人間らしさ
俺は逃げるようにプラタの前から立ち去った。これ以上、アイツの言葉を聞きたくなかったからだ。
(……分かってる。全部俺が悪いことくらい、分かってるんだよ……ッ!)
プラタの言っていることはぐうの音も出ない正論だった。騙されたとはいえ、俺はこの世界の法律を犯した。サクラと強引に性行為に及ぼうとしたのは紛れもない事実なのだ。俺が処罰を受けるのは当然で、クロエが奴隷として買い取られる理由などどこにもない。
(……でもッ! 本当に騙される方が悪いのか!? 違うだろッ! 一番悪いのは罠を仕掛けたサクラとあのイケメン戦士だッ!!)
そうだ。俺は悪くない。俺は被害者なんだ。俺は悪くない……!俺は自分にそう言い聞かせ、心の中の罪悪感を振り払うように全速力で宿屋へと走った。宿屋の部屋に戻ると、日課の探索を終えたルビーがニコニコと可憐な笑顔で出迎えてくれた。
「ガマブン! どこへ行っていたのー?」
「……ちょっと野暮用があったんだ。それよりも、下水道の探索はどうだった?」
ルビーが下水道に入り浸る理由は2つある。刺すような刺激臭が漂う独特の空気を吸うためと、見たこともない奇妙な害虫を探すためだ。ルビーは毒を持っていたり不気味な造形をした植物、昆虫、小動物が大好物だった。もちろん見た目だけでなく、どんな味がするのかに興味津々なのだ。楽園の森の毒草を食べ尽くした彼女は、今や地下下水道に夢中だった。俺は毎夕、ルビーの怪しい冒険譚に相槌を打つのが日常となっていた。
「とっても可愛いフナムシさんを発見したのーっ♪」
普通のフナムシといえば、5センチ程度だ。だが、この世界の下水道に潜むフナムシは10センチを優に超える。ルビーはポケットから不気味に蠢く巨大フナムシを取り出すと、まるでビスケットでもかじるかのようにポリポリと口に運び始めた。小さな口に収まりきらなかった脚の残骸が床にポロポロと落ちる。ルビーはそれを指でつまむと、無邪気な笑顔で俺に差し出してきた。
「ガマブンも食べるの?」
「……ごめん。食べたいのは山々だが、今ダイエット中なんだ。間食は控えているんだよ」
「そうなの……? 残念なの」
ダイエットという便利な言い訳を覚えたおかげで、俺は下水道の害虫を食わされる地獄からようやく逃れることができていた。ルビーの話を聞きながらも、俺の脳裏にはプラタの冷酷な言葉が焼き付いて離れなかった。
(クロエのことは忘れよう……。もう終わったことなんだ……)
朝はゲテモノを流し込まれ、昼は吐き気と下痢でトイレにこもり、夜だけは1階の食堂でまともな食事を取る。そんな過酷すぎる生活の甲斐あって、俺の身体はガマガエル顔から脱却し、普通の人間の容姿を手に入れたのだ。
(……もう、この生活を続ける必要はないはずだ)
俺は心の中で静かに冷酷な計算を弾き出した。ガマガエルの化け物から普通の一般人になれた。そして、週に2回の薬草採取の分け前で最低限の金を手に入れた。ついに俺は決断を決めた。クロエを利用するだけ利用して見捨てたように、ルビーとのパーティーを解消しよう。引け目なんて感じていたら、この過酷な世界で生き残るなんて不可能なのだ。俺は30年間連れ添った醜い姿から解放された。俺は普通の顔面で、ゲームの知識で成り上がっていくんだ。
「ルビー。すまないが……俺はもっと強くなるために、1人で修行に出ようと思うんだ」
「がんばるといいのーっ♪」
ルビーは無邪気に微笑んだ。俺がパーティーの解消を告げているのだとは、まだ理解していないようだった。
「……ありがとう。だから、俺は今日この宿を出ていくよ」
「……え?」
ルビーの笑顔が、ぴたりと固まった。
「え……? パーティーは……?」
ルビーの大きな瞳に、見る見るうちに動揺とショックの色が広がっていく。
「パーティーは解散じゃなくて一時休止にするだけさ。今の俺には強さが必要なんだ。強くなったら、また必ず戻ってくるよ」
自然消滅……それが俺の狙う理想の別れ方だった。だが、ルビーの顔から急速に血の気が引いていくのを見て、これでは納得しないと悟る。
「あ、でも! パーティーは休止しても、たまに遊びに来るからさ。その時はまたルビーの下水道の話を聞かせくれ」
ルビーは害虫食という狂気ゆえに、ずっと孤独だった。誰一人として理解者のいない世界で、初めて自分を受け入れてくれた存在、それが俺だったのだ。一度手に入れた温もりを失う恐怖が、どれほど深いものか。俺は優しく笑いかけ、友達としての距離を保とうと取り繕った。
「やぁーの……っ!! やぁーのっ……!!」
その瞬間、ルビーの瞳から大粒の涙がぼたぼたと溢れ出した。
「やだぁぁぁっ! ガマブンがいなくなるの、やぁーなのっ……!!」
ルビーは幼児のように激しく首を振りながら、涙と鼻水で顔をグシャグシャにして泣きじゃくった。震える小さな手で俺の服の裾をぎゅっと、引きちぎれんばかりの力で掴んで離さない。捨てられることを本能的に悟った小動物のような、痛々しいほどの絶望と拒絶。
(っ……!?)
俺の胸に、激しい衝撃が走り抜けた。
ゲーム時代、彼女は俺の服の裾を引っぱる可愛らしい妹キャラだった。害虫を食わされることなんてなかったあの頃、俺は彼女を恋愛対象ではなく、愛おしい妹のように可愛がっていたのだ。当時の俺はレアスキルを駆使し、彼女たちの心に土足で踏み込んで、上手に攻略していた。……それがゲームだったからこそ、躊躇なく心を盗むことはできた。だが、もう現実世界となった今……でも、どこかでここはゲームの世界だと割り切って冷酷になることができているのかもしれない。そう、クロエを見捨てたように……。
だが……目の前でボロボロと涙をこぼし、全身を震わせて俺にしがみついてくるルビーのぬくもりと絶望は、どこまでもリアルだった。胸の奥がぎゅっと締め付けられ、息が詰まる。冷酷な割り切りも、成り上がりの野心も、目の前の少女が流す本物の涙の前にボロボロと崩れ去っていく。俺の心は、かつてないほど激しく動揺していた。




