勇気と無謀
帰りたい。……元の世界に帰りたい。
ゲームの知識を駆使して、この異世界で成り上がる。そんな俺の甘い幻想は、一瞬で打ち砕かれた。所詮、俺は現実世界でも根暗で気弱なコミュ障なのだ。いくらゲームの知識があっても、根底にある心の弱さや対人恐怖症が変わるはずもなかった。
小説やアニメのようにはいかない。そもそも、異世界転移の醍醐味は圧倒的なチートスキルがあってこそだ。知識無双なんて、土台現実ではあり得ない。修羅場を潜り抜ける勇気がない奴には、口先だけの知識など何の役にも立たないのだ。
俺に足りないのは、勇気だ。そんなことは百も承知だ。だが、勇気と無謀は違う。勇気とは、ある程度の実力や自信があって初めて踏み出すことができる領域だ。何の取り柄もないガマガエル姿の俺が一歩を踏み出したところで、それは勇気ではなく単なる無謀だ。そして無謀ほど愚かで無意味なものはない。
「ガマちゃ~ん! ガマちゃ~~~~んっ!」
遠くから、圧倒的な神速でクロエがこちらへ駆け戻ってくるのが見えた。俺は……情けないことに、彼女が自分を追いかけてきて慰めてくれることを、心のどこかで期待していた愚か者だ。どこまで卑しく、情けない男なのだろう。
「ガマちゃん! 僕を置いて行くなんてバカたれっす!」
追いついたクロエは、俺の頭をぽかんと軽めの拳で叩いた。痛い。……だが、本当に痛むのは頭ではなく、己の不甲斐ない心だった。
「クロエ……。君に俺はふさわしくない」
「ガマちゃん……?」
「俺は弱くて醜い。強くて可愛くてセクシーな君と一緒にいると、自分がみじめでたまらなくなる。……身の丈に合わない場所にいるのは辛いんだよ。俺には、俺にふさわしい居場所があるはずなんだ」
本音だった。眩しすぎる彼女の隣にいるだけで、自分の小ささに押し潰されそうになる。
「ガマちゃん……。僕のこと、嫌いになったっすか……?」
クロエは今にも涙が溢れ出しそうな瞳で、俺の顔を覗き込んできた。
「違う! 違うんだ……! 君が眩しすぎるんだよ! 君を見ていると、自分がちっぽけな存在に思えて辛いんだ……!」
目から惨めな涙が溢れ出た。こんなに可愛い女の子が自分を必要としてくれているのに、それに応える度量すら俺にはない。ゲームの知識という名のカンニングをして満点を取った気になっていた凡人には、土壇場で何もできないのだ。
「ガマちゃんは、素敵っす」
「え……?」
「ガマちゃんは弱いのに、僕のために立ち上がって庇ってくれたっす。僕は、凄く感動したっすよ!」
あの時は、ゲーム知識があれば何でもできるとハイになっていただけだ。だが、非力な俺にできたことなど何もない。俺にあるのは、1000人の美女を口説き落としたプレイ知識だけだ。
「俺は無力だ。結局、俺は君を救えてなんていない。救ったのは君自身の力だろ」
あのクソ冒険者たちを叩きのめしたのはクロエ自身だ。俺はただ、彼女本来の強さを指摘しただけに過ぎない。
「違うっす! ガマちゃんが教えてくれたから、僕は自分の本当の力に気づけたっす!……僕と真剣に向き合ってくれたのは、ガマちゃんだけっす。ガマちゃんは、僕の真の仲間っす!」
……そうだ。クロエは獣人国家の王族でありながら、最弱の猫種として幼少期から虐げられて育った。国を逃げ出して王都で冒険者になっても、待っていたのは囮としての冷遇だったのだ。彼女は、俺が純粋な善意で自分に向き合ってくれたのだと深く勘違いしている。俺はただ、ゲームの知識を利用して彼女を手に入れようとしただけなのに。そんな卑怯者が真の仲間だなんて、笑止千万だ。
「俺は……っ」
『俺はゲームの知識で君を利用しようとしただけのクズだ』と、真実をぶちまけてしまおうかとも思った。……だが、口が裂けても言えなかった。
そうさ。俺は最低の卑怯者で、クズだ。この恐ろしい世界で、ガマガエルの姿をした無力な俺が生き抜くためには、クロエの圧倒的な力が必要だ。
元の世界には戻れない。チートスキルもない。綺麗事だけじゃ、ここでは生きていけない。だったらクズで結構だ。勘違いして慕ってくれているクロエを、徹底的に利用してでも生き残ってやる。
「……ありがとう、クロエ。さっきは怖くなって逃げ出しちゃったけど……こんな俺でも、仲間でいてくれるんだね」
「当たり前っす! ずっと一緒っすよ!」
太陽のような満面の笑みでうなずくクロエ。もうブレない。俺はヒーローにはなれない。だが、1000人を攻略した知識を武器に、クズはクズなり生き抜いてやる。




