生きたい
彼女は突然現れた。それも、俺が日課のデトックスでお腹を下し、上からも下からも全てをぶちまけていた絶体絶命の瞬間に。
「うげぇぇぇーーーーッ!? なんだこの世の終わりみたいな匂いは! 余を殺すつもりかッ!?」
空間を切り裂いて姿を見せたのは、残念エルフのプラタだった。
「これはたまらん!余は大図書館の地下倉庫に戻るが、お前もすぐにこい !」
プラタは鼻を摘みながら悲鳴を上げると、【八渡りの扉】を発動させ、速攻で姿を消した。
……すっかり忘れていた。以前サイクロプスに襲われた際、助けてもらった見返りとしてB級魔法の魔導書を見つけて献上する約束になっていたことを。だが、1日の大半をトイレで全吐きして過ごしている俺に、そんなものを探す暇などあるはずがなかった。
ちなみにルビーは、週に2回の薬草採集以外は、王都の地下下水道を探索するのが日課となっていた。ゲーム時代には存在しなかった下水道エリア。だが、現実世界となった今、生活インフラとしての地下空間が存在するのは当然だった。俺としてはゲーム知識の通用しない未知のエリアへなど行きたくないし、何より毎朝腹を下して死にかけているため、同行など物理的に不可能だ。俺がトイレにこもり、その汚水が流れ出る下水道へルビーがお散歩に向かう。それがいつの間にか俺たちの日常となっていたのだ。
そんな訳でプラタとの約束は後回しになっていたが、思い出そうが今の俺にB級魔導書を調達するのは至難の業だ。ゲーム知識で存在する場所自体は知っている。だが、今の俺の力では到底手に入らない危険地帯にあるのだ。俺は風呂に入って全身を清潔に洗い流すと、手ぶらのまま王都南区にある大図書館の地下へと向かった。
かつてプラタとクロエの死闘によって何もなくなった地下倉庫。しかし、たった3週間でそこは元通りの凄惨な姿へと戻っていた。崩れ落ちた無数の本棚。床一面に膝の高さまで乱雑に散乱する古書や魔導書の山。プラタはその古書の山をソファー代わりにし、横になって寝転がっていた。
身長170センチのすっと伸びた色白の肢体。腰まで届く神秘的な銀髪に、吸い込まれるような銀色の瞳を持つ絶世のエルフ美貌。長年着古してだらしなくはだけた白のローブからは、目の毒なほど美しい生足が覗いている。世界最強魔法の才能を持ちながら、誰も見向きもしない狂気のB級魔法に生涯を捧げて部族を追われた偏屈な引きこもり。それがプラタの正体だ。
「……ずいぶん遅かったではないか、愚者め」
赤い眼鏡の奥から、冷徹な銀色の瞳が俺を鋭く射抜く。B級魔導書をすぐに届けなかったことに、相当ご腹を立てているご様子だった。プライドなど一切持ち合わせていない俺は、迷わずその場に土下座を決めた。
「申し訳ありませんでしたッ! いろいろと事情がありまして、B級魔法の魔導書を用意できませんでしたッ!」
現実世界でも、プライドを捨てて誠心誠意土下座すれば大抵のことは許してもらえたのだ。土下座で許されるなら喜んで床に額を擦り付ける。
「む……? ずいぶん見た目が変わったのう。ガマガエルから少しはマシな面構えになったか……。……まあよい、そんなことはどうでもよいのだ。それよりも、クロエはどうした」
プラタの瞳に、ゲーム時代には一度も見せたことのない冷酷な光が宿った。俺の背筋に冷たい戦慄が走る。
「クロエはどうしたかと聞いているのだッ!!」
地下倉庫全体を揺るがすような怒声。鼓膜が破れそうなほどの圧に、俺の身体はブルブルと震え上がった。
「く、クロエ……? ああ……そんなヤツもいたかな……」
決してクロエを粗末に思っていた訳ではない。ただ、助け出せない己の無力さから逃げるため、思考の奥底へ封印していただけなのだ。
「……なるほど。お前にとっては、もう用済みの道具という訳か」
プラタの氷のように冷たい言葉が、俺の胸に突き刺さる。
「ち、違うんだッ! 俺にはどうすることもできなかったんだッ!」
俺は必死で事情を弁明した。サクラの罠に嵌められて死刑か5000万円の示談金かを迫られたこと。そして俺の釈放と引き換えに、クロエが自らイケメン戦士のパーティーへと身を捧げたことを。だが、話を聞いたプラタの怒りは収まるどころか、さらに激化していった。
「貴様……己の命可愛さに、クロエを奴隷として売り払ったのかッ!?」
「違うッ! 俺はクロエにそんなこと頼んでいないッ!」
そうだ。俺が頼んだわけじゃない。クロエが自ら望んで身代わりになったのだ。だから俺は悪くない……! そう自分に言い聞かせて自分を守っていた。
「ならば貴様が死刑を受け入れれば、クロエは解放されるではないかッ!」
「無理だッ! 俺は無罪放免となり釈放されたのだ!」
もう手遅れなのだ。クロエがイケメン戦士の仲間になったことで、俺の釈放は確定した。いまさら覆しようがない。
「……愚か者が。世無知にも程があるぞ」
プラタは心底軽蔑したように吐き捨てた。
「借金肩代わりによる奴隷契約には、法的に【1ヶ月の猶予期間】が存在するのだ。1ヶ月以内に5000万円を用意するか、あるいは主たる容疑者が死刑を受け入れれば、契約は破棄されクロエは奴隷身分から完全解放される」
「え……?」
「現在、クロエはその執行猶予期間の最中だ。だからこそ奴も今は無茶な扱いは受けておらんはず。……だが、それもあと1週間で終わる。1ヶ月が経過すれば、クロエは正式に奴の所有物となり、生涯を奴隷として陵辱され尽くすことになるだろう」
プラタは俺の顔を覗き込み、酷虐な笑みを浮かべた。
「お前は、それでもよいのか? 自分を救ってくれた女が、男の玩具にされて壊されるのを指をくわえて見ているつもりか?」
「……いいわけ、ないだろ……っ! でも……でも俺は……死にたくないんだよッ!!」
本音が叫びとなって漏れ出た。ゲテモノを食って、上から下から血を吐くような苦痛に耐えて、ようやく人並みの容姿を手に入れたんだ!これから努力してもっと格好良くなって、この世界で生きていこうとしてるんだ!死にたくない! 今更死ぬなんて、絶対にイヤだッ!!




