たゆる気持ち
こんなものを食べられるわけがない。一口でも噛んだら気持ち悪さで意識を失ってしまうだろう。だが、断ることなど出来ない。俺はルビーの差し出したゴキブリを口に入れた。
(噛むな、噛んだら終わる。一気に飲み込め……ッ!胃袋に放り込めば、味も食感も感じずに済むはずだ!……無理だ、口の中で蠢いてる感触だけでゲロが出そう……ッ)
水さえあれば一気に流し込める。だが、ここはレストランではなくペットショップだ。ふと視線をやると、黒ローブの老婆の手元に温かいお茶が入ったマグカップが置いてあった。俺は反射的に老婆のマグカップをひったくり、逆流しかけていた胃液ごと、口の中の害虫を一気に喉の奥へ流し込んだ!
ゴクンッ!!
「……っ!? ……う、う~ん……ま、まず……う、うまいっ……!!」
胃袋が焼き切れるような激痛と猛烈な拒絶反応に耐えながら、俺は涙を浮かべて引きつった笑みを浮かべた。
「でしょっ♪ もう一匹食べるの?」
「ちょ、ちょっと待ってくれっ……! お、俺はもうお腹いっぱいだ……!」
無理だ。これ以上は絶対に無理だ。マグカップのお茶も飲み干してしまった。次に害虫を口に入れたら、その場で全身の臓物ごと吐き出してしまう。
「小食さんなの。私はもっと食べるの♪」
俺の言い訳を素直に聞き入れたルビーは、再び大量の害虫をむしゃむしゃと貪り喰い始めた。間一髪で助かった……と安堵したのも束の間。俺のお腹の中からゴロゴロゴロ……ッと激しい雷のような音が鳴り響き、突き刺すような激痛が走った。
「す、すみません……っ! トイレを貸してください……っ!」
「……奥の扉を使いな」
老婆が呆れたように指差し、俺は小屋の奥にあるトイレへ向かって脱兎のごとく走り出した。扉を叩き開け、便器にしがみつくと同時に下から猛烈な一撃が噴射された。さらに息をつく間もなく、喉の奥からも激しい吐き気が込み上げ、上からも下からも体内のあらゆるものを盛大にぶちまけた!
数分後。上からも下からもあらゆる物体を全て出し切った俺は、憑き物が落ちたようにスッキリとした顔でトイレから脱出した。
「ガマブン、遅いの」
「……」
俺の呼び名はガマガエルの親分さんから、いつの間にかガマブンへと短縮されていた。もしかすると、これは俺への親しみのあらわれなのかもしれない。
「待たせて悪かったな。……それで、食事は堪能できたのか?」
体内を空っぽにして爽快感すら覚えている俺は、妙にすました格好をつけて尋ねた。
「とっても美味しかったの♪ また明日も来るの!」
ルビーはすこぶる上機嫌だった。今回の俺の目的は薬草を手に入れることであり、ルビーをパーティーに勧誘することではない。イケメンと言うパーツを失った俺に、ルビーを口説き落とすのは難しい。それに、毎日ゴキブリを流し込む羽目になるのは勘弁してほしい。
「そうか。場所も分かったことだし、明日からは一人で来られるな」
これでいい。これが身を守るための正しい決断だ。
「やだなの! ガマブンも一緒に行くの!」
ルビーはぶんぶんと首を振り、俺の服の裾をぎゅっと掴んできた。そして、小動物のような大きな瞳でじっと俺を見上げてくる。可愛い少女にこれをやられたら萌え死ぬところだろう。だが、今の俺の脳裏には毎日ゴキブリを食べさせられる地獄の悪夢しか浮かばなかった。
「俺も一緒に行きたいのは山々なのだが……生きるための金策で忙しいんだ。本当にごめん」
これは嘘ではない。一文無しの俺がこの世界で生き残るためには、一刻も早い金策が不可欠なのだ。
「ガマブン、問題ないの! 私と一緒に薬草を取りに行くの♪」
「……え?」
ルビーの方から誘いがきた。これは、願ってもないチャンスなのだろう。しかし毎日害虫を食わされるリスクがある。だが、これ以上ない安定した収入源が確保できる!俺は最弱のブ男だ。かつて1000人のハーレムを築けたのは、ゲーム時代の『イケメン』という最強のアバターがあったからこそ成し得た偉業だったのだ。イケメンというパーツを失った今、俺はその威力を痛感している。
「私……ガマブンのこと、気に入ったの♪」
ルビーは人間離れした俺のガマガエル顔を、ゆるキャラのように気に入ってくれたらしい。あるいは、誰も共感してくれない害虫食という狂気の食卓を共にしてくれた、唯一の理解者だと認めてくれたのかもしれない。
クロエという唯一の後ろ盾を失った俺にとって、ルビーの存在は大事だ。俺の心はたゆっていた。




