「えー!?」と叫んだ。
「私からしたら二人ともすごいわ。とってもえらい!」
アニェスはにっこりと微笑んだ。ケビンとマリーヌはその笑顔を見て、毒気を抜かれたように黙り込んだ。そして、二人で顔を見合せ、声を上げて笑い出した。
「私たちってすごいのかもね!」
「おう、アニェス様よりすごいぞ!」
ケビンとマリーヌは笑いながら「あっちまで競走だ!」と言い合い、広場の奥にある遊具に向かって走って行った。
「また喧嘩になるわよ!」
アニェスが両手を口に添えて叫んでも、二人は全く聞いていなかった。
子どもは単純で楽だ。アニェス自身も、ついこの間に社交界デビューしたばかりなのに、そんな失礼なことを考えていた。
でも、それも仕方のないことだろう。何を考えているかよく分からない思わせぶりな男に毎日翻弄されていれば、こういう思考にもなる。
アニェスは内心ため息をついた。
「子どもが好きではないと、おっしゃっていたではないですか? アニェス様」
急に後ろから声が聞こえてきて驚いて振り返ると、目下の悩みの種であるグレーゲルが、すぐそばで笑みを浮かべて佇んでいた。
子どもが好きではないと言ったのは、いつだっただろうか。たしか、初めてグレーゲルに湯浴みをさせてもらった時のことだったような。
「……そうね。兄や姉には偽善者だと言われるし。たしかに、ここに来るのは自分のためだから」
思わず苦笑いが漏れる。よもや、先ほどまで彼らのことを単純だとか、楽だとか、そんなことを考えていたとは、さすがに言えない。自分の気を紛らわすために、彼らを利用しているようなものだ。
グレーゲルは沈黙し、しばらくアニェスをじっと見つめた。そして、その背中にそっと手を添えた。アニェスは恥ずかしくなって俯く。
「きっかけなど、何でもよろしいのでは?」
「え?」
グレーゲルを見上げると、彼は穏やかな表情でアニェスを見つめていた。そんな彼から目が離せなかった。
「最初がどうであれ、今は一緒にいて楽しいのです。それなら、好きということで問題ないではありませんか?」
「一緒にいて、楽しい……」
アニェスは産まれたての雛のように、グレーゲルの言葉を復唱した。子どもたちと一緒に過ごす、この時間をアニェスは楽しく感じている。難しく考えずに、それだけで十分なのだ。
物事を複雑に考えがちなアニェスに、グレーゲルはよくシンプルな回答を提示してくれる。もちろん、何でも単純化すれば良いという話ではないが、あれやこれやと考えすぎるきらいのあるアニェスは、それで何度も救われてきた。
「たしかに、そうね」
「そうでしょう」
「ええ、ありがとう」
孤児院の子どもたちが好きだ。今なら分かる。それに――
「それなら、あなたのことも――」
そこまで言ってから、アニェスはハッとして勢いよく口を抑えた。頭の中に浮かんできた気持ちが、思わず口をついて出てしまったのだ。
どうしてこうも、考えなしなのだろう。アニェスは宗主国の貴族、相手は属国の軍人。気持ちを伝えても、迷惑でしかないだろう。
だかいくら焦ったところで、一度口から出た言葉は取り消せなかった。せめて取り繕おうと思い、顔の前で必死に手を振って見苦しい言い訳を始める。
「あ、あの、違うの。そういう意味じゃなくて……つまり、単純に、あなたと一緒にいると、毎日がとても楽しいなっ……て……」
喋れば喋るほど本音がこぼれ、墓穴を掘ってしまっていた。自分ではどうしようもない。それなら、もう観念して潔く玉砕しよう。
「その、ごめんなさ――」
「私もですよ」
「……え?」
開き直って謝ろうとしたアニェスは驚いて目を見開き、まじまじとグレーゲルを見た。彼の瞳には、熱が籠っているように見えた。
「私も、アニェス様といると毎日が楽しいです」
「えっ、う、うそよ。私なんて、あなたの国では敵なん――」
言葉は最後まで続かなかった。グレーゲルがアニェスを抱き寄せ、そのまま唇を奪ったからだ。
触れ合ったのはほんの数秒。それでも全身がカッと熱くなった。
グレーゲルは顔を起こし、静かに首を振った。
「この腐敗した国家にあっても、あなたの心は優しく、美しいままです。イヴォンに聞きましたが、あなたのご兄姉に斬り捨てられた民の子たちをこちらに保護させたのは、アニェス様、あなたなのでしょう?」
アニェスは、目をぱちくりと瞬かせた。
「……知っていたの? 本当は人を斬り殺さないよう、お兄様たちに進言すべきだったのだけど、怖くて……」
自分の不甲斐なさに、アニェスは項垂れて力なく笑った。親が亡くならなければ、それ以上のことはない。当たり前だが、孤児院なんかより、よっぽど幸せだろう。
グレーゲルはアニェスの背中に回していた腕を解き、その手をとった。
「それは……それができたら、もちろん一番良いですが、あなたにもあなたの人生があり、できることとできないことがありますから。それでもあなたは先日、私と同僚を救ってくださいました。そうやってご自身の手の届く範囲でできることをするのも、簡単ではありません」
「そう、かしら……でも、そう言ってくれるのはあなただけよ、グレーゲル」
アニェスは小さく笑った。
「アニェス様、他の人は関係ありません。これは私の本心です」
グレーゲルはアニェスの手をしっかりと握り直し、言葉を続けた。
「アニェス様。お伝えしていなかったこと、この機会に言わせてください。私はあなたに出会った時、実はあなたに精神操作の魔法をかけようとしました。それに言葉も下品で……許されることではないとは、重々承知の上ですが、ご無礼をいたしまして、大変申し訳ございませんでした」
グレーゲルは頭を垂れた。
アニェスは、つい数か月前に出会った日のことを思い出していた。彼が手をかざした瞬間、首を絞め殺されるのかと思った。だが、実際は精神操作を図ったらしい。どうりで祖国のことなどを包み隠さず話してくれたわけだ。後から精神を操作してしまえば、いつ何を知られても問題ないと踏んだのだろう。
アニェスはつんと顎を上げた。さっきまで項垂れていたくせに、立場が逆転した途端、すこし意地悪をしたくなったのだ。
「いくらなんでも操られるのは御免だわ」
「はい。申し訳ありません」
「許さない」
「……はい、覚悟の上です」
グレーゲルは微動だにしなかった。アニェスは一旦彼の手を解き、上からその手を包み込んだ。
「でも……私を見捨てないでいてくれるのなら、許してもいいわ」
みっともないお願いをした自覚はある。つんと澄ました顔をしながら、羞恥に少し手が震えた。
アニェスの精一杯の甘えに、グレーゲルは弾かれたように顔を上げた。冷静を装ってはいるが、頬が赤くなっていることだろう。それに気づいたかは定かではないが、グレーゲルは普段は凛々しく吊り上がった眉尻を下げて言った。
「もとよりそのつもりでございます」
「まあ、そうなの?」
「ええ、必ずやあなたをここからお救いいたしましょう」
グレーゲルの言葉は心の柔らかいところに沁みて、起爆剤となり、なんとも言えない熱い想いがそこから溢れ出してきた。彼にとって自分は敵ではないのだ。
「グレーゲル、ありがとう……人任せなのは分かっているけど、私には力がないから」
「あなたのためなら喜んで働きましょう」
グレーゲルは透き通るアイスブルーの瞳でアニェスを射抜いた。その瞳は、いつでもアニェスの心の弱さを見透かしているようで、美しくも恐ろしい。しかし、そこから目が離せない。
これ以上見つめていると、永遠に囚われて正気を失ってしまいそうで、恐ろしくなる。アニェスは無理に視線を逸らし、強引に雰囲気を変えることにした。
「でも、粗野な言葉遣いは別に気にしてないのに。むしろ、急に丁寧になって驚いたくらい」
「ほう、前の方がお好みで?」
グレーゲルの意地悪な問いかけに、頬が熱くなった。
「丁寧に話すあなたはとても紳士的だけど……なんだか距離を感じることもある……かも」
アニェスは照れながら、もごもごと話した。グレーゲルは形の良い唇の端をにやりと吊り上げた。護衛になってからはあまり見なかった笑い方だ。
「この話し方でも距離をなくすことはできます。先ほどのように」
グレーゲルはアニェスに近づき、彼女の鼻に自身のそれを近づけた。
「あっ、もう、からかわないで!」
アニェスは恥ずかしくなって、ふいと顔を逸らす。
「別に、あなたが話しやすい方でいいわ。それが自然体なら!」
「かしこまりました、アニェス様。ではこのままで。お慕い申し上げている方には、丁寧に接したいですから」
グレーゲルは、笑いをこらえながら言った。
「そ、そう。分かったわ!」
アニェスは真っ赤になった顔を隠したくて、あさっての方向を向いた。
日がすっかり暮れ、辺りが真っ暗になった頃。帰り支度をして馬車に乗り込もうとすると、イヴォンが近づいてきた。
「プレゼントはいかがでしたか?」
「プレゼント……? あっ」
不意に言われた言葉に、アニェスはイヴォンをまじまじと見た。数か月前に言われた言葉が脳裏を過り、やっと合点がいった。あの日、イヴォンが言っていたのは、グレーゲルとの出会いだったのだ。
そこまで考えて、ふと、イヴォンがグレーゲルの正体まで知っていたのかが気になった。そもそも、偶然、路上で蹲るグレーゲルを見かけただけでは、賊との見分けがつかないだろう。だから、プレゼントなんて意味深な言い方はしないはず。そうだとすると、彼は初対面を装い、その実、グレーゲルの出自を知っていたとしか考えられない。
イヴォンがなぜ、わざわざ思わせぶりなことを言い、アニェスを不審がらせたのかは定かではないが、彼はもともとグレーゲルと通じていたと見て、間違いないだろう。
「……ええ、とても素敵でした。大切にします」
何だかイヴォンたちの手のひらの上で踊らされている感覚が拭えないが、ひとまず曖昧に笑うと、イヴォンはそばに控えるグレーゲルをちらりと見やった。
「ええ、とても優秀な護衛です。必ずや、あなたをお守りいたしましょう」
その返事に、やはり彼らは元々知り合いだったのだと、改めて確信した。初対面で交流を深める二人を羨ましいと感じたが、その交流は紛い物だったのだ。
アニェスはまんまと騙された自分が恥ずかしくなり、叫び出したい思いで顔を伏せた。
それまでイヴォンが言った『プレゼント』という言葉を深く考えず、幸運を祈るための台詞くらいにしか捉えていなかった。それに加えて、人付き合いが乏しいせいで、彼らの会話に何も違和感を覚えなかったのだ。なんとも情けない話だ。
とはいえ、そんなことを考えても、今更どうしようもないので、無理やり思考を切り替え、二人の関係性について思いを馳せる。
彼ら二人がもともと知り合いだったということは、つまり、イヴォンもワーゼル王国と繋がっているのだろう。そこまでは分かったが、彼らが何を企んでいるのか、アニェスには皆目見当もつかない。
アニェスにとって一番大切なのは、グレーゲルがアニェスを救うと言ってくれたことだ。アニェスもそれに応えたいと思っている。役には立たなくても、できる限りのことはしたい。それがたとえ国家を裏切ることになろうとも。
アニェスが考え込む様子を見て、イヴォンはくすりと笑った。
「もっとも、共にいる理由は、護衛だからというわけだけではないようですね?」
「え?」
何のことかと思案し、直ぐに思い当たって頰が熱くなる。すると、それを見たグレーゲルは眉を顰めて二人の間に割って入ってきた。
「なんの話だ」
「いえ、なんでも?」
イヴォンはいたずらっ子のように笑った。
「では、お二人とも、お気をつけて」




